政治、選挙はやはり難しい

 不在者投票というものに行ってきました。
 昔に比べ、不在者投票の条件は緩和されて、その割合も増えているそうです。
 私は親からは、「選挙には必ず行け」と教えられました。
 別に誰に入れろではなく、それは大人としての権利ではなく、義務に近いものと教わった感じです。戦前、戦中から戦後の変革、軍国主義から民主主義に変わったありがたさを体験してきた世代だからでしょうか。
 ただ、今その民主主義とその選挙制度が勤続疲労し、老朽化している感じです。
 全体の投票率が国政、地方とも漸減傾向は変わらず。少子高齢化が進み、一部で政治や選挙、民主主義のオワコン化が指摘されています。信任されたとはいえ投票率の40%のさらに3割とかの得票で当選して民意となるのです。
 私は国会や、選挙は面白いところもあるとは思い観察は好きです。それでも、当事者やはり議員になりあるいは首長になり政治、行政を担うのは大変なこと難しい構造だと感じます。
 政党政治と言われるの日本では、やはり政党に入らないと活動の範囲は狭く限られます。ではその政党が何をしているのかと言われると、このところのニュースではないですが本当に情けない限りです。
 地元の市長選挙も、少し関心をもって注目してみていたのですが、やはり酷いというか、政治とか選挙というものが、今の社会の流れからかけ離れてしまった伝統産業、古典芸能のような形で、いいにつけ悪いにつけ一生懸命努力されているという感じです。議員案件を持ち込まれる国会議員さんはじめ、選挙に関わっていいる人、実際の政治活動に入る人を見ているとやはり、そのムラ的社会の中で、大変な使命を持っての仕事だとは感じます。
 実際、議員や首長であり続けるためには選挙に勝たねばなりません。
 選挙カーで声を上げ、人の集まる街頭で声を上げ、バイトがチラシを配り、ポスターを貼る。それにお金がかかるからパーティで企業やタニマチから融資を集める。
 アナリストや学者が政治学を理想論で語るのと違うところです。
 民意を反映する画期的な制度を思いつき、公約してもその個人が当選し、所属党が政権を握らないと無駄になるという難しい問題です。

 論破王ひろゆきと並び、最近の若者に、政治的な発言のクールさで人気を博す成田悠輔氏の提案も正論でありながら、そこにたどりつくプロセスの段階で今政治も民主主義も断末魔のもがき苦しむ段階なのかと思います。
 成田の意見を高齢者引退部分だけや表面的なところで切りとった部分だけで誤解されている年輩の方がおられます。しかし彼自身は全くのデジタルに長けた理系脳の学者で野心も何もない人だとサマリを読んだだけで分かります。
 高齢者も若い層も、民主主義を肯定するひとも変えたい人も、俯瞰してみれば何年か後には変革された未来は来るでしょう。
 ネットのアンケートのような選挙はいつか実現して、選挙カーの喧騒もパ^ティ券裏金騒動もそんな時代があったと忘れられる。

 それが分かるだけに、今の選挙はもどかしい。
 

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