VS戦争からVS疫病の時代へ,愚民を繰り返してはいけない

全国の祭りの花火も多くが中止でした。不定期で観客が集まらずにやる花火はあるようです。

戦争中の末端行政や、新聞ラジオの劣化、を思い起こす。なんだか今と戦時下似てきました。他府県ナンバーのクルマを傷つけたりする。過剰な自粛警察は戦前の隣組、婦人会、警防団と似てきました。
イヤな時代にしたくないのに、騙されやすい人がたくさんいます。
人類の敵は飢餓であったり、人間同士の戦争だったりしましたが、大国の戦争も一段落しました。今の戦争は無理くり悪役を作って軍需産業を儲けさせる世相を作っています。これも限界がくると、同じような手法で疫病をクローズアップして刷り込む。愚民政策の一環です。
コロナだからと、すべての施策や予算執行、自粛などの活動を盲従することはないはずです。一人一人良く考えないといけません。

母逝く

私事ですが、8年前父を亡くし、昨日87歳の母が他界し、送りました。
父の時はまだ私も兄も還暦や定年を迎えていませんでしたし、一応父母は商売をやっていました。その関係でいろいろ弔問や社交も多かったですが、今回は家族葬に近いものでその分悲しみは集約された感じです。
年齢も70、80と過ぎ、勤めも止めれば、知り合いも減っていきます。そんな中で高齢化社会とはいえ晩年は寂しいものもあったでしょう。
父の時も真夜中に起こされましたが、正確に言えば病院に駆け付けた時は時すでに遅く、見とれませんでした。今回はギリギリに、間に合いました。そして式や火葬も比較的空いている日で、待ち時間も少なく滞りなく進みました。
晩年はワガママも多かった母が最期に楽をさせてくれました。
8年の歳月で周りも世相も随分変わりました。変わらない火葬場の情景もあります。告別式、通夜等の弔問慣習では、香典や供花等の辞退、省略が進みました。
葬儀屋さんも大筋では変わりません。仏教曹洞宗しか基本詳しくは知りません。葬儀のやり方は、葬儀会社、お寺とも分かり易くし簡略したりして進化していると感じました。曹洞宗はお寺で本格的に法事をやるときはかなり賑やかに動いたり、音を出したりします。
いろんなことがやはり心を巡ります。
自分自身も母との思い出は想起し、頭をよぎりました。それでも一度もう少し若い頃に胆嚢がんで手術した時ほどは動揺はなかったです。暗黙の寿命という諦観が分かっていたのか、もう今の母はほぼまともにしゃべることもなかったです。
もうしばらく私達を見守った後、どこかで若い頃の母に戻って、清らかにまた生きていくのでしょうか。

生老病死:いつか朽ち果てる命

仏教の教えに四苦八苦というのがあります。生まれること、死ぬこと、病になること、老いることが大きな4つの苦しみです。
どんな命もいつかは朽ち果てる。だか生まれたものは命いっぱいに生きることは大切です。
ひとが生まれたり、死んだり、その狭間のような危険な時を見た時、命の大切さを思います。
つまらないことに思い悩み、生きることの大切さありがたみを忘れないようにしたいです。

自殺で解決できることはない。若者よ死に急ぐな。

30歳の若い命を自ら断たれた有名人のニュースが流れました。
コロナや大雨災害で暗い話題の多い中、さらに陰鬱な影を落とす訃報でした。
どんなに苦しい状況でも、我慢すればいいことがあります。
躱したり、他人に頼ったり誰かに相談したら別の結果になります。
自殺で全てが解決するわけではありません。
周りの人も、自分の魂もそれでは救われないのです。
私も30歳の頃、失敗ばかりで情けない時期がありました。死にたいと思ったことも何度かあります。でもそれから30年以上、辛いことも楽しいことも繰り返し、今でもそれを繰り返しています。それが当たり前の人の歩みです。何も恥じることはありません。生きていたら次のステージが見えます。ワクワクするような次の時間が必ずあります。60歳前後まで生きたら思わずニヤッとするような再会とか、幸運もどこかであります。
私のように出来の悪い人間でも、とりあえず生き続けることに逃げなかったからボーナスステージのようなところに来れました。歯を食いしばった甲斐がありました。
未来を心配するような人。いつの世も未来は不安で激動に見えました。予測等つかないものです。だから誰にも公平で楽しいのです。
自分で命を絶たなくとも、どこかで必ず運命で死ぬ時は来ます。それまで精一杯生きる。生き物はすべてそうです。
人間は一人だと弱いし、流されて安易な方に行きそうになります。しっかり踏みとどまって、みんなで支え合いましょう。

イヤなヤツも多いが人生勉強

まあ、世の中いろんな人がいる。立場それぞれ主張それぞれ。キリがない。
失敗したり、タイミング悪くイヤな人にあいイヤなことを言われる。怒られる。いろんなことで落ち込みます。
それもいいと思いましょう。谷があってそこから登ると平地に出たり、しんどい思いをして少し高いところに登って景色が良く感じます。ずっと山の上でぼっとしていても何も面白くありません。
人生はいくつになっても勉強でき、出会いがある。痛い失敗も必ず意味を持つ。
一つ一つを前向きに捉えましょう。

体調に気をつけて:文月17日

本来なら梅雨も明け、京都の町は山鉾巡行でにぎわうのですが、今年は何もかも異常です。
コロナももちろんですが、長雨で気温も低めの後、梅雨明け後いきなり猛暑が来そうな来週です。
病院など行きたくないのに、夏バテとかになる可能性があります。
今年は本当にいろいろ大変な年です。幸い感染症の予防は手洗いうがいなどで出来ています。夏バテ、熱中症予防には、水分の補給、直射日光を避ける、痩せがまんでずクーラーを適度に使う,,等これらも良く知られています。
仕事や遊びで体力を使い過ぎるのもですが、涼しい時間やクーラーの効いたところでは運動もしておきましょう。ジムに行かなくとも、ハムストリングを鍛える。ウォーキングやスクワット、階段昇降等は筋肉や内臓、循環器にも良いです。
旬の夏野菜や、鰻なども食べて精をつけ乗り切りましょう。
そして心を静かに整える
いろいろなニュースや情報があふれていますが、少し息を吸い込んで落ち着いて考えましょう。コラムやスレッドにはそれぞれの立場で都合の良いデータの見せ方や論調があります。反対の当事者になれば気分の悪くなるものも多いです。フェイクも混ざっています。急いで共感や反対のシェアやレスポンスはしないことです。(自戒をこめて)
落ち着いて、一歩一歩歩いていきましょう。

Go Toキャンペーンは政争の具ではない

政府がコロナ関連での経済復興対策として、旅行や観光の業界と地域活性のため。GoToキャンペーンという旅行関連の給仕支援を今月22日から始めます。
私の同級生にも音楽関係の方、スポーツに携わる人がいますし、飲食や観光に関係する仕事に就き生活がかかっている人はもっと多くいます。外国からのお客さんが全く望めない中、少しでも仕事を回さないとやっていけないのは事実でしょう。当事者でない友達はやはりGoToに批判的な方も多いです。どちらの感覚もわかります。
織り悪く、新型コロナウィルスの感染者はこの1週間緊急事態宣言解除後最大を更新して東京を中心に各地で増えています。このキャンペーンの延期を訴える声も上がっています。
しかし、重症者や死者は少なく、若者を中心に軽症者や無症状者が多いのも特徴で、4月あたりはカウントされていないレベルの人も入っているのいう向きもあります。
潔癖型の自粛論者を煽動して政府批判系の強い向きがキャンペーンをディスられているようですが、移動制限や活動自粛で苦しむのはやはり旅館や飲食、土産物屋等です。
しっかりと体調を整え、旅先の施設などもきっちり対策されていたら個人の旅行での感染懸念はあまりないように思います。
今回は演劇などでもクラスターが発生しました。その他「夜の街」だけでない感染要因、場所もあるようです。
私も友人のライブ等、対策はとってい頂いていると信じますが公務の立場上万一を懸念していきませんでした。
音楽関係、演劇関係、飲食や土産物販売、旅行業界。それこそ軽症ではなく、倒産や失業のカウントダウンです。これから数か月、匙をなげる経営者は多く控えています。普通にやっていても失業や倒産はどんどん増えていきます。インバウンドが皆無なだけであと半年もたないところが多いでしょう。
このキャンペーンで全てカバーはできないでしょうが、老舗の旅館や料亭、旅行会社や観光の多い鉄道会社さえ1年持つか持たないかです。
当事者でない方は、「現政府がどうのとか、どこかの代理店がまた中間利益をえていようが」矛先は変わる批判に飛びつきます。
当事者でない人がどう言おうが、今生きるか死ぬかの人はキャンペーンを盛り上げて欲しいのです。感染拡大に関してはすでにプロ野球やJリーグも、TDL等も再開しています。関係者含め何千人何万人と移動しています。高校野球等の代替の大会も開催されることは賞賛され、藤井聡太さんの将棋なども関係者やマスコミ、ファンを含め多くの方が移動していますがとくにディスられていません。
個人の旅行など行程を明白にすれば感染のリスクはずっと小さいはずです。
考え方は両方あるのは良くわかりますが、こんなものは与野党や右左の論争とは違います。
改めてコロナは完全消滅はないのでWITHコロナの時期だということを冷静に考えて、いただきたいのです。

甲子園がなくても精一杯戦うことに意味がある

甲子園大会無くても、代替の大会があったところ、応援もあって、高校生たち良かったと思います。
人生ってタイミング、時代によっていろんなめぐり合わせがあります。戦争や震災、米騒動いろんな時代に中止もあったのです。
将来、振り返る時、思い出を語る時に、「スポーツ何をした?」と聞かれると、「〇〇〇で甲子園めざし、インターハイ目指してました」と答える機会があるでしょう。
その際、コロナの年が3年生でこんな目に逢って泣きました。と語れます。
今は悔しくても、精一杯努力した3年間の思い出、身についたこと、友情の絆は人生の中でいつも生きています。

仕事は嫌なことをした対価?

仕事、生業とは何でしょうか?千差万別で一言で短いコラムでは難しいでしょう。
コロナ禍で多くの人が影響を受け、失業された方や、仕事が減った方、激務になった方も沢山おられます。
新ためて仕事とは何かとも思います。若い頃もちろんそうですが、今でも仕事でお金を貰うことは決して楽ではありません。
楽に時間が過ぎて、給料がもらえるならこんな楽なことはありません。
生業とするにはどこかの段階で苦労をしないとなりません。沢山のお金を儲けるには、勉強したり、危険を冒したり、体力を使ったり、何か自分を犠牲にしないといけません。
シンプルに考えればそうです。
日本の会社はまだまだ同一労働同一賃金とはいきません。新入社員は社会人のイロハを学び仕事を失敗しながら覚えます。この時期は何も会社に貢献しません。やがて若手バリバリで第一線にでて稼ぎ出します。この頃が最も会社に貢献します。やがて管理する側になると高給になりますが、その高給分ほどは会社に貢献できる人は少ないのです。
この時間、それぞれを切って見ると同一労働同一賃金等無理なのもわかります。
仕事を覚える段階は当然あります。転職というのもあります。業界職種を越えて別の仕事につくというのはこう見ると大変な覚悟です。それでもやっていく人はいます。
食っていくため、養うため、家やクルマ何かの目的のため。何かを求めるためそれぞれの生業ができ社会が成り立っている。
納得して生業を受け入れてやるしかないです。

文月:暑中見舞いを手書きしましょう

7月は文月です。
ロフトとかでついついサマーポストカード買いました。63円の切手も買いました。葉書の郵便料金もいい値段。ほぼタダなsnsに流れるわけです。
でもたまには、自筆の文(ふみ)で、SNSばかりじゃないとこをと思います。悪筆、悪文で訂正できないのが何ともで、毎年余らせてしまいます。頑張って丁寧に書きます。
みなさんも大事な時、大切な相手には手書きの文を書きましょう。