寒さのピーク、折り返し

 今年は特に寒波が何度も訪れ、長期予報通り「寒い冬」となっています。
 暖冬傾向が続いたのでひと際寒さが身に染みます。
 日本列島は長いのでもちろん、南北と、日本海側と太平洋側で違いもありますが、概ね寒い冬で1月の下旬までが寒さの底と思われます。
 2月も地域により積雪は多いですが、日照時間も長くなりどこかにもうすぐ春を感じさせることが多くなります。冬至を過ぎたあたりからも、日没は少し遅くなり、風は強くても日が差すと少し温まります。寒さの底を感じ、底であるということは、これから少しずつ上昇するということです。

人生模様 いろいろ

 昨日、年は同じくらいの退職組で集まって飲んでいました。
 時節柄コロナ、震災、退職前の会社の思い出、変わる会社や社会そのものも酒の肴にしてました。やはり、定年後の家庭もそれぞれです。
 堅実な方はやはりシュリンクした生活をきっちりされている。
 企業時代は上位職で、交通費も交際費も会社が持ってました。
 そんな人でも今家事を中心にひっそりした生活をされていました。
 たとえ蓄えや年金が多くても早々遊んではいられない。
 10年以上前なら、そこそこの役職でリタイアした方は海外旅行など悠々とされて使い切れないくらいの退職金、年金だったようです。今はなかなか働くのに職もなく、年金待機までが厳しい時代です。
 少し目線を変えると、アスリートも体操の内村の引退会見、女子駅伝の福士のラストランも目に入った日です。トップであり続けるのは30代後半からものすごくキツイのだと想像されます。そしてトップであれ、そこに至らないレベルであれ確実に若いうちにリタイアが来ます。次の人生の頑張り、悩みや葛藤を乗り越えていかないといけないのでしょう。
 

突然の災厄は来る、明日死ぬと思って目いっぱい生きる

 明日1月17日は1995年に阪神淡路大震災が発生しました。関西ではとくにこの週震災特番が放映されたりします。
 そんな中、昨夜からの南太平洋トンガの噴火で津波警報が発令され三陸沿岸など東日本大震災で津波被害を受けた地域に避難勧告がでています。
 新型コロナウイルスがオミクロン株へ変異して重症化は少ないとはいえ感染者は過去にない上げ幅で増えています。
 ストレスが溜まるのか、自殺者や道連れを図った事件なども目立ちます。
 日本列島はこんな危険と隣り合わせのものです。
 明日死ぬとしたらどうするか、今日をどう生きるかなのでしょう。
 とは言え、小さな目の前のことにくよくよしたり、変に拘ったりしてしまうのが人間です。常に明日を生きる人のために最後は何かを残す毎日にしたいです。

 未来の日本を支えろ、変えろ受験生

 大学共通テスト、新型コロナ感染や濃厚接触のフォローが後付けでいろいろ。インフルで受けられなった以前の年に比べてどうなのでしょうか。レギュレーションの違いでの運不運、それも試験されているのだろう。
 コロナ対応に不満があるならエライ厚労省や文科省、財務省、法務省どこでもいいからトップ官僚、政治家、医師会牛耳るぐらいの存在になってください。

「社会のルールは頭のいいやつの都合のいいように作られてるんだ」
「損して負けたくなかったら勉強しろ」
 ドラマ化もされたマンガ「ドラゴン桜」の名言です。
とりあえず頑張れ、受験生!君たちが未来の日本を支えることに間違いありません。社会の矛盾や理不尽はいっぱいある、志高く制度を変えられる強く健やかな人間が必要です。

紅白司会の変遷で見る女性の社会進出?

 民放の朝のニュース番組などは女子アナの方が多いくらいで、NHkでさえ女子と男子は同数、才色兼備の女性アナウンサーが視聴率を左右する時代なのだと痛感します。

 女性の社会進出ととらえていいのか、男性目線の世界が続くからなのかは微妙なところではあります。
 NHk紅白歌合戦もこんな時期で遅い話題ですが、テレビ離れで視聴率は下がったとも言われますが、それでも今の時代でものすごい占拠率、視聴率です。司会陣も総合司会女子アナ、男女がそれぞれ俳優や歌手というパターンになりました。昭和の時代は高橋圭三、宮田輝、山川静男など流暢な名司会をアナウンサーがやっていました。まあ当時女性はアナウンサーといってもアシスタント的な存在でした。
 そういう面では女性が数だけでなく、中心的な仕事をしている時代になったものです。
 会社の企画とか営業も女性の数、割合も増えました。もちろんいろんな面で容貌やら女性らしさを活かして頑張っている部分はあります。異性の目線を利用するのはそれは男性も同じですから、男女の活躍の場はだいぶ均等になる職場も増えたということでしょうか。

買い物先は税金をどこで払っているか

 私は商店街の店舗兼住居の家に生まれた商売屋の子供です。父親も商店街の理事や業界の役をしていたので地元商店街の付き合いもあって近所で買うのが当たり前でした。
 幸い京都の中でも大きな商店街で市内北部や亀岡あたりまで商圏を誇ってそれなり何でも揃うので日常生活には困りませんでした。
 しかし百貨店、繁華街の高級ブランド店などでないと一部揃わないものもあり、そっちへ行き買って持ち帰るときは少し包装やバックを隠してこっそり持ち帰ったものです。
 一時後継や業種による淘汰で、閉店も増えシャッターのままもありますが、今は大手ドラッグストアやコンビニ、個性的な店も増えています。それでも買い物の形態も変わり、昔ほどの活気はないでしょう。
 本当の地元にお金が落ちて、自治体の税収につながる個人店がどれだけあるかと思うと寂しいものです。
 そして、今はもう近所はばからず、マンションや店にさえamazonなどの宅配便も来ます。郵便が来ない休日も夜も来るのは軽トラックに積まれた夥しい数の段ボールです。ネット通販大手、これらの収益による税金は、地元どころか日本にさえ落ちてないのではないかとされています。
 買うほうにすると、確かに早いし品揃えも違いすぎます。ドラッグや激安スーパーには価格で勝てず、ネットには速さや品揃えで勝負にはなりません。それでも地元に貢献するつもりで、多少高くもいい店にはお金を落としてあげるのは日本人の持つべき人情です。

【死生観4】生物が死ぬことは次世代を生み、社会に役立つ

 日本人の寿命を戦前戦中と比べたり、人間と動物の寿命を比べたりすることがあります。しかし前提として、いわゆる寿命をまっとうする生涯と、不慮で死ぬケースを同列にあつかってしまう計算になります。
 動物の場合、元々繁殖を終えたら死が待っているとか、数多く生まれ肉食の天敵などに捕食されて死ぬのが大多数の寿命だったりします。
 捕食されたり、土に還り植物や他の生物のためになります。
 人間は知恵をもって生まれているため、最も死を恐れてしまいます。
 私の友人にも優れた才能を持ち努力もされ、素晴らしい人生を送っている人が何人もおられます。
 いくつもの事業を手掛け、多くの夢を実現して人の何倍も人生を楽しんだのでいつ死んでもいいぐらいと呟いていた方がいます。60歳も過ぎこれからは人生のボーナスステージだと、力を抜きながらも、さらにいろいろ挑戦されているようです。
 一方別の友人は、このコロナ禍で移動やさまざまな制限で仕事も余暇も満足に過ごせずに、家族のロスやペットロスも重なり、不幸や不満ばかりぶち上げストレスをため嘆き悲しんでいます。
 生きている者が老い、死ぬのはごく自然当たり前のこと、多くの人が聞けば分かっていることですがいざ自分の目の前に来ると受け入れがたいものなのでしょう。本当の意味で死が地球全体、社会全体への貢献と思えれば、もう少し軽くならないのかと思います。
 いつ死んでもいいというぐらい、人生を全うした気持ちには私もなかなかなれません。自分はその友人らに比べても凡庸で才能はありません。それでも、20代や50代で親を失くしたり仕事や人間関係で悩む人に比べ、60歳で、自分の健康や先行きが不安だとか、親が死ぬ友人が離れる、飼っていたペットを失う等という悲しみは悩みは俯瞰してみれば小さいものです。
 かつて人生50年とも言われた時代もあり、30や40で死ぬのも多くあり、60歳まで生きられた今、こんな時代に生を受け、食べるものに困らず生きてるだけで丸儲けとしないといけません。
 もちろん経験を活かし、向上心は必要ですが、すべては自己のためエゴではなく。社会のため子供たちのためと思えた時に、いつ死んでもいいと思えるのでしょう。【完】

【死生観2】尊厳死と延命

 戦中戦後の戦死や特攻が美学だった時代が去り、食べるモノが少なく配給や不衛生、闇市などで飢えを忍んだ時期を終えると、日本人は高度経済成長期を迎え一気に飽食の時代を迎えます。
 安全や衛生状態改善、栄養不足の解消で子供や若くして亡くなる命が減り、医学も急速に進歩していきます。死因となる結核などの病気もどんどん克服されて、寿命は伸びていきます。
 それと同時に、死と生の美学、意義はあいまいになり、医学によってただ生きながらばよい、身体に道徳がついてこなくなります。
 親を老人ホームに入れるなど昭和の時代には罪悪感のあったようなことが、今は介護施設、高齢施設、デイサービスに委ねるのは当たり前、順番待ちの時代です。
 人間としての盛り、旬を完全に過ぎた人が、毎日毎日無気力に車いすで、介護施設のバンに乗せられ、送られていって、また帰ってきて出迎えられます。もちろん家にいるよりたぶん多少なり、充実した時間、快適な入浴やリハビリ等をしてもらっているのでしょう。昔の大家族なら誰かがやてちたフォローや、できない場合自分の身体をギリギリまで動かしていたことを今はお金や保険制度で他人がやります。
 そこに高齢者の尊厳は薄れているといえないでしょうか。
 食事することができなくても最後には胃ろうでも生きながらえることはできます。私の親などはその選択はしませんでした。自分で食べて、自分の足で歩くことに尊厳をもっと持たせないと、動けない老人が日本中にこれからもっと溢れます。
 健康寿命という言葉がようやく着目されています。もっと苦しくても歩くことや、食事を作って食べる、身の回りをかたずけ掃除する、体操をするなど、リハビリ以前、病気以前にやるべきことを医学界、厚労省は考えるべきです。そこに薬や治療、介護と同じ程度の予算や保険からのお金が回る仕組みを政治がつくらないと老人大国は成り立ちません。
 コロナ禍でそのことがさらにあぶりだされます。(つづく)

【死生観1】 訃報

 60代ともなると子供の頃、若い頃見聞きし憧れたスター、著名人の訃報に良く接します。そろそろ同年代の死、自らの身体の不調、衰えも感じだします。「老い」と「死」が迫っていることに苦しみを感じながら目の前の「生」を過ごしていく時間です。
 結局は若くとも「死」はいつ来るかわからないものです。
 歴史上の人物など20代で名を残し偉人も多く、50まで生きいれば長生きだった時代が長かったはずです。
 当時の『死生観』生きること、死ぬことと、時間の感覚は、戦後医学も発展し豊かになった今の日本と随分違います。
 切腹や特攻など、昔も死は怖かったけれど、いつ非業で死ぬか分からないので潔く死ねるなら命を美しい形で捧げたような感じがします。
 死への覚悟ができてこそ、生きること、生きている時間を大切にし、残された者への伝承などができるのかもしれません。
 事故や災害で多くの人が亡くなった場合でもそうですが、旅立っていったものの不幸を嘆くのだけでなく、残された自分の運命を知り、何をしていくかもう一度見つめ直すときでしょう。

うまくいかないとき、励まされるちょっとしたこと

 こんなことでは天使が降りてこないと分かっていながらついつい悪弊から抜け出せない。
 クリスマスから年末年始はやはりお祭り的気分の高揚もあります。初売りの終わったスーパーの売り場が少し寂しかったように、イベントの終わった日常がつまらなく倦怠や、気持ちが沈み勝ちな人も多いのではないでしょうか。私もそうです。
 失敗をして、くよくよおどおどしてしまう。もうイヤだ、向いてないやめてしまおうと思うことが何度でもありましたし、今でもそんな時が巡ります。
 スランプの脱出法は過去にも書いていますが、落ちることも私自身よくあります。
 今日はラジオのパーソナリティの言葉、ドラマの登場人物の言葉、立ち寄った書店の本、読んでいた小説の文にそれぞれ励まされました。

 きっかけは大したことでもなく、立ち直りもそれなりです。
 ストレスの9割は対人関係だそうです。ただ人と交われば軋轢が生まれるのは当たり前です。そこから学習、成長、進歩などあります。こればかりはすべてオンラインは難しいでしょう。人と交わるからいろいろ生まれる、いいことも悪いことも、イヤなことも含めて人生呑み込んでいくということです。どうしてもイヤならそれはそれで逃げ出してもいいのです。それで成功の道もあります。
 いろいろ交わって試してみるしかないです。