世の中もしょせんゲームのようなものと楽しむ

 「大富豪」もしくは「大貧民」というトランプゲームが広く行われていますが、その公式ルールを広げようという新聞記事が、少し前に載っていました。しばらく遊んだこともないのでうろ覚えですが、随分ローカルルールがあり、知っているものと印象が違うものもあります。
 「都落ち」や「革命」という大富豪が没落するルール設定も、ローカルでさまざまで、私の知っているルールでは、大富豪が2位でもそのまま富豪をやっていたようです。公式ルールだと、大富豪の連チャンを続けるのは結構難しいので上がり下がりの波が激しいゲームになる印象です。
 大富豪はせいぜい落ちても富豪で、また大富豪になりやすい方が、大貧民が浮上した時の爽快さが大きいような気がします。
 4人から7人ぐらいまでで遊べ、麻雀や将棋等に比べ、参加人数に幅があって、全員参加しやすいのがトランプらしいところです。偶然よりも知的な戦略性もそれなりにトランプの中では深いのも人気なのでしょう。
 富豪とか貧民とか言う、身分のような経済社会を単純にもじって悲喜を味わえるところは、他のゲームにない魅力です。そこそこにルールと戦術を知れば、他のゲーム同様勝ったり負けたりは運不運っとなり、人生のようでもあります。

 人生でもそうですが、与えられた運命にある程度左右されながらも、諦めずに努力すると幸運を掴めるときもあります。あるいは、ずっと最初から勝ち続け、転落することを恐れ守り続けることが楽しいものかというのも、ゲームをしながら考えさせられる面です。
 世襲政治家とか、社長の二代目とか何代目というと、苦労知らずの人生に思えます。なかなか、政治家や経営者にはそうそうなれないので、その家に生まれた人を、普通の人は羨み、妬み、「不公平だ、ずるい」と思ってしまいます。
 お金がある、格式のある家に生まれるということは、良い教育を受けられ、良い環境にいて、いろんなものを子供の頃から手に入れやすいことは間違いのないことです。貧しい家に生まれるよりも有利なこと、恵まれたことは多いでしょう。
 いろんな考えもありますが、将来を選べないとか、気苦労も多いとか、現状を守るだけで大変でなかなか妬まれるだけで評価はされないとかいっても全てそんなものは、食うや食わずの生活をしている人間には贅沢に思えます。
 しかし、この大富豪というゲームを改めて人生に当てはめると、それが僻みだという構図が見えてきます。もちろん、世の中にはそれほど頻々と、場が流れたり、革命が起こったり、都落ちはあったりはしませんが、長い目で見れば、大企業も次々と倒産や買収され、名門の貴族も没落して、かつての富豪や士族の邸も持ち主が変わったりしています。
 日本のプロ野球でもそうですね、2リーグ6球団ずつあって、お金持ちでよそからいい選手をFAでとって、補強をしても蓋を開けると、主力を抜かれたチームや前年最下位のチームが予想を裏切って優勝することも多くなりました。

 一代でハングリーさで上がった人もいれば、恵まれた環境を最大限に生かして親の代よりも家を大きくした人もいます。
 何よりも、お金や名声を増やした棄損したとかではなく、良い仕事をしたとか、充実した人間関係を築いたとか、人生を幸せだったと感じられるかどうかではないでしょうか。
現代でも国によっては、何十万人、何千万人もの人が自由に富むことを制限されています。そんな状況でも、小さな幸せや、楽しさを分け合うことはあるのではと思いますし、そこにある羨みや妬みの不公平や格差は自由主義の国よりは小さいでしょう。
 妬みや愚痴ばかり言うマイナスの気持ちだけでは、結局恵まれた幸運も去ってしまいます。人生はゲームようなものです。貧乏な家庭や、貧しい国に生まれたことは、自分が悪いのではありませんし、これから努力や運によって、今より良くなる可能性は限りなく大きいのです。
 まあ、とは言え、グルメの投稿とか見て、すごい高い料理だとかだとヤッカミは自然ですけどね。
 いつか、贅沢できるように人生頑張りましょう。

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