あえて子供に跡目を継がせない考え

 京都の私学の高校、大学出身なので私の友人も二代目はおろか老舗の〇代目かの社長さんや、店主さんや、院長、住職などになられている人も多いです。京都ならではの呉服などの和装や、和菓子や和食、名店や老舗、伝統あるところを継がれて盛衰もある中活躍されています。
 水を差すつもりはありませんが、政治の世界では世襲政治家が圧倒的に多い中、非難もあり同一選挙区での世襲立候補を制限しようという案もでています。
 テレビなどでは、家業や社業を娘や息子に継がすのが難題のようなCMも流れています。
 継ぐ継がないは個人の人生の選択でもあり、また後継は経営の考えもあり、規模や定款にもよりますが、親としての人情も絡みます。トヨタや出光や多くの財閥系や家電業界はじめいろんな業界が創業一族などが世襲したり、幅を利かしている例もありますし、成功し好転しているところもあれば、それが失敗して弊害が増えているところもあります。
 芸能界でも俳優が2世3世で親の七光りというのか、話題性から飛躍するケースや、歌舞伎や能、狂言などは家が重んじられます。一方で、修行や訓練は、投資と成功の確率は別にして、音楽やお笑い、アスリートは家柄はなくとも実力で叩きあげて成り上がれる要素は強いです。
 いくら、親が偉大で有名でも、上手くもない歌や面白くもない芸は見向きもされません。
 財閥ではない明治から戦前の創業者、企業家は丁稚奉公など現場あがりの、家長を継がない次男以下の人も多いです。
 私が今とある文献を読んでいると、戦前からいくつかの業界では、組合などで親からはもちろん何親等かの血縁相続を代表者には認めないケースもあったようです。
 チベット仏教の最高位ダライラマがそんな感じです。
 
 あえて業界を維持し守っていくのには、世襲ではダメという考えです。新鮮な外からの血が入れやすくい、安易な後継を認めない決めていたというのは、子供や身内に譲りたいというに感情に反してはいます。
 国会に野党も世襲禁止の法案を出していますが、定年も含め決まりそうではありません。政治の弱体は決して世襲議員のせいだけではないですが、今国会議員になるのは世襲でないと難しすぎます。老害も含め、いろいろ仕組みは変えないといけないです。
 同族会社もいいところも悪いところもありますが、「企業」というイノベーションを考えた場合、やはり世襲では、言葉は悪いですがせいぜい地方都市のお店、中小企業ぐらいの感じがします。
 千尋の谷に突き落とすような親が減り、次期社長を約束された秘書のように促成するようでは議員も社長も先代を超えられないという考え方、それでも親の進んだ道を歩み、子に歩ませたいなら覚悟がいるということでしょう。

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