時代は移りゆく

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個人経営の方で、月収40万~70万くらいの方が一挙に数万の収入になり実質所得ゼロという例をいくつか見聞きしました。
先日商店街のことを書きましたが、コロナ禍でこの1年でまた淘汰が進むでしょう。商業だけでなく小さい工業、芸能、農業も楽ではありません。
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このうねりのような変化、時代が移りゆく鳴動かもしれません。
そんな中に、北朝鮮拉致被害者の代表だった横田滋さんが、娘に逢うこと叶わず死去されたという報が入りました。
関連はないのですが、昭和に始まり平成の時代もずっと国交のない北朝鮮との交渉は続いていました。
この問題。日本の政権は何度も変わったのですが、あまり進展のないまま時代だけが過ぎました。
当時拉致されたと見られるような、失踪はいまだ解決していません。工作員がそれだけ入りやすい時代だったのか、もはや戦後は終わったと言われて久しい時代での怪事件です。娘や家族が消えた人々の心中を量るとなんとも言えない絶望と虚脱を覚えます。
平成は終わり令和となりました。日本と世界はこれからどう進んでいくのでしょうか。

地元商店街にエール

個人商店が後継者問題や、大手進出、流通や販売構造の変化で先細り、シャッター商店街等と揶揄されてかなりの時間が経過しました。
かつてはイオンモールを凌ぐ賑わいとか楽しさがあった商店街も、次代とともに生き残りは厳しくなり、今回のコロナ禍で、生き残れるとろは少ないと言われます。いくつかの給付や支援もあってもなかなか聞けば厳しいものがあります。
インバウンドバブルに合わせ、拡張したり依存していたところは当面戻りません。
私は京都の下町を代表する大きな商店街の中にある店舗付き住宅に生まれ育ちました。社会というのはいろんな店の人たち+農業ぐらいで成り立っていて、サラリーマンっていった何やってる人かと思っていました。
そんな商店街、今はイベントやおしゃれな店も増えて個性化でつないでいるところもあり、私の実家のあったところもそです。
かつては市場の役割で広い商圏も持っていましたが、今は生鮮等が主要ではなくなりました。
生活必需品はスーパーやドラッグ、ネット通販で買い、リアルの何らかの楽しみを商店街に求めてくる人の割合が増えていました。
私は二男で後を継ぎませんでした。残念ながら実家も他人の手に渡りましたが故郷は「商店街」です。
朱川湊人さんの小説「かたみ歌」にでてくるアカシヤ商店街。昭和30~40年代の描写にジンと来ます。
今回のコロナは厳しいですが、精一杯地元にエールを送って欲しいです。ネットは便利ですが地元に店がコンビニだけでは寂しいです。

ゴミ袋:透明は資源、色つきは燃やせる!

ステイホームで家での食事が増えたり、慣れない家事の人もいて、ゴミのトラブルも増えています。コンビニ等のゴミも使えない地区、期間も増えています。
分別回収のルールが分からず。この緊急事態に「苦労に感謝」のメッセージを書く人もいれば、ルールを知らず間違った出し方をして回収業者や近所に迷惑をかける人が増えています。
有料ゴミ袋を買わない人は、論外の人としてゴミ袋買ってください。最低限のルールです。
せっかく買ったゴミ袋に間違ったものを入れる人も残念です。
確かに自治体により差はあります。しかし、基本的な線は変わりません。詳しくは自治体のチラシとなると、いろいろ項目はイラストで描いてあるのですが結局なかなか覚えないものです>
自治体では概ね「資源ごみ」と「燃やせるごみ」に色分けした袋を2種類売っています。
一部自治体により「燃えるごみ」等名前や色は違います。概ね、資源ごみや燃えないゴミ系は透明になって中が見えるようになっています。燃やす方のゴミは色がついている場合が多いです。
「燃える」という言葉で誤解を生みますが、材質そのものよりリサイクルできないものと考えてください。その自治体で焼却炉で燃やせるものという意味です。カミソリの刃等もプラと金属がくっついていますが燃やす自治体が多いです。
同じプラスティックでもハンガーや歯ブラシは再生しませんので燃やす自治体が多いようです。(各地域によります)埋立は環境面でもあまり多くの種類のゴミは限界があり、炉を大きくして燃やすことが多いのです。
リアサイクルのマークの入った包装容器、トレイ、袋、調味料のボトルなどは明らかに資源です。
迷ったら燃やす方の確率は高いです。透明の資源ごみの袋に対象以外が入ってると回収業者にはじかれます。リサイクル対象でもたとえば食品がこびりついた容器などは「燃やせる」でOKです。(厳密には洗ってリサイクルがベストです)最低限回収の方に迷惑をかけないのは、サイズが収まり危険物でなければ「燃やせる」がベターです。
勝手に燃やせないに入れるの回収の方にもっとも迷惑と覚えてください。

6月1日:今日から水無月

6月は水無月と言います。旧暦では梅雨明けで水が少なくなる月だからか、田植え等農業が忙しく『皆就く(みなつく)』から来ているとの説もあります。
2020年の6月はどうでしょう。沖縄から九州南部、四国はすでに梅雨入り。月のはじめには北海道を除く日本が梅雨入りでしょうか。
2020年はコロナ災厄の年として刻まれそうです。まだまだ第二波の警戒をしつつ経済の復興を模索していかないといけません。
この2月頃から大きく運命が変わったような激動の波の真っただ中の人もおられます。昨年までと変わらないという人もいます。でも日本国を取り巻く環境はいずれ大きな波に取り込まれます。何が幸運で何が不運かは今分かりません。
しっかりと、運命を受け入れ、正道を歩む。運命を切り開くのはそれだけです。妬んでも驕っても油断しても仕方ありません。

コロナ後⑦:行政の改革

コロナ後のいろいろを想像し、提言していますが、今回とくに露呈したことをあげます。
一つは10万円の特別定額給付金の支給手続きで、市町村の窓口がパニックになっている件です。
国と地方自治体のシステムはバラバラで、まったく事務効率があがらない。市町村は独自の旧来のやりかたハード、ソフトにしか対応できない。
という民間の大手企業の本社、支社、関連企業ではとうてい考えられない旧態依然のレベルの低さでした。
行政改革、公務員改革、財政の厳しさで、結局役所は現場末端にしわ寄せを生みました。トップか正職員の待遇は人事院や労組に守られます。勢い現場は非正規職員が多数を占めますし、きつい現場は民間に比べ定着率が低く、良い人材が定着しません。
建物やパソコン等を新しくしていく予算も少ないですし、機会も人材も古いので、それに見合う紙ベースの目視や集計手入力、整理といった事務系の前時代仕事がいつまでも幅を利かせています。
私はかなりIT化の進んだ民間企業、化粧品家庭品の最大手を退職し、しばらく公務のお手伝いで地元の市役所区役所に勤めました。そのカルチャーショックたるものすさまじかったです。
ペーパーレスで、アドレスフリーのクリアデスクから、紙のメモやら帳票のヤマ。データでのやり取りなのに膨大な件数を手入力する。それはミスは個人差こそあれ無くすのは無理です。
給付金等申請主義が効率が良いもかどうかは疑問です。問い合わせも多くなるのと、申請者のミスが多くて、公務側は時間を取られます。
システムが脆弱だとオンラインもうまくいきません。
申請者側市民のリテラシーも上げないといけませんし、対象者に啓蒙する努力。教育などで社会に必要な手続き、しくみについてもっと学ばせるべきだと思います。
たとえば年金や健康保険、雇用保険の仕組み、行政手続きの仕方を20歳過ぎて大学も卒業する人間が何一つ知らず親任せというのもどういう国の在り方かと思います。そんな人に選挙権だけ与えても、テレビやネットの煽動情報くらいしか手に入らないです。
雇用というか仕事面、公務で、教育や情宣、介護、生活保護、医療、土木、子育てなどは現場で人材はもっと必要です。民間よりもいい待遇で人を集め、育てないと、現場経験があって上に進言し連係できる中間管理職や幹部は育ちません。これらは民間委託でもできますが、しっかりと官主導で受託業務を決め、守秘義務、情報セキュリティ、コンプライアンスの問題をクリアしたら官でも民でもかまいません。
市町村の窓口などの現場はスマートになるよう予算シフトしていくのです。

コロナ後⑥スポーツはどうなる

個人的には野球もサッカーも主だったオリンピック競技も好きで良く見てきました。
5月になってもプロ野球もなく、サッカーや大相撲もありません。甲子園は春に続き、夏も高校野球は中止です。
無観客でもテレビやメディアのコンテンツとして、また記録としてもリーグ戦や大会の意義もあります。一方移動する選手やコーチのために感染が広がる可能性もあります。相撲やラグビーなども接触が多く感染の可能性があります。
しかしスポーツ中継のない週末も寂しいものです。ましてオリンピックが中止になると経済も厳しいし、これまで頑張ったアスリートたちも可哀想です。
この機会にスポーツのレギュレーションや球場や競技場等の観客席も味方をも見直し、本質的な変更を考えることです。ピンチをチャンスに変えるのです。
心ならずとも引退の決断をせざるを得ない残念なスポーツ人もおられるでしょう。いつか引退のタイミングはあるのです。
経営者、指導者の中に一時パワハラや、暴君のような古いタイプの体育会系が席巻し問題になっていました。彼らの利権もコロナとともに刷新されないと、もう余裕がありません。そもそもスポーツを興行優先にして、観客を「密」に詰め込んでのやり方は疑問です。愛する地域のサポーターの楽しみの範囲でいいと思います。企業が支えることはいいのですが、興行権が高騰し商品に転嫁して物価が上がるほどになるのも良くはないことです。
健全なスポーツ指導が今回図らずも、ステイホーム動画等で広がりました。スポーツの本質、楽しさが伝わるようなものが多かったです。トップの大会だけでなく身近なものの面白さ、自分で体験、実践することの喜びが味わえました。

コロナ後⑤:待ったなしの少子高齢を逃げずに考えよう

コロナがあろうとなかろうと、否コロナで政府等の支出が増え、市民の貯金も尽きると未来はますます厳しく、苦しい先行きが見えます。
小手先のごまかし、選挙のための目の前の欺瞞ではもう無理なんです。日本はもっとも最初に老人大国になります。それは不可避です。
公務員の定年延長の問題が検事総長のマージャンによりネット上も盛り上がりましたが、もっと前向きな議論で働き方改革。年金や健康保険の今後の問題。
今の政治家や官僚も考えてきましたが継ぎはぎだらけでその場を凌いでも来ました。
「社会保障と税の改革」は待ったなしなのです。
私もここまで譲る、こういう案はどうかと持ち寄るのです。誰だって全体は見えないと、自分の周りが良ければと思ってしまいます。
政治家は力強く、国家や人々の未来を語り、あるべき姿そのために自ら知恵を絞り議論と説明を尽くすのです。そしてマスコミや専門家、評論家も事実を分かり易く解説する。右も左も老若も貧富も考えない。党派を頼まず、グループやしがらみによらない。事実を伝えるべきマスコミに色がついて偏っていては意味がないのです。
これができない政治家はいらないのです。マスコミ等も高い給料貰って、煽るだけなら害です。ゴミ以下です。そんな人を選ばない。そんなマスコミを拒否することです。声を上げSNS中心で良い政治、良い行政の体制でないとこんな危機はのりこえられません。


コロナ後④:働き方も学び方も価値も変わる

コロナ後はどんな社会なのか。
今の延長で少しずつ変わるのか。伝統を守り取り返した人もおれば、もうこの機会に一気に変えちゃえという革新派がいます。
教育関連で学年9月スタ―トを言う人はその革新派の最たるものです。
仕事のスタイル、テレワーク等もそのまま継続か、課題が多く無理というところもあります。
たとえば通勤ラッシュとか、新幹線も混んでいた時に戻らなくなるとあれほどの車両と本数はいらなくなります。雇用などの点ではもとに戻さないとそこの経済、市場は下がります。
営業車などで御用聞き営業をしなくとも、メールやオンラインの提案で十分ならかなりの仕事や経費等が省略できます。新幹線や飛行機、ホテル代まで使って、遠くから見るプレゼンならオンライと変わらない。同地区や同期との親睦が大事というのはちょっと違いますね。テレビ会議で十分があちこちで証明されています。
そんなことよりコロナでできたスキマを埋めるモノやサービスを考えましょう。
そして、学びはより本質をとらえた教育を見つめなおすことです。既得権や既成概念に捉われた全体主義、付和雷同では変革についていけません。「みんながとかあの人がやっているから」ではない、とりあえず有名な大学を出たらとかの時代ではありません。
生きていくこと、働いていくことに必要なものは何かを学び、学ばせることです。


コロナ後③:地方、過疎地でもテレワークを可能に(東京脱出)

東京一極集中は1970年代頃に遡るようです。霞が関の権力が横柄になり、抵抗する企業の連合等も陳情等で度々上京するコストを考えると、ほとんどが東京に集まりだし、主要企業は東京に本社本店をおくようになります。当時は全国に空港はなく、新幹線や高速道路はおろか特急網すらない時代です。メールやオンライン電話は未来の夢、ファックスも備わっていません。そんな時の名残、慣習からスタートし、東京に住むことオフィスを構えることがステータスとなり、人が増えて便利になりまた人も集まるようになりました。
それは冷静に考えると度を超えてました。
何かを分散してはと、言いだし地方都市への首都まるごと移転も検討されましたが、利権やエゴで貶しあい、すぐ立ち消えました。
あの時に少しでもと思うほど、今は地震や洪水、疫病のリスクの上、毎日の通勤地獄。高い住宅費で生活も圧迫されます。
もちろん今回テレワークどころでなかった仕事の方も多いでしょう。それでももう一度地方に住み、キレイな空気で渋滞も満員電車もないところで、暮らすことをは検討の余地はあると思います。
テレワークやオンラインでできる仕事ならなおさらです。
田舎暮らしも楽ではないです。地方都市も東京に比べたら文化施設などでも劣ります。人間関係や風習も慣れるまで大変です。しかし命に係わるとすれば決断もあるでしょう。過疎に悩む自治体や、人で不足後継者不足の法人はあります。強い意志で何らかの情報を見つけ、東京、都会を捨てる人が増えてもいい時期だと思います。

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コロナ後②:中小企業や伝統産業、個人経営に大手の力を

コロナ禍でいろいろ中小企業や個人経営の方への給付や融資や支払猶予等が複雑に制度化されています。
日本は、中小や零細企業、個人経営のところが多いです。オンリーワン的な力があり今まで頑張ってきたところも多いようです。
しかし本格的な景気悪化で、お金が回らす存亡の危機です。
行政の全面的な給付等の支援には限界があります。無利子でも返済しないといけない訳です。返済計画も悪い状態が続けば絵に描いた餅です。家賃や人件費は待ったなしです。
持ち株会社等の投資は、もちろん吟味も必要ですが、大企業は是非日本の優れた中小企業や零細企業を救って傘下にして欲しいです。オンリーワンのノウハウや人材のあるところをどんどん吸収して、双方のいい面を活かすのです。地域密着で少しでも下請けや関連のある分やなら支援する。数を増やせば元の会社も大きくなり敵対的買収を防げます。経理事務や福利厚生はスケールメリットを活かせます。吸収してどうしようもなければ、セグメントして人材や資産をそのときに再分配すれば良いのです。
日本の企業はやはり効率は悪いです。それは中小企業が多すぎます。中小企業の社長さんには悪いし、暴言に聞こえますが。景気のいい時は個人に実入りが良く、悪くなると公的支援に頼るのも俯瞰してみれば勝手なものです。小さいところの独立性や個性は活かしつつ、経営や会計の責任までは持たせずに思い切り頑張れるような体制がいいと思います。
外食、居酒屋もチェーンしか残らないとも言われますが、資本はチェーンでもいいとも思います。

大きな会社の庇護を受けるには、長所をはっきりプレゼンし、個人経営の我儘、我流は抑えることは必要です。
(つづく)