父親休暇 思い出される日米の差

A father with a baby daughter at home. A cute girl drinking water from the bottle. Paternity leave.

 大谷翔平選手の第一子誕生に伴う父親休暇が話題になっていました。
 アメリカということもありますが、時代は変ったものです。ロッテの主力、石川柊太投手も奥さんの出産で休暇だそうです。
 日本のファンももちろん、楽しみにしていた大谷さんが何試合か欠場して見られなくとも、高年俸の選手が休むことに非難の声などはありません。暖かく、祝福し復帰を見守っていました。
 今でもブラックな企業はあるのでしょうが、労働法も変わり、公務員や企業でも産休や育休、男性の育休も取りやすくなっています。
 20年以上前、私の長女が産まれた時など、私は営業マンで、病院には駆け付けましたが、少し仕事の時間をはずしたものの、有給休暇すらとれませんでした。それでも2ー3時間休んだだけで、社内や取引先からは「子供ができて休む営業なんて初めて聞いた」などとさんざんに皮肉られました。未だに軍人か何かと勘違いしてやがるのかと思いましたが、それが当たり前だった時代です。
 野球の世界でも、アメリカ人は家族を大切するのが当たり前の感覚なのに、日本人は仕事優先で職階が上がった人などは家族を省みないことが美徳のようにされました。

 野球の世界でも、アメリカ人の助っ人が来ていましたから、そんな日米の温度差が昔はありました。もう40年ほど前になりますが、伝説の甲子園球場バックスクリーン3連発を阪神タイガースが岡田、掛布とともに巨人に見舞ったランディ・バースも、良い記録の方だけがフラッシュバックされますが、悲劇もあります。
 家族の病気の件で帰国した際には日米の家族と仕事への考え方の違いも顕著にでた事件でした。
 バックスクリーン3連発や優勝にも貢献し、三冠王も取った史上最高の助っ人、阪神のランディ・バースですが長男ザクリー君の1988年の開幕後の5月、水頭症手術のため、アメリカへ緊急帰国しました。開幕4連敗後、5月上旬には何とか2位まで盛り返した矢先で、本人は前年は不振の年で、この年も3割は打っていたもののホームランは2本とファンにはやや物足りない状況でのことだったそうです。手術が終わってもしばらくは子どもに付き添いたいということからバースは戻らない。このあと、球団とバースは再来日の期限や治療費をめぐり、泥沼の対立を生みました。阪神は6月27日、なんと最強助っ人の解雇を発表しました。任意保険に入っていなかった阪神の事務方のミスもあったとも伝わります。

 これを不当とするバースとの話し合いは長期化。7月上旬、古谷真吾阪神球団代表はロサンゼルスで交渉に臨んだが再び決裂しました。心労もあってか、古谷代表の投身自殺という悲劇の結末でした。

 家族、子供の難病手術に、父親が立ち会う、有給休暇付与、健康保険高額療養家族適用ぐらい当たり前の令和では考えられない時代での悲劇でした。
 その点では、日本も変わりました。逆に仕事に打ち込む気概が足りない父親が増えたような気もしますが。

昭和40年代のショウヘイも日本中と全米を席捲した

 最近ネットでアップされている昭和42年ぐらいの少年雑誌のトンデモ画像です。一応円谷さんの©マークばあります。昭和特撮好きな方はもちろん、ジャイアント馬場選手が対峙している怪獣の名前まで分かるでしょう。
 昭和40年前半のプロレスの視聴率はまだまだすさまじく、力道山時代の70%時代とまでははいかずとも、今では考えられない、40%台とかがザラにあったようです。野球や相撲よりも視聴率がとれていた時代です。週1か隔週で時間的にも1時間に上手くまとまり、ゴールデンタイムでしたから、あと競争できたのはむしろボクシングの世界戦ぐらいでした。何よりも日本人が外国人を小気味よく倒すことにスカッとしたのです。
 娯楽が少ない時代とはいえ、日本人は外国人に空手チョップで対抗した力道山が一世を風靡した日本のプロレスは、その後継に少し苦しんだ時期がありました。力道山はカリスマであり人気があり過ぎたのです。その後を継いだのがジャイアント馬場、本名馬場正平です。
 海外武者修行に送り出されていた馬場正平は、米国で当時の三大世界タイトルであった(NWA,WWWF,WWA)に連続挑戦する超売れっ子レスラーとなり、各地のプロモーターから引っ張りだこになるスターぶりだったそうです。
 SNSもネットもない時代で、もっというと全米のテレビのネットワークさえまだない時代で、興行の意味合いももちろんお金の価値も違う時代です。それでも本人の書いたものでも人生でも最大級の随分な贅沢をしたとされ、実際、最初に帰国した折は、大量のドルを稼いでいて、力道山から借金を申し込まれるほどのお金持ちになっていました。
 大谷翔平と比べることはできませんが、馬場正平は通訳もなく食生活も大変な1ドル360円時代にアメリカの一大スターではあったのです。ちなみにこの時に良い関係を持ったレスラーやプロモーターとの人脈はのちに全日本と新日本の抗争では圧倒的に外国人レスラーの招聘には有利となります。英語を学んだのと、粗暴ではなく信義に厚いレスラーだったのです。
 この頃まだ大人の時間ということや、暴力的だということでプロレスを見ていなかった子供も、「ジャイアント台風」という馬場が主人公の伝記マンガ、そして実在のレスラーが登場した「タイガーマスク」というアニメにもなった人気マンガでも主人公を支えるジャイアント馬場が登場して覚えている子供も多いでしょう。この当時はもう一人の人気レスラーとなるアントニオ猪木も二番手として日本プロレスにいるのが描かれていました。
 日本プロレスは、一時期日本テレビとNECテレビで2局が中継する栄華を極めます。しかし、驕った日本プロレスの幹部たちは、2番手だったアントニオ猪木、そしてジャイアント馬場を昭和40年代後半にクーデターのように相ついで独立され崩壊します。
 他のジャンルのスポーツやエンタメが出て娯楽が分散する中、昭和50年代はアントニオ猪木の新日本プロレスが台頭して、ジャイアント馬場の全日本プロレスと激しい興行戦争にも入り、この当時高校生以上ぐらいでプロレスを見始めた人は精悍で闘魂溢れる猪木の表情に魅入られ、馬場の全日本より猪木を応援して新日本に肩入れする人も多かったです。
 
 この頃だともう馬場は全盛期を過ぎ、スローモーな動きで、いかにもプロレス的に忖度したような試合でをしていて、猪木が馬場に挑戦を宣言しても馬場は逃げているとかいう猪木ファンもいました。
 このあたりを書くとつい長くなるのでまたの機会にします。

 プロレスは結局喧嘩ではありません。そののちに内幕が暴露もされますが、力道山対木村正彦時代から、筋書きのできたエンタテインメントです。確かに身体を鍛え、しのぎ合う部分は素人が真似はできませんが、普通に考えれば、あんなに毎日のように喧嘩のような試合もできませんし、矛盾点もいくつかあります。真面目な日本人はそれでも、ある時期まで(個人差はありますが)それを真剣勝負と考え、筋書きがある出来試合で八百長だと知ると裏切られたと思いました。プロレス人気はK-1などの総合格闘技の時代へ移り、やがて、それもウソっぽいことにみんなが気づくと、もう完全にエンタメになったサーカスのようなプロレスが残りました。

 その間、猪木の全盛期はまだ20ー30%あったプロレスは視聴率も急降下し、深夜などに追いやられレギュラー番組でもなくなり、馬場や猪木の晩節、主力も分散し、ショー的な興行へと変わります。
 ジャイアント馬場、アントニオ猪木、力道山を継ぐ二人のカリスマが消えると、日本でもアメリカでももうプロレスはスポーツとしての社会的地位を完全に失い、エンタメショーとなっています。かつてアメリカのプロレスにはNWAというものすごく各地のプロモーターを束ねる大きな組織がありました。NWAのチャンピオンが来日すると国賓のような扱いの時代もありました。
 しかしそれも結局驕れる者久しからずでした。馬場の独立をしばらく支えましたが、やがてアメリカでもプロレス人気は失墜します。
 日本でもアメリかでも、スターは延命してかえって、プロレスの裏側を見せてしまいファンを呆れさせる結果でした。
 アメリカでも日本でも、カリスマのスターを作り忖度し、組織が儲かり大きくなると、驕りが生まれ、結局腐って失墜していくのです。カリスマが高齢までひっぱり、権力を持ち続け、その業界自体が転落していくことは、どこの社会にもあります。

 今は大谷翔平が日本人離れした体格とパワーと技量でかつて考えられなかったMLBで大活躍しています。先駆の野茂やイチローらのレールもありますが、ビジネスとしても大成功に見えます。その人気はかつての力道山や馬場が外国人を倒すのにも似ている爽快さなのです。プロレスとメジャーなどの野球なんて全然違うと反論する人もいるでしょうが、気質のようなものは同じです。
 しかし、MLBに日本人比率が増えることは、組織として日本に忖度し、マネーも相当日本に依存しだしています。アメリカの中では相対的に野球の地位が低いのです。日本ではそれほどではない、アメフトやバスケ、アイスホッケーなどがMLBを脅かしており、放送権料も日本の割合が増えています。山本、佐々木と集まりましたが、大谷、ドジャースの日本での人気はスゴイですが、これ以上日本人が増えたら、観客はツアーで行く日本人は増えても現地に人はどうでしょうか。
 MLBが日本のマーケッット割合が増え、日本人アスリートが増え、ルールやレギュレーションを変えショー的要素が増えだす。カリスマスターの人気に頼り、そこにお金が集まり忖度が生まれる。これはプロレスのNWAが崩壊に向かった道と似ています。
 
 かつては、プロレスファンも野球やサッカーのひいきチームを応援するように、必死に声援して応援していました。そして日本人は不透明で不可解でも勝てば狂気のように喜んでいました。今の野球とそこは大差ありません。多くのファンのリテラシーは結局、いい試合やプレーもみたいけど、勝てば良いのです。失礼と取られますが、ナショナリズムを擽られ、「頑張れニッポン」で日の丸振って応援してしまうと、戦中と同じで後先見えなくなります。

 大谷の活躍に水を差すのはタブーのようになっていますが、あえて書かせてもらいます。昨年シーズン前の通訳の賭博と横領による逮捕で、私は1シーズンぐらいは大谷翔平を連座制で監督不行き届きとして出場停止にするぐらいが妥当と思っていました。それなればまだMLBは健全でその運営を信じ、未来に夢があったと思います。結局、MLBもカネの力なのです。もっと醜いのはそれに喜々と群がるマスコミやスポンサーです。
 それで忖度のない運営で真剣勝負なんてチャンチャラおかしい、やはりセメントを謳ったショービジネスなのです。

 大谷はスター性があり過ぎて、MLBは彼が全盛期を過ぎる数年後には、昨年彼が去ったエンジェルズのようにイッキに衰退すると簡単に予想できます。日本からの放送権料やCM,グッズ、ツアー、商標などがシュリンクし、次のスターで更新しようとしてももうそこまでのインパクトはないのです。明らかに興行主が後先考えず、儲けてトンズラの様相です。
 もう野球のように、ルールも用具も場所も面倒くさいスポーツは日本でも少年の憧れるトップではありません。大谷が去り、MLBがマイナー化すると、個人スポーツやeスポーツなどに加速して流れていきます。

 大谷さんは、最後のジャイアントだったのです。

昭和プロレスのハッタリ、喧嘩, 騙された大ウソ、

「昭和史」を紐解くとき、けっこうプロレスという文化は外せない象徴的なものです。
 敗戦で憔悴した日本に、テレビという新しい文明がもたらされ、そこでは力道山というヒーローが空手チョップで大きな外国人をなぎ倒して日本人に勇気と希望を与えました。白黒の街頭テレビに何万人という人が集まったのですから今では信じられない伝説的光景でし。
 テレビぐらいはほぼ家庭に行き渡った私の子供の頃は、アニメ(および連載漫画)のタイガーマスクでプロレスを少し齧った世代で、実際のプロレスは見なくともジャイアント馬場がタイガーマスクを助け、その下にアントニオ猪木が一緒にいたのを覚えている方もいるでしょう。
 力道山亡きあと、日本の高度経済成長期、ジャイアント馬場がプロレス界のエースとなり、アントニオ猪木が追い上げます。
 その後、当時の日本プロレスは分裂し、新日本と全日本の二つの団体に馬場と猪木が別れて競いあうのが、昭和末期のプロレスです。

 この本の煽りでは、
権威を破壊したアントニオ猪木と権威を追求したジャイアント馬場。
新日本プロレスと全日本プロレスの存亡をかけた1972~1988年の〝リアルファイト〟を再検証! となっています。
「俺のライバルは馬場さんじゃない。プロレスに対する世間の偏見だった」(アントニオ猪木/本書独占インタビューより)
「2022年、アントニオ猪木が設立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスが50周年を迎えた。今も多くのファンの心を熱くする70~80年代の“昭和のプロレス”とは、すなわち猪木・新日本と馬場・全日本の存亡をかけた闘い絵巻だった。本書は両団体が旗揚げした1972年から、昭和の終わりであり、プロレスのゴールデンタイム放送の終わりでもある1988年までに起きた出来事や名勝負を592ページにわたって網羅。その魅力を追求する叙事詩となっている」(著者より)
 この本自体は、そんなに深くバクロ話でもありません。他にも猪木周辺の深い話を書いたものはいくつかあります。

 プロレスなんて野蛮だと言う人と、プロレスはスポーツではなく八百長、ショーだとアンチの方も多く、力道山時代と違い、プロレスは新聞のスポーツ欄にも載らなくなりました。一般スポーツ紙にさえ、野球や競馬でも大きく載るなか取り上げられないマイナーな存在になっていました。

 それでも、一部のコアなファンは「猪木だ、馬場だ」と熱い論争を繰り広げていました。猪木が常に馬場に挑戦する仕掛けをしては、巧みにやり返されて、リアルなファイトは実現せず、夢の対決で終わりました。興行戦争としては、ここに綴られる70年代後半、かなり激しい引き抜きも中傷もあったガチンコの勝負でした。
 二人は5歳の年齢差(昭和13年と18年生まれ)という微妙な開きがありました。実際にピークを過ぎた時期の馬場に、猪木が何度も挑戦を口にしたのは今考えるとある意味卑怯だし、それ以前に猪木はおそらくこの時、プロレスではなく喧嘩で挑む気だったのでしょう。
 あらかじめお互いの技を出し合い受け合い、引き分けにするなどの取り決めがあるのが本来ですが、おそらく猪木は馬場を潰す覚悟での挑戦ですから、そんなものを受けるはずがありません。そして受けないと弱虫で逃げているように追いつめるのです。
 それでもしたたかな馬場は無視していたかと思うと、ある時期見事にやり返します。オープン選手権という大会を開き、強豪外国人を集めて猪木が挑戦するなら参加せよといいます。これは道場破りの挑戦に対し、しっかり力強い用心棒と師範代を揃える常套の対抗です。来るものなら来いと、来ないなら二度と挑戦すると言うなと返します。
 実際の馬場の全日本プロレスでは、猪木が万一参加した時、真剣勝負に強い外国人を次々と充てる算段をしており、不参加が分かると帰国させたレスラーもいるぐらいでした。この話はなかなか面白いです。

 
 この後も、猪木はアジアのチャンピオンの決定リーグ、タッグの統一リーグ戦、格闘技の世界一戦、各地で予選を行い全世界のプロレス最強を決めるIWGPと、次々と挑戦的な企画を出す猪木の新日本プロレスに対し、それ以上のレスラーを集結し、アジア王者も決め、世界最強タッグリーグも行い、世界最高峰といわれたNWAの世界タイトルも日本人で初めて馬場が奪取します。IWGPのために全日本のエース級の外国人アブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜かれると、新日本からタイガージェット・シン、スタン・ハンセンを抜き返します。返り討ちに合い新日本は苦戦します。新日本は猪木の闘魂と言われる激しいファイトこそ人気ですが、外国人は二流で、リーグ戦は羊頭狗肉に終わります。新日本はいつも経営としても、企画全般に今一つギクシャクしていました。そんな劣等生というか、危なっかしいところが猪木側を支えたくなるファン心理かもしれません。 

 ジャイアント馬場というのは、猪木のライバルだったロビンソン、ハンセンを倒した頃を最後にさすがに衰えて、巨体を生かしたユーモアなプロレスの晩年を彩ります。
 猪木は、その鋭い眼光で、体調を崩したり、仲間や好敵手を引き抜かれ離脱されながらも、次々と新たなファイトで格闘技戦、世代闘争、はぐれ国際軍団、マシン軍団と、その時期その時期に新たなファンも掴んでいきます。各世代で出会った、学校や会社などの知り合いでもそれぞれの時期に猪木のファンになったという人も多く、よく騙されているものです。猪木はいわば騙しの名人でもあるのです。

 時にセメントでガチの勝負を行う、道場破り、喧嘩も辞さないスタイルで鍛え上げているプロレスなのですが、裏を返せばやはり勝負として結果は決めておき。決まり事通りにやっているのが日常なのです。

 心底憎たらしいと思う悪役、ライバル役との死闘もですし、権威を持たせるためのタイトル認定団体も、張りぼて、嘘っぱちです。
 或る地区では弱い、日本では強いレスラー、悪役のレスラーもいれば、地元でも正義側に回るのもざらにあります。ロシアやナチスドイツ、モンゴルなど国籍デタラメなケースが多く、兄弟のタッグもほとんど血のつながりがないケースが多いのです。
 ワールドリーグ戦とか、IWGPもそうですが、〇〇代表とか〇〇チャンピオンとかいっても、サッカーのワールドカップやオリンピックの代表のような権威は欠片もありません。経歴、肩書詐欺です。野球のWBCはエキジビションで日本の報道はややこんな傾向にあるのが、アメリカ発らしいです。

 この本にも一部書いていますが、NWAというプロレスの最高権威と言われていた団体が実は相当眉唾な祭り上げられたものなのです。日本に常駐していたタイトルのIWA,NWFとか、PWFが完全なお手盛りなのはわかりますが、NWA自体も架空とは言わないまでもほぼ幻想です。テレビの全米中継もない時代、アメリカ全土を組織しているようなMLBのような組織とはかけ離れた小さな存在だったのです。
 NWAはセントルイスが母体で、ニューヨークは別団体のWWF(一時は傘下も独立)で売上シェア、人口比でもしれています。
 NWA幻想は、まさに私らのタイガーマスク世代の時代の日本プロレスで、当時インター王者の馬場、UN王者の猪木にさらに格上の存在として、NWAのチャンピオンとしてドリーファンクジュニアが来日して二人の挑戦を受けた時に遡るようです。アメリカの情報は伝わらず、地名やそこの人口など日本人が知る由もない時代に作られたハッタリです。
 日本はアメリカにとっても優良なマーケットだったのです。そこで本来、全米ですら権威の大してないタイトルを、世界一のような幻想を植え付けたのがNWA神話の始まりです。
 タイトル、チャンピオンベルトというのは興行の花ですから、地元に一つないとメインエベントで客を呼べないから、団体ができればお手盛りで作るのは当たり前です。ケーブルテレビが広がり、NWAのタイトルも一つになり、ヒール王者が各地のベビーフェイス王者と闘う図式もその後にゆっくり確立されたものです。
 こんなプロレスのような嘘っぱちが、日本の復興、高度経済成長を皮肉にも支えたのです。そしてどこかアメリカ依存の体質と騙されやすい日本人を浮き彫りにしているような気がします。
 それは今のご都合でルールが変わっていくメジャーの野球はじめアメリカ主導のスポーツ中継にも表れます。
 隠れた昭和史とも言える、プロレス興行に中に、昭和の嘘だらけの幻想、洗脳支配の体質が詰まっています。

 

75年前の日米野球

 メジャーリーグの公式戦の開幕試合が日本で行わわれ、かつ日本人選手同士が開幕投手を務め、日本人のスラッガーが双方のスタメンに名を連ねていました。そして、テレビを見た人がそのCMの多さと、そのほとんどが他業種にまたがる大谷翔平さんがらみという驚きの構図で、見た人はもはや洗脳されるようなここ2日間の試合中継でした。
 東京ドームにはいったいどのような特権階級の人が行けるのかとか、いったいどれだけのお金がアメリカ、主催者、MLBや、グッズ関連業者、放送局に流れていくのか、相対的貧困な立場を忘れさせ、庶民はただ一喜一憂のプレイに酔うだけの感じでした。

 公式戦しかも開幕の人気カードを米本土以外で行うというのは、本来禁じ手とも言える、興行優先の選手コンデションも考えない、地元無視な営業です。それでも日米を往復して十分大儲けして帰国の途につくのでしょう。それだけ、日本はMLBの美味しいマーケットなのでしょう。米国内ではバスケ、アメフト、アイスホッケーが強く、サッカーも上昇してきて野球は独占的人気ナンバー1スポーツではありませんから、日本のMLB人気は大助かりなのでしょう。

 確かに大谷翔平選手の身体能力と実力、スター性は群を抜いていてけなすところが見つからないほどです。体格とパワーでアメリカ人に負けない日本人は戦後75年のして、日本人が抱いていた敗戦のコンプレックスを払拭するものです。

 1949年という75年ほど前、戦争が終わって焼け野原から復興しはじめたばかりのサンフランシスコシールズというチームが来日して日本で日米野球が開催されています。主目的は、GHQの米国人とその家族の慰問だったそうですが、国賓級の扱いで日本中は沸き返ったそうです。3Aのチームですが、当時アメリカの事情もわからない日本人は大リーグと思いこみ、田中絹代さんら日本のトップ女優さんらもお出迎え、オープンカーを連ねて京浜国道―銀座へパレードしたそうです。各地で数万人の観衆を集めましたが、日本のできたばかりのプロ球団は0勝6敗で惨敗し、一般もアメリカの強さを感じる中、プロ野球関係者はシールズがアメリカの大リーグの下部リーグの7位と知り絶望するとともに、本格的にスカウトや2リーグ制などの今のNPBにつながるリーグの創設を研究し始めだしたそうです。

 テレビの本放送が1953年でまだその後です。コンテンツとしては日本がアメリカにチームとしては大差をつけられる野球よりも、日本人がアメリカ人を打ちのめすプロレスの方が初期のテレビではわかりやすく人気が出ました、敗戦で自信を失っていた日本人には、さらに米国との差を見せつけられるよりも、嘘くさくても力道山が空手チョップで外国人を打倒する姿が勇気づけになったのでしょう。

 もちろん、その後、高校野球もプロ野球も人気コンテンツに上昇します。日本人メジャーなど夢の夢だった時代から、一人また一人と階段を上るように挑戦者が現われます。

 テレビが当たり前に普及して、ネットも進化して情報はあっという間に早く伝わる時代になりました。アメリカのメジャーリーグを現地とほぼリアルに把握する人もいます。プロレスのハッタリの興行や、3Aを大リーグと誤解させるようなやり方は通用しない時代です。

 とは言え、WBCをはじめ、今回のメジャー開幕戦含め、溢れかえる情報操作は、昔のようなデマではないのせよ、洗脳的な強調傾向はあります。日本人は、いろいろ政治や税金などに文句を言いながらも、高額なチケットやユニフォーム、グッズを買うカモに見られているのも事実なのです。

 相対的貧困から逃れるには、大衆的洗脳に乗せらないことです。

日本のリーグと海外トップリーグとの年俸格差

 日本人アスリートが海外のトップリーグに高年俸で移籍するのは今や当たり前となりました。

 野球でいうメジャーリーグ、サッカーだと欧州のプレミアやセリエA、ブンデスリーガ、リーガエスパニョーラがあり、バスケやアメフトなども懈怠違いの年俸と待遇です。

 海外渡るには一定の制約があるのは別にして、メジャーリーグでいうとイチローや松井の時代から大谷の登場、サッカーもプロができた三浦カズの時代から、中田、本田三苫の活躍する現在になりました。ここ20~30年で体格差も縮まり、技量も拮抗して代表レベルではかなり本場と言われる海外諸国に変わらなくなったのですが、実は年俸の格差は広がってしまい、日本のリーグでちょっと活躍した選手や、才能ある学生が、高年俸の海外に出て行くケースが圧倒的に増えています。

 Jリーグができた30年前、一時的プロ野球の危機も叫ばれた30年前から、日本のスポーツ界、スポーツビジネスは旧態以前としていたのか、経済全体の低迷が原因なのか、海外トップリーグとの差は広がるばかりだったのです。

 これは、アスリートの実力に関係なく、国の経済力の問題です。いわゆる「失われた30年」に重なります。
 何が悪かったから、どこを改革したらというのは一概には言えるほど甘くない複雑で対応もややこしい問題です。一つの対応を書くだけで厖大な長さになりますで別の機会にします。

 フジテレビの問題が出て、オールドメディアという言葉で、旧態依然としたマスコミや芸能界、政治の体制が非難されだしました。このフジテレビの一部の独裁的トップによる発展と凋落もまた「失われた30年」と重なります。

 テレビ局やプロ野球球団の買収問題が出た時、社会はこぞって既得権者、既存の体制を守り、参入障壁を高くして、結果として既存の勢力に独占的な権力を過ぎ、社会から活力を奪ってしまいました。

 テレビ局や野球などスポーツと、日本経済全体は違うと言われる方もいますが、繋がっています。特にテレビなどのマスコミがミスリードしてきたことが大きく、まずはそこから変えないと日本は良くなりません。
 少し論点を変えて、別の機会に続きます。

 
 

かつて相撲界には〇〇時代があった 入院後も休まず27歳で急死した最強の横綱がいた

 1月と2月の大相撲カレンダーに載っている横綱が2月を待たず引退してしまいました。洒落にもならないような話です。

 横綱の貫禄とか出場を決める興行の在り方も、昭和の時代とはエライ違いで、そもそも国技と言いながらも日本人のトップは久しくいません。横綱が在位していても全休の場所が半分近くあり、出場してもすぐ休むという詐欺まがいの興行と言えなくもありません。
 私が小学校時代に、家に初めて届いたカラーテレビで夕方に映ったのは相撲のお相撲さんの姿でした。当時は少し円熟期を迎えた、国民的英雄の大鵬という大横綱がいて、ライバルの闘志あふれる柏戸という横綱もいて、しのぎを削る柏鵬時代の末期でした。
 その大鵬が、若手の先代貴乃花(若貴の父)に敗れ引退したのが1971年、大阪万博の翌年半世紀以上前、まだ私が小学校の6年になった時のようです。貴乃花は小兵で、人気はありましたが大関止まりで横綱には遠かったです。息子二人がその座に就くとは当時思いもしませんでした。柏鵬の後を継いだ時代は、昨年11月82歳で亡くなった北の富士のっ北玉時代です。解説者としての期間の方がずっと長く有名になりましたが、男前で人気もある横綱でした。その名前の玉の方はライバルは玉乃島改め玉の海で小柄ながらも力強く、玄人受けする上手い相撲を取った横綱で人気を二分して、北玉時代が到来したといわれました。
 今よりも厳しい横綱昇進で二人は二度ほどチャンスを見送られます。一人横綱の大鵬の後を継ぐのが明確になる活躍してきた二人です。この時代の名称はその後横綱に同時昇進した不世出の二人のライバルにふさわしかったのですが、長く続きませんでした。
 横綱昇進後は14勝1敗を4場所続け、その後13勝2敗でその次に全勝優勝、それでもこの間に大鵬や北の富士も優勝していて、今では考えられないハイレベルな3人の横綱による優勝争いでした。
 その全勝優勝玉の海が本人の6度めにして最後の優勝になっていまいます。子供心に強い横綱がと信じられない突然の訃報が入ります。なんと技量では北の富士を上回ると言われた横綱玉の海が27歳で急逝してしまうのです。
 以下はWIKから引用です。(太字は私が)
 
 全勝優勝を飾った1971年7月場所前後に急性虫垂炎を発症、夏巡業の最中にその痛みに耐えきれずに途中休場するなど容態が芳しくなく、早急な手術が必要だった。しかし横綱としての責任感と、同年9月場所後に大鵬の引退相撲が控えており、手術して本場所を休場すれば大鵬の引退相撲にも出場できなくなるため、痛み止めの薬を刺し続けながら9月場所に強行出場した。この場所は肋骨を折ったにもかかわらず12勝を挙げたが、これが結果として玉の海の生命を縮めることとなってしまった。

 10月2日の大鵬引退相撲では、大鵬最後の横綱土俵入りで太刀持ちを務め、翌日に行われた淺瀬川健次の引退相撲にも出場した。玉の海は出場後直ちに虎の門病院へ入院して虫垂炎の緊急手術を受けたが、腹膜炎寸前の危険な状態だったという。その時点での手術後の経過は順調で、10月12日に退院する予定だった。なお、この時点で11月場所の出場に関しては未定だったこともあり、本人も「退院後すぐに相撲は取れないが、(巡業先では)土俵下から挨拶でもしよう」と親しい人たちには伝えていたという。

 ところが、退院前日の10月11日午前7時30分起床して洗顔を終えて戻ったところ、突然右胸部の激痛を訴えてその場に倒れた。その時、既にチアノーゼ反応が起きており、顔は真っ青だったという。意識不明の状態で医師団の懸命な治療が行われ、一時は快方しかけたものの、その甲斐もなく午前11時30分に死亡が確認された。27歳だった。
(引用おわり)

 今の横綱では考えられないほど無理をしていたのでしょう。医学、救命措置や生活習慣予防も今のようには進んでおらず、軍隊式の無理が通った時代で、それがいいとか悪いではないですが、命を削ったのは間違いないです。北の富士関や玉ノ海、この時期以降昭和の横綱になった力士もスパルタで鍛えられて、その後もパワハラ的シゴキをやって問題になったりしています。

 この悲劇以降、それでも相撲の世界にも力士の健康診断や、公傷制度も出来ました。

 その後は北の湖と輪島の輪湖時代と言われる時期がありました。無敵の強さでふてぶてしい北の湖に学生横綱から渋い相撲で上り詰めた人気のあった輪島が食い下がる時代でした。
 その後はライバル二人と言われるほどの時代ではなく、一強という感じで、千代の富士時代、貴ノ花が絡むものの曙時代、朝青龍、白鳳と外国人横綱の時代という感じでしょうか。日本人は本当にトップからは遠ざかりました。

 新時代は来るのでしょうか、相撲界に大谷翔平のような逸材が生まれる日はくるのかと思います。
 それにしても振り返ると悲しいような玉ノ海関、ギターを弾きフォークを歌う一面もあったナイスガイだったそうです。27歳で、ライバルの北の富士さんの3分の1にも満たない年数の生涯だったのです。平成から令和まで生き通せた人もいるのにと思うと切ないです。

 

時代を切り開き伝統を破り、目立って場を和ませる人

 今年の日本プロ野球(NPB)のタイトル、ベストナインやゴールデングラブの表彰式で、東北楽天ゴールデンイーグルスの辰巳涼介外野手が話題になりました。顔に金粉で全身金ピカを始め、ちょんまげの侍姿など計4種類のコスプレで関係者やファンの度肝を抜きました。

 元々、野球センスが良く俊足で守備は上手い選手で、ゴールデングラブは4年連続獲得でしたが、今年は最多安打や最多捕殺のタイトルも取り、プレミア12の代表の3番でも活躍しました。阪神の近本選手の高校の後輩あたる兵庫県社高校出身ドラフトでは近本上位ながら、関西での知名度は劣っていましたが、成績も上げながらこのパフォーマンスで一気に注目も浴びました。

 コスプレで目立つのは賛否もあり、当然伝統的な考えの関係者には顰蹙をかい、厳粛な式におふざけなスタイル批判的な発言もありました。しかし、試合ではない表彰式であり、黒っぽいスーツでないといけない規定もありません。
 試合前のパフォーマンスで、もっとふざけた企画もたくさんありました。とくにパリーグは実力もさることながら、やはり人気で劣っていたため、新聞の1面をとるのに、いろいろアイデアを出してパフォーマンスをしていた時期もあります。

 このド派手さに思い出すのは、Jリーグの第1回目のアウォーズのカズ、三浦知良選手の赤タキシードで、爆発からの登場です。こちらも、サッカーに対抗し、注目を得るため、得点後のカズダンスのパフォーマンスや、移動時のファッションなども、当時のプロ野球にないカッコよさをアピールしました。メジャー帰りの新庄監督も、現役時代含め、こういうド派手な登場やパフォーマンスで人気です。
 批判をする人は、何か今までからずっと、黒いスーツで表彰式が行われたか調べてもいないでしょう。新参者が派手にやると潰したいという保守主義のやっかみです。

 私も会社時代も、許される時代になると、ど派手な色のシャツで営業をし、営業部門の表彰式はピンクの麻のスーツで行きました。化粧品メーカーの表彰式に黒ばかりのスーツなどあり得ないと思いましたが、やはり反感もかいました。

 今も昔も、新しいことを進め、伝統を破ろうとすると、
【法律や規定があってできないときもある。しかし、法律や規定があっても、現実には守られていない場合がある】
【法律や規定はないのに、暗黙の伝統のようなオキテがあり、保守主義の人が邪魔する】
【根回しが足りないと、何らのペナルティを無理やり適用され、潰される】
 こんな工程があって、日本ではなかなか改革が進まず、GAFSのようなIT企業もうまれなければ、メジャーの野球や欧州のサッカーリーグよりも低い報酬で国内リーグが膠着し、労働者は今や低賃金のまま劣悪な仕事をしているのです。

 近年は結婚式でもずいぶんカジュアル、奇抜な衣装でも楽しまれています。告別式でも、決して黒という決まりは特になく、戦前はむしろ白い衣装も多かったようです。

 古典芸能のように、衣装や道具がしっかり決まっているものは、それを作り護る仕事も含めて伝統として保護されているので例外でしょう。個人が不利益になるとか不快にならないのならOKのものまで、規制してしまい勝ちなのが、日本の社会です。それ以外は逆に、決められていないことであり、暗黙のルールが負担になり、発展、伸長、拡散の妨げになっては社会が委縮してしまいます。

 もっと、伝統と自由をしっかり分けて、変えるべき改革を早く進めないと国は衰えます。

大谷効果か代表クラスの選手はどんどん強くなっている

 少子高齢化の中ですが、日本のアスリートの活躍、日本の代表チームや選手の国際的な活躍が相対的には目立ってきているように思います。
 かつては、アメリカの大リーグと日本の野球など、情報が届くのも正確に伝わるのも今とは雲泥の差でしたが、とんでもない差がありました。
 1949年にマイナーリーグ3Aのサンフランシスコシールズというチームが来日し、日本のプロ野球やアマの最強チームと試合しましたが、全くレベルの違う内容で大差がつき全勝して帰りました。多くのファンは初めてアメリカのプロ野球チームを見ましたが、まだテレビも普及しない時代で、それが大リーグ(メジャー)のチームだと信じていたそうです。実態はメジャーにまだ行けないマイナーリーグの選手たちが、体格でも圧倒し、日本人の精鋭をきりきり舞いにしていたのです。
 野茂が成功し、イチロー、松井と次々にスターが渡米して活躍を始めて、今や大谷翔平がMVPを取り、体格も技術も劣らなくなりました。メジャーの最強のチームなら、日本人だけではまだ対抗できないでしょうが、3Aクラスならば、もう日本のチームでも十分上を行けるぐらいに、強くなりました。何より、大谷などは、体格、体力でさえ、アメリカ人などに負けないのです。

 戦後、まだ食糧も乏しく、カロリーの高い栄養のある食事もできなかった時代の体格から、大谷などは、もうあの体格になることを狙った食事、節制と練習をして育ってきました。

 サッカーや他の競技、陸上や水泳、フィギュアスケートなどでも、人気があり、お金も集まるスポーツもそうですし、これからのウインタースポーツや、新機軸の競技も日本人のレベルは上がっています。

 サッカーや陸上なども、昔から日本人が取り組んでも世界レベルには遠く、長い低迷期と小康状態の時期がありましたが、最近はナショナルレベルではアジアの域を超え先進の欧米や他の国に追いつき追い越す勢いです。体幹の向上と日本人らしい技術や戦略性の高さを併せ持って活かしているようです。
 長年、情報の伝わりが遅い日本では、海外の情報もデタラメが多く、日本一が世界に大きく劣ることがあまり報道されず、日本の発展を阻害していた時代がありました。
 テレビが、戦後まもなくのシールズ来日時代ばなかったものが、その後からはやっと普及しましたが、ネットがない時代はまだまだ海外に通用するような日本人は少なかったのです。
 今は、海外の情報が早く、正確に伝わり、国内のハッタリが通じないのです。
 今の情報化時代、リアルで欧米での選手の活躍が見られるのも含めて隔世の感はあります。
 もちろん、背景にはスポーツビジネスの大きなお金も動いているのでしょう。いろいろキレイではない面もあるのでしょう。
 しかし、それでもスポーツは1億ぐらいいる日本人の得意な分野であり、今後もそうあって欲しいです。

メジャーと日本シリーズで見えたテレビ局のおきて破り

 日本シリーズが昨日決着して、日米とも野球シーズンが終了しました。DeNAが3位からの日本一というのはまた物議を醸しそうですがこれは前にも少し書きました。
 このシリーズ中、フジテレビが朝のワールドシリーズの録画を夜の他局の日本シリーズにぶつけるといおきて破りをして、NPBから日本シリーズの取材出禁にされるという話題がありました。同局は大谷のプライベートがらみで大谷にも取材拒否にあっています。
 メジャーと大谷は視聴率がとれるから、何をしてもいいという考えもあるでしょうが、テレビ局には原則かぶりをしない、リスペクトをするという暗黙のルールがあります。

 オリンピックやサッカーのワールドカップの代表戦でさえ、日本シリーズとはかぶせない配慮をすることも多く、まして同じ野球で調整のつく録画の再放送をあえて同時間帯にするのはやはり、良くないとはいます。ましてフジサンケイグループは同じNPBセ・リーグ、ヤクルトスワローズのスポンサーです。逆の立場で同じことをされたらイヤでしょうし、読売だって自分とこが敗退したとしても長年野球を支えてきているだけにこんなことはしないし、抗議するでしょう。

 野球界にとって日本シリーズは最高峰のリスペクトすべき存在であり、あのカリスマ的人気者の新庄監督も日ハムに監督に就任して自分の発言に話題が集中する時期でさえ、日本シリーズ開催中はあえて取材をことわり、発言を抑えていたと言います。それだけ、リスペクトすべき球界の最高峰の試合だし、そこをないがしろにすると球界の土台が崩れるからです。

 野球界は確かに古い体質のある業界ですが、こういう慣習は大切にすべきです。人気が出れば良いということではないのです。今のマスコミにしろ、他の業界にしろ、人気だけでその場が売れれば良いという考えが罷り通る風潮です、しかし最高峰の権威を無くしてしまうと歪なものになり、やがて業界全体が衰退し、ダメになってしまうのです。

朝ワールドシリーズ、夜は日本シリーズ,その野球格差 – 天使の星座

朝ワールドシリーズ、夜は日本シリーズ,その野球格差

 時間のある方、野球に興味のある方は。朝ワールドシリーズを見て、夜に日本シリーズを見るというのがこの1週間ほどではないでしょうか。

 大谷という不世出のスターがいて、やはりパワフルでスピードもあるメジャーを見ると、日本のチームは応援したいものの、日本シリーズはチマチマと見劣りする印象もぬぐえません。メジャーの録画は見ても日本のは見ないと言う人も多いです。

 かつては、巨人中心のプロ野球が毎晩地上波で高視聴率で中継されていたのに、いまは日本一を決める試合こそ中継はされますが、スポーツの人気も分散、娯楽も多様化しており。注目度は低いのです。

 前にも書きましたが、コンテンツとして時間が長いのと、ルールやレギュレーションが難解で、シリーズでも字幕で選手はもちろんルールの解説が入ります。ルールが分からないマイナースポーツのような扱いです。

 しかしメジャー渡航比べられると。日本の野球時間がかかり、スピード感そのものもないのは致命的です。

 投手の投げるまでの時間を決めたピッチクロック制、延長決着を早めるタイブレイク制など、細かいルールの違いは置くとして、今回はこれもわかりにくい、リーグ優勝の決め方とシリーズの出場の決め方を書きます。

 今戦っている横浜DeNAベイスターズはセリーグ優勝チームじゃなく3位なのです。セリーグ優勝は読売ジャイアンツなのですが。3位のチームがクライマックスシリーズの勝ち、セリーグ代表はベイスターズなのです。

 メジャーは地区優勝シリーズ、リーグ優勝シリーズを経て、ア・リーグとナ・リーグ優勝チーム同士がワールドシリーズを戦います。

 日本シリーズは盛り上がらないのは、それだけではないですが、日米のプレイオフにはそれだけでも差があります。

 3位のチームが進出して日本一になれば、そのリーグには日本一とリーグ優勝チームがいることになります。ごまかしの「下克上」なる言葉で矛盾を誤魔化し盛り上げようとしていますが、結局興行の看板優先でおかしなことになったままです。わかりにくいの一言に尽きます。その原因は古臭い伝統のため変わらない体質です。

 結局、日本の野球、とくに一番伝統と人気のあるプロ野球が大きな改革が遅れ、小手先で遅れて、アマ野球や女子など全て導入しているタイブレイクも今だ導入できないでいます。だらだらと延長をやった末に引き分けという不透明であいまいな上、リーグ戦順位を勝率で決めるのに困った試合結果を繰り返しています。最低でも、勝ち点制にしないと、電卓がないとシンプルに追いかけられない順位などありません。引き分けがなく、相手を上回らないと勝てないと戦術もアグレッシブになり盛り上がります。

 投手交代や牽制の制限、ピッチクロック制と同じくメジャーはシンプルにスピーディに楽しめる結果を出しています。メジャーの人気は日本人がきっかけでもそれだけではない面白さ、派手さがあるのです。

 日本シリーズに出場を決める、クライマックスシリーズで言えば単純に「優勝決定シリーズ」にすればいいのです。なくせばいいという意見もあるでしょうが、興行として成り立ち、消化試合も減り注目度が上がる現状で言えば、優勝チームといくらゲーム差が離れていようと、プレイオフはあれば良いともいます。143試合ほど戦ったペナントレースで1位でも優勝じゃないというのはおかしい!というファンもいますが、1位は1位で、あとにトーナメントがあればそこへ優位に進出できる権利があり、そこを通り抜けたら「優勝」そして、優勝チーム同士で日本シリーズ、こんなシンプルで当たり前のことができないほど、日本のプロ野球の体質は古いのです。
 何度か指摘もされ、議論もありましたが、プロ野球のトップリーグは他のスポーツよりもまだまだ人気があるのに、チーム数が少なすぎるのです。参入障壁があり、四国や北陸など全くチームのないところもあります。チーム数が増えれば、リーグ優勝を地区での予備決勝を起きない、決定シリーズが組めます。
 人気球団に頼り、制度が変わらなかった問題がここにありました。チーム数が増えれば、いろいろ片八百長や忖度試合も減り。レギュレーションに問題があっても最後の短期決戦で強いチームが勝ったと納得度は上がるはずです。

 その当たり前のために、チーム数を増やすとか、ペナントレースや交流戦の在り方も変えれば良いのです。試合全体とポストシーズンの数が変わらなければ、スポンサーも人気さえ出れば文句ないはずです。