アメリカに近づきすぎるのも怖い賭け

 親米というのか、対米従属、アメリカべったりの自称右翼系の方は日米同盟が最優先で、会談で岸田総理が親密な連携強化と反撃力を持ち防衛費増大を誇示することを賞賛し、懐疑的な意見には猛烈に非難するでしょう。

 しかし、今の国際情勢の中でそれが対米緊密アピールが絶対的な正解とは言えない、当たるも八卦当たらぬも八卦の賭けです。当たる確率は高くとも、外れた際に蒙るリスクは大きいです。日本は歴史的にも同盟の選択にはあまり成功していません。外交的な詰めの甘さと、判断の悪さがあり、外交下手なのでしょう。
 中東方面では、親米のイスラム国サウジアラビアやアメリカ傀儡のように思われていたイスラエルがアメリカとの距離を置き、中国との連携を強化しています。これは親中と言う意味合いではありません。誤解のない表現をすると、アメリカへの従属度を相当程度弱めバランスをとっているということです。

 中国の現在の政治体制も瓦解するという可能性はあり、時期は特定できないにせよそれほど遠くないうちにある程度体制は変わるのではないかという見方が強いです。

 考えられるシナリオが追い詰められた中国の台湾へのアクションによる有事です。直近で最悪のものは近いところにある米軍基地のある沖縄に戦火が飛び火することでしょう。

 防衛費を増大し、反撃能力を有することには議論もありますが、そこは必要としましょう。泥棒やならず者が要る中で、丸腰で鍵もかけないわけにはいかないからです。しかし、あくまで自国の防衛力を強化するのと、アメリカと強く結ぶことは別問題です。
 台湾の問題でいきなり中国がアメリカ本土にミサイルが撃ち込まれることはないでしょうっし、爆撃されることもないでしょう。アメリカは苦戦が続く、第二次大戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争から冷戦を経て中東やアフガン以降、どの戦争でも自国の領土は無傷です。戦争で儲けたい戦争をしたいという武器を売りまくりたいという層が支配して、兵士という職業がある国ですから他国で定期的に戦争があることが欲せられている経済の前提なのです。
 アメリカと中国がどちらが勝つとかいう議論は意味がありません。中国が暴走して、そのとばっちりを受けるのが日本の領土や国民であることに愛国者として反対するということです。
 こういうと、『弱腰』とか『お花畑』『ロシアや中国には国際的に制裁しないといけない』と平和的外交的努力を全否定する方がいます。前提として自国を護る防衛力は必要としています。その上でアメリカ一辺倒な無駄に危険だということです。第二次大戦中のドイツ、ソ連と同じことです。当時のドイツとアメリカでは比較にならないという方もいますが、ナチスドイツに日の出の勢いもありプロバガンダにころりと騙されたのです。そしてもう一つあえてソ連と書いたのはソ連と日本は軍事同盟ではないですが、かなり綿密に不可侵条約を結んでいましたが、いざとなると守るどころか一方的に攻めてきました。同盟や条約など当てにはできないということです。
 国を護るのは自国の強い意志であって、状況判断の賢い外交です。他国追従、アメリカでもNATOでもないです。サイバーテロや、原発のテロなど、裂けきれない戦火はいつ起きるかわかりません。いたずらに同盟色を強めても危険は増すだけです。

インフルエンサーのゴマカシ、ネットの危険さ

 テレビが出回る前、昔はラジオ、AM放送が報道や情報の迅速なソースであり、音楽やスポーツ、芸能などの娯楽も全てそこからでした。今もAM放送はありますし、いい番組も継続していますが、細々とと言う感じです。とんでもなく、年齢の高いリスナーがハガキやSNSでやり取りされています。ラジオが若者から蔑まれているように(「ラジオ聞くのが趣味?おじんかよwww」)うち「テレビを見る」ということが、時代遅れな、何か恥ずかしいことのように思われる時代が来るかもしれないです。
 近い将来、テレビも今のAM放送のようなポジションになるのでしょう。ネットやスマホの普及によって、テレビを手放す人も増えてきました。みんな次第にテレビを見なくなり、テレビ番組の広告収入も減少に転じて、ネット広告に金額でも少なくなりました。

 とはいえ、今の日本ではまだ、テレビのワイドショーなどの影響力もあり、ネットとテレビを併用したメディア戦略の時代と言えます。

 ある程度自由の発言できるネットの配信、SNSには、政府やスポンサーの圧力もなく、真実があると言う説もあります。それにも一面はありますが、ネットの情報は玉石混淆ですから、厄介なところです。リテラシィがかなり必要です。

 デジタル担当大臣の河野太郎も、あのメールすら返せない老人だらけの政治家の中では多少のIT脳はありますが、イヤな意見の人はブロックする度量の無さ、変節の人格です。
 そしてワクチン担当大臣時代の自らを「ワクチンの運び屋」として責任逃れして、ネットで騒ぐワクチン反対派の言動を全てデマと決めつけるなど、ネット時代にはかえってそぐわない大臣です。
 真実を告げても、ネットなんてデマばかりと埋もれてしまうのも、ネット情報の難しさです。
 確かに、たとえばワクチン反対派の中には、反政府的な人のもいます。しかし共産党など野党系は元々ワクチンの遅れを非難していたほどで、ワクチンの被害、副作用を前から声高に訴える現場医師は決して左翼ではありません。
 
 テレビが政治のプロバガンダに使われ害が多かったと言われますが、ネットは無害だろうかというと「反体制派の全くのデマもあれば、体制派のプロバガンダもあります。テレビが持っていたリスク(「国民を洗脳する」)と同じ要素は当然あるでしょう。

 
 ネット上にはインフルエンサーと呼ばれる人たちがいます。(私なんぞはそこまで影響はないのでそういう存在には遠いです)ネットなどで影響力の強い人です。
 仮に政府や大手企業がインフルエンサーに接触し、巨額の報酬と引き換えに大衆先導の役割を依頼したとすれば怖い話です。
 私が大手メーカーに在職したまだ動画サイトのそれほど普及してない時代から、もうお金のかかって効果の知れているTⅤスポットより、誰か有名な影響のあるブロガーとかにお金を出して呟かせたらと言われてました。その頃から、今はお金の相場も費用対効果分析も進んでいるでしょう。
 昨年大ヒットして、今も品薄な「ヤクルト100」のマツコ・デラックスとの連携は典型的な例です。
 薬品でもないヤクルトに睡眠の改善までの効果があるのかと思うと疑問もありますが、あそこまで洗脳できると、もうメーカーとしては大成功です。乳酸菌飲料程度で目くじらは立てませんが、正直他のモノは値上げ値上げと文句は言う人がどうでもいい買い物で品薄というのは笑止ですね。

 やはり悪質なのは生命にかかわることや、生活に直結するところ、大きなお金が動くところです。原発や、防衛費、ワクチンに関してはかなりお金が動いて、政府も多くの大物インフルエンサーを抑えて不自然な発言になるほど囲い込んでいます。

 大物が変節したり、滑稽なほどヨイショする時は大きなお金、毒まんじゅうを食っているのに間違いはありません。

 普段の立ち位置や、言動のタイミングなどで、ウラで大きなお金来たなというのは想像がつきます。

 原発、防衛、経済、コロナ、ワクチンそれぞれ立ち位置を確認すると普段と向きが少し違うのが忖度や買収が成立したところです。それ以外のところの発言はぶれずにキレ味鋭いインフルエンサーも危ないスポークスマンです。
 生活保護の人に「ワクチン打ちましたか?」って聞くと、「いえ、危険そうなので打ってないです」と言う人が統計的にも多いそうです。
 逆に、セレブというか、億単位の年収を稼ぐような超有名インフルエンサーが、ワクチンに飛びついて喧伝しています。生活保護の人とは比較にならないほど多くの情報を持っているはずです。自分には知恵があり論説できる力があるからとか、実際にはもっと裏に汚い手段で情報の拡散策がいろいろあるのでしょう。
 生きるための直観という面でいうと、誰もが知るインフルエンサーよりも底辺の人の呟きが優れているわけです。
 過去に逮捕やスキャンダルがあり、小気味よい意見をズバズバ言って論破している人も、反体制的な立場だからと思って、何もかも共感してはすっかり騙されます。彼らは商売人ですし、ビジネスとして国の要請に逆らいません。
 まことしやかにつぶやかされる嘘や大げさな表現に騙されてはいけないのです。

値上げ値上げ値上げ #値上げ

 普段あまりスーパーなどでで食品や日用品を買い物をしない人でさえ、家族や周りから値上げを嘆く声は聞こえるぐらいになってきたと思います。
 ニュースでは、まだまだ4月以降もこの勢いは止まらないと報じています。

 近所の激安のスーパーは、他よりも安いことでお客さんは集中して、品薄にもなり少しずつそこも値上げしています。
 物価の優等生と言われ続けた鶏卵、たまごの価格も、ついに高騰の時代を迎えています。と言うか食品をはじめ電気代ガス代まで何でも値上がりです。

 私のパートナーでさえ、お給料っていつ上がるのと宣われました。これだけ同じ1000円で買えるものが減れば、お小遣いをもらう立場なら、これだと買えないよとなってしまいます。小遣い値上げ、世間でいう賃上げ要求も当然です。
 従業員一人一人同じ立場です。経営者も対策を講じないといけないでしょう。ダブルワークを認めるとかも考えないといけないでしょう。中小ではとても今以上そんな人件費ではもたないと、倒産や解雇、人材流失が始まります。人件費の高騰は結局、価格に転嫁されるので、さらなるインフレを呼べばイタチごっこです。後追いにはなりますが。インフレにフィットして賃金は上がることは当然の流れとして、企業側雇用主サイドもそれを吸収した会計を考えた経営をしないとならないでしょう。
 日本の産業構造の特徴的だった中小零細企業や、競争力の弱い伝統産業は一気に淘汰されるかもしれません。それが日本の第何番めかの大きな変革の時代ではとも思えます。政治も雇用や保証には尽力し、継続して無駄なところには支援はできない要らない時代でしょう。

けっこう致命的だった日本のデジタル化の遅れ

 サイトウさんという、斉藤の「斉」の字が沢山あることは、ご存じでしょう。異字体と言われる斎や斉のいろんな字があり、30字以上あると確認されています。そのすべてが戸籍に登録可能であり、驚くべきことにフォントがあるのです。

 このような国は日本にしかありません。文化だという方もおられるでしょうし、面白いウンチクネタだと思われるでしょうが、笑ってられない問題です。名前の字を間違えば、本人は機嫌が悪くなり、失礼にあたります。ただ、この31もの種類の漢字が本当に必要なのかという問題と、そういう固執で日本のデジタル化は遅れ、個人情報の損失や年金や納税の記録が喪失するなど、アナログ故の大変なことが起こっていたのです。

 ようやく普及の進んだマイナンバーですが、ほとんどの国でこういうセキュリティのIDコード化した制度で、個人の管理はとうにしています。
 日本は、もう30年くらい前から、2000年代に住基カードを導入するも、『国民背番号制に反対』とか、愚にもつかない意見が通って延期になってしまいました。番号ではなく、名前と生年月日、住所などで管理するという、およそ人為ミスが多発して、アナログで時間のかかる方向を継続してしまいました。その際に漢字が煩雑なので、拒否すれば良かったのですが、器用な日本人はフォントもいろんな漢字に対応できるようにして、異字体もパソコンで取り込めるようになってしまい、残念ながらさらにデジタル化は遅れてしまいました。

 漢字の母国、中国のように、簡字体をメインにしているのは違和感をもって伝わっています。日本ではいろいろも問題があり反対され難しそうです。それでもこの斉のように無制限に漢字を使用可にするのは、さすがに大いに?疑問を感じます。
 正確に書かないといけない書類が多いですし、パソコンの環境では変換できない字もあると、別人という判定になることもあります。

 完全にこういう異字体漢字を御蔵入りにしなくても、もっと早く個人番号が普及していたら、「消えた年金」の問題もほとんど無かったと思われます。「複雑な漢字、同姓同名、結婚して姓が変わる、住所を変える、会社を変わる、、」いろんなケースで個人番号が無ければ大変なことが起こるのは想像に難くありません。役所の怠慢とかではなく、元々厚生年金、国民年金、共済年金がそれぞれ番号を持っていたのを統合する際に、個人番号が無かったのが大きな悲劇の始まりです。

 そして、給付や還付、返戻金などの度に、銀行口座の登録書類を出していたのも、とんでもない事務作業であり、個人情報とくにお金の絡む銀行口座の情報が危険にさらされていました。

 別の事情でマイナンバーカード制度に反対する勢力が、「個人情報の流出が心配」という見当違いのデマを煽り、制度導入を遅らせようとしていました。個人情報の流出は、申請の都度銀行口座を書いてする方がよほど危ないはずです。煽るのは口座を隠して、財産を誤魔化して、マイナンバーで本名が出るのを恐れて脱税や不正受給をするような悪い連中と思われます。

 結局、デジタル化の遅れは、文化とか慣習がと言っているうちに、ハンコも紙幣や貨幣のお金すらないうちにスマホを導入したアフリカ諸国にさえ後塵を拝すことになりました。
 IT化が叫ばれたのはもう森内閣時代、30年ほど前になりますが、結局進まず、リーマン後の失われた30年の、大きな要因となりました。

 慣習にとらわれず、日本人の器用さ、勤勉さでこれからこの遅れを惑わされず取り戻せるかどうかです。防衛費や少子化以外にも日本の浮沈はこういところにもあります。

人生100年?80代後半、お金と生命 

 最新の厚労省による平均寿命は、男性が81.47年、女性が87.57年とされています。

 私の父、母はほぼこの平均通りの範囲の年齢で他界しました。妻の両親は二人とも存命ですが、そろそろ80代後半という年齢にさしかかり、心身の衰えは顕著です。

 義父は銀行の定年後中高年登山、義母もスイミングに書道などをやって、高齢になっても旅も好きでした。しかし、ここへ来てコロナ禍、足腰をはじめ胃がんなども患い、さすがに出歩くこともなくなり、介護を受けています。65歳くらいからの、前期の比較的活発な充実した高齢から、心身の不自由と戦う後期高齢に入った感じです。

 私の父母は商店をやっていた自営業なので、ジジババストアでも定年なく細々と商売はして高齢でも働いていました。

 ある程度平均的な身体の寿命の中で、2つの典型的パターンの老夫婦と言えます。
 やはり年金額、や老後の備え面ではサラリーマンは強制的な厚生年金加入と企業負担分があり強いです。
 自営業は、同族会社社長も含め経済面だけでも60歳で定年引退はないでしょう。食っていくのに働き続けるのが多くの人の選択肢でした。
 それは徐々に体力は衰えはしますが、遣り甲斐もあり大きなリズムの変化もなく老いを迎えられます。
 逆にずっと、働いていた方は定年で仕事という使命を喪失して、生活リズムが変わり生き甲斐を失ったり、現役並みの浪費はできず、切り詰めないといけない生活を強いられたりということもあります。私の元会社の先輩たちの中にも、モーレツに働いた現役時代の反動で、年金を貰う前後でぽっくりとかあっさり亡くなってしまった方も多くおられます。

 ただ、義父の年代で長く厚生年金資格で定年を迎えていれば、退職金プラス年金でそれほど不自由ではない金額が貰え生活には困らないケースが多いです。退職金は企業にもよりますが、ここ20年くらいで激減しましたのでそれまでに定年を迎えていた人は、年金も早く多くもらえて所得代替率も高くラッキーです。
 義父でもそうですが、90代まで軍人恩給を貰い続けた伯父なども使い切れないぐらいの年金で優雅に暮らしていました。

 こういう経緯の話だと、ここ数年くらいから厚生年金を貰いだした人、今から貰う人は単純に厳しいです。退職金も1000万円代ぐらいになり、ここの1000万円以上下がった部分と、厚生年金の所得代替率の低下がいわゆる定年後充実した生活を過ごすのに2000万円くらい足りないよという「2000万円問題」が騒がれた元凶です。

 一つ抑えとかないといけないのは、これは国民年金の人は、申し訳ないですが元々この計算とは関係なく、所得代替ほどの年金は貰えなかったので、蚊帳の外です。小泉内閣時代の「年金は100年安心」というのは、年金財政の話なので、一緒になって煽られて不平や不満を言っても意味はないのです。年金の財政、給付財源は少子高齢化で厳しいですが、マクロ経済スライドである程度保たれているというのが日本の年金は「100年安心」ということです。この100年安心にするために、徐々に年金給付を物価水準より減らしていったということです。60前でお金を儲けて、悠々引退するのも自由ですし、80まで年金で足りない分を働くこともできますし、生活保護を受けることもあり得ます。

 閑話休題。伯父や義父義母のような人だけが全てではありあせんが、やはり80代後半ともなると、さすがに出歩くとか買い物をする消費も減っていきます。病気にはなるでしょうが、大きな手術や先端医療までは行えないと思われますから、後期高齢からの支出額は、それほど不安要素ではないのではと思われます。やはり、お金が貯まっていることそのものより、健康で長生きできることが一番でしょう。介護や施設に入るのに大金が要るのも確かですが、だからと言ってそれでもう若さを取り戻すわけではなく、幸福が買い取れるとも言えません。高級ホームでも、孤独な一人暮らし、大部屋であろうと、孤独は孤独です。身体が衰え、誰かに世話されていくことに大きな違いはないでしょう。

 人間、不自由な赤ん坊として小さなベッドで泣きながら世の中に生まれ、老いてはやはり小さな方丈の、庵の塒で誰もが生涯を終えるのです。

 戦中派と言える世代が亡くなり、今の80代後半は、かすかに子供の頃の戦争を覚えていて、戦後の貧しい日本を知っておられます。その最後の世代でもあります。そういう面ではこの世代の御老人、高齢者の方は、リスペクトされ厚遇されても何ら不公平ではありません。
 今の厳しい世相の中、戦中戦後の苦しみ、歴史の体験者にはまだ語り継いでもらうことは多くあります。

 それらに続く今の世代もまた、劇的な戦争や貧困はなくとも、自分の経験を次の世代に上手く伝えるのが一つの生き甲斐として老いを楽しまないと思います。

轍鮒之急【てっぷのきゅう】 拙速か愚鈍か 緩急が大事

 漢語の解説から、仕事や生き様を考えます。
【轍鮒之(の)急】とは、危険や困難が迫っていることのたとえ。
また、切迫した状況にある人のたとえ。
「轍」は車輪の跡、わだちのこと。
「鮒」は魚の鮒(ふな)のこと。
車輪の跡にできた枯れかけの水たまりにいる鮒という意味からです。

 荘子が監河侯に米を借りに行ったが、監河侯から「近々年貢が入るのでその後に貸しましょう」と言われました。
それを聞いた荘子は、「ここに来る途中で枯れかけの水たまりにいる鮒から水をくださいと助けを求められました。そこで私は、後で川の水を持ってきてあげようと答えました。しかし鮒は、水が欲しいのは今だと言って怒ってしまいました」というたとえ話をして窮状を訴えたという故事からです。荘子は戻ってくると乾いた水たまりで日干しになった鮒を見つけたという結末もあります。「早く助けろや」という話です。

 こういうたとえを極端な危機管理に当てはめると、ごく当たり前に面倒くさい手続き抜きに、早く助けないとということになります。生活保護とか保険や給付支援の審査などもそうです。もちろん、不正やミスがあってはと慎重にならないといけないのですが、いかに迅速にするかは命にかかわってきます。

 実は阪神淡路大震災のすぐあと、私の恩師的な上司が使われた言葉で、その後に私の人生の行動の指針となっています。良きにつけ悪きにつけ、拙速であるべきか、慎重であるべきかと悩む時、根回し以前に半ば衝動的でも行動を起こす方向が身に付き、それで感謝されたこともあれば、批判を受け、失敗したこともあります。

 そんな災害が起これば、何をおいても手を差し伸べるのが先見だと思われますが、当時兵庫県の中部を担当していましたが意外とその判断すらできない人もいました。
 前々から絶対にやれと言われていた営業ノルマ的な仕事、報告業務、販売のコンクールの聞き取り集計などを平然とやりかけて、周りも口あんぐりになってしまい、かの上司の訓話へとつながったのです。

 こんなケースは議論の余地はないのですが、行政系の仕事だと、平然と今生活に困っている人が申請をして給付がおりるのに時間がかかります。1カ月後なら早いくらい、2カ月から3か月後が当たりというケースはあります。2週間ぐらいしてから書類の不備が返ってきたり、1カ月後に不足の書類を出したり、修正しないと審査されないという連絡があったりすると、真っ暗な気持ちになりそうです。いつなのかと、問合せを受ける方も順調に正しい書類が流れても、決済の稟議(スタンプラリー)の時間、銀行振り込みの時期などで最低このぐらいかかるという早くしてあげたいという気持ちはあっても、時間がかかる体制を説明しないといけません。

 行政は時間と人件費や手間をデジタル化によって、劇的に圧縮して、轍鮒の急にあえぐ人をすぐ救うべきです。

 役所系の人にいまだに、市民に丁寧に説明するのに、延々と時間をかけるのを仕事の誇りとし、美徳としている方がいます。また人的間違いを人の手間をかけて二重三重に確認する方が結局はミスやクレームが減って時間はかからないという人もおられます。
 ケースバイケースとも言え、(もちろん皆さん緩急はつけるのですが)私は根本的に時間は掛けないことに徹することが、より多くの人にサービスを提供できると信じています。時間をかけたところで、人的なミスは無くならず、ミスが起こると、システムの改修にはすぐ向かず、「チエックを強化します」といって、人の手間を増やします。チエックを強化するという時点で、人を増やすか、新たな機械やソフトでも導入しない限り同じミスは繰り返します。人間はミスをするものですし、経験を重ねると完全にミスをしないというわけではなく、経験を繰り返すとマンネリに陥り油断や傲慢が生まれかえって取り返しのつかないミスや不正の見逃しが起こります。

 行政や大企業の不祥事はさんざん、見たり聞いたりしましたが、そんなものです。
 少し内容は違いますが、そんなに大事なことでなくとも、手紙や、最近だとSNSで返事や文章を書くのにも、ものすごく慎重になり、結局はタイミングを逸してしまう人もいます。

 誤字、脱字や文章の不整合など、過去との矛盾など、無い方が良いですが、気にしだすと何も書けないし、呟けないことになります。

 N党の立花氏なども高卒で漢字はやたら誤字もありますが、動画系での主張、法律にも詳しく、間違いなく誰よりも鋭いです。その時に発信しないといけない旬の問題があります。

 生命にはかかわらないとしても、その時その時に、早くリリースしたり、会話のキャッチボールをしたりしないといけない大切なことというのは、世の中に沢山あります。SNS上の一期一会のようなもので、1カ月後では腐った日干しの魚で誰も見向きもしない状態です。

 今はツイッターやブログ、動画サイトなどのSNSでは、一人一人に力やフォロワーはなくとも、政治家や著名なインフルエンサーに直接問いかけたり、意見を述べることもできます。受けた側もクソリプのようなつまらない意見ではなく、しっかりしたまっとうなものなら参考にしています。タイムリーにそれをやり取りするののは、昔の目安箱とか、要望書や公聴会などよりもはるかに早く、手続きが煩雑ではなく揉み消しにくいものです。

 役所だとか学会、経済の分析、法律の改正などで、一般の方が読むのがとても難しいA4横で10ポぐらいのフォントの大きさでぎっしりと60ページとか80ページとかの文章やデータが必要になっているようです。しかし一般にすぐ書けて、推敲や校正をして、読み手に理解してもらうのにいったいどれだけの労苦がいるでしょうか。20ポぐらいのA4横3~4ページが先端企業の意思決定のプレゼンでは主流です。そこに要旨、課題や改正点が詰まって入ればいいのです。長大な資料や冗舌でペダンチックな蛇足で、必要な方がチエックすればよいでしょう。

 それだと、ミスや不正が見抜けないかと訝しがる方がいますが、逆です。大臣など素人に不正や恣意的なものを悟られないため、専門家や官僚は長ったらしい自分のテリトリでの長大な資料、書式を用意するのです。最低限の勉強、知識や理解力は必要ですが、A4横3~4枚1000字以内くらいで、たいていの説明はできます。
 それ以上時間をかけず、書式も、制度もどんどんシンプルにして、人を救うことを早くするのです。

レトルトもジャンクも食べられないさえいる        #レトルト食品

  年末、冬休みになるとクリスマスやお正月が楽しみで子供はプレゼントやお年玉が貰え、ごちそうを食べられるのが当たり前と思っている人も多いでしょう。

 しかし、大人も子供もこの時期が孤独でイヤだと思っている人もいるのです。
 世の中には冬休みになると給食が無くなり、バランスの取れた食事もとれず、食事回数すら激減する可哀そうな子供もいるのです。
 自治体や福祉施設によっては、貧しい子供に1品でもオカズを増やそうとレトルトの食材を年末に配布しているところもあります。

 防腐剤や添加物等の心配もありますが、まずは最低限のカロリーが必要です。これは災害時の非常食品にも言えます。

 もちろん、長い目で見れば、できるだけレトルトやインスタント、ファストフードは避けた方が健康、長寿のためにはいいはずです。
 商店街の商売屋でしたからウチの父母も、朝はパンで、昼も夜も急いで駈けこむような食事が多く、付き合いでの店屋物や総菜、インスタントも多かったこともありました。それだけが原因ではないでしょうし、80代前半で寿命なのかは微妙ですが、二人ともすい臓や胆嚢を患いガンで死にました。

 それほどお金がない訳でもなかった両親で、たまの寄り合い以外は外食やグルメもせず、かといってそれほど手作りや、添加物の少ない食材を選ぶわけでもなく、健康的とは言えませんでした。

 私もサラリーマンで大金持ちではないですが、妻が自身の癌や、子供の腎臓病のため、食事、食材には相当気を使ってお金もそちらにかけました。身内を誉めるみたいですが料理の腕も良く美味しいです。相部屋の子供たちが(それなりに美味しくなってはいますが)病院の食事を楽しみにするのには私は少々驚きました。普段美味しい食事が味わえない子供たちも多くいるのだと気付き、鈍感さを恥じました。

 まだまだ、日本の中には健康であるためには、そこそこのお金が必要なのです。
 それでも鶏卵はケージに閉じ込められて育ったのダメで地飼いの鶏のががいい、養殖の魚は抗生剤が多い天然ものでないととか、野菜は無農薬、有機栽培が良く、遺伝子組み換えや中国産はダメとか選んでいたら、キリがなく、バカ高い食費になります。
 食の安全が、お金持ちでないと、買えないのは理不尽にも思えます。

 インスタントラーメン、カップラーメンを初めて発明し、販売した日清食品の創業者は、戦中の貧しい日本の食を安全に満たすために知恵を絞っての開発と聞きます。

 少し値段は張るけれど。完全栄養のインスタント食品を作ってくれています。

 しかし百花繚乱の、さまざまな加工食品、ジャンクフードが街にあふれています。カップ麺、チューハイや発泡酒、ポテトチップやスイーツなど、新製品限定品も続々です。糖質ゼロ、カロリーオフ、アルコールゼロで、味の再現性や、目立つアイデアはいいとしても、安全性はどうでしょう。コンビニの棚に埋まる食品を食べ続けて、健康が保てるかはとても思えません。

 どこかで、安くて良い食材、安全でお金のかからないメニューへの啓蒙が必要でしょう。

古い木造住宅はやはり怖い  #ホーロー看板#町屋

 ホラーではありませんが、年末に近所の木造長屋で痛ましい火事があり、お住まいの御老人が亡くなりました。
 今住んでいるマンション、新築で購入し14年目で大規模修繕を行ったので、周りの家も14年が経過したことになります。マンションの前の並びの家は廃業されたタバコ屋さんはじめ、一戸建ての古い家が十数件並んでいました。

 ところが、何年かすると、1軒また1軒と古い家は建て直されてゆき、今ではアクリル板にこじゃれた表札、カメラのついた玄関ホン装備、おしゃれな門扉、外壁の新築が見事に並んでいます。おそらく、防犯や耐震、火事など防災も現在の法律や基準とトレンドでしっかりしているでしょう。

 地域にもよりますが、建て替えの難しい町屋や、古い辻子、長屋もまだ随所にあります。私はニッチな趣味として、古い住居表示のホーロー看板を探し歩く散歩をしています。先達のブログを参考に歩くのですが、京都市内でも10年~15年前の記事と比べると、どんどん消滅して、新築一戸建てやマンションやホテル、駐車場に様変わりしています。市内だと、条例でやや無理くり管理地になっていたりします。

 文化というのが、看板などで古い物を残すのが良いとばかりは言えません。あの火事を見ると、木造のやわな家を無理に残すのもどうかなと思います。
 近年の住宅や街は基本的に災害に強くなって来ています。これは日本の素晴らしいところだと思います。かなりの地震や、それなりの台風が来ても戦前や戦後すぐなどの頃のような二次被害も含めた大きな死傷者は出ていません。
 もちろん、その中で、木造の古い家、多くは高齢者が被害を受けています。

 そういった住居から、全て出て行ってもらって、安全な施設とはいかないでしょうが、今回見た火事では長屋でもあるうえ、周りの家屋にも類焼して相当の迷惑も掛かっています。想像ですが、火災保険などにきちっと入って賠償できそうな感じでもありません。
 仕事で、時々個別にご自宅に訪問する際がありますが、まあネット世界でもインスタなどで上には上があり格差は見えますが、リアルの住宅の格差は最高から最貧の格差がスゴイです。
 豪邸というのはもちろん随所にありますし、またべニアのような合板1枚に壊れた南京錠のようなアパートもあれば、異臭のする震度4か大風でも倒壊しそうな木造の古い家にも誰かが住んでいます。

 少し差別的な表現ととられたらすみません。

 街全体のリスク、インフラ整備などを考える時、このような格差を、税金ではなく何とか富める側からの貢献で埋めていく方法があるような気がします。
 よく富める人が、ますます富み潤い、贅沢をして税を払うから企業や社会、国全体は潤うからそのままの格差でいいのだという方がいます。実際に戦中戦後すぐとは貧富の差は相対的に縮まっているとの説もあります。
 しかし、何もかもを分配するのではありません。財を成し富める者は何かのきっかけで寄付など社会に貢献、奉仕する必然があります。街に住む、近隣の人を救うというのは、まさにそのきっかけでしょう。

 日本が、移民を大幅にうけいれないまま、推移するなら、多くの恵まれない日本人に安定した雇用や住居を施すことから始めないといけません。再チャレンジの機会と希望を与え、国や雇用者に感謝して熱心に働いてもらうことが必要なのです。

やはり元旦は一つの節目。新しい年を迎えられたことに感謝しつつ、今年の行動を誓います

 2023年も当ブログをよろしくお願いします。
 サービス業や夜警など年末年始お休みなしの方には本当に申し訳ありませんが、この時期の風情を観るのが好きです。特に仕事納めから、年末多くの方がさまざまな正月準備で、クルマや家の周りを洗い、商店街やスーパー、コンビニなどで買い物をされている姿が良いです。正月が来るのだなと感じさせます。

 もちろん昔から救世軍、日雇い労働者を救う姿など厳しい映像も目にはしてきました。
 手の込んだおせちを作る家もあれば、グルメなところから取り寄せる家もあるでしょう。近所のスーパーでは、簡素な一人や二人分のおせちも1000円強で売ってました。私でさえたまに贅沢でランチするときよりも、安いぐらいの値段のものを正月の楽しみとして、買い物かごに入れてる人いました。また家族も少なく、特別なことをしないという人もいるでしょう。施設や病院で、家族にも会えずに過ごす正月の方、せめてメニューが変わったこととテレビくらいで年越しを感じるのでしょうか。

 コンビニで、レトルト系を沢山レジに持っていかれるオバサンもいました。そのコンビニの前に置き捨てられているカップ酒の瓶、誰がどんな状況で思いで飲んでいたのだろうと想像してしまいます。大吟醸やクラフトビール、こじゃれたワインを楽しんでいる人にも、安いチューハイ、カップ酒に酔いしれていた人にもとりあえず平等に時間は流れ大晦日をは終わり、お正月2023年が来ました。
 やはり、暦とか占星術上でどうだとか言う前に、みんながこれだけ休み、特別にした空気を醸し出すと、必然的に新年、元旦というものは一つの節目になります。

 節目の前の時期、前年をどう過ごしたかを振り返り、何かを学び、悪い点は改め、良い部分はさらに継続し、進捗が鈍いところは加速させていく。新たな1年を少しでも良い年にしていくことでしょう。

 世相、社会の状況、政治も経済も国際情勢も、いろいろ語ればきりがないほど問題はありそうですが、そんな中でも、自分が健康で前を見て歩いていくことがまずは世界の中心です。自分は小さなコマだとしても、そのコマが回っていると世界のあらゆるものが自分を中心に回っているのです。惑わされず、芯のしっかりした行動をしていくことが、この難しい情勢を乗り切る鍵です。
 

昭和は遠く3 #大学ラグビー #実業団駅伝 #ノンプロ野球

いまだに私は出身大学のラグビーと長年勤めた会社の陸上部の駅伝が多少は気になります。  令和も5年となるニューイヤー駅伝では、会社名が変わり、隔世の想いです。
 そう、かつてマラソンの伊藤国光や高岡俊哉を擁したカネボウ陸上競技部は花王陸上競技部となります。

 私の出身は同志社大学で、卒業する前の冬に初めて、1年生の平尾誠二らを擁してラグビー大学日本一になっていました。3連覇を達成した、関西の強豪なのですが、それはとうに昭和の話で、令和になって関西リーグでも苦戦が続き、全国大会では関東の強豪には大差で完敗しています。アメフトはレイプ事件を起こし、どうも出身校の体育会はイマイチな令和です。
 ラグビーのトップリーグは何度の改編されましたが、大学ラグビーの組織は言いも悪いも昔のまま、関東は伝統の早明を中心に排他的な対抗戦グループと、リーグ戦グループの構造です。
 社会人になれば、どんな偏差値の高い名門でも、ビジネスにおいてはどこの大学を出ようと関係はありません。出身大学で勝負できるのは、よほど大学愛の強いOBの経営する中小企業ぐらいでしょう。「お前〇〇大学か、それじゃ商談成立や」なんてことはビジネス社会ではありえません。ただ学閥とか一部の体育会系のOB繋がりというのは、排他的でもあり、それなりにビジネスにつながるような、コネクションがあるようです。能力とは関係ないので、どうも合理的ではありません。企業不祥事に繋がりそうなパターンです。

 カネボウの名前はかつてはバレーボールでも強豪だった時代もあり、入社前に解散はしましたが、戦前敗戦後の昭和30年代にはノンプロの野球では都市対抗を制したオール鐘紡という超強豪チームも持っていました。
 21世紀前に運動部はおろか、実質カネボウは解体し、消滅してしまい。今は花王傘下の会社としてメーカーとしての名前はわずかに残りますが、すでに私が在籍した最後の数年は営業も花王グループ会社の名前で、カネボウの社員も花王の名前で仕事をしていました。健康保険も花王となってしまい、陸上部が消えると組合員の労組に(株)カネボウ化粧品が残るぐらいです。企業年金も最古の鐘紡厚生年金は消え、花王の企業年金とカネボウの厚生年金のねじれ状態で残っています。
 戦前最大の民間会社で、戦後も化粧品を中心に世間によく知られた会社の人間にとって、昭和は遠く霞み、激動の平成も終わり、令和で1ブランドとして存続するのを見守るのみです。多くの売り場では、ソフィーナとカネボウが同じ美容部員が、販売や商品管理をしています。かつて新規参入してきたライバルでしたか、隔世の感です。