今放送中の朝ドラにも出演されて、多くの大河ドラマなどにも出ている小林薰さんというベテラン俳優は、先日亡くなった唐十郎の率いた紅(あか)テントと言われた状況劇場の出身です。根津甚八さんと並ぶ同劇団のスターでした。
日本の一時代を代表したようなアングラ劇団で、まだまだ1970年代の後半は高度経済成長の終わりぐらい、学生運動も終息しつつはありばがらも今とは世間の空気が違うような時代でした。
既存の演劇、既定の社会を否定するような集団が前衛劇団、アンダーグランドでした。公共劇場の空間を否定するように、象徴的な色のテントの中での芝居や、小劇場芝居には昏い沼に引き込まれるような恐ろしさとマゾヒズムの快感が入り混じりました。同劇団が芝居を見せるのは東京・新宿の花園神社の境内、地方だと公園や河川敷などに組まれた紅色のテント。客席はゴザでした。そこで俳優と観客が一体化するのです。役者を「河原乞食」よいわれるゆえん、歌舞伎俳優の故・18世中村勘三郎さんは「歌舞伎の原点だ」と評していました。
小林薰さんは1969年、京都府立洛東高の3年時に退学処分を受けたそうです。理由は学生運動で当時は日米安保問題や沖縄返還問題などがあり、高校生を含めた学生たちが政治の在り方に異議を唱えていた。今よりも熱く若者が政治を語るのが、いわばファッションやゲームのように身にまとわりついていたのでしょう。小林さんも「学生運動っていったって、今から思えばかわいいもんでね。お祭りみたいに考えていたな。月1回、デモや集会に出て」と軽い感覚で雑誌のインタビューで語っておられました。
アングラで上演される芝居は幻想的かつ肉感的、そして知性や想像力もフル回転してついていかないといけない言葉も「胎内回帰」とかともすれば難解なものを分かったように観るのも流行りでした。
そして世の中では平行するように、アメリカナイズされた明るく豊かでおしゃれな時代が始まるのです。都会的なサブカルとして、雑誌【POPEYE】や「ビックリハウス」、【PLAYBOY】の日本版も出て、村上龍【限りなく透明に近いブルー】、田中康夫【なんとなく、クリスタル】池田満寿夫【エーゲ海に捧ぐ】などの小説は、基本ネアカでわかりやすくポップな世界です。演歌や歌謡曲からYMOのテクノが流れだし、ディスコも流行り出し【サタデーナイトフィーバー】などの映画も流行りました。
多くの人、インテリでさえ、【胎内回帰】などの衒学から、明るくわかりやすく、難しいことは考えない時代へ移っていき、それから半世紀です。
学生運動で退学になるような高校生や大学生など、見たことも聞いたこともない時代で、政治で何が起こっていようと国政選挙の投票率は半分以下3分の1ぐらいになりました。
日本は、良い時代になっているのでしょうか、唐さん。