朝日新聞の歴史にない、昭和17年に「幻の甲子園」大会がありました。

 昭和17年、朝日新聞主催ではなく、国、軍の意向を受けて文部省が主催する幻の「夏の甲子園大会」がありました。朝日新聞社の記録では昭和16年から5年間甲子園大会は中止とされています。「選士(選手ではない)交代禁止」「死球をよけるのも禁止」「延長無制限」 日本語によるジャッジ  準決勝、決勝がダブルヘッダーなど、今の高校野球の連投禁止のため予備日をおき、球数制限をする時代からは考えられない過酷なレギュレーションでした。

 80年近くたち、関係者もほとんど鬼籍に入ってしまったため、知る人もいないこの幻の大会を、あるいは開催するため、あるいは出場するため、必死で奔走し、鍛え、戦い、戦争と言う逃れがたい運命に必死に抗う様が、実にしっかり、細かに描かれています。

  参加すべての高校の対戦とその後の戦中、戦後への生命の慟哭ともいうべきエピソードが語られます。
  夏の優勝旗を持ったまま戦争に入ってしまった海草中(和歌山)。エース富樫を擁し、大会がないながらも甲子園を狙う平安(京都)。猛将稲原幸雄の下、当時は「北高南低」だった四国勢で、初の徳島からの代表入り、さらには全国制覇を狙う徳島商業(徳島)。東の雄水戸商業、西の強豪広島商業、松山商業、最後の外地代表台北一中・・・。
 日本の外地としてはかつて、台湾や朝鮮、満州からも甲子園大会に参加していましたが、すでに朝鮮や満州は野球部の活動を停止、移動もままならなかったとされます。
 優勝旗すらなく賞状だけでも勝利を目指し命掛けて駆け巡る若者。この大会を制したのは・・・?猛暑の日のダブルヘッダー2試合め、決勝戦に臨んだエースは満身創痍、肩や腰に痛み止めの注射をち続けていました。
 短く報われない夏を終えた球児たちのその後、関わった人の話は涙を禁じ得ません。

不毛の論争、愚痴や悪口は止めて前向きに

 まず大きな論争について

 傾向として

 どうしても右翼(親米)はアメリカに甘くなり、左翼は中国に甘くなってしまいます。左右の論争を思想だけでなく、バックまで言い出すと本当に不毛のものになります。

 保守と革新、体制と反体制、中央と地方なども対立軸のように言われますが、人間も弱さというか集団となった時、当時者となったとき、目の前のバイアスにかかってしまいます。
 よく新聞を左から右に序列され、右翼は朝日を左翼は産経を非難しますが。しょせんは新聞の業界内、井の中の蛙同士が争うようなものです。新聞全体に消費税がかかるとなるとか、記者クラブを改革されるとかいうと朝日も産経もこぞって反対に回ります。朝日も政権幹部と会食して情報のやりとりをしています。地方新聞は赤いと言われ朝日より左翼寄りの中央批判もしますが、いざ地方紙の地元へいくと地元の政財界と地方紙は中央以上にカネや人などでどす黒く結びついています。これは記者クラブの急先鋒的な北海道新聞などでもそうですし、私の地元関西の京都新聞や神戸新聞でもその傾向は強いです。地元の名士や、支援企業などで地方紙はやっていけないわけでその構造は中央と同じです。もちろんテレビ局も全く似たようなものです。

 そんなマスコミ、ネットの情報をもとにファクトを見極めるわけですから、必死になってウクライナの選挙区に感情移入して一喜一憂しようが、コロナの感染拡大やワクチンの是非に悩もうが、誰か有名人が逮捕されたり不審な死を迎えても、所詮は真偽の確かめられないことです。
 政治や経済、社会保障や戦争の行く末に比べれば、大谷翔平が打ったとか三振とったなんて爽やかなニュースです。Jリーグやプロ野球、大相撲のひいきが勝ったとかも憂さ晴らしなののか、目くらましとかいう人もいますがそれはそれで楽しめばいいのにと思います。

  で本題かな 天使が舞い降りる法則 

 たかがサッカーや野球の板でも政治とかコロナ問題以上に熱くなって融通の利かない人はおられますね。すごく残念な人です。ひいきのチームが気になって勝って欲しい隠しようのない本心があるのに、可愛さあまってか監督や選手をあげつらいネガティブな批判ばかりしてしっまうのです。
 わざわざ自分の年収まで頑張っても300万足らずと公開して、自分の何十倍以上ももらっている監督が「なぜこんな無能な起用や采配をするのか!あそこは違う選択だとか、選手交代だった、〇〇を交代にすべきだった。ずっと応援してきたのに現在の監督は許せない。実力のない〇✕をひいきして使っている、誰を辞めさせた、連れて来た誰それが活躍しない。監督は野球(サッカー)の基本の戦術を知らない、などなど」
 病んでいるような書き込みをする人がいます。こういう人に何の救いを差し伸べてもネット上では反発するだけです。この思考そのものが、「他人の責任、自分は悪くない」
 まあ社会的に成功しているわけではないので、はけ口が必要でその人が頑張っていないとはいえませんが、もう少し世の中のこと全てをポジティブに捉えたて、悪口や愚痴を減らせば楽しい人生になると思います。若い頃からそれをやれていいたら年収ウン億も夢ではないのですが、お金を稼ぐだけが人生でもありませんので、前向きにつぶやく癖をつける訓練をするだけでだいぶ明るい人生になります。

 居酒屋で聞こえないように悪口言い、愚痴るのも、ネット上で愚痴るも犯罪的なヘイト以外が自由ですが、それで日常のストレスを発散しているようでその毒は自分に回ります。仕事なら苦しいけど耐えるが、自分が何を言っても改善できない野球やサッカー、有名人の悪口言うのは有名税で自由でそれもダメと言われると辛いという反論もお聞きします。
 だから訓練です、自分の仕事などの重要なポイントで改善をできず、思い切った努力ができないで耐えるだけで、そのストレスを居酒屋やネットで発散すると、結局根本的な改善の努力が「まあいいわ」になってしまうのです。そういう「まあいいわ」が、極端に言うと300万の年収で年間何試合も野球やサッカー応援してグッズまで買って吝嗇もできず将来の目処もたたない人生に終わるのです。
 せめて年収1000万で資産や貯金が1億か2億くらいはできて、シーズンシートくらい買えるような余裕の人生を過ごせるように、つまらない愚痴、悪口は止めましょう。

年金もらえるの男性なぜ遅い

 ちょうど60歳を過ぎたあたりで、われわれの年代は男性はまだ年金が1円ももらえませんが、同年齢の女性、同級生たちは報酬比例部分をすでに貰い始めています。
 定年が、まだ再雇用はあるとはいえ60歳というところが多く、男性で仕事をしていない場合無収入で年金を貰うまでの待機年齢になり、人によっては結構厳しい生活という話も聴きます。一方、女性の場合でもかつての想定以上で20歳過ぎからずっと働いていて、産休のブレイクがあっても厚生年金が長い方は65歳からの基礎年金よりも多い報酬比例の厚生年金を貰っておられます。かつ、お仕事にもついておられる方、ご主人も働いておられるという場合はかなり家庭はリッチです。


 昭和16年制定の「労働者年金保険法」により、年金というものができました。このとき、年金を貰える被保険者は男性だけ、受給開始年齢は55歳でした。昭和19年に厚生年金保険法と改称され、被保険者が初めて女性へとの支給が決まりました。このとき、受給開始年齢は男女ともに55歳でした。

 定年が55歳の時代ですから、定年まで働けば年金待ちの待期期間などありません。本来これが理想的なスタイルですが、定年も延びそれ以上に平均寿命が延び、男女の働き方や役割も時代とともに変わってきたので少し厄介になってきました。
 
 昭和29年に厚生年金保険法が全面改正され、男性の受給開始年齢が55歳から60歳に変更されました。とはいえ、いちどきに変更されたのではなく、4年に1歳ずつ、昭和32年度から16年かけて引き上げられました。女性の受給開始年齢は引き上げられず55歳のままでした。
 
 このとき、「定額部分+報酬比例部分」というやや難しい仕組みができました。基礎年金と合わすと2階だての上に屋上があるような感じです。
 
 昭和36年には国民年金法が施行され、国民皆年金体制が整いました。国民年金の受給開始年齢はタテマエ上65歳であり、60歳で国民年金1号相七納付義務なしは現在まで変更はありません。厚生年金は55歳開始のままでした。
 
 昭和60年の改正で、厚生年金部分は男性の受給開始年齢は60歳から65歳に、女性の受給開始年齢は55歳から60歳に変更されました。ただし、男性については60歳から65歳まで特別支給の老齢厚生年金を受給できるものであり、女性については3年に1歳ずつ、昭和62年度から12年かけて引き上げられるというものでした。
 
 ①平成6年の改正では、老齢厚生年金の定額部分についての引き上げが行われています。受給開始年齢は、男女ともに60歳から65歳に引き上げられましたが、男性の場合は3年に1歳ずつ、平成13年度から12年かけて、女性の場合は3年に1歳ずつ、平成18年度から12年かけて引き上げられました。
②平成12年の改正では、老齢厚生年金の報酬比例部分についての引き上げが行われています。受給開始年齢は、男女ともに60歳から65歳に引き上げられましたが、男性の場合は3年に1歳ずつ、平成25年度から12年かけて、女性の場合は3年に1歳ずつ、平成30年度から12年かけて引き上げられるということになっています。この引き上げの微妙なずれが現在の男女差になります。
 

 男性の場合①の定額部分の支給遅れが終わって、遅れが今の②報酬比例部分に移ってきたのです。 男性を支給開始60歳に変えたが、当時は女性の方が早く辞めるという事が普通だったから女は据え置きの55歳のままでした。 それを、次は男性を65歳に、女性も12年かけて60歳に引き上げることに決まりました。その時点で男性については現在の方法で65歳未満の特別支給の仕組みを決めました。 その後、女も65歳に引き上げることに決まり最終的には同じようんするのですが、その時には女は60歳へ引き上げる過程にあったため、常に5年遅れで男性の後を追う流れになっているのです。 つまり、男女の雇用に差があった時の年金制度を、雇用の差が無くなってきたので今は男女差を解消する過程にあるということ。この方法がいいか悪いかは別として、20年以上前に国会で決めたことをそれぞれ12年ずつズレながら実行されているので。表で見てもすごく煩雑です。建前としては国民の承認のもとで決めたという事になるわけです。

 他にも遺族年金の受給など女性優位な点があります。次の機会にのべます。完全に男女平等にするべきという意見と雇用や習慣の実態、時代に合わせているようで仕方ないという意見もありどちらが正解とはいえません。健康保険料介護保険料などでもそうですが、支給や給付などが変わる場合、1年や1歳違いで大きく変わるのは負担も大きく不公平になるため、激減緩和、激変緩和のため10年とか12年とかかけて毎年のように金額や仕組みを徐々に変えていきます。このやり方は趣旨は分かりますが、煩雑になり、仕組みと趣旨が分からないとなぜ毎年変わるのかという混乱や不満を産んでしまいます。

 個人的には私は激変緩和は止めて、タテマエ通りに一気に改訂して、不公平の影響の起こるところに別枠一時金を支給すればいいと思います。一つの制度だけでも担当の役人がよく理解して、数年にわたっての経緯を一般の人に説明しないと分からないこと自体おかしいものに思えます。

沖縄の本2 『沖縄論』小林よしのり #書評

 2004年当時の連載でもう20年近く前の本になります。分厚く、最近の『コロナ論』1~5に比べても1章ずつのマンガの内容が濃く、読むのもわりと時間がかかります。小泉内閣時代で、普天間でもめた民主党政権前であり、著者はまだ保守の論客でありながらアメリカ隷属からの自治を目指すスタンスで親米保守とも距離をおきだしたころです。

 この一冊を読みながらも、コロナや戦争の問題、国葬の話、原発やエネルギーなどいろいろな論争が思い起こされました。 

 平行して読んだ岡本太郎の写真集やエッセイも、素朴な時代の沖縄とやはりそこから大きく立ちはだかる基地の問題を避けて通れないものだと思いました。

 私は戦後、比較的恵まれた時代に生まれ、食うに困ることはなく、喉が渇けば自販機もコンビニも近くにある冷暖房完備の住居に特に不自由なく暮らしました。
 学校や会社も今から思えば何とか辞めずにやっていけました。本当に着の身着のまま、食うや食わずの貧しさの時代『イモ・ハダシ』にと言われるとやはりイヤかもしれません。
 人間って楽したい生き物、また苦労して働くよりはずるしてなるべく働かずに生きていきたいというのが本音なのではと思うことがあります。
 沖縄の基地依存は、人間の本質を垣間見ます。それは沖縄特有であるとともに、本土の凝縮でもあり、沖縄人も日本人であり同じようなものです。真面目なところもあるけど、原発の近くで国の援助で大金を得た人々、コロナで給付金や手当を貰い、一生懸命働かなくても給付でいつまでもお金を貰えると気付き、働かなくなった人。事象は違えど、どこか似ているのです。
 沖縄で米軍に暴行された少女がいるという事実、原爆、原発、コロナなどさまざまな災害や事故、災厄で不幸になった人がいながら、横で火事場泥棒のような不労所得を貪る輩が常にいうのです。悲しい現実を知りながら、同様に悲しくなれず、便利な時代に甘えお金のある生活を昔に巻き戻すことができない。結局全ての人の業やわがままが時代を不幸にしているのかもしれません。

 『イモ・ハダシ』論といわれる裸足でイモだけで食べる時代に戻れるかというと、基地やリゾートを捨て自然だけで今さら暮らせないという人の方が多いでしょう。しかし、米軍基地依存は一つ一つよく調べ、日本国家の独立にプライドをもってヴェイルを剥いで、少しでも自立した美しい国家を目指ささないと、あまりにも先祖に申し訳ないようにも思えました。
 戦争を含めた、内容については次の本の紹介など別の機会でも触れます。

沖縄のこと ウクライナの戦いを賛否する前に

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、式典もあり、テレビでもドキュメンタリーはじめ題材を含んだドラマなどが放映されている。戦後70年以上たち、沖縄戦をはじめその歴史を検証することは、現在の国際情勢を鑑みても有意義なことだと思います。

 とはいえ私は残念ながら、沖縄にそれほど詳しくはないです。広島や東北には住んだことがあり、北海道も頻繁に訪れ友人も多いのですが、沖縄は訪問回数も知人も少なく、その面では多くを語る資格がありません。

 何人か知る沖縄出身の人は、苗字で何となく感じ、よく聞いてみないと本土に親や祖父母が出てきているだけで、標準語も垢抜けして他の出身県の人と変わりません。むしろ九州人や関西人の方がコテコテの方言です。↑(ここ重要)

 しかし、第二次世界大戦を語る上では、広島や長崎の原爆投下とその後の本土決戦か無条件降伏かなどの終戦までの道のりに沖縄は外せないところです。そして、やはりウクライナで想起された激しい地上戦という意味では日本国内では沖縄が唯一最大規模のものです。

 たまたま沖縄が舞台になったNHKの朝ドラで、比較的軽いラブコメ要素かの前半から、やはり戦争の問題が取り上げられる回に来て、戦争を知る世代の語りたがらない複雑な思いが描かれていました。同じような沖縄の人の取材の難しさは、別の書籍でも見ました。

 とにかく現在にいたる基地問題も含め、沖縄の歴史的問題は複雑です。多くの政治家や報道関係も実際に現地に行き長い時間をかけ酒でも酌みかい、初めてホンネを引き出せるところが多いようです。以下のことも多くは伝聞から、推測的考察です。

 沖縄の基地問題も確かに構造や人々の心情は複雑で、県民の中にもいろいろと立場も別れるわけです。旧来の自民党政権を打破し日の出の勢いだった民主党鳩山政権は「普天間基地を最低でも県外」と言ってしまって、結局実現できないばかりか、アメリカ側から相当の圧力をかけられたと想像のつく迷走、自滅したのは比較的記憶されています。
 沖縄の人たちの中には基地依存の方もおり、もともと基地移転に消極的ながら反対の立場もいます。民主党や社民党が考えたよりは簡単ではありません。この点は自民党で長く沖縄に関わった政治家の一部からは、何か仕掛けたかもしれませんが、稚拙な進め方にはせせら笑いしながら高見の見物だったでしょう。

 歴史を調べれば、小さいながら独立王国のようだった琉球王朝だった沖縄は明治に遅れて日本になりました。真面目な沖縄の人は日本国民になろうと、学校では沖縄の言葉をしゃべると札をつけて外に立たせるほど、純粋に過剰なまでにキレイな標準語を学んだといいます。これは日本の文部省の強制ではなく、自主的に沖縄県民は日本国民に認められようと努力したと想像されます。

 そして沖縄の人の悲劇は、その真面目さで日本軍とともに米軍と必死で戦い、女学生までひめゆり部隊など学徒隊となってさらに被害が拡大しました。日本軍の中心は首里城にはとどまらず玉砕することなく南部撤退を行い、軍は住民を守れず住民だけの徹底抗戦に追い込まれ悲劇は大きくなりました。
 広島、長崎は米軍が勝手に選んだ理不尽ですが、沖縄の人口の4分の1を失った地上戦は、沖縄にとって自ら追い込まれ日本政府に騙されたような悲劇なのです。
 日本全体から見れば本土決戦の決断がなくなったことは良かったことでしたが、沖縄の人たちは我々に続いて本土でも地上戦をやるものと信じていました。そのために必死になり善戦し粘って日本国のために戦ったのです。ところが沖縄だけが捨て石のように、本土決戦は行われなった。沖縄県民の中には、またも日本政府に、軍に裏切られた、姑息で卑怯な本土人との思いを感じられた方も多くいたのです。
 沖縄の人が、政府に複雑な思い、自衛隊に複雑な思いをするのもそういう歴史があるからなのです。
 単純に左翼にそそのかされているとネトウヨ系が罵るのは簡単で、一部は正しい時もありますが、その根は暗く深いものです。

 そして、ウクライナの戦いを賛否する前にもう一度、日本の、沖縄の歴史を振りかえって欲しいところです。

憲法改正完全版2  核共有は有効か?地政学?

 長くなるから、たくさんの右翼の論客の提言を読んでもその評価等は主なものとする。玉石混交で、なるほどと思わせるものもあれば、ひどい思い込みだけのものもあります。

【かみ合わない議論】

 総じて、右翼と左翼はかみ合ってない、まともなディベートの土俵に上がってない。思想が違うから当たり前と言われるかもしれないが、仮にも政治家や批評家が、まともな議論をしていない。ネット上だけならいざ知らず、国会や公の場、こういった書籍でも、幼稚な喧嘩、一方通行なのです。

 かみ合わないことも多すぎる。そもそもディベートの前提が大きく違うところを、みんなこうだろうと思い込み、相手や一般に対する想像力が足りない。

 たとえば、左翼は元々の自分の受けたいわゆる自虐史的歴史教育を当たり前と思っている。日本はアジア諸国に一方的に狂信的侵略戦争を仕掛けたことが左翼では前提になっている。右翼側にとっては、南京大虐殺など、そんなのは少し考えたらわかるウソだとわかるとおもっている。それでは、靖国神社参拝問題、慰安婦等の問題など、歩み寄れるわけがない。

 自衛隊が違憲か、いくつかの問題で議論がストップしてしまいます。そもそも存在が曖昧で否定されるものではないことは、さすがに共産党でさえ分かっている。憲法改正の前にさえ、自衛隊法などでできることは可能なのにやれていないと言われる。これだけ安定多数を持った与党なら、迅速にやって欲しいところです。

 私はアメリカに作られた現行憲法は状況に応じ改正すべし派です。自虐史観は間違っていると思います。教科書の改定や現総理や閣僚の靖国神社参拝も何ら問題なくまして他国にどうこう言われる筋のものではないと思っています。

 そういう面では、保守。愛国かもしれませんが。戦争、防衛費拡充や、同盟強化、核共有については右翼の論客の提言の多くに疑問はあります。

【親米や自主独立か】

 およそ、右翼も親米と、自主独立派に別れ、お互い都合よく利用してる場合もあります。親米と自主は実は明確に違います。保守派、右翼の多くもアメリカに洗脳された親米がおり、逆に親中も保守の中にいます。

 右翼の論説は思った以上に、自主独立の提言、特に憲法に関しても多かったです。理想はそうでも現実にはアメリカの傘に入りたいという軟弱さも垣間見えます。安保、核共有は戦略性もありますが、自主独立とは相反する矛盾、ジレンマもあります。

 9条、戦争、核はロジック、ゲーム理論のようにもなってしまいます。戦争の現実、ウクライナの惨状の報道が伝わり、数が減ってきた戦争経験者の伝えるものから、どう感じ考えていくかが右翼と左翼で別れてしまうようです。

 【それでも戦争は回避すべき】

 私は、戦争に関していえばあらゆる可能性を考え、国体を保ちながら戦争を回避すべきだと考えます。それは理想や理論ではなく、現実を見つめ泥臭くても妥協点を探るべきです。

 街や家も倒壊し、劣勢の軍隊でもあくまでも抵抗しつづけるウクライナの徹底抗戦決断を称賛し、一方的な侵略に屈せず国の為に戦う姿とはこういうのが理想のように右翼は好事例、美学として主張されます。また櫻井よしこはウクライナが旧ソ連の核を保有していれば抑止力になったという核共有のロジックです。

 このあたりにはさすがに大いに違和感どころか反対に思います。

 兵士や市民、街の多くを犠牲にする前にまず停戦を考えるべきです。国のトップは国体を維持するこが責務です。市民の多くが大統領の決断によって犠牲になっている時点で、国体の一部が体を成していないので、大統領失格です。

 確かに武器をすて、戦争を放棄して占領を許した時点でもっと酷い国の運命が待っている可能性は自覚しないといけません。

 日本がアメリカに負け占領されると知った時、男子は睾丸を取られ、婦女子は皆暴行されるとかの噂が流れました。結果、僥倖のように、天皇制は保たれ、アメリカは概ね紳士的に日本の民主かを進め軍事的配下に入れつつ日本は復興し、経済成長につながりました。

 この苦い敗戦と奇跡の復興は、アメリカ信仰と他力本願の平和主義、戦争忌避を日本人に植えつけたとは思います。

 おそらく敗戦は、現体制や兵士にとっては全てを失う恐怖であり屈辱です。もちろん停戦、降伏にどんな状況かはケースによります。しかし、市民にとっては戦争で大義名分で死ぬのも占領されてその後苦しむのも天秤にかければ同じか、生きているだけマシかかです。

【核の間違ったロジック】

 核についていえば、日本へ原爆投下以降70年以上、戦争では使用されたことのない禁じ手の兵器です。その保有国が増えれば抑止力が増すというのは、今さら危険な論理です。

 平和憲法に抑止力はないと、右翼は左翼を鼻で笑いますが、櫻井の言を借りれば、全ての国が核保有か共有すれば抑止力が高まり戦争は無くなるのでしょうか。実際には、いろんな意味で核はオワコンで、危険でお金もかかり風評も悪いだけで残念ながら抑止力というものは弱まっています。

 北朝鮮は、狂ったならず者国家のように思われています。しかし、そんな国でさえ先制攻撃で核を使うとか、追い込まれて核を使う状況というのは実際にはありえないですし、あったとして攻撃された国が保有か共有で核を使えるから抑止、殲滅できるか、可否以前にこの時点で人類の終末と言われる核戦争になっています。さすがに、自暴自棄やそな応酬で、核を使うほど人類は愚かではありません。

 櫻井よしこが核共有の論拠としている、地政学的という核保有国の地図を上にのっけてます。

 戦争好き右翼は、地政学とか言い出す人がよくいます。細かい歴史を勉強しないで、大雑把に地図を見て判断する方がネットにもよくいます。地政学というより、地図のイメージだけの短絡思想で、「ロシアとは戦争もして相性が悪く地政学的にも日本の隣国で悪い国なので経済制裁しないといけない」とかびっくりする発想。長年、エネルギー開発や漁業の交渉でやってる人の苦労とか現実が想像できないのでしょうか。

 この櫻井掲載の地図見て、「日本は核保有国に囲まれている怖い、アメリカは遠いからすぐ助けてはくれない。だから舐められないよう防衛費拡充、核共有、核保有だ!」これも違和感です。

 櫻井よしこも中国の脅威、恐れを1章に渡り語っていますが、基本が中露嫌い、結局自主独立といいながら、アメリカ信仰、アメリカ洗脳なのでしょう。 

 【ロシア、中国とどう関わるか】

 ウクライナ問題で、同盟の強化とロシア制裁を強く主張する側に、ロシアの背後に中国がいるからとの中露嫌いが見えます。

 ロシアは軍備も資源もほぼ自前で用立てるほど豊富で、かつての日本や北朝鮮ほど経済制裁が有効ではありません。その国を追い詰め、中国とロシアをグループとして敵対するのは得策ではありません。櫻井よしこ自身が分析しているように、「世界最大の超大国」です。中国嫌いの人は現実的数値でGDPは抜かれたけど、日本やアメリカのが豊かで優れているという幻想にとりつかれています。まして中国とロシアがタッグを組めば最強です。インドやプラジルはじめ中東やアフリカ諸国もなびいている現状で、世界の警察を降り、ベトナム以降支援国は連戦連敗で中東にも嫌われるアメリカが欧州と組んでも太刀打ちなどのスケールではないです。

 地政学?で考えれば、中国とロシアは国境を接していて従来からは仲が悪い。中国とインドも国境を接しているので、揉め事が多く、逆に国境問題のないインドとロシアは経済的に結びつきが強いのです。日本はできる限り、ロシアと中国を追い込まず、かつ分断を考えた方がいいのです。妥協点は見出しつつ、経済連携など政治を絡めて結びつくのに越したことはありません。一党独裁でカントリーリスクがあるように思われますが、アメリカの方が2大政党制で、政権が変わると経済や行政のやり方が急変し、人も替わり取り付く島もない時が多いそうです。

 親中派とひと括りに、国賊やスパイのように揶揄されますが、要は親米派と同じです。特に中国が強大になれば、その存在は必要です。台湾有事やチベット、ウイグルの問題

、アジア太平洋戦争以来恨んでいるとか、脅威にされがちですが、中国とはもう経済や観光で深く結びつき依存しています。中国が一方的に、日本を破壊し、皆殺しにしたりすることはありません。

 日本が本当に戦場になるのは、アメリカが何らか戦争を影で誘発して、台湾有事が起こり、米中が火花を散らす代理戦争となった時です。米本土は離れていますが、地図で明らかな通り、戦場は東アジアになります。

 アメリカが戦争誘発というのは、やはり日本の右翼や愛国者をうまく焚きつけ、おそらく今のウクライナ以上に正義のため、聖戦として戦争になるはずです。

【防衛費は適正に】

 防衛費問題では、最近も元大臣や幕僚が、銃弾も少ない、演習の時間も少ないとかいろいろ戦い以前の問題で、予算増額を叫ばれていました。事実が、露見しているなら対敵国への情報漏れとしてもおかしな話ですが、現場のホンネなのかもしれません。ただ、日本の予算というのはどの役所でも増額しても本当に必要なところに適正に下りず、結局こういう現場の声は絶えないような気がします。

 イージス艦に5000億も使うことには、当時ハト派の自民党元幹事長野中広務氏は猛反対で憤っておられました。その他のミサイル迎撃システムにせよ、いかにもスペックは素晴らしくプレゼンに騙されそうな最新兵器でしたが、野中さん曰くの通り、現場で訓練の弾薬にさえ回せないのに、大見得を切っても敵に攻撃対象を与え、なおかつメンテナンス含め莫大な経費がかかるのは事実でした。

 【軍隊はあっても戦争をしない憲法】

 戦争をするために、仮想敵国に対し兵士や組織が常に臨戦態勢でいるということは非常に難しい問題をはらんでいます。自国愛と敵国への憎悪は一触即発を生みやすくなります。まして、兵士たちは戦い、武器屋は武器を作り売るのが仕事、ずっと仕事がなく、褒められることもないと、何らかのきっかけを求めたくなるものでしょう。だから戦争は放棄したものだという憲法は必要なのかもと思います。

憲法改正完全版1  安倍さんの悲願が凶弾の引き金か #月刊Hanada#憲法改正#核共有

 いわゆる保守、コテコテの右寄りの論客陣がズラリですが、読んだのはたまたま私は左右に属さぬ愛国、中道です。6月発行のムックなので、ウクライナ問題を受けての憲法改正の機運をそれぞれが述べ、この機に乗じての平和憲法改正、核共有、防衛費拡充に反対する左寄りを一刀両断にしたい感じの内容です。

 7月に凶弾で倒れた安倍元総理の事件の背景は現時点ではっきりしませんが、私は今年2月の安倍さんのアクティビティが重要な伏線かと思います。

 たまたま私も見てました。2月27日、フジテレビ「日曜報道ザ・プライム」に出演。核共有についてもタブー視せず議論すべきではないかと問題提起されました。保守色の強いフジが受けたのか仕掛けた前後して橋下徹、高市早苗政調会長も出演し賛同を表明しました。これに対して、野党側は反発し、国会で岸田総理に問いただしましたが、総理は憲法と非核三原則の順守を答弁し、核共有の意思はないことを示しかわしました。しかし安倍元総理や、高市政調会長に発言撤回や注意することもなく、曖昧に終わりました。その元総理の発言趣旨がこのムック本に詳しく載ってます。

 その後、安倍元総理はご存知の通り凶弾に倒れ、直後の参院選では自民党が勝ち憲法改正に必要な3分の2を改憲勢力が堅持しました。そして、岸田総理は安倍元総理を秋に国葬で弔うと宣言しました。

 裏の本当の事情や背景などわかりませんが、安倍さんのテレビでの提起は、勇断とも見えますが、元総理としてはやや唐突と言うか違和感を覚えます。陰の党内実力者、キングメーカーとして総理を呼びつけようと、強く要望しようと違和感はないです。ただテレビで表だって提起すれば、世論の観測気球となるにせよ、世間へのインパクトは強すぎます。

 素人的に見て、元総理が表だって口出しすれば現総理はリスペクトはせざるをえないが、内心面白くはないでしょう。あるいは岸田総理かわ全て分かって連携して利用していたかと考えることもできますが、どうも前後の流れからはそうではなさそうです。ウクライナ問題を機会に橋下と高市らの保守派とフジが流れを強くしたかった感が強いです。

 この流れがどうして安倍さんの死につながったかは、わかりませんが、安倍業績称賛と一部その否定の過去報道一色の中、やや忘れかけていた今年のインパクトある提起を思い出させました。

 肝心のムック本の内容、憲法改正、核共有問題は次の回へ

    つづく

小沢一郎時代の終焉  #小沢一郎闘いの50年

 安倍元総理が凶弾に倒れた直後の参院選で、もう一人の大物政治家の時代が終焉を迎えました。

 王国と言われた岩手で支援した候補者が敗れ自民党に32年ぶりの議席を許しました。側近の森裕子議員も新潟で惜敗し、自身は衆議院議員ではありますが前回は屈辱的な比例復活当選であり、80歳を超え、剛腕小沢一郎もさすがにもう政界の中央に戻ることはないでしょう。

 戦後高度経済成長以降、政界の著名な大物としては、国葬として名の上がる安倍晋三、劇場政治で人気を博した小泉純一郎ら総理大臣経験者もいます。

 しかし、総理大臣にはならずおよそ30年あまり、政界の中央で総理をも操ったり、二度政権交代を実現し、権力を操っていた小沢一郎はやはり稀有な存在でした。

 自民党時代は、自らは総理の打診を受けず、総裁候補者を呼びつけたとも言われる実力者で、総理を傀儡しました。そして、細川政権と鳩山政権で二度に渡って自民党を下野させ、与党幹事長として権勢を振るいました。自民党にとっては、トラウマの下野、奪回はしたものの、小沢一郎に対しては恨み骨髄であり、畏怖の対象でした。反共産等、政党よりも、巨大な相手として反小沢という言葉が定着していたぐらいです。

 私は、政治や国会に、興味を持ち出した頃から同郷の野中広務さんと、その宿敵として小沢一郎に興味を持ち、関連本や記事も賛否両論よく読みました。

 一般には、民主党政権直前に、秘書が逮捕され代表辞任に至った一連の事件で、小沢に政治とカネの汚職のあった犯罪者に思われています。ただ、この捜索は結局不起訴、シロとなり小沢の権力を削ぐための国策捜査だったようです。政治資金規正法は小選挙区制等とともに、小沢自身が作ったもので、都合検察が3方向のつながりから執拗に捜索しながら、法律を破っていることは全く無かったのです。

 多くの司法関係者からは、いわゆるモリカケサクラをあそこまで検察がやれば、国葬うんぬんのあの方はとうに刑務所の中と言われています。

 では、小沢一郎はなぜ、総理、小泉純一郎や安倍晋三になれなかったか。

 最大は、外見、見栄えだと思いますが、それ言ったら全て終わりです。ただ長きに渡り国民の人気を得るには、イケメンというほどでなくとも、朴訥過ぎるのと、口下手で素人、一般大衆受けしないところは大きな欠点です。

 民主党政権陥落後は迷走し、山本太郎や共産党との共闘まで首を突っ込んだため、政策的なところで問題にする人もいますが、小沢一郎は元々自民党の保守政治家で、保守主義、愛国者です。それを、言い出すと民主党は社民党、自民党も社会党、今も公明党と選挙に勝つためには組んできています。

 民主党幹事長時代の大挙引き連れての訪問で中国寄りで左翼的に思われていますが、外交的にはアメリカに物申す保守です。親米保守に最も嫌われるのが、師田中角栄とともにここです。

 そして、剛腕、辣腕の割にどこか詰めの甘い人間的な優しさ、ずぼらさのような面があります。

 恩師田中角栄のムスメには、やはり少し甘く感傷的になったり、父親安倍晋太郎さんには、自民党時代涙が出るほど世話になり安倍晋三元首相には舌鋒鋭くはなれなかった。

 自分が自民党を出て、成長した思いも強く、自分の元を離れたいという政治家をあえて引き留めることをしなかった。

 そんな、甘さや、その優しさを言葉にできない口下手さが、結局はしたたかな後輩に追われ命取りになったように思います。

 そういう人間的な面を含め、私は一番興味のあった政治家です。

 

資産所得倍増には投資しかない

 なかなか賃金、所得が倍増どころか上がらない情勢の中で。岸田首相や黒田日銀総裁の言葉尻をとらえて文句も言いたくなる世相です。
 値上げラッシュで、投資なんかに回せるお金がないという庶民の不満が、大金持ちの世襲政治家や高級官僚に対して爆発しそうにもなります。
 ただ現在の、ゼロ金利時代はある意味、お金を借りて事業を拡大するチャンスでもありますし、また投資の専門家がはりつくようなお金持ちでなくとも普通預金や定期預金に眠らせておくなら10万円でも100万円でも投資に回せば資産が増えるチャンスです。
 日本人は、自分で学んで投資するのが苦手です。貯蓄の次は、株主優待が目当ての株程度で定期預金が大半という人も多いようです。投資信託などの元本割れが怖い、危険と思いこみ、定期預金や保険に5年も寝かしゼロ金利時代に、インフレを差し引くと元本割れをしている愚かさになかなか気づかないのです。
 この中間層ともいえる人達がもっと投資をして、資産を増やしてくれれば、年金だけや生活保護などに落ち込む人は減り、社会全体が豊かになるのです。
 金融緩和が続き、ゼロ金利のままということは、幸い日本人みんなが投資をせよとささやかれているのです。

大規模修繕 住宅

自宅マンションが新築購入後10年以上経過して、今まさに大規模修繕工事真っただ中です。理事会役員、修繕委員もやっているため、何かと気忙しいです。
 15年も経過すると、当時予想しなかった綻びや社会情勢の変化もあり、お金はいくらあっても足りないものです。この修繕積立金と、管理費、固定資産税などは持ち家の場合重くのしかかります。場合によっては借家の方が気楽な時っもあります。
 一戸建てと比べるとどうでしょう。近くの歴史ある分譲マンションは築40年近くでも、修繕を繰り返し、なかなか美観を保っています。これが一戸建てになると、洋館や医院など立派な建物でも経年で、そこまでリニュアルを繰りかえすところは少ないです。
 その分、傷んだ箇所だけ直して、総花的な出費は少なくてすみでしょう。ただ、判断するのが個人になってしまい、経済事情で先送りして、危険なままだったり資産価値が下がる場合もあります。
 共同住宅の場合は、半強制で資産はある程度維持させていく感じで、共用の玄関や廊下や階段、駐車場なども劣化を放置することはありません。
 耐震や防災の基準はだんだん厳しくなり、総合住宅保険は値段が上がっていきます。8KやEV対応の話も出ており、次の15年にはもっと予想していないことが起こるのでしょう。