ダイヤモンドサッカー世代、衝撃だったPK戦

 サッカーのワールドカップ劇的な決勝戦で終わりました。熱烈なファンは現地との時差もあり、しばらく寝不足とロス状態かもしれません。
 サッカーW杯に関してポジティブとネガティブに最近2回ブログにアップしています。またラグビーとの比較は、私のブログの中で通算で最多を争うほど閲覧されています。下記、ご参照ください。

 1970年代、当時野球などと比べ希少なサッカー少年は、三菱ダイヤモンドサッカーという番組で世界のサッカーを知った人が多いです。リアタイで全試合、BSやネットで見たり、少し遅れて配信をみたりできる時代で、多くの人がW杯の好カードを全部見て話題にしている今と比べると本当に隔世の想いです。

 当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)は全国ネットがなく、私のところも地方UHF局(死語)でさらに遅れてしか見れませんでした。1年以上前の1970年のメキシコW杯や、プレミアと名のつく前のイングランドリーグを前後半45分を1週ずつ見て、喜んでいたのでしたからマニアックなものです。

 1968年、釜本や杉山を擁してメキシコ五輪で銅メダルを獲得した衝撃から、サッカーに着目し、当時アマ主体だった五輪の上に、世界最大のイベントワールドカップがあるということを知り驚き魅了されたのです。

 今年の大会で決勝含め、5度のPK戦は過去最多になるそうですがPK戦の導入は1970年代で、W杯では実際には1978年規定化されて、実際には1982年の準決勝が初実施だったそうです。
 国際大会では70年代から順次実施され、1971年の東京で開催されたアジアユースサッカーの準決勝で日本と韓国の激戦が中継され衝撃的なPK戦を見たのが、私の初めてのテレビPK観戦で、ここからサッカーに本当に取りつかれました。
 その意味では批判もしていますが、PK戦はやはり面白いのでしょう。

 長いサッカーの歴史と観戦歴から言うと、さまざまな戦術のトレンドがあり、ルールもレギュレーションも変わりました。やはり実力の下のチームが故意に引き分けPK戦勝ち狙いで勝ち進むということが、繰り返されるのもどこかで止めないといけないでしう。その変化、動きも今後出るかもしれません。PK戦の面白さスリリングと、理不尽はもろ刃の刀です。


 日本のサッカーも4年に一度、今回は奇跡的に4試合までできましたが、代表にJリーグの選手がほとんどいません。かつては代表で活躍した〇〇を観るために日本の国内リーグが潤った時代もあったのが皆無です。これは代表の連携強化や、興行としてもいびつな構造で、サッカーの裾野を今以上に広げるのには問題ではあります。Jと欧州の半々くらい、野球のNPBとメジャーの関係くらいが理想ではと思います。

 いろいろ政治的な話、ウラの話はまた次回。

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