行政のムダ 難解な言葉

 【難しいお役所言葉】

 私も長い文章を書き誤字や悪文も多く後で推敲します。英数字の半角全角、漢字とひらがなの統一も難しいものです。
いまどき読んでもらえない漢字は使うべきではないとSNSなどを使う人向けの最近の新しい文章作法には指導があります。ところが公的機関の市民に対する接遇ガイドラインハンドブックの中に『分かり易く丁寧な説明を』とありますが、これなどそもそも『易く』『丁寧』が読めない人がおり、ひらがなにすべきと指導されそうなのですが、国の文書では当たり前です。

 民間企業で、パソコンの導入によるIT化の推進や、リストラやコストカットを味わい、最後はSDGsやコンプライアンスの波に翻弄されてきた者にとって、役所や公務というものは何とも奇異なぐらい遅れておりました。

 公務員は安寧安泰というと、決してそうでもないのでしょう。ことに無駄とか矛盾があっても前例を踏襲して上司や組織に盲従する忍耐力が養われるでしょう。

 日本の行政手続きの多くが、紙媒体に印鑑を押しての申請主義であり、権利を得る条件を満たしても多くの場合、時効で消えることはあっても自動的に得られることはありません。庁内、役所の中では未だに市民には難解な言葉を羅列した紙の決済が、しかもスタンプラリーか御朱印長巡りのように上位に回り稟議(りんぎ)され、代理決済が許されないので時間が経過します。管理職の残業は際限なしになります。モリカケや桜を見る会などの政治家スキャンダルで、よく文書を廃棄したとか管理していないことが問題にされますが、逆に言えば多くの役所には紙の書類が大きなスペースを取り、日の目を見ることなく保存管理期限を待ち廃棄されるまで時間と場所を食い、税金を浪費しています。
 その管理の監査などは、もうそれに対する準備などを含め、壮大な無駄に感じます。
 しかも誰もそれを無駄とは言えません。法律で文書の保存期間が決まっているからです。PDFデータ化し、パソコンの中でデジタル管理すればいいものを原本に拘ります。市民のスペース、対面のスペースや身障者の動線配慮よりも倉庫の確保が必要になります。

 マイナンバーカード導入で少しずつ動き出してはいますが、民間企業に比べおよそ20年から30年遅れになっていいる感じで、日本のバブル以後の失われた20年にちょうど合います。日本の経済力はじめGDPなどに示される国力や豊かさが国際的に低下したのは、ITなどの社会構造の変化に日本の行政組織や政治、法律がついていっていないのです。

 【役人の人数は必要だが、改革が必要】

 これは官僚や政治家が悪いだけでもなく、市民もまた行政に期待するものが旧いからかもしれません。
 個人的には公的サービスをする公務員、それを監視し、法律や条例を作る議員は必要だと思います。システム化が進んでも今後介護や生活保護の現場、インフラ整備などは必要であり、ハンコをつくだけの管理職は要らないにせよ人員は要り、監視やシステム化やスリム化、統合化を進める議員も必要です。
 人数よりも変化への対応です。GAFAはもちろん日本の一流企業でさえ、毎年のように組織や業態を大きく変えています。日本の官僚機構は30年に一度とか、制度を5年後とに見直すとかのそれも小手先のマイナーチェンジや改悪で乗り切り、何周も遅れる原因になっています。今よりも良くする効率のいいものを毎年毎年ゼロベースで考えることが、日本の周回遅れを取り戻す道です。

 お役所的とは言いながら、市民の多くはお上に逆らわない体質を引き継いでおり、革命的な反体制意見などが浮かび上がらないように上手く飼いならされているといっていいでしょう。ときおり不満が湧き出ても、トカゲのしっぽのように責任を取らされる人が出てガス抜きされ、またもお上の言うことには唯々諾々の状態が続きます。

 今いろいろ囁かれる政治や社会問題の根っこはほとんどこの辺りにあります。60や70の爺さんがデジタル担当や少子化担当、あるいは科学技術の先端を管理する経済産業省を司る組織の長とか言うのが到底無理なのです。周回遅れ、2~3周遅れていることに気付かないのです。

 戦後の経済成長期、昭和の40年から50年代に作られた法律に基づく制度が変わらずに、続いていることが今の残念な結果に繋がります。しかも他の部門の文化に関する言葉は時代とともにどんどん変化し、外国語を取り入れたりしている中、法律用語や条文は旧態依然で難読であり難解です。司法試験を受かった弁護士や検事らがやり合うだけならまだしも、法律は多くの国民のためにあるものです。
 まして、それぞれの産業などの分野には、薬機法(旧薬事法)とか景表法とか、道交法と言う感じで刑事や民事の弁護士でも専門ではない場合があります。他の書士など業界だけに絡む専門家しか深くは知り得ないものもあります。これ等の中には平準化した言葉にし、タブレットで入力可能なものにすれば、〇〇士など必要ないものも多々あります。
 いわゆる扶養パート社員の130万円の壁などもそうですし、少子高齢や安全保障、社会保障、国際的に見れば戸籍法も旧いままです。何となく手をつけないまま、議論さえされずに旧態依然ということが多すぎるのです。しっかり議論をすれば保守派が寄り切って全部は改革されなくても、制度が旧いままのデメリットやリスクも露わになり対策がとられて、調整ぐらいはできたはずです。

 高度成長が止まり、ある程度後進国に追い上げを食い、衰退するのは仕方ないにしろ、衰え方、負け方が悪いのです。
 一流大学を出て、頭のいいはずの人が官僚や〇〇士になっても、俯瞰して大きな流れを見ることができず、目の前のことに流されてしまいます。既得権益と自分の立場を守るだけの生涯という感じの、つまらない官僚、役人、〇〇士になって日本が腐っていくことを止められなかった悲しい構造が見えます。

 

子ども手当、所得制限撤廃、結局悪夢とけなしたあの政権と同じ?

 鳩山由紀夫の民主党政権、今となったらボロンチョンに悪夢とまでけなされ、保守層からは蛇蝎のごとく蔑まれ、リベラルからでさえ頼りなく裏切った印象が強いです。

 2009年なのでもう人々の記憶もあいまいですが、民主党政権の新たな政策は国民の多くに絶賛され選挙で圧勝し始まりました。子ども手当、ガソリン税廃止、高速道路無償化、農家の個別補償など、既存権益を打ち破り当時としては画期的にバラ色にみえたのです。

 その中で昨今の少子化対策で注目され、ゾンビのような不毛のかつての議論が、国会内政治の世界で復活しています。

 現在の岸田首相の『異次元の少子化対策』といっても子ども手当などの施策、それも所得制限なしで行えば『バラマキ』と自らが罵った悪夢のような政権と同じだという論争です。
 

 つまらないゾンビ論争です。

 自民党も旧民主党も、政策は是々非々、状況変化に対応してでいいのです。過去の自分との整合性がなければ、かつてはこう思っていたけど変わりましたと素直に言って、一緒に進めればいいのです。
 政党や総理の一つ一つの提言や政策が全部正しいなどということはありません。よくコロナや地震や原発などだと『専門家の意見を聞き』と言われる通り、法律や経済にしても必ずしも政治家が全て知っているわけではないのです。
 強いリーダーシップで推進すると同時に、政策には過去現在の言動にあまりにもとらわれずに、いいものを取り入れるべきです。
 民主党の素人集団が政権を取って、自ら閣僚になった時、慣れないで迷走しました。しんどく厳しい官僚に振り回され財界にもソッポを向かれ、結局何もできなかったのです。今さらあの時の政策は良かったと言えるほどの立場ではありません。

 個人的には、国会の与野党のつまらない論争は無意味です。一度やり取りしあったら、国会議員は野党も与党も政策の推進に、邁進すべきです。一度決まれば各委員会も超党派で進むのです。交渉すべき相手、邪魔になる官僚や企業、外国とやり合うことこそが政治が進む、談合や汚職や無駄が無くなる要点ではないかと思います。与党系の政治家だけで官僚を監視、コントロールするのは難しいのです。

電気代ガス代大幅値上げ、今こそウクライナ問題、原発再稼働問題を真剣に討論すべき

 都市ガスや電気代がこの5月ぐらいにさらに急上昇します。今の厳寒の燃料代の請求が来る来月当りでも、主婦はその請求書の額に驚くぐらいでしょう。
 諸物価や保険料、税負担も増える中でのインフレ、しかも賃金所得はそう上がらず失業廃業さえ増える不況の中でのまさにスタグフレーションです。

 北国では電気やガス、灯油をやせ我慢することは生命の危険に繋がります。厳寒後でなくとも毎年1万人くらいの、風呂場の寒さによるヒートショックで死ぬ人はさらに増えるでしょう。国民生活や企業の必須経費に直結する光熱費や燃料費の高騰を抑えることは、国の重要な政策事項です。
 確かに、『ウクライナの戦争はロシアが悪いように見える』『古い原発の再稼働は危険な気がする』とか漠然と正しいか間違いか分からず議論もされないままに、電力料金やガス料金は天井知らずに上がります。
 この2つの課題に関して、当然その通りで『ロシアを擁護するなんてけしからん』『原発の再稼働等許されん!近くに住んでみる人間の身になってみろ』と激高される方もおられるでしょう。
 しかし、国が全体の幸福を求めるのであれば、議論して説明を尽くし納得してもらわないといけません。

 ロシアのプーチンが好きだろうが嫌いだろうが、LNGにも石油にも、そこから生まれるエネルギーにもプーチンの色も匂いもついていません。戦争の背景やウクライナ侵攻は非難はしても、エネルギーや食糧も問題、漁業や領土の問題のため、隣国としては嫌でも付き合いを拒否するほどの喧嘩になってはいけないのです。当然、アメリカやヨーロッパとも是々非々でうまく付き合わないといけませんが、のらりくらりでいいのです。国際世論と言われますが、アメリカとEUのほんのひと握りの国で、その他のほとんどの国は非難はしても制裁には加わっていません。実際の制裁に率先して加わらずともできることはあり、失うものは少ないはずです。森元首相や鈴木宗男議員らをバッシングしますが、この人らのように嫌われてもロシアとの筋は残しておかないといけないのが外交です。

 私は一貫してゼレンスキーのウクライナに対してが同情はあっても、大統領の支持はしません。戦争を拡大するだけの姿勢には大いに疑問です。

 原発再稼働に関しては3.11以降の日本であまりにも技術論を無視して感情論になっている点です。双方がよく理解して議論をして説明をしてもっと早い段階で再稼働をしていないといけなかったと思います。
 化石燃料が環境に悪くイヤとか、その化石燃料もロシアや中東依存でイヤというなら、原発再稼働しか選択の余地はないのです。バカ高い再生可能エネルギーに神頼みして、北国の人は冬にみんな凍死していかないといけません。この先も原発は廃炉にもできず維持管理もしていかなければいかずそれにも莫大な予算と技術者が要ります。若い技術者は日本ではこの風潮では原発には行かないので、いつテロがあっても可笑しくない、AA諸国の技術者、労働者、管理者で溢れています。核融合や水素の技術も踏まえ、日本のエネルギー技術者のステータスを高めていかないと、エネルギー問題は解決しません。

 寒い地方にいる方、お金のある方無い方、北方の漁場に関わる方、停止中の原発に近いところにお住まいの方それぞれ当事者でないと分からない痛みや苦しみはあるでしょう。しかし、全体の幸福のために理解をして、場合により保障を受けたり工夫をして国策に従うのは当然の義務となることです。まず、議論を始めることもなく、値上げではこの国の国力は無くなっていきます。
 
 

『コロナ5類へ』で思うこと

 確かにコロナは未知で人類をパンデミックスの終末へと誘う恐怖の大王かと思われました。武漢やクルーズ船の状況が伝わり、刻刻と感染者が増え、ワクチンやおろかウレタンマスクすら手に入らないパニックになっていました。3年ほど前になります。

 ある意味異常事態、緊急事態に慣れてしまったような日々が続きました。
 だんだん日常に戻すと言いながら、毎日感染者数や死者の数は報道され、第何波や変異株の名前が煽られます。感染力のインフレとでもいうのか、変異を繰りかえすごとに前の1.何倍も強いと煽り、以前のはそんなに弱かったのとツッコミたくなるほどです。
 3年も続くとは思わなかったこの事態が、慣れや諦めの惰性を産み、いろいろな澱みを産みました。
 本来、医者や薬品開発のメーカーや厚労省はウイルスと戦い人類を救う正義の味方のはずでした。ところが少なくともこのグループの中に大きくお金を儲け、この事態が続くことを喜んでいる人達がいるようです。
 人間やはり、お金には弱いし、ましておそらくバレずに大きなお金を労せずして得られる誘惑には勝てないのでしょう。
 開けていても儲からない小さな居酒屋や料理店の中には、給付金で普段働くよりお金を手に入れた人もいます。こんな話が広がると、業種によって不公平だとも思われ、不正な受給やゴマカシの税逃れも増えました。ましてワクチンを打ちまくった医師、病床を用意し待機しただけの大きな病院や医薬品メーカーがどさくさに儲かったのです。
 感染拡大のために逼迫した医療機関の従事者の激務の中で、ハイエナやシロアリのような輩に巨額の金銭が動いているのが日本の宿痾です。
 

 コロナ関連には莫大な予算が投下されましたが、マスクのしろ病床にしろ、ワクチンにしろ結局感染予防は完全には防げず死者も多いままでした。お金だけが使われ、今後の増税、一般国民の借金です。バブル以降日本の経済や財政はずっとこういうところで、真面目に一生懸命働いても報われないような悲しい理不尽な構造になっています。オリンピックの裏金でもそうですが、有名人やアスリートの努力があり全否定はできないのをいいことに、ハイエナやシロアリが美味しいとこを持っていくスキームです。
 こんなことをやっているから、経済が弱く、所得が増えないままかつての先進国がどんどん追い抜かれ、気がつけばトップグループはおろか真ん中のへんでも後方で前に追いつけなく大差をつけられています。
 一人一人、しっかり見て、流されず倫理をもって判断し真面目に努力していかないとけないでしょう。頑張れというか、頑張って欲しい日本です。
 

「善く戦う者敗れず」イケイケの戦争だけは避けたい

 著名なタレントが『現代は新しい戦前』という言葉を使い今の世相、風潮を心配していました。
 最近読んだ本の中に、戦前の軍部の勢いとそれを鼓舞する国民の危うさを描いている作品がありました。歴史を後世から見てしまうと結果が分かってしまい、神以上の視点からリードさあれるのでそこは差し引いて考えないといけません。
 しかし、古来戦争に対する戦略、兵法というものは深く、政治やビジネスにも重用されてきました。
 漢書の刑法志に「善く師する者陳せず」「善く陳する者戦わず」「善く戦う者敗れず」「善く敗るる者滅びず」というのがあります。
 うまく軍を動かす者なら、布陣せずに解決する。その才が無くても、うまく陣を敷けば解決する。その才が無い者も、うまく戦えば負けない。そして負けるとしても上手く負ける才ある者は滅びない。というところでしょうか。
 軍備とか防衛費と言われますが、戦いというものは、開戦前から始まっており、戦闘に入らずに終わることもあるということです。戦争反対ということではなく、勝つにもいい勝ち方をすること、負けるにも善い負け方に留めることが大事というのです。
 よく勝負事は勝たないといけないと、思い込みかえって自分の戦い方を忘れて失敗をし、勝っても悪い勝ち方をしてしまう人、間違う国家があってはなりません。
 漢書どころか孫子さえ読んでない政治家では心配です。

100歳!戦争を知る世代の人の話は貴重

 90歳を超えられたと聞いても驚きますが、100歳でご存命と聞くと衝撃ともいえます。あえて名前は伏せますが大きな会社の社長会長を長く勤められ政財界にも強い影響力のあった方の話です。 

 戦争の語り部と言われる方、その世代の方がもうどんどん高齢化していてます。
今、90歳の人でさえ、終戦当時は12歳ですから、満州事変や真珠湾攻撃など戦争が始まったときの状況や詳しい背景とか、社会の受け止め方をリアタイで感じてはいないのです。100歳くらいの方で初めて開戦当時大人だったことになります。
 80歳代のすでに後期高齢の方でやっと、子供の頃敗戦を体験し、その後の占領下の苦しみを経験されている世代です。その方たちでさえだんだん少数になっています。

 右翼とか左翼は関係なく、戦争の語り部がいなくなることは残念なことでもあり、恐ろしいことでもあります。

 たまたま、その経営者の方の戦争に関する思いや、政治に対する評論を読み返していて、この人がもう100歳でご存命と知りました。経営者としては結果的に問題もあった方ですし、独善的なところもあります。
 表現が難しいですが、そこに書かれてることがリアルというか、ニュートラルで、ナチュラルな感じに当たり前に戦争のあった時代が語られているのです。それが今のテレビや映画、文章や映像の戦争よりも新鮮で違うものだと思いました。
 残念ながら今戦後世代が、映画や小説とかを作ると、いろんなバイアスがかかり、偏りの考えに囚われます。美化したり、戦争反対とか、愛国保守か極端に分かれて恣意的なものに知らず知らずなっていくのでしょう。肝心の映像や文章表現でも制限があって、どんどん違うものになっています。その映像を見て、それが戦争だと思い込みます。
 戦後生まれで昭和40年代くらいまではもう少しリアルなものもありましたのが、現代では史実が希釈され過ぎて、まるで違う実像をばか丁寧に描くような危ない創作現場があります。おそらく明治維新や日露戦争をリアタイした人から直接間接に話を聞いた世代なのでしょう。

 現実とは違うものを戦争と思って、反対するのも賛成するのも少し違うような、否、だいぶ違うと思うのです。
 そうやって観ると、今のテレビの報道なんて30代くらいのアナがせいぜい40代50代の解説委員と深く調べもせずにやっている内容が浅すぎて軽すぎです。
 平成以降でヒットした、右側の人が作った戦争の映画も、左側の人の作った映画も、アニメか実写問わず、リアルとは程遠いものなのです。


 この本の内容についてはまたの機会に詳しく。

 

昨日の天気予報や株予想

 マスコミは政府や著名人の広報だけではいけない。幾度か失敗を重ねても、それは繰り替えします。

 求められるのは今日これから明日の天気予報であって、昨日の天気予報を知らされても意味はないとは先人の言葉です。

コロナは終息へ ウクライナもそろそろ

 ニュース番組、ワイドショーの中心からようやくコロナは後退し、多少感染者や死者が増えてもインフルエンザ並みとされるようになります。登場時は未知の感染症でパンデミックを引き起こす恐怖を煽られましたが、もうそこまでの畏怖を覚える人はさすがにないでしょう。コロナウイルスが死滅してはいなくとも、行動を制限し、経済を止め、人々の関心を煽るような存在ではなくなったということです。

 1年前から継続するウクライナ問題も、そろそろ終結して欲しいものです。コロナ同様遺恨が全く消えるわけではなくとも、停戦を結び武装を解くことは政治的な決断です。このまま時間が経過してもどちらかが快勝して相手は全面降伏することはないです。
 戦争が終われば、なぜそこまでいがみ合ったのか必ず疑問が沸く愛国者もそれぞれにいるはずです。
 日本にとっては、いつでも戦争が起こり得るということは教訓としては良い面もあったかもしれませんし、それ以上にこれからの局面として当事国は戦争を終結させるにはどうしたかとう場面を学ぶことも大切です。

 日本は経済大国とは呼べない地位まで転落する過程であり、大きな国民負担や歳出削減をしないと防衛費を捻出するのさえ容易ではありません。防衛費増強はある程度必要としても、敵基地攻撃能力など好戦的になる必要はありません。その程度のことは相手も考え増備しています。日本だけが技術に優れ、ドローンやサイバー攻撃が可能なこともないでしょう。
 外交で平和的解決というとお花畑と切り捨てる右翼論客も多いですが、防衛能力を保持しつつ外交の能力を最大限に発揮しないとこの国際情勢の中、したたかに国を護り切ることはできないのは自明です。

コロナ5類に 円安対策 賃上げ 少子化対策 全てが遅きに失したか沈みゆく日本経済

 岸田さんがとか、自民党がいいとか悪いとか言っても始まらないのですが、政治決断が遅いです。
 全て後手であって、政府も官僚も本当に日本全体の行く末を考えているのかと嘆くしかないです。
 このままでは沈みゆく船の上で苦しみ飛び込む人は増え、それでも舵を切るべき人は優雅に高級酒飲んでしゃぶしゃぶでも食べたままなのでしょう。

 日本の総理大臣は、衆参で過半数以上を占め対抗勢力もない与党のトップでありながら、落ち着いて大胆に決められません。選挙を気にして妙に愚民的な世論に耳を傾けたり、自分以上の権力を持つ老害重鎮への配慮がまだまだいるのか、日和見の弱腰に見えます。まったく強い政策を打ち出せないのが不思議です。

 前政権やその前の政権の、経済やコロナ対策をトレースして、言葉だけ新しい意味不明のものを連発しているだけでした。
 問題に火が点きどうしようもなくなるまで具体策がなく、対策が出たと思えば既得権者に大半中抜きされています。〇〇基金だとか〇〇支援金とかに何十億、何百億とぶち上げ、全部で何千億、何兆と対策しても本当に真水が行き渡るのはほんの一握りです。予算がつくので消化する、基金ができ無駄な天下りを受け入れるマイナスさえあります。
 基金の中にはアメリカの大学教育基金に400億だか支援するという、今さら何をアメリカに支援するのか意味不明な、親分へのみかじめ料としか思えないものまであり、総理は喜々と約束してきます。400億あれば返済不要の奨学金や日本の大学の研究施設にでも回せないのか、雇用や保育や介護にでも少しは回せないのかと呆れます。
 簡単に何十億といいますが、中小企業だと何十人何百人が働いての年間の利益はおろか売上より上かもしれません。大企業でも多くの人が携わった事業やブランドが億単位の利益まで出すのは大変です。

 この状況で税負担、行財政改革で防衛費倍増や異次元の少子化対策、本当に財源確保できるのか見物というと無責任ですが、実現できれば拍手喝采ものです。

 行財政改革と言えば、歴史になるぐらい古く、土光臨調とか言われ40年前から検討され橋本内閣あたりで省庁再編が道筋付けられましたが、官僚の既得勢力は強く、全くの骨抜きでした。改革どころかハンパに合併して大臣の管轄が増え、公務員は減らず改悪にしかなっていません。その後も民主党政権でも、官僚の抵抗で、上っ面だけの事業仕分けなどがありましたが、改めて日本の官僚とそれを取り巻く政界、財界、マスコミなどの強さが思い知らされただけでした。

 これだけの既得権益を持つ強い勢力がある中で、それを切り崩すことは並みたいていのことではありません。岸田さん、あるいは日銀総裁の黒田さん悪い人でも能力のない人とも思えないですし、聞く耳はそれなりにあるのでしょう。しかしこの複雑で且つ未曾有の危機にあっては少々の秀才ではどうにもなありません。国の才能を集結して、既得権益を少しずつでも切り崩し、新しい体制に徐々にでも移行しないと国全体が持ちません。

 毎日通勤までいれると10時間以上あくせくして月15万ぐらいしか稼げない人と、黙っていてもその何倍もの収入が入り、あるいは同じ時間働いて年収が数億という人もいます。せいぜいが3000万も貰えば身の回りからかなりの贅沢ができるはずですが、その既得権のある人は、さらに身内や子飼いも助けたり、その上の贅沢を手放さないのです。一定の財産を有すところまで行けば、1億くらいリミットのサラリーキャップ制で上限を設けるか、税率をもっと上げればいいのではないかと思います。

 ちょっとしたコメントを放つタレントが数億の所得で、歌手、お笑いやアスリートには夢があると思わされているのは、マスコミによる幻想です。本当に経営や専門分野で秀でたものがあればそれなりの報酬はやぶさかではありませんが、全体が儲かっているかが前提です。

 既得権益は洗脳された庶民にも深く根付いているから厄介なのです。

 具体例は芸能やスポーツ、放送局などです。詳細はまたの機会に。

 更迭が噂される岸田さんですが、ある意味頑張って欲しいとは思います。

SNSストックホルム症候群 子育て支援の前の交際結婚の支援を                          #少子化対策#ストックホルム症候群

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 ストックホルム症候群とは精神医学用語のひとつとされ、『誘拐や監禁などによって拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、信頼や結束の感情まで抱くようになる現象のこと』とされています。

 スウェーデンの首都ストックホルムで際にあった銀行強盗の立てこもり事件で、極限的な状況の中に沸き起こった感情がその名前の由来だそうです。

 かつて、女好きの同僚がストイックな環境での研修で、『まるでストックホルム症候群みたいに同僚の女の子を好きになりそうです』とか、漏らしていました。まあ彼の性癖はさておき、男女の愛の生まれ方はさまざまな状況が関係しています。

 修学旅行や合宿、グループの旅行など、日常と違った環境で、限定された男女がやがて恋人になっていくこともよくあります。監禁ではありませんが、ある意味特別な状況になるときです

 世の中を広く見渡せば、自分の理想に近い異性はもっとたくさんいるはずなのに、狭いクラスや部活とか、社会に出ても職場の部署の中で恋愛は生まれます。
 日常的にも、例えば狭い職場と家の往復だけで、会えるのは営業独身男子と、内勤独身女子ひとりずつだと、開かれたストックホルムかもしれません。

 しかし、今の日本ではそこまで異性に欲望を抱き行動に出る人は減っています。

 昔は日本の結婚手段は親が決めたり、親が主導してお見合いというもので決めていました。結婚相談所などという組織もやがてでき、その後恋愛結婚が中心になりましたが、合コンや友達の紹介の時代を経て、今はマッチングアプリなどで交際を開始する時代になりました。

 ところがSNSで自由に異性を選べる極めて恋愛への道がラクになったはずの時代で、結婚しない男女が増えて、少子化につながっています。人口が減っていることもありますが、結婚したいのに相手がいないという人が男性だと3割以上いるそうです。
 子育て支援予算増とか、うんぬんよりもここを何とかしないと少子化対策になりません。
 SNSのアプリがあってマッチングや友達はできるはずでも結局は狭い自分のエリアにとどまってしまい、自らがストックホルム症候群の状況で広く開放された社会を見れない。その上、限られた自分の周りの異性すら見えない、インターネット時代の知識や技術が逆に弊害になっているのでしょうか。完全な孤独で監禁された状態ではないので、追いつめられないため、生存の欲求も子孫を作る欲望も代替され薄められているのです。

 半ば強引にお見合いさせたり、交際や結婚を奨励する強い政策も必要な時代なのかもしれません。