水楼閣の思い出 京都の中心で哀愁を叫ぶ #カネボウ♯自伝小説#コイバナ#ラノベ#京都観光

 【突然、人形のような美女が職場に
 化粧品メーカー時代、私を管理職に登用してもらったのは、強面の星井さんというエリア支社のトップでした。カリスマ営業だった方で、田舎の支店から地区の中央支社に引っ張ってもらい、その地ではじめて課長職になりました。
 星井さんは、やや小柄ですが、恰幅はよく眼光鋭い、ヤクザ映画にでてくる悪役のようなコワイ顔でした。支店から送り出されるときも、支店長から星井さんはハンパやると本当に怖いぞと脅されていましたし、ビビりながらアテントしました。
 早朝から一人で机に向かわれる星井さんに負けないよう早く行き、星井さんのマイカップに珈琲を煎れ、比較的寡黙でもどすの利いた指示には、よく考えて的確に対応していきました。営業時代の星井さんのやり方を、現場の状況と時代に合わせてなぞるように取り組み、プレゼンやデータ加工をうまくやって、気に入られて重用され、管理職であり懐刀的な存在になりました。
 ある日、出社すると、星井さんの隣にお人形さんのようなすらりとした美人が立っていました。顔も色白ですが、腕や脚が本当に人形のように細長く、現実味のないように見えました。
「ああ、井上、今日から事務の手伝いで職場復帰する有村美千子だ。美容部員のエースだったけど、しばらく病気で休んでいたけどな、復帰するけどしばらくは事務でリハビリだから面倒みてやってくれ」
 モデルか女優さんっぽい感じで当時でいうと伊東美咲とか、最近だと武井咲、佐々木希ぐらいの感じの美しい方です。
 私はもう結婚して子供も二人小さい頃で、あまりにも別次元にキレイすぎる方なのと、ちょっと苦手でした。たとえばお尻が大きいとか脚が太いとかもう少し健康的な人色気のある人の方現実味がなさ過ぎて反って冷静に仕事を割り振って、パソコンの初歩から丁寧に教えていました。
 星井軍団ともいえるスタッフの女性陣、先に女性課長に登用されていた里崎をはじめ、やはり気が気でない敵意の波風が立ちました。星井さんの好みで、ハイレベルな美女ぞろいの中でも、有村さんは突出する美人でした。
 ただまあ突然、美容部員から幹部の企画部署の内勤というのはリハビリとは言え異例なこともあり、そのジェラシーもありました。
「どうせ、あれは星井さんの愛人よ」
 と、有村さんバッシングの噂が立っています。
 まあ、そういうこともありありの会社の時代でしたし、実際枕営業に近い媚びを売って女性幹部登用に便乗して上がってきた里崎のような連中が、有村さんを敵視するのも変な話です。

 【謎の出張命令
 星井さんは、よく有村さんと食事にもいかれますし、私も誘われ3人の時もありました。
 仕事では、有村さんは真面目にコツコツという感じですが、パソコン操作とか難しいのは苦手のようで、コピーとか資料の編綴、配布物、電卓の検算とか、基本的な作業だけでした。星井さんは元々、各支店や本社や企業本部への出張も多く、どこに行ってるのか分からない日もありました。
 ある日、突然に星井さんが「お前は、京都地元で詳しいからな、有村に京都の一番いいところを案内しろ、この子が京都ゆっくり見たいていってるから、急ぎだが次の土日、命令だ。とっときの京都の名所を有村に見せてやれ」
 無茶苦茶理不尽です、しかも土日休みにでしたが、星井さんの目がかなり険しく、拒否を許しません。
「たまには土日、嫁さん子供と離れてのんびりさせてやる。交通費と宿泊が俺がだす」
 といって、新幹線のグリーンの往復チケットと、蹴上の名門ホテルのスイートルームのバウチャー券と1万円札が10枚以上入った封筒を渡されました。星井さんは自分が浮気旅行に急に行けなくなったのを無茶ぶりしたのかと想像しましたが、親分の女に手を出すような真似はとてもできませんし、星井さんはあまりしつこく企図を聞けないオーラを出してられました。はたと困ったというか、その時はまったく意図がわかりかねました。
 有村さんも、少し申し訳なさそうですが、とくにコメントも拒否もない不思議な様子です。
「私も久しぶりに実家の両親に会いたかったもので、ありがとうございます」と星井さんには礼をいい、それなら、ホテルの1室に泊まらず実家に泊まり、京都観光は案内する算段で引き受けました。
 朝から、2つの新幹線のグリーン車を乗り継ぎ、鉄道マニア的には楽しいですが、どうも不倫みたいな怪しげな二人、ボスの女との情事みたいな申し訳ない緊張で話すのも自分の生い立ちから、一般的な話題だけでした。
 有村さんは病み上がりということで、秋なので高雄の紅葉とかも見事だとは思いましたが階段をかなり登る行程がある観光地は避け、人力車も使い、初日は金閣寺、嵐山、嵯峨野トロッコ列車、保津川下り、ランチも良く調べた名店、ホテルでディナーは奮発させてもらいました。
 美味しい料理もですが、美しい景色とそこにあう美女とずっと歩くのは星井さんでなくてもすごぶる快感だったでしょう。


 【京都観光
 スイートの部屋には入りましたが、その豪華さを見ただけで、どぎまぎしました。
「井上さん、いいですよ。泊まっていってください」
 有村さんは少し疲れたし、寂しいからと懇願されますが、丁重に説明しお断りし、早朝に来て朝食は一緒にとる約束はして、泊まることなく実家に帰って寝ました。魅力的な方ですが、星井さんの仕掛けたハニトラなのかという疑いもありますし、もちろん不倫ということもあり、とても同室で寝るわけにはいきませんでした。
 朝は、部屋で豪華なルームサービスを東山を眺めながら味わいました。
 二日目は永観堂、南禅寺と周りました。湯豆腐を食べ、湯葉も紹介しました。有村さんは水楼閣のレンガ造りがいたく気に入ったらしく、何度も写真をせがまれ、他人に頼んで2ショットも撮りました。哲学の道から、銀閣寺に行く予定でしたが途中で有村さんも疲れた様子でしたので、京都駅までタクシーで移動してのんびりタワーの周辺で休憩しました。
 まだスマホがない時代で、カメラの現像待つ時代でした。京都の有名な観光地をベタに回るのは新鮮ではありました。有村さんの美しさは京都では女優さんを連れているようで、目立ちました。
 帰りの新幹線までの時間に、駅ビルの上層で京都タワーを見ながら、少しワインも入って有村さんは私の腕をとって身体を寄せてきました。
 か細い腕でしがみつくかれて、初めて星井さんの意図が少し分かった気がしました。
「ホントに美しいところばかり、無理に来てもらってありがとうございます。星井さんにも無理を言いましたが、井上さんにはもっと無茶、無理難題を言いました。井上さんが本当に京都に詳しくて良かったです。いい思い出になります」
「星井さんだからでしょう」
「そうですね。言い出したらNOは言わせない人ですから、でも井上さんはいい方です。2日間だけ井上さんとずっとご一緒できて本当に楽しかった。星井さんも頼りにされていますよ」
 そんなことないと言いかけた私の唇は柔らかく甘いマシュマロのような何かに塞がれました。
 秋の夕日は少し危険なほど赤く西山から二人を照らしていた。

 【悲報
 次の日出勤して星井さんに報告しようにも、いません。
 星井さんは急に本社栄転が決まったようです。
 何日か後に余ったお金もお返ししました。
「有村の件、ありがとう。本人もことの他喜んでいた。実家に泊まったのか、せっかく儂の用意した据え膳食わんかったって馬鹿!紳士ぶりやがって、減点でまあ80点ぐらい。そのうち、お前を本社に呼んで幹部にしてやろうと思ったけどまだまだやな」
 と豪快に笑い飛ばしました。
 その言葉は星井さん流にはいつか必ず本社に呼ぶという意味ですが、どうも、最後はやや上滑りで社交辞令のように聞こえました。
 結局、有村さんと星井さんの関係がイマイチわからないまま、星井さんが転勤すると、有村さんもすぐにまた長期休暇に入りました。
 有村さんの訃報は京都でのデートから三カ月経ったかどうかの冬の頃でした。
 白血病でした。
 総務人事や里崎の話で、有村さんは、もう死期が近づいていたのを知り、星井さんに頼んで少しの間会社に出て、行きたかった京都見物を最後にしたかったのだと悟りました。
 有村さんの告別式には、星井さんも来るだろうから、詳しく今度こそ確かめようとしましたが、星井さんは現れず。有村さんのお母さんから、井上さんにと水楼閣の前で撮った2ショット写真を渡されました。
「井上さんと回った京都の2日間が人生で一番楽しかったと美千子は何度も言っていました。本当にお世話になりました」
 あまりにも美しいその写真の有村さんはやはり異世界レベルだったように思います。その写真を棺の中に入れようか迷いましたが、せかっく渡してくれた母親の手前、持って帰ることにしました。

 他にも会社関係者がたくさん来ている中、人前で泣くことはこらえたかったですが、一人になる前に、その写真を見て有村さんのことを哀しく切なく思い出すと、頬からボロボロ涙がこみ上げました。美人薄命とかいう言葉が、ベタですが残酷なものともいました。参列していた里崎はそんな私を軽蔑したような目でみていました。喪服の女たちもここでは、それとなくキレイにメイクを仕上げ弔問外交的なやりとりもあるのです。

 星井さんの後任とは、どうも反りが合わず、里崎がなぜか重用され、私は以前ほどうまく仕事が回りません。星井さんの引きで本社栄転があるかと期待はしていましたが、そんな日はこないことがすぐわかりました。
 星井さんも内蔵、肝臓や腎臓から全身に癌が転移患していたそうで、最後に見舞った時は、あの元気さはなく恰幅の良かった顔もやつれ弱い声でした。
「こんなになると、会社の連中も冷たい。そんなもんだな。義理での見舞いだけだ。井上、お前だけだよ。いつまでもこうしてきてくれるのは。出世とか金だけで動く人間じゃダメ、義理を大事にな。お前は妙に真面目過ぎる、清濁呑み込む度胸さえつけばな、これからの会社を頼む」
 ようやく聞いた有村美千子さんの話は、星井さんの世話になった先輩の娘でやはり彼女は入社する前に肝臓を悪くして急死されたのだそうです。
 個室に多くの見舞い品はおいてありましたが、それがまた哀愁を呼びます。
 カリスマ度合いでは、圧倒的なキレ者だった星井さんですが、無理もたたったのでしょう。それから間もなく、訃報を聞きました。
 私自身、妻と子の病気も発覚したので、関西へ戻る異動を願いました。
 里崎はその後、美容会社のトップに踊り出るしたたかな女性でしたが結局会社は傾きます。
 私は、関西に戻り本社への道は絶たれた感じで、現場に近いポジションで汗をかきました。
 哲学の道を歩くのが好きな友人もいますが、嵐のように過ぎ去った星井さんとの仕事や、有村さんのことを思うと、秋も南禅寺界隈にはあまり行きたくもありません。
 スイートルームにあの時、泊まることまで星井さんがほのめかした指示にしたがった方が有村さんにはよかったかは、もう永遠にわかりません。
 あの時、京都駅で有村さんがイタズラに私の口に含ませた生八つ橋も、甘すぎてそれ以降何だかあまり食べたくありません。
 

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