戦争は、賛成反対以前にいつも『停戦』『やめ時が難しい』

 ウクライナの長引くロシア侵攻からの戦争、北朝鮮のミサイルや、中国の台湾や南沙諸島などへの動きが報道されるたび、それ見たことか軍備を拡充しないといけないと語る方向に人がいます。あんな暴挙をするロシアには制裁を強化し、ウクライナを支援しようということです。

 しかし戦争は長引くばかりで、停戦の動きはなかなかです。このまま、さらに戦争が拡大し、停戦がままならずロシアが戦術核を用いたりすれば最悪の道です。

 ウクライナをかつての戦中の日本に重なる人もおられます。
 物資が枯渇し、鉄も砂糖も脂もコメも手に入らないで、田舎に疎開させられ、家は道路の拡充に使われ供出されてしまう。焼け野原になりつつある都市部、それでも絶望的な召集で、武器も戦闘機も不十分で戦地に赴く人々。

 日本もそうでしたが、戦争は戦う双方の国が自分こそ正義だ思っている聖戦です。そう簡単に、停戦を受け容れると、愛国者やその支持者からは轟々たる非難を受けます。戦争をよくぞ止めてくれたとは言われず、何で途中で投げ出すとなります。最後はメンツかもしれませんが、それ以前に戦争のプロバガンダを信じ込まされ洗脳されてしまう人々が大きな問題です。

 影響力の強い人が洗脳されると、集団にも勢いがつき暴走が止まらなくなります。戦前の日本やドイツが何であんなことになったのか、怒り嘆き、今ならと思う人も多いでしょうが、残念ながら今でも大して大衆の愚かさというのは変わりません。

 ロシアを批判する国々は『力による現状変更を許してはいけない』と言い、特に日本ではそれに毅然と同調しないと東アジアにも及ぶと米国やEUと横並びを強制するような世論が強いです。しかし『力』をさらに『力』でねじ伏せようとし、軍備増強を図ればエスカレートするばかりです。『力』に『力』では戦争は終わりません。長くなるだけです。長引けば、兵士やその家族、一般国民は苦しむだけです。ロシア人は憎くない、プーチンら指導部が憎いのだと言う人もいますが、結局戦争で苦しんでいるもはロシア人です。
 国際世論や他国がまず戦争を止め、国会や国際裁判所、公平な国際世論に委ねるべきです。

 戦争体験の語り部の方々はどうしても、戦争絶対反対の左翼思想に利用される場合があります。国と国の主張がぶつかり合うことそのものは避けられません。戦争やむなしになる事態は、国際社会ではむしろありがちなことです。問題は武力衝突となった時の停戦,やめ時をいかに想定して、国民にも妥協を説明し、交渉していくかです。
 日露戦争は、完全決着で勝敗が決まった終局ではありませんでした。日本が勝ったとも喧伝されましたが、賠償金もなく世論は不満でした。殴り合いで体力もつき、わかったやめようよとなった感じでしょう。有利不利はあったにせよ相手が降伏したわけではなく、条約が結ばれました。
 日本人は潔しなのか洗脳なのか、白黒はっきりさせ無条件降伏まで戦った第二次世界大戦の敗北しか頭にない方が増えました。ロシアのプーチンが完全屈服する可能性はゼロではないですが低いです。むしろ長引き追いつめられると戦術核を使う可能性さえそう低くはなくあります。
 国際世論というなら、玉虫色で双方のプライドや世論に妥協しつつ、停戦を模索する動きが早くでないかと願います。

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