処暑:24節気:乙女座

猛暑の真っただ中、処暑という24節気を迎えます。今年もそうですし、まだまだ残暑という年が多いですが、日の出は遅くなり、日の入りも早くなります。
熱帯夜もあり、特に湿気の多い日は過ごしにくいです。それでも朝晩、確実に秋の気配は近づいてきます。蝉の声もだいぶおとなしくなり、秋の虫が鳴きだします。
星座はしし座から乙女座のソーラーリターンへ。ちょっと真夏の男性っぽい勢いからは、しっとりとした感情の期間になるようです。
個人的にもこの季節、夏休みが終盤で地蔵盆などがあり、少しさびしくなり物憂げになります。

未来を想像しながら今日を生きよう!【2】

限界集落という言葉を耳にされたことはあるでしょうか。
正確な意味はわからなくても過疎で高齢で、どんどん人口が少なくなり見捨てられる地域というイメージは湧くと思います。
65歳以上が過半というのが定義で、離島や中山間地域に多い傾向です。昭和以前にもあったのですがインフラは整備され災害対策はされても、死去や流出で人口は減少し、少子高齢化の波にどっぷりつかっています。
提唱された時には一部の寒村だけだったものが21世紀に入り、令和を迎え、その数は増えていきます。平成の大合併で自治体そのものは吸収されても、本体の市に限界集落を助ける財政基盤がないのです。電気や上水道、道路等のインフラを整備して減少する集落を助け続けることは大きな負担になっていきます。一般市民の市街地のインフラ維持さえ難しい状況なのです。
観光資源や森林資源等、必然の少ない居住エリアは、先祖代々守った土地の人には申し訳ないですが非居住エリアとして、別の地域に移ってもらうことを考えざるを得ないのです。
そういう未来が20年のうちには確実に来ます。賛否はあるでしょうし、狭い日本にどれだけ居住エリアがあるのか、その予算はどうするのかと反対する方もいるでしょう。一時的に移住の予算や仕組みの構築は必要です。コンパクトで効率の良い国土で交通至便で、インフラ整備された買い物や医療も整った地方の中核都市には受け入れの余地はあります。入居の減った公団やかつてのニュータウンやマンションを再整備するのです。転校などでのいじめや差別のケア、地域の受け入れ理解は必須です。
人口はっ減っているのそこまで不便なところに拘らずとも、住みやすいところは沢山あります。
東京や首都圏はこれ以上住むことはできないので除外します。新幹線やリニアで東京にも至便な地方都市は沢山あります。
整理すると、地方の中で限界集落といわれるところは切り離して、非居住エリアとしていく方向になっていきます。中核地方都市に移ってもらう時代が来ます。
いろいろ抵抗も反発も考えられますが、よく説明を行い補償をして早急に進めていくことが、日本の未来を良い方向に導きます。
いくつかの未来の提言は見方によると弱者の切り捨てのように見えますが、国の破綻や全体的な沈没を防ぐには止むを得ない選択なのです。
廃藩置県後の数年のドタバタで明治時代に定まったままの都道府県もそろそろ見直し、破綻の兆候が見られます。地方自治は必要な権限で今まで以上に必要ですが、実質死に体となっていく県と大都市圏入る県の知事がどうレベルの権限の時代は終焉します。
県によれば2040年くらいまでに半数が消滅や破綻の危機を迎えます。(つづく)

未来を想像しながら、今日を生きよう!【1】

2020年降って湧いたコロナ禍で、いきなり前が見えないくらいの絶望に落ちた方も多くおられます。未来や将来どころか、1年先、半年先が見えない。今日明日をどうしのぐかという方も増えています。
しかしまた、この局面でこそ多くの人が未来を考えて行動しないと、人類や国家の先行きは危ないのです。言うまでもなく未来は今、目の前の利益や恩恵だけを考えていては、成り行きだけのものでしかありません。全ての人が自分の子や孫の世代に、どういう社会になっているかを考えて今できることをイメージして、いい方向に共有していかないと明るい未来は成り立ちません。
行政や政治、学者が考えればいいのかというと決してそれだけではありません。
ではお上に任せ、増税は良いのか、地方の切り捨て、高齢者や困窮者の福祉、雇用は、地球環境は?
本当に政治に任せておけると信じている方は少ないでしょう。
示される未来も努力目標も決して楽なものはなく見たくない絶望的なものもあります。政治家は目先の選挙もあり、「とりあえず大丈夫」という根拠のない安心を繕います。
コロナはいろいろあぶりだしたものもあります。オリンピックを始め、工事の遅れ等を鑑みるとリニアやIR、その他の事業や大型イベントが先送りになって行きました。
反面、速度を上げて見えだしたものもあります。いわゆるテレワーク、オンラインでの会議や学習等すでに技術的にはあったものの顕在化です。なかなかリアル信仰みたいなものがまかり通って実現できなかったことが進んだのは実験としても半強制され、課題も見えました。
ただ、加速したものは概ね負の要因も伴う大きな変化、変革と言えるものも多いです。
この項目は日本だけでも多岐にわたり何回かの機会に分け述べることになると思います。
代表的なのは、伝統的なお祭りや花火などの行事が中止、大幅に縮小されたことでした。
コロナが無くても10年か遅くとも20年のスパンでこういう問題は担い手の問題や採算ベースで無理になってくるので合理化は予想されたことです。
たとえば歌舞伎、人形浄瑠璃、伝統芸能でも国や自治体の支える部分を削れば反発もでます。
でも命にはかかわらない支出なのでやはり公的な支援には限界が来るときがあります。
医療や保健を削れば今回のような疫病が起ればまた大変です。
保健所がリストラされた後だったので、今回の感染拡大になかなか人員的に対応できなかった。行政の規模縮小問題。今回公務員給与は減らなくとも窓口にあふれる申請者、相談者への対応に追われ、マイナンバーなITの遅れ、システムの遅れも深刻な予算不足からです。
前月には大雨で多くの河川が氾濫し、護岸の土木予算や人員が必要なことも分かりました。インフラも新規にも維持にも予算は必要です。そして雇用や労働、景気、、。

すでに財政が厳しい国家は打ち出の小づちを振るうわけにはいけません。国家もl国民も優先順位をつけて取捨選択をせざるをえない。大きな変革の波がきます。国家は破綻することはないでしょうが、今まで持ち続けていたものや価値観は捨てさせられる。そんな時代がやってくるでしょう。

「コロナ」インフォデミックで経済崩壊2

コロナの情報の煽りにより、都会でも地方でも差別が起こっています。そして職業により経済的に危機に陥って人はコロナの患者どころではないのです。
国もなけなしの予算で給付や支援を行うが、結局第二派等と言われもうアウトになってます。
今、冷静に歴史を見れば誰もが、戦前の同調圧力、特攻も婦人会も憲兵も酷かったというでしょうし、ハンセン氏病への偏見も差別も許されないと憤るでしょう。
ただそういった正義感のある方が、結局はころりと「煽り」で騙され、「コロナは恐ろしい!自粛しなければだめだ!」
営業してる飲食業や、旅行や宴会をした人間、たまたま罹患した人間を糾弾する。経済は委縮します。バカな自粛警察が経済を殺し、日本をダメにします。ネットもマスコミも信じきれるものではありません。日本の伝統的な祭りも帰省も花火もイベントも中止させて、何がしたいのでしょうか。
何人の未来への希望を奪ったらすむのですか。
特攻で散った若い人は無念でしたが、それ以上に軍部や体制に同調して住みにくい社会にしてしまう愚民の圧力が日本の社会をダメにしました。マスコミや学者含め戦前と同じようなことが繰り返されるのには辟易とします。
結局は重症化するわけでもないコロナの陽性者の数だけで経済を止め、GDPが3割吹っ飛んだのです。これは場合により人数比で荒い計算ですが、3千万人くらいの人が塗炭の苦しみという数字なのです。コロナの病より明らかに圧倒的に多くなります。
絞った知恵の、GOTOキャンペーンですが、元々国内の需要ですから、みんなに説明不足、理解不足で共感が得られてないと成り立ちませんでした。なんとかみんなが助け合って地元の産業、観光や飲食居酒屋も支えないと経済は回らないです。
コロナでも安定した収入を得ている方やセミリタイア組に限って、妙な正義感で自粛に拘り、収入の減っていることの厳しさが分からない方がおられるのです。コロナより怖いのは人間です。コロナよりもっと怖い未来が来ます。

インフォデミックで、経済崩壊

4-6月のGDPが前年のほぼ3割減。お盆や夏休みも自粛や第二波が来たとも言われ、結局前年比2割くらいのピークに終わりました。この先の今年度の回復も極めて厳しい状況です。
厚労省とその取り巻く医師会や製薬業界のムラ集団はそれでも、潤い利権の恩恵を受けているのでしょう。重症患者も少ない医療現場も逼迫していなこの状況で、マスコミと一体になり感染者数を煽りいまだに自粛を促しています。
たとえば、バーを経営されている方、カラオケスナックで働く方。この人たちは簡単に思われるがもう完全に自営としての仕事がいきなり営業停止を2ケ月くらい、再開には消毒やソーシャルディスタンスの設備で、満席でもペイしない状態で、なおかつ客は戻ってこない。
概ね全国の接客を伴う夜の商売がこうい状況なのでしょう。
もちろんホテルや旅館、土産物店も酷い状況でしょう。
一部の医療やテレワークの関わる産業を除き、日本の名だたる企業が減収減益です。
経済や感染防止かと言われ議論もされています。
この期におよんで、まだお盆に帰省をするなというた情けない県知事も数多くいます。
いくら田舎の封建的な集落の多い県でも、帰ってくるなは無いと思います。
同じ日本人同士、近所にコロナがでようがインフルがでようが空気でウツるわけでもありません。
テレワーク、オンライン帰省、AIや宇宙旅行という時代に、戦前のムラ八分や婦人会みたいな、自粛警察という暴力がまかり通る。
誰もそんなに重症化ていない。高齢者が死んでいくのと、若い人が亡くなるのとでは本質的に意味が違います。これは61歳の年寄の私が言うのです。最終的にコロナに感染する、死ぬというのはその人の運命寿命なのです。
高齢者は自覚をもって自己防衛には努める。差別ではないです。やはり子供や20代30代で死ぬのとは深さが違います。
年をとったら風邪をひいても肺炎になり危険なのは、今さら専門家に聞くような話ではない知れ渡ったことです。
冬は寒く乾燥し、風邪もウィルスも重篤化しやすい。夏はむしろ熱中症の方が老人には危険な場合もあります。こんな当たり前のことがコロナだと何か別次元の数字で規制、産業まで圧迫しています。
実家に帰ることまで、隣人に非難されるようなことは、自由主義の国では人権としてもあってはいけないですし、そこに毎年生まれていた経済活動が損なわれることになります。人間の大切なもの感情が失われます。
9月の3連休も厳しそうな情勢ですが、波が変わり、馬鹿げた煽り自粛、インフォデミックが収まりせめて正月にはいつもらしい活気が戻りますよう切に望みます。

政変の星

アメリカの大統領選挙が今年行われる予定です。日本はどうなのでしょうか。長期政権を極めた現政権もさまざまなスキャンダルには耐えてきましたが、このコロナ禍の対策も不評でいよいろ政権交代となるのでしょうか。
アメリカ大統領をはじめ、世界の歴代の政治家が占星術を信じ政治の決断や方向性などにつあっていたという話は良く出ます。
実際に国の運命をその国の建国日やリーダーの生まれた日で、ホロスコープを作るやり方です。政治活動や財政、金融や経済の政策等の大まかな周期などはよく当たるような気がします。
火星の動きで戦争や政変が読めるとか、大きな体制の変化を天王星で見るやり方もあります。

しかし右へ行くか左へ行くか、前に進むか引き返すか、誰を次期リーダーにすべきか、そういうことは占星術では分かりにくい部分です。
政治の大事なところは、民衆の意志やその動き、その要望です。国を守り発展させるのは国家のリーダーがどれだけ国民、民を見ているかです。
民の意志を知り、国をどうするかの意志を決めたリーダーが、「どの時期に」「どこで」という具体的なものを占いに頼ることはOKです。
戦後最大級のコロナによるGDPの低下、ここからどう底上げしていくのか、リーダーの腕の見せ所です・。

40℃近い暑さ

暑い日々です。梅雨が長かったのも忘れそうな猛暑日の連続です。お盆休みも明けて、仕事や学校という方も多いでしょう。
暑くても、やらないと、行かないとということMUSTはあります。個人的にはコロナの体温とかより気温が38度も超えれば休みでいいと思います。危険です。
まあ、それでも行かないとならない。
日焼け止め、制汗剤、日傘に帽子、マスクはどうでもええ、それでも汗ダクです。少しはましでしょう。でもあまりつめたいものだけでの水分補給は胃腸の負担もあります。
無理はしないで行きましょう。まあ一日一回はほっこり。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ17】

カネボウ化粧品と歩んだ人生17 会計から

戦前日本最大の民間企業で、戦後も繊維と化粧品で1兆円の商いを目指したカネボウですが、起死回生の化粧品売却は失敗に終わりました。一度上場廃止となり、本体のカネボウは事実上解体。化粧品事業はのれんとともに花王に売却されました。
では花王にとってのカネボウ売却はどういう意味があったのでしょうか。
もちろん、消費者側や小売店、営業からみたシナジー効果等は目に見える通りです。比較的高級な化粧品を売るノウハウや、前のいくつかの章でも語った販売力やファンのあるブランド力もあります。
しかし花王にもソフィーナという化粧品ブランドがあり、シャンプーやサンケア等競合する者も多いのです。
花王はM&Aで傘下に事業を10年で利益を産むようにしていました。カネボウはなかなか上昇せず化粧品部隊は焦りました。インバウンドの波が来て、国内組織も大改変してようやく利益事業としました。花王はEVA(経済的付加価値)という国際会計基準IFRSにのっとった、財務戦略を日本で最初に導入しています。将来の収益を見込んだ投資、しかもその資金調達は株式ではなく借入金で行いました。
無借金経営が褒められるのも昔の中小企業で、現在のグローバルな市場では高配当を期待される企業は市場での資金調達では高い配当をステイクホルダーに返さねばなりません。「真の利益」価値を求めて花王は真剣にカネボウ化粧品を傘下にして炊くとを取りました。
それはまた、化粧品事業の世界的な会計基準にも合わせていく、かつての粉飾カネボウでは考えられない進化した財務でした。例えば美容部員売員が必ず販売するブランドの商品群はその人件費は商品原価に仕訳する。
私がたまたま参加させて頂いた花王の会計の研修で、その密な内容、先進の考えにはただただ感心しました。
そして、もう一つ花王クラスでさえ世界のトイレタリー大手に比べては小さい。買収をかけられる恐れさえあったのです。カネボウを呑みこみ、世界トップスリーに近ずくほどになっておかないといけないのも背景にはあったのです。
残念ながらカネボウの社員でそこまでのことが分かって、働いている人は少なかったでしょう。みんなが新しい花王のやり方の合わせるのに必死でした。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ16】

カネボウ化粧品と歩んだ人生16 花王GカスタマーMKへ

昭和57年(1982年)カネボウ化粧品に採用された私は伊藤淳二社長の鐘紡株式会社に大卒統一採用として入社し、令和元年(2019年)花王グル―プカスタマーマーケティングでカネボウ化粧品社員として37年の勤めを終え定年退職しました。
最後の年は京都から姫路まで新幹線通勤等、化粧品と家庭品の融合した組織でのつなぎでの奮闘でした。
化粧品の分かない支店長ら上司にソフィーナを含めたカネボウの売上対策や管理を任される仕事でした。カネボウと30年以上名乗ったものが花王のと名乗るのは抵抗はなかったですが慣れるのには時間がかかりました。
カネボウ化粧品の入社した同期もだいぶバラバラに散りましたが、最後まで化粧品に勤めあげた人間家庭品中心に動いた人。この長いドタバタの間に途中で辞めた人。一部幹部含め、なおも再雇用で続ける人もおります。御多分にもれず再雇用の待遇は良くはなく、男性の大部分は家庭品、洗剤等も含めた店頭のメンテナンス作業要員です。デスクワークの閑職や営業もほぼないような扱いで、別の仕事を探す人、隠居した人も多いです。澤田社長からの感謝状を貰い、花王で辞めたのかカネボウで辞めたのが微妙な感じでした。
履歴書等の最後は花王の会社ですが、身分はどうなのか極めて複雑でした。
健康保険は花王健康保険組合
退職金は花王からの確定拠出金、慰労退職金(旅行券)がカネボウから、企業年金は花王G以前でカネボウ企業年金が解散する前の分が企業連合会からと複雑です。厚生年金はカネボウで入社以来、出向カネボウ販社から㈱カネボウ化粧品と一環してカネボウのままでした。
労働組合のままの方はカネボウ労働組合(花王は組合員層にも労働組合なし、花王ファミリー会というレジャーや福利厚生の互助会にようなものがありました)でした。
バブル以前の団塊以後入社の、カネボウ人生は2019年5月、多くのメッセージも頂きました。
今も化粧品ブランドを作り、陸上競技部、商品開発(花王と共同)海外事業を行うメーカー^としての㈱カネボウ化粧品は残ります。
コロナ禍の2020年には花王グループはいち早くテレワークに切り替え、カネボウとソフィーナの店頭美容部員の活動を止めました。
白斑事件以来の営業の危機を私は外から見ていました。

戦争から還った叔父、還らなかった叔父 8月15日

8月15日はやはり日本人にとって特別な日です。祝祭日ではなく官公庁等で土日でなければ休日ではないところもありますが、多くの企業では夏休み、お盆休みです。全国戦没者追悼式典が行われるいわゆる玉音放送で全ての国民が敗戦を知った日。昭和20年太平洋戦争の終焉、終戦記念日です。
今年4月に亡くなった大叔父は、ビルマ(現ミャンマー)従軍、いわゆるインパール作戦に通訳として終戦を迎え奇跡的に生き残りました。
私の父は、京都伏見で7人兄弟。奇跡的に還っ長男。二男と四男は特攻に散りました。三男が本家を継ぎ、五男とともに軍隊にいましたが内地で終戦でした。
先日の京都の新聞の一面には19歳で終戦の直前に特攻で亡くなった四男、實叔父のことが特集されていました。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/327004

75年の歳月を経て、このようなことが多くの人に報じられることを亡き叔父も父らも知る由もないのか、どこかで喜んでいるか驚いているのでしょうか。
戦争の特集の一つで、当時の戦争や特攻の是非はあるのでしょう。
戦争や特攻を美化、称賛することもいけませんが、いわゆる自虐史的に戦前の日本人が一方的に凶悪で狂っていた訳ではないはずです。一人一人に思想も青春も夢もあったでしょう。
19歳で散った命と、90才を超え生きること、伝えることの出来た命。
正に奇遇でもあり、それが運命、宿命なのでしょう。父もその弟六男も亡くなりましたがの實叔父に『続け』と言われたその下の弟。予科練にいた五男の五市叔父は91歳でまだ健在です。父と年が近かっていろいろ共に苦労してきた仲で私とも親交がありました。
あれからの戦後、昭和の発展、平成から令和の時代を経て、昭和34年生まれの私はいつまでも戦争を知らない世代であり、リアルには何も伝えられません。
ただ平和で安全な時代を勉強とか社会の中で苦労があっても、のほほんと生きてこれたことを僥倖と感じないといけないかもしれません。
戦争は戦後日本人が75年経っても宿啊となっています。偏ることなく歴史を見つめ、伝えることもまた私達世代の宿命です。
19年だけしか生きられなかった時代があったことを刻んで、60年も90年も生きられることに宿命を感じ、未だなすべきことを探す人生でありたいとも思います。叔父達も父も母もどこかで見ているのかと思います。

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