
年金改革に『基礎年金の底上げが入っていない、あんこの入ってないアンパン』と立憲民主党に揶揄されて、少数与党の悲しさで与党自民党も結局妥協してしまいました。
しかし、ドラマの題名でからかうほどこの問題は軽くありません。日本の社会構造を揺るがす大きな改正をするのかどうかです。
厚生年金加入者からすれば、「自分たちが払った保険料が、保険料を払っていない人の給付に使われるのはおかしい」という不満が出るのは当然です。60歳から70歳ぐらいの人が年20万から30万の減額といわれたら、ブチぎれる人もでるでしょう。
厚生年金保険料は給料の18.3%(労使折半)と結構な負担。それが自分たちの年金給付に使われるんじゃなくて、国民年金加入者の給付に回されるとなると、不公平感は拭えないものです。
元々、国民年金の保険料というのは、公務員や会社勤めで定年のある共済や厚生年金に比べて、農家や自営の人、零細商工業者は高齢になれば収入も先細るので、お小遣いの足しにという感じのものでした。掛金も100円台とかのスタートでした。それで、十分一人で生活できるような金額では、最初から設定されていません。老人が扶養されるのに、肩身の狭い思いをせず、家族に負担をかけすぎない程度のものでした。
今は、日本で『家』は崩壊して、独居の高齢者も増えてしまい、家族で高齢者を支えることも減りました。実際に、月6万程度の基礎年金では、生活保護を受けないと暮らしていけないのです。介護施設や高齢者住居の費用も跳ね上がり、年金+持ち出しでも、なかなか厳しい老後が待っています。
ここで厚生年金の積み立てまで基礎年金に回すというのは無理筋で、これでは保険としての制度の信頼性を損なう可能性があります。平成16年の年金改革で『100年安心』と言われたはずが、社会全体がまだ景気も良く余裕があったので、誤解を与えています。当時から、基礎年金だけでの生活は無理があったのです。
そこから実質的な減額をしていこうとしたのですが、元々ボタンの掛け違いのような年金は安心という言葉が独り歩きしてしまい、年金財政は破綻しないものの、就職氷河期、バブル崩壊、それに伴う賃金低迷や退職金の大幅減額と、多くの年金生活者はジワジワと貧困になりおかしいと騒ぎだしたのです。
結局大きな思い違い、予測の外れ、計算違いがあったのです。そこをこうだから予想が外れたとしっかり説明と、謝罪をするならいざ知らず、先送りしてごまかし続けた弊害です。『年金だけでは老後2000万ほど足りない』と、小出しに釈明しても、『話が違う』と言われ、その間に年金を大きく上回る物価高で怒りを増長させました。
年金とはどこまで保障すべきまのか、そもそも一体年金の意味は何なのか、日本の社会は今後どうなるか根源的な問題で、コメが品目として値上がりしたとか値下げすべきとかよりも大きな問題です。
在職老齢年金の停止額はようやく上がるようですが、それも遅いし、基準はまだ月62万程度で、同じ改正案に盛り込まれなかなか50万台から増えませんでした。
働いたものが貯めていたとも言える、拠出金が、働いていない人に回るのがこれ以上増える。そんな異常が続くなら、保険ではないのです。保険とは拠出金から給付金を出していくのが大原則であり、運用損益らも鑑み、公的な国民皆保険の性質上、免除期間者もいるので税金での補填も認められていますが、これ以上給付割合を減らすと、制度上保険ではなくなるのです。入らない方がマシというのは、強制であっても脱法が増えるだけです。
今一度、年金部会など一部の識者だけではなく、国民全体として、年金や生活保護、社会保険料の在り方がどうあれば良いのか、議論すべきであって、選挙目当てのポピリズムで右往左往や先送りではいけないのです。コメの高騰は一過性で、節約や代替はできても、年金の改悪は生涯続くわけであって、勤労意欲や社会秩序など日本の経済全体を揺るがす大問題です。
多くの方が、課題を理解した上で、良い結論を出されることを期待します。