平安貴族でも権力争い 本当の幸せ

お金があっても、モノをたくさん持っていても、エライ地位を得たとしても、それが絶対的に幸せかとは限らないものです。
 これに対してはそんなことはない貧乏で、貯金はおろか日々の糧もなければ心が荒み幸せになれるわけがないという反証もあり、それもやっかいなことに事実でしょう。衣食足りて礼節を知るという言葉もあり、やはり最低限お金はないと勉強もできないとは言えこれも一面の真実です。
 今年の大河ドラマ「光る君へ」で描かれている紫式部の書いた平安時代の貴族でも、現代の政治やビジネスの社会でも権力を握り、富を肥やすため権謀術策を企み、家族を顧みず、同僚の足を引っ張ったりしても本当に幸せをつかめるものではないのです。お金がないことは苦しいものですが、お金は少し毒を持っており心を驕らせ、乱れさせるものです。
 お金がなく、子供の頃から満足な勉強もできずを、いい学校にもいけずたいした仕事にも就けなかったといじけて世を儚む人もおれば、その厳しい条件でもコツコツ働き、少ないものを分け与えながら、努力を重ねやがて素晴らしい人間とあがめられた人もいます。
 結局日本や世界のどこかの貧しい人を助けることは、人の道を沢山紹介することです。
 誰かに多くを与えず、自分とせいぜい家族、取り巻きにだけ残して死んでいく人生はつまらないものです。
 たとえば親の金とコネで学校、会社と進み、親の資産を引き継ぎ少しは苦労したか、それでも大した苦労ではなく一見恵まれた人生の人がいます。それでも結局良い仕事はできず誰かに何かを与えることもなくいい年になり老後、健康を害することと死ぬことに恐怖する人はどこかで人生にやり足りないのです。
 そのことをとても空しく感じ、人生を嘆く人がいます。結局、恵まれた境遇で大した努力も分配もせず、富と権力、地位の維持だけに過ごした時は、仏教でいう六道、地獄に落ちるようなものです。修行をするとか、徳を積むというほどではなくとも、限らた時間の中でやれる可能性のあることは燃え尽きるぐらいまでやれば死ぬ恐怖とか、地獄に行くなどの思いはなく、やり切った満足で生涯を終えられるのではと思います。
 とてもそんな域には達せず、私自身もがき苦しんではいるものです。
 そのことは、よく考えて見れば分かることですが、それが分からない人が多いのです。それでも人の足を引っ張り罵ってまで出世しなくて良かったと思える時があります。

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