神戸の裁判所がある大事件の保存期間が過ぎたため規定によりすでに2011年全ての記録を廃棄していることが発覚して、昨年末少し話題になりました。
その事件は27年前になる当時の社会を震撼させた連続殺傷事件でした。
神戸連続児童殺傷事件は、震災の復興半ば、阪神大震災のほぼ2年後1997年2月から5月にかけて兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件である。 神戸の閑静な住宅街を震撼させる相次ぐ謎の犯人が小学生5人を殺傷し2人が死亡、2人が重軽傷を負いました。酒鬼薔薇聖斗と名乗り犯行声明を出してたことから、酒鬼薔薇事件、酒鬼薔薇聖斗事件とも呼ばれていましたが、何とその犯人は中学三年生でした。
エラリークイーンの有名なミステリ並みの、その犯人の衝撃とともに、世間は騒然となり、その犯人や背景に着目したものです。
犯人のその後は意外と知られてはいませんが、少年院への長期収容が決まり、関東の更生保護委員会に入り「約6年半の矯正教育により、事件の要因となった性的加虐嗜好などは改善され、再犯のおそれはなくなった」と判断されたため、逮捕から約6年9か月後2004年3月10日に仮退院を認められ、社会復帰しています。すでにそれからも20年経ち、少年Aも、結婚もしてすっかり一般の中年になっているはずです。
週刊文春に東京に住んでいる記事を写真入りで掲載されやむなく転居したり、平成27年には遺族に無断で「手記」を出版して物議を醸しましたが、どのような生涯なのかは私たちからは想像しにくいものがあります。
詳細の裁判記録は消えてしまい、今後重大事件の記録の保存期間をどうするか議論にはなっていますが、少年犯罪でもあり、掘り起こしで人権を侵害する問題さえあり、そもそもどこで重大を線引きするのかも難しいとされています。
当時、プロ野球オリックス球団はまだ近鉄球団と合併する前のオリックスブルーウエーブという名前で大阪ドームではなく、犯行現場に近い、グリーンスタジアム神戸(当時の名称)が本拠地でした。犯行が続く時期にナイターで活躍しヒーローインタビューを受けたイチロー選手は「夜も遅く物騒なので、くれぐれも気を付けておかえりください」と最後に付け加えたそうです。
LINEのコミニケーションツール開発は2011年の東日本大震災以降なので、メールや掲示板やらでのつぶやきはあっても、今ほどの情報は浸透しにくい時代だったでしょう。あるいは、今の時代のアプリなどのツール、情報があれば少年Aの闇を救い、被害者を自衛し救う手立て、きっかけがあったかもしれません。