旬の時代が早く過ぎる

 一人の女優さん特にメチャクチャ推しでもないのですが、何だか時代の流れの速さを痛感したので話題にしてみました。

 広瀬すずさんの熱愛報道が出て、引退がささやかれてます。

 そのちょっと以前から、たまたまトーク番組の内容で、何だか残念というか心配なことをしゃべっていたので、何か伏線だったようです。

 雑誌モデルなどを経て2015年の映画「海街diary」で新人賞、助演女優賞で注目され、その後「ちはやふる」や「チアダン」など主演映画もヒットする。完璧に近い容姿と演技力で席巻し、2019年にはNHK朝ドラ「なつぞら」主演、紅白歌合戦もその前年から2年続けて司会をこなしました。昔は若手女優の登竜門だった朝ドラに今さら広瀬すずという最強のビックネームをという感じでしたが、あれが3年ほど前20歳過ぎた頃でした。

 いわゆる顔面偏差値の高い、瑕疵を見つけるのも難しいような美人女優で、これから一時代が来るのかと思われました。

 私自身はアイドルの群雄割拠時代で、美人過ぎて個性がないような感じで特にファンではありませんでした。滋賀県で仕事をしていたので、女性だけど広瀬すずが好きだという同僚がいて、いろいろ魅力を教えてもらったり、ちはやふるの映画ロケ地を辿った思い出がある程度でした。

 もちろんどんどん演技も達者な、美しい若手女優が後から後から出てくるのですが、2020年を過ぎて、明らかに広瀬すずのパワーは落ちます。旬が過ぎたのか、元々コアなファンが多くなく作品にも恵まれなかったのか。ちはやふるでは引き立て役のような助演者の上白石萌音や清原果耶がその後の朝ドラに抜擢され、「旬」はそちらに行ってしまいます。

 前出のトーク番組で語った。10代前半の小さい頃から姉を追いかけて芸能界入りして、「ほとんど学校生活も青春も恋愛も経験がない。恋愛も青春もこんなもの何だろうかなと想像して演技していた」

 何だか、それを言ったらおしまい。俳優としては禁断の発言のような気がします。女優として虚構に生き続けるより、リアルな生き方をしたいとの願望だったのでしょうか。

 私の友人が好きで推した、新人の頃の情熱があり、ひたむきな演技は徐々に消え輝きを失ったのは、そのあたりが原因かもと想像します。

 昭和の時代の吉永小百合さんのように時代を築き、ブライベートをあまり語らず見せず生涯女優として生きていく人などもう出ないでしょう。

 「なつぞら」の主題歌だったスピッツの「優しいあの子」は今もよく聴き歌います。散策した近江神宮のみどり紅葉を思い出すと、わずか3-4年で時代が流れ、人はターニングポイントを迎え、悩み抜く時を経ます。旬の人やモノがだんだんと置き換わっていくなあと少しセンチに切なく思います。

「見逃し」の無い時代

 私の子供が小さい頃、地方に住んでいたのでたまに関西でしかやってない映画や子供が喜びそうな番組を親が録画してくれていました。
 操作もままならない老夫婦が頓珍漢なこともしていました。まだVHSが往生する寸前ぐらいでその後DVDだと機器の互換性が下がりそんなことも難しくなりました。
 今はリアルで視聴できず録画もできずとも、見逃し配信サービスがあります。昔の映像、映画やドラマもBSやCSはじめその他の配信サービスを探せば、問題があって放送禁止以外はたいてい見れます。
 チャンネル争いで兄弟げんかしていたころに比べると、テレビが見れなくてもすぐスマホというのが今の子供たちです。
 昔の優れたものとも対抗していかないといけない今の制作者はそれなり大変です。その上、多チャンネル化、働き方改革、テレビ離れで予算も時間もないのでしょう。
 それだけテレビ地上波もスカスカになってきています。
 ちょっと前に引退した先輩が暇で鬼平犯科帳ばかり見てるというのを、バカにしていましたがそんなものなのかもしれません。

昭和33年 映画が娯楽の全盛 都会と地方は格差はもっとあった?

松本清張原作、野村芳太郎監督の『張込み』上映は昭和33年1月でした。日本の映画館入場者数は昭和33年(1958年)に年間11億人に達し、入場者数がピークになった年でした。
 街の大きな娯楽や、情報伝達も映画だった時代で。テレビの家庭への普及は翌昭和34年の皇太子ご成婚(平成の天皇)が契機ですから、映像ニュースは映画館が主流だったのです。
 清張原作の短編をより人間の業、情念を深く描いているとともに、時代の風俗、都会と地方の情景も良く描かれています。
 鉄道マニアには冒頭出てくる、東京発西鹿児島行きの「急行さつま」帰路長崎からの「急行西海」の映像も垂涎ものです。ときおり映る機関車、駅名標。沿線風景も貴重な映像ですし、このような長距離を立ったままや、硬い直角の座席で一昼夜過ごす旅も過酷そうですが当時は当たり前だったのでしょう。
 ストーリーとしてはネタバレにもなりますが、平凡で地味な日常に終始する28歳の主婦が究極的な選択の運命に翻弄されます。年齢といろんな習慣、世相も今とは違いますが、なかなかにどんな時代でもあり得る選択肢です。
 戦後の復興、地方にも活気はあったのも描かれています。しかし首都圏までの交通の便や、文化やインフラは大都市中心に進んだことも如実に分かります。地方で犯人を追いかける刑事が走る道がまた舗装もされず過酷なのです。すでに多くのネオンの描かれた東京との格差はある意味当時の方が大きかったかもしれません。

「Fukushima50」名も無き人たちが日本を救った

門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作とした映画「Fukushima50」が公開されました。
やはり涙なしには見れませんでした。
9年前、テレビ報道でこの一連の原発事故を一喜一憂しながら見ていた世代でも詳しい内情はもともと知りませんし、忘れていたこともあります。
今のこの映画の評判にしろ、原発関連のいくつもの本も、推進派反対派左右に分かれて恣意的なものも多く、全ての真実を知ることはもはや難しいかもしれません。
しかし米国や海外から賞賛された、命を張って大事故を防いだこの50人。「Fukushima50」が早々に逃げ出していたら東日本は壊滅的な打撃へと広がっていることは間違いありません。
総理や東電幹部の当時の言動や行動を今さら批判してもしょうがありません。我々離れたところの一般市民も同じです。
その現場に居合わせ、その原発に携わった運命に逃げることなく、(あるいは逃げられずでもいいでしょう)日本を守り故郷の被害を少しでも食い止めた彼ら。そして消防、土木、警察、自衛隊などの人々もよく仕事をしてくれたのです。
美しい山河、恵まれた文化、産業、伝統ある日本を縁の下で支えるのは常に名前が世間にそれほど知られることもない人たちです。
山奥に道路や鉄道、電柱、鉄塔を見るたびにそんなことも思われます。