少子化対策の本質はお金か

 異次元の少子化対策と言われるが、従来から発想の次元が違うようなものはあられていません。
 従来からある児童手当の拡充、保育、教育の無償化、出産手当の増額などのレベルで『異次元』は誇大に聞こえます。

 結婚して子供を作るのが当たり前だった、産めよ増やせよの時代とは比較も難しいですが、やり方次第のところもあるでしょう。
 あれだけ不信があり人気のなかったマイナカードでもいついつまでに取得して、口座や健康保険紐付けで20,000ポイントというと行列ができるのですから、条件とあおりによって何とかなる時代かもしれません。

 結婚して1年以上離婚しないなら何ポイント、出産すれば何ポイント。高等教育までで何ポイント,最終的に成人まで育てた夫婦に生涯ポイントを年金に付加する仕組みなどを、時限的に試す意味はあるかもしれません。

 子供と添い寝し、だっこするだけで癒され、かけがえのない歓びを感じるという、著名人の発言もありました。それはお金に替えがたいという話でした。
 ペットの動画投稿なども、ものすごい再生数になり、そこそこ余裕がある方は子育てではなく、何でも値上がりの中でもペットにはお金を惜しんでいません。そういう面では人間の赤ん坊、子供の可愛さ、愛くるしさをもっと拡散し、訴求することも大きな効果を持つでしょう。いろんな制度ができても、やはり感情、情緒で人間は動きます。

 メディア、教育、あらゆる機会で子供を育てる良さを『見える化』することも大事です。冗談のような話ですが、何かしていかないと日本の未来は明るく開けません。防衛費か子育てかとか不毛の優先順位の議論をしても始まりません。何をおいても日本の未来への全体像を考えてもらわないといけないのです。

誰もが自由に職業を選び働く権利と義務 憲法

 連日、私の自宅最寄を走り、職場の通勤者も多い私鉄で朝から人身事故がありました。全部が仕事や人生に悩んでの自殺ではないでしょうが、その割合は低くないでしょう。

 生活する上で、お金も必要で否が応でも働かないといけない人は多いでしょう。だからこそ悩み、悲観があり苦しみます。仕事が苦行なのかストレス、スランプの苦しみは何度も書いたと思いますが、権利という意味では憲法上で保証された職業の選択というのが実際にはそうもいかないことがよくあります。

 憲法27条

  1. すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
  2. 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
  3. 児童は、これを酷使してはならない。

 障害者や高齢者、出産育児などで昔は働けなかった人や、休んでその後は元の職に就けなかった人が今は随分と法が改正され、働きやすくなっています。

 しかし、現実には就職氷河期があり、コロナでも失業が増えた上、物価高の中、リストラもあります。企業に給付があるとはいえ、優秀な人材すら揃わない中で、ダイバシティだとかいって障害者や高齢者の就労支援をやすやすと受け入れられない状況も想像できます。スキルを持ち即戦力ならまだしも、限られた定員の部署では分かっていても難しい問題があります。

 働き方の改革はまだまだ初期の段階で、その途中にテレワーク、在宅勤務などの流れがきました。仕事によっては既に次の段階への過程が見えてきています。しかし、多くの職場でまだまだ、ストレスは絶えず、生産性が上がらず自己実現に届かない焦りでパワハラまがいが横行します。

 次の段階へのステップはもっときめ細かい適性のマッチングや、メンタルのケアなのかと思うのです。大上段から号令をかけ、法律も変えないとおそらく難しいとは山積みです。しかし例えば、面と向かうとコミニュケーションが難しい人間が、意外と在宅のチャット、メールなどではいい面を出し、良い部分が認識されうまく回り出すなど、どこかに好事例があり、水平展開できるものがあるのではと思います。

 昭和のパワハラ、軍隊式を知る人間にはもう高度成長期でいっぱい兵隊を獲れて使い捨てできた時代とは、全てが違うのです。日本の未来は移民就労だけではなく、日本人の変化でかなり対応できます。そこらをまず変えて欲しいと願うしかないです。

五公五民 一揆や革命は起こるのか

 【五公五民】 江戸時代の年貢 率を表現したことばで、収穫米の5割を年貢(本途物成 (ほんとものなり))として上納し、残り5割を農民の作徳米 (さくとくまい)とすること。
 この言葉がニュースから少し話題になっています。
 財務省が2022年度の「国民負担率」が47.5%になる見込みだと発表したからです。国民や企業が所得の中からどれだけ税金や社会保険料を払っているかを示すという率で、さらに今後防衛増税や異次元の少子化対策も取りざたされる中、江戸時代に領民が領主に納める年貢割合を引き合いにして「令和の時代に”五公五民” 江戸時代とどっちがマシなのか」と評論家などが「江戸時代,五公五民以上になると一揆が始まった」と不満が爆発するのではないかと呟いています。

 白土三平のライフワークで江戸時代の階級闘争を描いた「カムイ伝」という長編劇画があります。この作品は紹介しだすと大変長いですので詳細はまたの機会にしますが、そこに出てくるのは支配する武士階級の暗愚な領主と、そこに連なる悪徳商人の姿です。
 現代の政治家と財界を連想してしまいます。いわゆる大きなイベントや公共事業を事実上独占し中抜きをする電通のようなイメージの悪徳商人も登場します。当初は既存の悪徳職人を颯爽と追いやって、善玉かに見えました。新興で商才ありながらも悪辣な野心家夢屋というキャラクターは現在の国家予算に深く巣食うシロアリのような業者の印象となりました。
 税や社会保険料が5割でも7割でも社会が成熟し高齢化すると仕方のない面もあります。しかし、その分配が本来配られるべき人に届かないで、私服を肥やす一部の人に回っていてはまさに「一揆」が起こってもしかたのない不平不満がたまるでしょう。

 税金の無駄遣いや、談合で一部癒着業者への回っていく構図を見ると、働いて真面目に税を納めるのが馬鹿馬鹿しくなる気持ちも分かります。来年度予算が今年度内の成立が与党多数で国会で決まっていくようですが、一部審議中にも監査などへ使い切れていないとか、別目的流用、全然使えない基金など、無駄の指摘も多くありました。
 官僚には『一揆手前』だとは自覚していただき、各部署が身を切る思い出来を引き締め、トップが今の庶民の苦しみを分かり、政治家がしっかり見張らないことには、反体制側でなくとも予算の承認、執行を看過できないのです。

表現の不自由な時代

マグマ大使 ピープロ 21話

 昭和41年「ウルトラマン」に先駆けオールカラーの特撮巨大ヒーロー番組「マグマ大使」が放送されました。21話に不気味な人間モドキという人間に擬態するゴアの手下の怪人が怪獣とともに暗躍する話の中に、とんでもない映像があります。何と空港でその人間モドキは乞食に扮し、首から札をぶら下げて、何と「めくら」「つんぼ」「おし」と書かれていました。現代では放送することはもちろん、日常でも死語となり「盲滅法」とか熟語ですら使用禁止となっておりドラマなどには考えられないことです。

「唖(おし)」などという言葉自体知らない世代も増えているでしょう。
 しかし、この「マグマ大使」の21話は今動画配信サイトでは視聴することができます。「おし」や「めくら」「キチガイ」「おかま」と言った言葉は、同時期の時代劇特撮「仮面の忍者赤影」などにも頻繁に使われ、これも動画サイトで視聴可能です。
 言葉狩りとも言われ、最近制作される映画やテレビでは使われることはありません。小説でさえも消えていっています。しかし、地上波のテレビで制限されていて、インターネットではオッケーなのも妙な話です。

 地上波の時代が終わり、オワコンとも言われます。地上波テレビで放送禁止で、ネットでは無料視聴でき閲覧者が多くいるなら、どんどん視聴率が下がる地上波での言葉狩りはどういう意味があるののです。

 
 意味は少し違いますが、政治や社会、芸能の討論などでも地上波では、出せない言葉や実名が多くてちっとも面白くなく、ネットの方が自由な表現が多くスポンサーの制限もなく面白いのです。これもおかしな現象です。イニュシャルや音消しでカバーされた人権がネットで晒されるのもあるあるです。

 時代劇、あるいは昭和の近現代を描く際は、方言も含め、リアリティなどないのが当たり前です。時代劇は字幕でもつけないと意味を伝えるのが無理でしょうから、それっぽい言葉で「御意に」「恭悦至極です」とかいれて雰囲気をだすだけです。正直、東北弁や薩摩弁で、幕末維新のドラマをやってもリアルにやれば字幕必要です。
高度経済成長期でも、まさに死語になったような差別用語がザラに使われていたので、それらしくするには放送禁止用語も欠かせないはずです。それを変換して、オブラートに包んだ言葉にすれば変なものになります。

 障害者やLGBTが差別を受けず受け入れやすい社会に本当になっているのなら、差別的に感じられる言葉が残ることは問題で消えていけば良いです。ただ国際社会に合わせ、オブラートに包んで蓋をしただけなら全く意味はありません。むしろ不自由で弊害が多いくらいです。取り巻く環境、組織をリードする人に理解が大きく変わらないと、差別される側も周りも忍耐と努力を重ね疲弊するだけです。
 言葉を消す、狩る、お金で解決するだけでなく、もっと踏み込んだものが必要なのです。

忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

追悼西山太吉記者 

 元毎日新聞記者で、沖縄返還をめぐる日米間の密約報道を追求して、一度は逮捕投獄された西山太吉さんが24日、心不全のため北九州市内の介護施設で死去した。91歳でした。

 彼をモデルにした山崎豊子の著書「運命の人」がベストセラーになり、ドラマにもなったためご存知の方も多いでしょう。司法を目指す人には判例でお馴染みの外務省機密文書漏洩事件ですが、一般にはスキャンダラスなところだけ印象に残り、あるいは時とともに風化して民主党政権以上に忘れさられているかもしれません。
 分厚い原作を読む人も減っている時代です。また山崎豊子さんの小説というのはセミノンフィクションと言われどこまで史実かフィクションかがとても厄介なところがあり、美化されたり象徴的にされたり、想像上の人物が出てきたりはします。

 それでもその旺盛で綿密な取材には舌を巻きます。概ね西山太吉さん=弓成亮太は間違いのないところです。

毎日新聞社記者の西山氏は71年、翌年の沖縄返還をめぐり米国側が負担すべき米軍用地の原状回復補償費400万ドルを、日本側が肩代わりするとの密約を示唆する機密文書を入手しました。文書の入手を外務省の女性事務官に頼んだことが、秘密漏洩のそそのかしにあたるとして、国家公務員法違反容疑で事務官とともに逮捕され、74年に毎日新聞社を退社。78年に最高裁で有罪が確定しました。世論の関心は密約よりもスキャンダルに移り、報道のあり方が問われた。

 政府は密約の存在を否定していましたが、2000年以降、米側の公文書や元外務省幹部の証言で、相次いで確認されました。

 山崎豊子の遺作にもあたるセミノンフィクションはアメリカと国家権力に対峙する孤高のジャーナリストを描いて、ぐいぐいと引き込ませます。実際には西山氏のやり方も現代では通用しない強引でコンプライアンス違反なところもあったでしょうが、根源にはジャーナリストとしての正義感があり、それを潰し泥まみれ悪役にして消し去ろうという、アメリカ追従の検察の思惑が見えます。
 検察は直接アメリカからのハンドリングはなくとも忖度をし、また官僚全体の自己防衛や民間へのヤッカミなどが入ってくると思われます。どうしても出る杭を打ち、縛めとしてしまう傾向はあります。検察もまた正義感を持ち仕事をしていて、それが突出したものとは相いれないことになるのです。

 「運命の人」に期せずして田淵角造という名前で金権政治家として後の今太閤総理田中角栄らしき人物も出てきます。角栄も当然そんな背景も酸いも甘いもウラを知っていたはずですが、この後の時代で政権を取ります。しかし田中角栄も日中友好などでアメリカににらまれたのか、早急な改革や地方へのシフトを警戒した官僚のせいか、スキャンダルで泥にまみれ急速に失速し逮捕されます。
「アメリカをないがしろにして中国などと外交」「官僚体制を揺るがす、過激な体制改革」は日本ではタブー的に、アメリカハンドリングの検察のターゲットになります。後にはマスコミもぐるになり袋叩きにされ潰されます。金丸信、中川一郎親子、鈴木宗男、小沢一郎、鳩山由紀夫、それぞれ脛に傷はあっても逮捕されたり死に追いやられるほどのモノではなく、一般の方も詳しい罪状など説明できないほど微細なものです。要はアメリカおよびそこに結びついた権力になびいたか逆らったかです。

 アメリカと密約を結んで、ノーベル平和賞まで貰った佐藤栄作(作中では佐橋慶作)とその一族の発展による支配と、あくまでもその背後を隠蔽しようという体質は、当然今の、岸家安倍家の一族に受け継がれています。

 朝日や毎日が、読売がとか言ってもしょせんは今は記者クラブのお仲間で、スクープ合戦も芸能レベルです。妾半ば公認だった時代とはスキャンダルのレベルも違います。日本の命運の根源をスクープするような攻防はないでしょう。日本の支配層を意識改革させるような、西山記者レベルの気概あるジャーナリストはもう生まれにくい背景ですが、次世代に期待はしたいです。

 

カップ麺、コンビニ弁当や菓子パンは割高 節約ではなく時短のためのもの

 光熱費や運賃が上昇し、ベースになる食材のタマゴや油、小麦粉なども値上がりして大変な世相です。
 しかし、コスパの悪いし買い物を続けておられる人も良く見かけます。
 ドラマでは忙しいお医者さんや刑事、弁護士などがカップ麺やコンビニ弁当をかけこむ姿が描かれて、実際私もそういう職業の人が時間を惜しみ忙しい食事をされているのを見たことがあります。

 彼らはお金がないのではなく、時間が惜しいのです。ところが、時間は比較的あるけど時給の安い労働者、所得の低い人が、同様のことをしていて、値上げを嘆き何の防衛策もないのが残念です。

 カップ麺と菓子パンを頬張り、缶コーヒーを飲み、終わればタバコをふかし休憩が終わるまで寝ている。仕事が終われば安いチューハイを飲みまくる。
 本当にお金のない人は、コンビニ食材や弁当屋のものが高いと思い自分でコメを炊き、麺をゆでて弁当を作ります。忙しい朝や、休憩現場でも少し工夫すれば多少できることもあります。
 パンでも菓子パン1個でトースト用が一斤買えます。そこにジャムやマーガリン、あんなどを塗っても安い物です。ほんのちょっとの手間でメーカーや業者の商品はぼったくっているコスパのだとすぐわかります。

 めんどくさいと考えると、どんどんお金は無くなります。缶チューハイを袋いっぱいに詰める人もそうです。炭酸水と焼酎のボトルで、レモンを高級なものにしても、缶入り飲料より安くリッチです。お茶でも茶葉から沸かせば健康的で、ボトルの茶よりはるかに割安です。缶入りのハイボールなどにしても、旅行の車中など限られた時間や空間でこそ便利なだけで、値段は物凄く割高で今言うエコでもありません。

 カップ麺や缶やボトルの飲料、チューハイなどもいろんな種類を出して、メーカーは宣伝して煽りますが、もうそろそろ定番だけに絞り、不毛の開発努力や宣伝をやめ、利益を上げる方向にシフトすべきです。コスパのよい食べ方呑み方を提案するのがSDGsの時代ではないかと思うのです。消費側が値上げに汲々と苦しめられるより、知恵を絞って少し手間をかければ安く収まることでコスパの悪い商品を社会のメインから淘汰するのです。最終消費者は弱いようで、選択権はあるので強くなれます。このシフトを楽しむくらいでないと、この時代は乗り切れません。

2月 冬と春が行き交い、新年度への期待と不安が交錯

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 1年で最も日数が少ない2月なので、通常月末から何日前に始まったり、締め切ったりの仕事が前倒しされ慌ただしいところです。流通業など一部2月が決算のところもあれば、3月末の決算のところも決算前の忙しい時期です。
 新年度で職場、学校も含めて、新しい体制、場所へ変わることもそろそろ決まり出し、不安も期待もあるでしょう。未だに進路が決まらない不安もあれば、決まったことへの不満や不安もあるでしょう。

 どんなに年齢を経ても、春は新しい年度の始まりです。日本では新しい年は1月、学年は4月です。1年の計を慎重に見定めて決算するのが3月決算のようにも思えます。2月、3月は確定申告などその意味を含めて、検証の月でもあります。

 三寒四温と、暖かい日と寒い日を繰り返し、日が長くなり、春へと向かう季節でもあります。この寒暖とともに、期待と不安が錯綜し、気持ちが揺れる季節です。

 日本人はこの季節の変わり目を、雪から、梅や桜など自然の情景に重ね合わせて思い起こし、意識することができます。

 寒い地方だと、もうこの氷や雪は永遠に溶けないのではと思うほど、硬く冷たく量も多いのですが、やがていつかは溶けて春になります。その試練が冷たく厳しいほど、泣きたくなるほど哀しいほど、やがて春が来る感動は大きくなります。

 フリーランス、自営、有期契約の立場だと常に年度の不安はつきまといます。私もそんなものです。

 それでも風は冷たく、花粉も舞いますが春は来ます。

中学生の学徒勤労動員で作られていた風船爆弾

 戦中の古い記述をたまたま読んでいると、今中国と米国でもめている気球の原点ともいうべき、旧日本軍の風船爆弾を、勤労動員で作らされ記述がありました。

 実際に風船爆弾は放たれたのは、アメリカ側に近い、東日本の太平洋側に残る地点ですが、各地の紙や紡績、染色なのど工場で、こんにゃく糊を使い、中学生が男女一組で紙を貼り合わせて爆弾の制作に携わりました。60センチ×1メートルの和紙を幾重にも貼り合わせ今の厚手のビニールのような製品を作っていたと回顧されています。
 当時は何を作っているかは知らなったらしいですが、やがて、アメリカまで偏西風でたどり着き山火事などで死傷者も出し戦果をあげた風船爆弾だと知ったそうです。その年の8月にはすっかり制空権をなくした日本は、風船爆弾とは比べ物にならないとてつもない破壊力の新型爆弾を二つの都市に落されます。
 もう鬼籍の方の手記ですが、終戦の前年の2学期から京都の伏見でもこの学徒勤労動員はあったそうです。修学旅行も運動会もカーキ色一色で、英語の授業もない今生きていれば90歳以上の方の、青春を戦争が奪っていた時代が書き残されていました。

 昨日も戦争のことを書きましたが、国が疲弊しきり、子供命さえ危険にさせ、多くの生命を奪われる前もっとできることがあるはずです。
第二次世界大戦の書記、史料を読むとロシア(当時ソ連)の参戦、虐殺その後シベリア抑留など、今のロシアへの恨み骨髄と感じるものも多くあります。ロシア人は悪くないプーチンが悪いんだとはとても思えないような、残虐で非道な暴挙も綴られます。多少はアメリカの占領の影響があるにせよ、ロシアを殲滅したくなり、擁護する意見や助けたくなるなど論外に思えます。
 戦争の終結は難しいのです。相手国を憎む気持ちが強ければ強いほど戦争は終わりません。それでも戦争を始めてしまうと、このような悲劇を繰り返すということでしょうか。

戦争は、賛成反対以前にいつも『停戦』『やめ時が難しい』

 ウクライナの長引くロシア侵攻からの戦争、北朝鮮のミサイルや、中国の台湾や南沙諸島などへの動きが報道されるたび、それ見たことか軍備を拡充しないといけないと語る方向に人がいます。あんな暴挙をするロシアには制裁を強化し、ウクライナを支援しようということです。

 しかし戦争は長引くばかりで、停戦の動きはなかなかです。このまま、さらに戦争が拡大し、停戦がままならずロシアが戦術核を用いたりすれば最悪の道です。

 ウクライナをかつての戦中の日本に重なる人もおられます。
 物資が枯渇し、鉄も砂糖も脂もコメも手に入らないで、田舎に疎開させられ、家は道路の拡充に使われ供出されてしまう。焼け野原になりつつある都市部、それでも絶望的な召集で、武器も戦闘機も不十分で戦地に赴く人々。

 日本もそうでしたが、戦争は戦う双方の国が自分こそ正義だ思っている聖戦です。そう簡単に、停戦を受け容れると、愛国者やその支持者からは轟々たる非難を受けます。戦争をよくぞ止めてくれたとは言われず、何で途中で投げ出すとなります。最後はメンツかもしれませんが、それ以前に戦争のプロバガンダを信じ込まされ洗脳されてしまう人々が大きな問題です。

 影響力の強い人が洗脳されると、集団にも勢いがつき暴走が止まらなくなります。戦前の日本やドイツが何であんなことになったのか、怒り嘆き、今ならと思う人も多いでしょうが、残念ながら今でも大して大衆の愚かさというのは変わりません。

 ロシアを批判する国々は『力による現状変更を許してはいけない』と言い、特に日本ではそれに毅然と同調しないと東アジアにも及ぶと米国やEUと横並びを強制するような世論が強いです。しかし『力』をさらに『力』でねじ伏せようとし、軍備増強を図ればエスカレートするばかりです。『力』に『力』では戦争は終わりません。長くなるだけです。長引けば、兵士やその家族、一般国民は苦しむだけです。ロシア人は憎くない、プーチンら指導部が憎いのだと言う人もいますが、結局戦争で苦しんでいるもはロシア人です。
 国際世論や他国がまず戦争を止め、国会や国際裁判所、公平な国際世論に委ねるべきです。

 戦争体験の語り部の方々はどうしても、戦争絶対反対の左翼思想に利用される場合があります。国と国の主張がぶつかり合うことそのものは避けられません。戦争やむなしになる事態は、国際社会ではむしろありがちなことです。問題は武力衝突となった時の停戦,やめ時をいかに想定して、国民にも妥協を説明し、交渉していくかです。
 日露戦争は、完全決着で勝敗が決まった終局ではありませんでした。日本が勝ったとも喧伝されましたが、賠償金もなく世論は不満でした。殴り合いで体力もつき、わかったやめようよとなった感じでしょう。有利不利はあったにせよ相手が降伏したわけではなく、条約が結ばれました。
 日本人は潔しなのか洗脳なのか、白黒はっきりさせ無条件降伏まで戦った第二次世界大戦の敗北しか頭にない方が増えました。ロシアのプーチンが完全屈服する可能性はゼロではないですが低いです。むしろ長引き追いつめられると戦術核を使う可能性さえそう低くはなくあります。
 国際世論というなら、玉虫色で双方のプライドや世論に妥協しつつ、停戦を模索する動きが早くでないかと願います。