書評:柳広司「南風に乗る」 沖縄の昭和史

 リーダビリティには定評のある作家柳広司ですが、やや重いテーマを掘り起こした作品でさすがに読むのには少し時間がかかりました。
 軽い筆致で、痛快でスリリングな戦中のスパイ小説を描いてきた作家が目をつむれない歴史の暗部を社会派的な視点に移行しつつあるところです。
 この物語の主人公は沖縄というキャッチコピーです。

『ジョーカー・ゲーム』シリーズで知られるベストセラー作家が挑む「沖縄が主人公」の物語。沖縄からの風が「真」をはこんでくれる、戦後、日本は二つの国に分断されていた。
本土から切り離され、米軍支配下に取り残された沖縄は「独立」に向けた闘いを開始する。
遠く離れた故郷沖縄に思いを馳せる詩人・山之口貘、“アメリカが最も恐れた男”不屈の政治家・瀬長亀次郎、戦後の東京で私費を投じて米軍支配が続く沖縄との連帯を模索する中野好夫。


 返還までの沖縄の人々を襲った悲劇と苦闘の数々は、未だにやはり本土の人間が過去と割り切れるものではなく、語り継がれるべき近現代史です。
 私は沖縄の戦中、戦後の史実を掘り起こせば、平和世代がリゾート地として遊ぶためだけに沖縄に行くことは何となくためらわれます。

 沖縄の過去と現在をよく知らず、沖縄でたっぷりリゾートを楽しんだ後、日本人はウクライナの戦争になぜもっと主張し、支援しないというイギリスの友人がいました。
 おいおい、日本が主張すべきは、アメリカやイギリスに対してだと言いたくなります。アメリカはとうに世界の警察を辞めました。辞めたというか、化けの皮が剥がれたのです。日本人の中には戦後の占領政策のアメリカ人を紳士と全面的に感謝し親米となっている人も多くいるようですが、沖縄への戦後の「仕打ち」を見ると、アメリカ人は紳士でもなく蛮人です。
 もうベトナム戦争も中東戦争もイラクも飛ばして都合よく正義感になってウクライナウクライナと叫ぶなと反論したくなりました。

 日本の戦後は本当に終わっていないし、本当に独立はしていないのが、基地の偏在する現状と、その土地の背景、沖縄史を紐解けば良く分かります。
 ドキュメンタリー的な小説であり、今50代の柳氏の伝聞取材などの構築、創作もあるでしょう。
それを愛国、右翼系の方が、沖縄人が全て中国とつるんだ左翼のように批判するのもどうだかとは思います。
 基地や日本の中央とつながり、多くの沖縄人も日本のカオスと一体化した今、瀬長の生きた頃の投票率90%だった熱い時代と今では市民の感情も変わってきています。差別ともいえる賃金格差も昔ほどではないでしょう。
 それでも、基地があること、国境近くにある要塞の島であり、日本政府に半ば見捨てられ多くのリスクを背負う宿命の島に抗いながらも、なすすべなく無理やり替えられたことには違いはありません。
 
 柳氏の地の分に、現政権批判のようなところがあり、そのあたりはちょっと不要かなと思います。保守系の神経をあえて逆なでする必要はなく、日本人の愛国心に「親米一辺倒」は少し違うよと訴えれば良いことです。
 瀬長亀次郎については、少し別の視点と表現で、小林よしひろが「ゴーマニズム宣言沖縄論」でも詳しく熱く絶賛して描きあげています。
 沖縄人に関して暴言的な発言をした百田尚樹も、近現代の人物をモデルに小説を書いています。右と左に両極端とも思われがちですが、愛国者、親米保守、右翼といえども瀬長が傑物であることに間違いはないですし、アメリカの占領政策に、日本政府の吉田茂、佐藤栄作らが無力で弱腰だったのも否定はできないでしょう。
 歴史は、書く人の立場によって、右にも左にも動きます。しかし、歴史事実に右も左もありません。百田尚樹にしろ、採り上げる人物がゼロ戦の操縦士だというピックアップの仕方と技巧が右寄りであり、大きな歴史のうねりは変えられません。


 自民党政権が弱まり、日本もまた変化の時代、国際情勢も不透明な現代、沖縄がまた戦争の基地に使われる時期が来そうです。
 

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