投資で儲けるのを潔しとしない日本文化

 最近になって、政府は貯蓄や年金よりも投資によって、老後などの生活資金を賄うように言っています。

 これに対し、このような物価高、賃金も上がらない情勢でそもそも投資に回せないのに何だそれはという反発もあります。政府に鼻薬を嗅がされたインフルエンサーが、株や投信を勧め、現金主義や金利もない銀行に貯金しているのをバカにしています。

 日本人は真面目で、極端に従順なところがあります。また清貧を美徳として、貧しくとも盗泉は飲まずみたいな教育をされてきました。

 汗水流し、日々働いて年に200万円ほどしか稼げない人や、一生懸命勉強し、一流大学出て官僚のエリートで切磋琢磨して仕事一筋で出世を目指しても、ようやく昇り詰めてせいぜい2000万円程度の年俸なのです。これが少しベンチャーやネットビジネスで稼いだりした若者が20代30代で何億も稼ぐと、世の中間違っていると非難轟々なのです。

 投資を勧めると、極端なアタマしかない人には汗水流し、必死に勉強し、社会をさせることを否定するかのように感じてしまうのでしょう。たしかに、そういう人がいないと社会も何も成り立ちません。

 バランスが難しいのです。資産運用は必要ですが、誰もがリアルに働かずニッチ的な仕事だけで稼げないし、社会を支えられないでしょう。しかし、低金利時代です、銀行にお金をおいて、コンビニや時間外にATMで出金していては全く意味がないのです。

結局何がやりたいのか岸田首相

 もう1年半前か2021年9月に、事実上日本の総理大臣を決める自民党総裁選が行われ、現総理岸田文雄が、河野太郎、野田聖子、高市早苗を破り総裁に選ばれました。
 結果を見れば当然と思えるのですが、与党の党内の選挙というのも国会議員や党員、世論もからみ複雑な要素の中から時の勢いのようなものもあって決まることが多いようです。

 いざ総理大臣になってしまうと発言や答弁には制約が多く、それまでの歯切れの良さや勢いはなりをひそめます。
 そういう意味では党首選挙の方が国会よりも、ある程度は制約はあるものの、本音と人となりがよく表れて面白いです。
 確かに1年以上前だとまだコロナ対策が重要なポイントで、各候補これを公約に上げていて、法律や制度の強化の度合いが各候補に差のある程度でした。実際に岸田さんが総理になり水際対策を強化してことは、当初世論は支持をしていましたが、国際的にはウイズコロナへの舵を切るタイミングを遅らすことになります。

 岸田さんが、特徴的に上げたのが『令和の所得倍増』でした、ウクライナ情勢などもありこれほどまでに物価が上がり、在任1年以上過ぎて、やっと財界や労組に物価に見合う賃上げを要請しているのは後手すぎます。首相がやいのやいので昨年春闘でベアを無理にでも上げれていれば、値上げはあったけど給料が上がった分少しは助かったねともう少し評価もされたでしょう。

 防衛費の43兆円とかGDP比2%への増額も唐突な感じで、総裁選で敵基地攻撃能力保持まで言及したのはもちろん保守派の高市早苗さんだけです。高市さんが敬遠されたのは、一気にこういった防衛費増強、軍拡への道に進むのではないかとの怖れでした。ところが岸田さんはアメリカやEUに言われままに増税してでもお金を出して防衛費に充てると唐突に言い出します。
 その印象を薄めるためか、最近になって『異次元の少子化対策』とか言い出しましたが、野田聖子さんの公約が一丁目一番地を子育て対策にというのでした。
 当初優位とも言われ人気のあった河野太郎は、総裁選ではあまり元来の原発反対などの持論は抑え、年金や社会保険料の一体改革を訴えていました。これも大きな問題で、結局年金や健康保険、介護保険の不安不満は尽きません。早く手を付ければ、少子高齢化対策や歳出削減にも結びつけられました。2021年の自民党総裁選は喫緊の日本の課題が全て集約されていたわけで、そこはゆっくりとしてはいられなかったのです。岸田さんはどこかに総理大臣に慣れたことで、とりあえず満足してしまったみたいなところがあり、次の手が遅いというか、何がしたいのか自分でもわからないのでしょう。

 とはいえ、他の候補が良かったのかとは言い切れませんし、総理大臣はそれまで偉そうなコメントを言っていた人でも簡単にはいけないものです。
 いざその立場だと、内外のあらゆる方面からの意見や悪質な攻撃に対応しなければなりません。大変な仕事であることには間違いはなく、岸田さんはこのところ閣僚の不用意な発言などの不祥事に任命責任などで責めまくられていますが、これには絶対ウラがありそうです。このような厳しい情勢の中、岸田さんが名を遺すような首相になるには、やはり経済、所得倍増ならそれはそれで、あらゆる知恵を絞り全力で実現させようという気持ちでしょう。力をもって驀進しているときにはスキャンダルは怖くないのです。優先順位をつけた最重要課題に真摯に取り組めば、他の問題とのバランスや予算や財源の棲み分けが明確になっていくのです。コロナの対策の予算と、経済対策、防衛費や、少子化対策は一見比べられませんが、力を入れだせば何が真実で何が必要なのかはもっと見えてくるはずです。今のままでは、重鎮だったり、アメリカだったり、業界だったり、世論などを気にしたり、言われるままなのです。何もかもかかる費用が増え、税金や国債発行が増え、給付や公的サービスは削減、次世代への借金は減らないばかりです。

ワクチンは接種した方が感染する!?

 昨日は新型コロナに関して、廃棄ワクチンのお金の問題を書きました。今日は本質ともいえる効果と副作用です。
最近はかなりワクチンに関してのアンチ情報がネット以外でも雑誌や一部テレビにも報道されだしました。私が昨秋、3回目のワクチンをノババックスを選択して接種に行った時の問診の医師も、よくその風潮を知っていました。当時オミクロン対応のmRNA2価ワクチンを受ける人が主流で、今ノバで受けると来春まで無料接種できないから変更もできますと、何度も確認されました。
 私はmRNAを信用してないと冗談半分で言うと、そういう考えも大切ですと、本音で語ってくれました。日本人みんながmRNAワクチンを何度も接種して不具合が万一あれば大変な事態ですから、人類の可能性を残すためには別のワクチンを受ける人、接種しない人がいても当然いいということでした。

 私はまったくワクチンを否定はしません。一定の心理的効果や秩序を保たせた意義は大きいとは思います。
しかし、それほど効果があるものではなく、陰謀論的なアンチでなくとも厚労省が出している統計を普通に分析しているだけでおかしい点があります。ワクチンは認可された条件であるところの、感染予防や発症予防の効果がないのです。それはこのグラフのいわゆる第〇波と、ワクチン接種数の推移を見て分かります。そして日本はこんなに接種が進んでも世界一に近い数と割合で感染者がいるのです。もう多くの方がお気づきの通りで、統計的にもワクチンに感染予防効果がない、それ以上にワクチン接種した方が感染しやすいかもしれないと言えます。
 そういうと次は「そうなんだけど(それは認めてる!)重症予防効果がある」とワクチン推進は言います。これは証明するほど統計値のあるエビデンスが少ないですが、私はまあ概ね間違いではないとも思います。しかし、オミクロンで弱毒化している中なので、感染した方が自然に免疫が得られるのではと思います。

 経済面も含め、やがてあのコロナ、ワクチン騒動は何だったのかという時代が来ると思います。

廃棄されるワクチンは防衛費の税負担を上回る

廃棄されるワクチンは防衛費の税負担を上回る

 2.4兆円の予算を投じて8億8200万回分のワクチンを確保した日本政府です。政府は追加接種の回数とともに有効期限を延ばし、当初6か月だったファイザー製ワクチンの有効期限は9か月、12か月、15か月と3度も延長しています。モデルナ製も6か月の有効期限が7か月、9か月と延びました。

 ところが、接種率はそれでも伸びず、昨年末の報道によると、2022年に関東の1都6県だけで合計約314万回分のワクチンが廃棄されたという。

 特に不要とされそうなのが、オミクロン株対応ではないノババックスワクチン。認可のタイミングも悪く、政府は1億5000万回分を購入しましたが追加接種の需要は見込めず、大半が廃棄される可能性があります。私はアマノジャクでこのワクチンを接種しましたが、多くの人がオミクロン対応2価ワクチンを選んだようです。

 過去には副反応として血栓が生じるケースが海外で報じられたアストラゼネカ製ワクチンの接種率が国内でまったく伸びず、調達した5770万回分のうち12万回の接種にとどまりました。政府は5770万回分のうち約4400万回分を海外に無償で提供し、残る1350万回分を廃棄した。ノババックス製はアストラゼネカ製に次ぐ「不遇のワクチン」となりました。

 ファイザーの幹部を迎賓館に招き、鯉にえさを上げて大統領なみのシチュエーションで前総理が買い付けを決めたそうです。それをあたかもスゴイ業績のように伝え、ワクチンヨイショをするインフルエンサーもいますが、笛吹けど踊らず若者の接種は全く伸びませんでした。

 ファイザー製、モデルナ製を含めると全国的にかなりの量が廃棄されています。注射器の容量の関係で捨てられる未報告の廃棄も含めるとざっと見ても7千万回とも1億回以上となるワクチンが廃棄されています。いくらで買い付けられているのが分かりませんが、運搬や保管の手間を考えると少なくとも1回分数千円というところでしょうか。少なくとも2~3兆円が消えたことになります。
 コロナ関連でいうと、他にも明らかな無駄遣い、関連しない使途への使用、余剰がこれまた10兆円規模になりそうなのが特別会計の令和4年から5年度にかけてです。恒久的な財源ではないとはいえ、ここを切り詰めれば嫌われて防衛予算のため増税などしなくてもいいはずです。

 どうせ廃棄するなら、徹底的に動物実験に回し、副作用を検証すればいいと思いますが、まあやらせてはくれない約束でしょう。

行政のムダ 難解な言葉

 【難しいお役所言葉】

 私も長い文章を書き誤字や悪文も多く後で推敲します。英数字の半角全角、漢字とひらがなの統一も難しいものです。
いまどき読んでもらえない漢字は使うべきではないとSNSなどを使う人向けの最近の新しい文章作法には指導があります。ところが公的機関の市民に対する接遇ガイドラインハンドブックの中に『分かり易く丁寧な説明を』とありますが、これなどそもそも『易く』『丁寧』が読めない人がおり、ひらがなにすべきと指導されそうなのですが、国の文書では当たり前です。

 民間企業で、パソコンの導入によるIT化の推進や、リストラやコストカットを味わい、最後はSDGsやコンプライアンスの波に翻弄されてきた者にとって、役所や公務というものは何とも奇異なぐらい遅れておりました。

 公務員は安寧安泰というと、決してそうでもないのでしょう。ことに無駄とか矛盾があっても前例を踏襲して上司や組織に盲従する忍耐力が養われるでしょう。

 日本の行政手続きの多くが、紙媒体に印鑑を押しての申請主義であり、権利を得る条件を満たしても多くの場合、時効で消えることはあっても自動的に得られることはありません。庁内、役所の中では未だに市民には難解な言葉を羅列した紙の決済が、しかもスタンプラリーか御朱印長巡りのように上位に回り稟議(りんぎ)され、代理決済が許されないので時間が経過します。管理職の残業は際限なしになります。モリカケや桜を見る会などの政治家スキャンダルで、よく文書を廃棄したとか管理していないことが問題にされますが、逆に言えば多くの役所には紙の書類が大きなスペースを取り、日の目を見ることなく保存管理期限を待ち廃棄されるまで時間と場所を食い、税金を浪費しています。
 その管理の監査などは、もうそれに対する準備などを含め、壮大な無駄に感じます。
 しかも誰もそれを無駄とは言えません。法律で文書の保存期間が決まっているからです。PDFデータ化し、パソコンの中でデジタル管理すればいいものを原本に拘ります。市民のスペース、対面のスペースや身障者の動線配慮よりも倉庫の確保が必要になります。

 マイナンバーカード導入で少しずつ動き出してはいますが、民間企業に比べおよそ20年から30年遅れになっていいる感じで、日本のバブル以後の失われた20年にちょうど合います。日本の経済力はじめGDPなどに示される国力や豊かさが国際的に低下したのは、ITなどの社会構造の変化に日本の行政組織や政治、法律がついていっていないのです。

 【役人の人数は必要だが、改革が必要】

 これは官僚や政治家が悪いだけでもなく、市民もまた行政に期待するものが旧いからかもしれません。
 個人的には公的サービスをする公務員、それを監視し、法律や条例を作る議員は必要だと思います。システム化が進んでも今後介護や生活保護の現場、インフラ整備などは必要であり、ハンコをつくだけの管理職は要らないにせよ人員は要り、監視やシステム化やスリム化、統合化を進める議員も必要です。
 人数よりも変化への対応です。GAFAはもちろん日本の一流企業でさえ、毎年のように組織や業態を大きく変えています。日本の官僚機構は30年に一度とか、制度を5年後とに見直すとかのそれも小手先のマイナーチェンジや改悪で乗り切り、何周も遅れる原因になっています。今よりも良くする効率のいいものを毎年毎年ゼロベースで考えることが、日本の周回遅れを取り戻す道です。

 お役所的とは言いながら、市民の多くはお上に逆らわない体質を引き継いでおり、革命的な反体制意見などが浮かび上がらないように上手く飼いならされているといっていいでしょう。ときおり不満が湧き出ても、トカゲのしっぽのように責任を取らされる人が出てガス抜きされ、またもお上の言うことには唯々諾々の状態が続きます。

 今いろいろ囁かれる政治や社会問題の根っこはほとんどこの辺りにあります。60や70の爺さんがデジタル担当や少子化担当、あるいは科学技術の先端を管理する経済産業省を司る組織の長とか言うのが到底無理なのです。周回遅れ、2~3周遅れていることに気付かないのです。

 戦後の経済成長期、昭和の40年から50年代に作られた法律に基づく制度が変わらずに、続いていることが今の残念な結果に繋がります。しかも他の部門の文化に関する言葉は時代とともにどんどん変化し、外国語を取り入れたりしている中、法律用語や条文は旧態依然で難読であり難解です。司法試験を受かった弁護士や検事らがやり合うだけならまだしも、法律は多くの国民のためにあるものです。
 まして、それぞれの産業などの分野には、薬機法(旧薬事法)とか景表法とか、道交法と言う感じで刑事や民事の弁護士でも専門ではない場合があります。他の書士など業界だけに絡む専門家しか深くは知り得ないものもあります。これ等の中には平準化した言葉にし、タブレットで入力可能なものにすれば、〇〇士など必要ないものも多々あります。
 いわゆる扶養パート社員の130万円の壁などもそうですし、少子高齢や安全保障、社会保障、国際的に見れば戸籍法も旧いままです。何となく手をつけないまま、議論さえされずに旧態依然ということが多すぎるのです。しっかり議論をすれば保守派が寄り切って全部は改革されなくても、制度が旧いままのデメリットやリスクも露わになり対策がとられて、調整ぐらいはできたはずです。

 高度成長が止まり、ある程度後進国に追い上げを食い、衰退するのは仕方ないにしろ、衰え方、負け方が悪いのです。
 一流大学を出て、頭のいいはずの人が官僚や〇〇士になっても、俯瞰して大きな流れを見ることができず、目の前のことに流されてしまいます。既得権益と自分の立場を守るだけの生涯という感じの、つまらない官僚、役人、〇〇士になって日本が腐っていくことを止められなかった悲しい構造が見えます。

 

子ども手当、所得制限撤廃、結局悪夢とけなしたあの政権と同じ?

 鳩山由紀夫の民主党政権、今となったらボロンチョンに悪夢とまでけなされ、保守層からは蛇蝎のごとく蔑まれ、リベラルからでさえ頼りなく裏切った印象が強いです。

 2009年なのでもう人々の記憶もあいまいですが、民主党政権の新たな政策は国民の多くに絶賛され選挙で圧勝し始まりました。子ども手当、ガソリン税廃止、高速道路無償化、農家の個別補償など、既存権益を打ち破り当時としては画期的にバラ色にみえたのです。

 その中で昨今の少子化対策で注目され、ゾンビのような不毛のかつての議論が、国会内政治の世界で復活しています。

 現在の岸田首相の『異次元の少子化対策』といっても子ども手当などの施策、それも所得制限なしで行えば『バラマキ』と自らが罵った悪夢のような政権と同じだという論争です。
 

 つまらないゾンビ論争です。

 自民党も旧民主党も、政策は是々非々、状況変化に対応してでいいのです。過去の自分との整合性がなければ、かつてはこう思っていたけど変わりましたと素直に言って、一緒に進めればいいのです。
 政党や総理の一つ一つの提言や政策が全部正しいなどということはありません。よくコロナや地震や原発などだと『専門家の意見を聞き』と言われる通り、法律や経済にしても必ずしも政治家が全て知っているわけではないのです。
 強いリーダーシップで推進すると同時に、政策には過去現在の言動にあまりにもとらわれずに、いいものを取り入れるべきです。
 民主党の素人集団が政権を取って、自ら閣僚になった時、慣れないで迷走しました。しんどく厳しい官僚に振り回され財界にもソッポを向かれ、結局何もできなかったのです。今さらあの時の政策は良かったと言えるほどの立場ではありません。

 個人的には、国会の与野党のつまらない論争は無意味です。一度やり取りしあったら、国会議員は野党も与党も政策の推進に、邁進すべきです。一度決まれば各委員会も超党派で進むのです。交渉すべき相手、邪魔になる官僚や企業、外国とやり合うことこそが政治が進む、談合や汚職や無駄が無くなる要点ではないかと思います。与党系の政治家だけで官僚を監視、コントロールするのは難しいのです。

電気代ガス代大幅値上げ、今こそウクライナ問題、原発再稼働問題を真剣に討論すべき

 都市ガスや電気代がこの5月ぐらいにさらに急上昇します。今の厳寒の燃料代の請求が来る来月当りでも、主婦はその請求書の額に驚くぐらいでしょう。
 諸物価や保険料、税負担も増える中でのインフレ、しかも賃金所得はそう上がらず失業廃業さえ増える不況の中でのまさにスタグフレーションです。

 北国では電気やガス、灯油をやせ我慢することは生命の危険に繋がります。厳寒後でなくとも毎年1万人くらいの、風呂場の寒さによるヒートショックで死ぬ人はさらに増えるでしょう。国民生活や企業の必須経費に直結する光熱費や燃料費の高騰を抑えることは、国の重要な政策事項です。
 確かに、『ウクライナの戦争はロシアが悪いように見える』『古い原発の再稼働は危険な気がする』とか漠然と正しいか間違いか分からず議論もされないままに、電力料金やガス料金は天井知らずに上がります。
 この2つの課題に関して、当然その通りで『ロシアを擁護するなんてけしからん』『原発の再稼働等許されん!近くに住んでみる人間の身になってみろ』と激高される方もおられるでしょう。
 しかし、国が全体の幸福を求めるのであれば、議論して説明を尽くし納得してもらわないといけません。

 ロシアのプーチンが好きだろうが嫌いだろうが、LNGにも石油にも、そこから生まれるエネルギーにもプーチンの色も匂いもついていません。戦争の背景やウクライナ侵攻は非難はしても、エネルギーや食糧も問題、漁業や領土の問題のため、隣国としては嫌でも付き合いを拒否するほどの喧嘩になってはいけないのです。当然、アメリカやヨーロッパとも是々非々でうまく付き合わないといけませんが、のらりくらりでいいのです。国際世論と言われますが、アメリカとEUのほんのひと握りの国で、その他のほとんどの国は非難はしても制裁には加わっていません。実際の制裁に率先して加わらずともできることはあり、失うものは少ないはずです。森元首相や鈴木宗男議員らをバッシングしますが、この人らのように嫌われてもロシアとの筋は残しておかないといけないのが外交です。

 私は一貫してゼレンスキーのウクライナに対してが同情はあっても、大統領の支持はしません。戦争を拡大するだけの姿勢には大いに疑問です。

 原発再稼働に関しては3.11以降の日本であまりにも技術論を無視して感情論になっている点です。双方がよく理解して議論をして説明をしてもっと早い段階で再稼働をしていないといけなかったと思います。
 化石燃料が環境に悪くイヤとか、その化石燃料もロシアや中東依存でイヤというなら、原発再稼働しか選択の余地はないのです。バカ高い再生可能エネルギーに神頼みして、北国の人は冬にみんな凍死していかないといけません。この先も原発は廃炉にもできず維持管理もしていかなければいかずそれにも莫大な予算と技術者が要ります。若い技術者は日本ではこの風潮では原発には行かないので、いつテロがあっても可笑しくない、AA諸国の技術者、労働者、管理者で溢れています。核融合や水素の技術も踏まえ、日本のエネルギー技術者のステータスを高めていかないと、エネルギー問題は解決しません。

 寒い地方にいる方、お金のある方無い方、北方の漁場に関わる方、停止中の原発に近いところにお住まいの方それぞれ当事者でないと分からない痛みや苦しみはあるでしょう。しかし、全体の幸福のために理解をして、場合により保障を受けたり工夫をして国策に従うのは当然の義務となることです。まず、議論を始めることもなく、値上げではこの国の国力は無くなっていきます。
 
 

『コロナ5類へ』で思うこと

 確かにコロナは未知で人類をパンデミックスの終末へと誘う恐怖の大王かと思われました。武漢やクルーズ船の状況が伝わり、刻刻と感染者が増え、ワクチンやおろかウレタンマスクすら手に入らないパニックになっていました。3年ほど前になります。

 ある意味異常事態、緊急事態に慣れてしまったような日々が続きました。
 だんだん日常に戻すと言いながら、毎日感染者数や死者の数は報道され、第何波や変異株の名前が煽られます。感染力のインフレとでもいうのか、変異を繰りかえすごとに前の1.何倍も強いと煽り、以前のはそんなに弱かったのとツッコミたくなるほどです。
 3年も続くとは思わなかったこの事態が、慣れや諦めの惰性を産み、いろいろな澱みを産みました。
 本来、医者や薬品開発のメーカーや厚労省はウイルスと戦い人類を救う正義の味方のはずでした。ところが少なくともこのグループの中に大きくお金を儲け、この事態が続くことを喜んでいる人達がいるようです。
 人間やはり、お金には弱いし、ましておそらくバレずに大きなお金を労せずして得られる誘惑には勝てないのでしょう。
 開けていても儲からない小さな居酒屋や料理店の中には、給付金で普段働くよりお金を手に入れた人もいます。こんな話が広がると、業種によって不公平だとも思われ、不正な受給やゴマカシの税逃れも増えました。ましてワクチンを打ちまくった医師、病床を用意し待機しただけの大きな病院や医薬品メーカーがどさくさに儲かったのです。
 感染拡大のために逼迫した医療機関の従事者の激務の中で、ハイエナやシロアリのような輩に巨額の金銭が動いているのが日本の宿痾です。
 

 コロナ関連には莫大な予算が投下されましたが、マスクのしろ病床にしろ、ワクチンにしろ結局感染予防は完全には防げず死者も多いままでした。お金だけが使われ、今後の増税、一般国民の借金です。バブル以降日本の経済や財政はずっとこういうところで、真面目に一生懸命働いても報われないような悲しい理不尽な構造になっています。オリンピックの裏金でもそうですが、有名人やアスリートの努力があり全否定はできないのをいいことに、ハイエナやシロアリが美味しいとこを持っていくスキームです。
 こんなことをやっているから、経済が弱く、所得が増えないままかつての先進国がどんどん追い抜かれ、気がつけばトップグループはおろか真ん中のへんでも後方で前に追いつけなく大差をつけられています。
 一人一人、しっかり見て、流されず倫理をもって判断し真面目に努力していかないとけないでしょう。頑張れというか、頑張って欲しい日本です。
 

「善く戦う者敗れず」イケイケの戦争だけは避けたい

 著名なタレントが『現代は新しい戦前』という言葉を使い今の世相、風潮を心配していました。
 最近読んだ本の中に、戦前の軍部の勢いとそれを鼓舞する国民の危うさを描いている作品がありました。歴史を後世から見てしまうと結果が分かってしまい、神以上の視点からリードさあれるのでそこは差し引いて考えないといけません。
 しかし、古来戦争に対する戦略、兵法というものは深く、政治やビジネスにも重用されてきました。
 漢書の刑法志に「善く師する者陳せず」「善く陳する者戦わず」「善く戦う者敗れず」「善く敗るる者滅びず」というのがあります。
 うまく軍を動かす者なら、布陣せずに解決する。その才が無くても、うまく陣を敷けば解決する。その才が無い者も、うまく戦えば負けない。そして負けるとしても上手く負ける才ある者は滅びない。というところでしょうか。
 軍備とか防衛費と言われますが、戦いというものは、開戦前から始まっており、戦闘に入らずに終わることもあるということです。戦争反対ということではなく、勝つにもいい勝ち方をすること、負けるにも善い負け方に留めることが大事というのです。
 よく勝負事は勝たないといけないと、思い込みかえって自分の戦い方を忘れて失敗をし、勝っても悪い勝ち方をしてしまう人、間違う国家があってはなりません。
 漢書どころか孫子さえ読んでない政治家では心配です。

100歳!戦争を知る世代の人の話は貴重

 90歳を超えられたと聞いても驚きますが、100歳でご存命と聞くと衝撃ともいえます。あえて名前は伏せますが大きな会社の社長会長を長く勤められ政財界にも強い影響力のあった方の話です。 

 戦争の語り部と言われる方、その世代の方がもうどんどん高齢化していてます。
今、90歳の人でさえ、終戦当時は12歳ですから、満州事変や真珠湾攻撃など戦争が始まったときの状況や詳しい背景とか、社会の受け止め方をリアタイで感じてはいないのです。100歳くらいの方で初めて開戦当時大人だったことになります。
 80歳代のすでに後期高齢の方でやっと、子供の頃敗戦を体験し、その後の占領下の苦しみを経験されている世代です。その方たちでさえだんだん少数になっています。

 右翼とか左翼は関係なく、戦争の語り部がいなくなることは残念なことでもあり、恐ろしいことでもあります。

 たまたま、その経営者の方の戦争に関する思いや、政治に対する評論を読み返していて、この人がもう100歳でご存命と知りました。経営者としては結果的に問題もあった方ですし、独善的なところもあります。
 表現が難しいですが、そこに書かれてることがリアルというか、ニュートラルで、ナチュラルな感じに当たり前に戦争のあった時代が語られているのです。それが今のテレビや映画、文章や映像の戦争よりも新鮮で違うものだと思いました。
 残念ながら今戦後世代が、映画や小説とかを作ると、いろんなバイアスがかかり、偏りの考えに囚われます。美化したり、戦争反対とか、愛国保守か極端に分かれて恣意的なものに知らず知らずなっていくのでしょう。肝心の映像や文章表現でも制限があって、どんどん違うものになっています。その映像を見て、それが戦争だと思い込みます。
 戦後生まれで昭和40年代くらいまではもう少しリアルなものもありましたのが、現代では史実が希釈され過ぎて、まるで違う実像をばか丁寧に描くような危ない創作現場があります。おそらく明治維新や日露戦争をリアタイした人から直接間接に話を聞いた世代なのでしょう。

 現実とは違うものを戦争と思って、反対するのも賛成するのも少し違うような、否、だいぶ違うと思うのです。
 そうやって観ると、今のテレビの報道なんて30代くらいのアナがせいぜい40代50代の解説委員と深く調べもせずにやっている内容が浅すぎて軽すぎです。
 平成以降でヒットした、右側の人が作った戦争の映画も、左側の人の作った映画も、アニメか実写問わず、リアルとは程遠いものなのです。


 この本の内容についてはまたの機会に詳しく。