京都白川 哲学の道で異郷の友を想う

「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」
私の学生時代までの友人にも元々実家が名門だったり、自分でもすごく努力や勉強をされすごく出世されたり上級国民、お金持ちになられた方がおられて、比較的平凡なサラリーマンで終わった者としてはたまに驚き、恐縮します。また今の仕事はサラリーマンで成人の生涯のほとんどを厚生年金加入で過ごした者には縁の薄い国民年金の手続き、自営やフリーター等の方がコロナで減収して月々の支払にも汲々として将来が見えない人ともよく出会います。
まあでも人それぞれで、職業や人間に貴賤はないとも思います。人は人、それぞれに価値の合う生き方をしていれば良いのです。
会社の同期の中でも取締役に登り詰めた者もおれば、早期にリタイアドロップアウトした者もおります。
元々、好かれる嫌われるの割合で言うと前者が少ないマイペースな方なので、付き合う友人は限られた個性で、お互い立場は変わってもこの変わらぬマイペースさを好むようです。
早くに取締役に出世しても結局激しい権力闘争に敗れ、人生を失ってしまった友人もいて、「お前はいいよな」と最後に会った時言われて、その後彼の死を知った時、いろいろ感慨深かったものです。
京都の東山、白川沿いに哲学の道という、今では観光客の多い散策路があります。哲学者西田幾太郎が歩いたことで冒頭の文言の碑があったりします。
早期に同じ会社に昭和57年4月入社した、ある友人はその8月にリタイアした旨の手紙をよこします。
「すまんが、この会社のつまらん先輩にはついていけない。僕は国家公務員上級を目指す」

それから1年ぐらいして、上級試験に受かったことと、君はこんな会社で好きな部門にいけそうかとかの心配をしてくれた。
辞めた詳しい経緯も、『パワハラ(当時そんな言葉はない)ほどではないが、同行する先輩の知性の無さに辟易とした。昼食休憩時間にサンケイスポーツしか読まない輩と仕事したくない。会社人事にはいい話ばかりで採用されたが、周りを見渡すとコネ入社コネ出世の危険な体質だ
後のこの会社の凋落、崩壊を予見しっていたのかさすがです。
「井上私)といつか、哲学の道を語りながらまた散歩したい」
入社後の研修合宿でよくしゃべり都島の工場での研修の休養日には大阪の街も案内した。
毎日の所感ノートや、朝礼スピーチでの斜め上を行く博学(雑学)、含蓄とユーモアが大好きだったと言われていました。
私のスピーチや文章は30年以上たっても、賛否両論で、好きな人は好き、嫌いな人からは総スカンです。
まあ、私以上に彼はどんどん忙しくなったのでしょうから、哲学の道を散策する約束は当然実現しないままです。もうそれこそこちらが定年でセミリタイアしているときに彼はもう雲の上の人になっています。
ほとんど外国に赴任している彼、一度だけ彼が国内の広報担当参事官についているときニアミスしましたが、声かけもSNSも気軽にできそうな立場ではなさそうなので遠慮しました。
海外に行くことが苦痛ではないでしょうが、中東等難しい上に、危険な国が多く、彼の語学力や使命感、交渉力等がもう考えただけで、桁違いにレベルアップしていることと思いたじろぎそうになりました。
あの時、サンケイスポーツを読みふける先輩に出会わなかったら、日本は国家的人材を損失していたかもしれません。

『いままたアフガン情勢で激動して、その重要な位置にある国の、総領事を務める彼の激務を思うと、大学を出たばかりの若い頃、青い話をしたことを懐かしく思い出します。そして、不穏な国際情勢の中、命を家族を大切にして、また日本人のため懸命に勤めて無事に帰還することを願っています。こんな私でよければいつでも散策の相手にかけつかたい思いです』

戦争が近くにある国やイスラム教が世俗に染み付いた国に長くいる君にとって、コロナ騒動やオリンピックで平和ボケした祖国はどう映るのでしょうか。
あの時、悩み苦しんで決断した以上の、苦労を味わい辛酸に耐えて君は大人になっているのでしょう。君にとっては多分私は変わらぬ青いままかもしれません。
世の中の大部分の同年代が、リタイアかセミリタイアを迎えるか、まだまだ生活するために安い賃金で汗を流している時、国家のために日々を過ごす君はやはり傑物だったのだろうか。それとも何かの運命に引きずられたのだろうか。
上に行けば行くほどこの世の中、首相や大臣でさえ自由きままには働けず、どちらを選んでも憎まれ後悔するような選択の日々なのかもしれない。それでも君の選んだその道に間違いはないはずです。
あれから40年、君の友人だった私は全く別の道を歩んだ。きっと40年近くを経て、あまり出世もせず、定年を迎え、変わっていない少し斜に構えた、でも少し癒され考えさせられるという文章を書き続けている。
「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」


インパールの戦いの真実 戦争Ⅰ#アジア太平洋戦争#ビルマ#インパール作戦#日英戦争


8月のこの頃、原爆投下から終戦にいたる時期は報道やドラマでも戦争を語り継ぐ内容が増えます。
第二次世界大戦、最近は日本の関わったこの戦争をアジア太平洋戦争と呼ぶようです。
私は戦後世代の教育は、アメリカの洗脳を受けどうしても反省、自虐であたかも日本が邪な侵略戦争を仕掛けたように思いこまされていると感じます。
これは決して右翼的な考えではないとは思います。
結構多くの国立公立の大学や戦中に弾圧された私学系の大学の法律や歴史、政治を学んだ比較的知的な階層の人が「侵略戦争を仕掛けた日本の帝国主義が悪い」を大前提にしていることに驚きます。
「戦争」「真珠湾」「靖国神社」「慰安婦問題」「南京虐殺」「A級戦犯」「原爆投下」「靖国神社」あらゆる議論の問題が帝国主義の日本が悪いという思い込みがあると前提が狂います。
戦争、それはいわば国と国の喧嘩です。どちらにも事情があり原因があり一方的に悪いということはないはずです。もちろん喧嘩や戦争をできればしない方がいいと誰も思っています。やむに止まれず紛争の末戦火にまみれ、結果として敗戦国はしばし歴史の上で悪と認定されます。戦争は喧嘩両成敗も、公平な裁定もありません
戦争に関わった軍の上層部が、凶悪な侵略者で愚かに敵国や味方の部下の命まで奪ったというのはバイアスがかかっています。
靖国神社でA級戦犯が合祀されているのが問題で分祀したらという声が良くありますが、そもそもA級戦犯を決めた東京裁判自体が戦勝国の一方的な裁判でA級戦犯にしろ、語られる多くに軍人にしろ、戦略戦術の間違いはあっても日本のため一途に戦った人たちであり死後まで忌避されるような罪人ではありません。(元々日本はどんな死者も鞭打つことはせず神様と拝みますが)
オリンピックで日本の選手やチームが勝ちメダルの数が増えたりするのに熱狂したように、戦中の日本人ほとんどはアジア太平洋で連戦連勝する日本軍を熱狂して応援したはずです。
「白骨街道」「無謀な作戦」「日本型組織の最大の失敗例」という残念な評価だけが残り、その最後の指揮をとった牟田口廉也司令官もまた無謀な指揮官の評価のみ残り勝ちですが、いくつかの文献を見ると当然ごくまっとうな司令官であり、普通の人物像が浮かびます。
アジア太平洋戦争というと、アメリカとの戦争、中国との消耗戦をイメージする方も多いですが、イギリスとの大陸での戦いも大変重要なものでした。イギリスは本国の近くでドイツと戦い、日本は太平洋でアメリカと激戦を展開していました。中国の補給路を断ち、逆に日本の補給基地とする。インドを制圧してアジアでイギリスを早期に完全屈服させていれば、アメリカは厭戦気味になり有利に停戦できる。当初のインパールへの目標はそこでした。
香港、シンガポール、ビルマと各戦線で連戦連敗のイギリス軍と、圧倒的な兵力と勇猛果敢さで、無敵を誇った日本軍。両者の明暗はターニングポイントで分かれます。
指揮官というより本国の無理解による無理な命令、ガダルカナル等と共通する補給の軽視など、最終的には日本軍のオウンゴールでイギリスは盛り返します。
私の大叔父も通訳でこの作戦に関わりアウンサン将軍(スーチーの父)と交渉の場にもいたそうですし、壮絶な撤退の一部始終をよく聞きました。
ワコール創業の塚本幸一、女子バレーの大松博文等もインパールに従軍されていました。戦後のご活躍の原点というにもあまりにも重い体験です。
聞くだに恐ろしい豪雨と灼熱、飢餓、マラリアと英国の追撃をかわしながら、インド国境、ビルマを逃げ延びたお話は何度聞いてもすさまじいものです。
多くの仲間が死屍累々となる一方、戻られた方には、何かを成し伝え行く宿命があったのではと思います。
兵站、ロジスティックが弱いというのは現代でも一流企業でマーケティング等をやると分かるはずです。どんなにいい商品を作ってもいい宣伝をしても、デリバリができず品切れでは企業戦略で勝てません。今の政府のワクチン供給だとか、その以前のマスクの配布や供給等見てると、未だに政府は兵站を甘く見ています。トップがいくら国民相当の数を抑えても途中を丸投げしてしまい末端に至るロジスティック戦略を考えて指示しないと目詰まりして勝てないの戦中と同じです。

真夏日とはいえ、少しあるけば飲み物の自販機がありクーラーの効いたコンビニがある現代の日本ですが、この数日だけでも70年前のビルマに思いを馳せてみたいと思います。

【五輪開幕】復興五輪の形になるものができなかったものか

コロナ感染拡大でどうなるかと気をもませたオリンピック。ようやく開幕しました。深夜までの開会式は、セレモニー、選手行進、会長らのスピーチと長時間にわたりこれも物議をかもしました。
式の演出、進行等はある程度長めの尺の決まった中で、開催国の意気込み、文化芸術や伝統、最新技術までテンコ盛りでした。これが賛否両論で、ネット上はまあ否定の方がやや(かなり)多い印象です。これからアスリートが頑張り、感動を与えてくれるから四の五の言うなとの声もあります。
開会式の芸術的な部分やテクノロジーの部分は人の感性、知識のあるなしやら感じ方にもよります。
まあ多くの予算が投じられた開会式であったことは衆目の一致するところで、「コンパクト」や「復興」というテーマは感じられなかったように思います。
これからのアスリートのパフォーマンスにしろ、人によって「不甲斐ない」ととる人も「感動した」という人もいるでしょう。
津波や原発事故を経験した人やコロナ禍で医療が逼迫した面を見てきた人が、これだけの開会式を日本で行えたことに感動している方もいないとは言えません。
しかし、巨額の税金、お金がかかり過ぎている上に、そのお金が復興には回らず、広告会社や制作会社、五輪関連の組織にだけ潤沢に還元しているということをもう多くの人が感じています。
演出家の過去のコントをめぐる突然解雇をはじめ、女性差別発言等、主催側に対してどうしても厳しい目がいくのはこういうところです。スポーツに関係ないパフォーマンスが延々と行われる開会式に当然賛否ありますが。そこで良かったと世界の誰かが思って、「いいね」投票したり、募金したりして「復興」に活かすシステムはできなかったのでしょうか。
すでに日本は「復興」しているというなら、原発の非常事態宣言下に低賃金で従事したり、復興途上の仮説住宅にいる人に、いますぐにでも高額の報酬を還元すべきとの声にも頷けます。
それでも、200もの国と地域がっ出ていれば多くの国は、復興途上の日本より恵まれていません。メダルはおろか、競技に参加するのがやっとの国が過半です。アナウンサーの国の紹介も平板でした、もう少し国の状況を説明し、テレビを見た人が各国に応援できるように国別のデータはすぐ字幕やデータ放送が出るようにできそうなものです。
ミャンマーやシリアが今どういう政権下で選手を送ってきているのか、本当のところは分かりません。
衣装や表情、人数等に国の雰囲気は伝わります。そういう面では入場行進はメダル争い以上に参加の意義をもった祭典の中心です。
メダルの数の競争はもういいのではないでしょうか。せいぜい気にしているのは20か国くらいでしょう。こんな数でいまさら国威は上がりも下がりもしません。

「アスリートは頑張っている、アスリートに罪はない。アスリートがひた向きに国を思い競技する姿に感動する」
それを共有、強制、洗脳するような報道になりがちです。アスリートとだけ言ってすべて許されるなら、ナチスのオリンピックでも許されます。
国威を上げるためだけならもう日本に今さら要らないと思ってしまうのか、まだまだメダルを集めたいと思うのかはやはり感じ方の違いです。

何とか競技開始オリンピック

1年延期され、アンチ派は中止を訴え続けたオリンピック。今も東京は感染者の多い中、いよいよ競技開始となりました。
少し前は「やるかやめるか」五分五分の感じでしたが、予想通り何とか開催までこじつけました。しかし、一番の制限の多い無観客開催で会場は静かな感じです。
それでも4年+1年頑張ってきたアスリートたちの、本番パフォーマンスを世界の人が主にテレビで見るということです。意義はあるでしょう。
想定の範囲で、コロナの陽性者はでていますが、大会自体を揺るがすものではないでしょう。アスリートにとっては、この暑さの方が体調管理大変だと思います。
テロや暴動のようなものが起きないことを願います。
私自身は中止になった時のマイナスの経済効果を考えて、開催はすべきと思ってました。しかしこの寂しいスタンドの無観客開催は、マイナスはないもののプラスは少ない。進退ともに難渋を強いられるオリンピック、この夏の関係者の苦労は絶えないですね。

すでに英米中はアフターコロナで経済回復

この話一度書いています。すでにイギリスでもコロナの規制を緩和し、日本ではワクチン2回接種の効果とか「いやまだ早い、あぶない」とも言われています。
しかし早々にコロナをシャットアウトした中国、ノーマスクでメジャーリーグ観戦のアメリカの様子を見ていると、「感染が心配」というより経済停滞の日本が心配になります。もう1周雨遅れ以上に離されています。
「感染予防が最大の経済対策」とか、「経済よりも命、感染予防」が優先とか言ってる間に本業が喪失していく、世界との格差が開いていく取り返しのつかない事態が来ています。
経済や技術の競争で先を越されて、コロナがあったからハンデをくれ、補償をくれと言ってもそれはムシの良すぎる話です。
老舗の旅館や料亭等でも、つぶれたところや大きく売り上げを落とし回復のめどが立たないところがあります。日本の置かれている状況はこれに近いです。確かに有料顧客で待っていてくれて戻ってくる人もいるでしょう。しかし逆に言うと何割かは他所に行きそこで接遇を受け、そこでもいいということで帰ってきません。いろんな変化が起こっています。
GOTOキャンペーンの見切り発車に感染面で怒った人も多いですが、あらゆる経済面でウイズコロナ、アフターコロナの発車をしないと日本はとんでもなく遅れていきます。

嘘つきでバチが当たった「コンパクト五輪」「復興五輪」の無観客開催

人間って弱いもので、どうしてもその場逃れに適当なことを言ってしまいます。うまく逃れたようでバチが当たり後で信用を無くしたり、しっぺ返しをくうものです。
当初、オリンピックは東日本大震災からの復興を世界にアピールし、既存施設を活用したコンパクトな五輪ということで開催都市に決まりました。
巷間伝わるところでは、合法か非合法かは知りませんが、東京開催誘致のため広告会社から数億のお金がアフリカ諸国に渡ったという話があります。その採算をとるためには結局は競技場、施設も新設をしド派手な五輪にしないといけなくなり、復興もコンパクトもその場しのぎの言葉で置いていかれたということです。いずれにせよ、「復興」や「コンパクトに」は裏切られ、予算は当初の3倍に膨れ上がりました。
コロナの蔓延で満員での開催が難しくなり、多くの施設は出鼻から満員稼働で稼ぐチャンスを失い、一度も使われることなく取り壊される観客席もあります。残るものも悲惨で今後は維持管理だけでも重荷になります。自治体の負の遺産が量産されているのです。
もちろんこれはコロナという予期せぬアクシデントではありますが、やはり何かリスクを見通した採算の見通しの甘さと、「原発事故も完全制御している」等の虚言まがいで強引に進めたツケのようなものがしっぺ返しを食った印象があります。
広告会社や人材派遣会社はコロナ禍でも利権太りしたままなのかよくわかりません。しかし倫理や道徳を逸脱してまで儲けだけに走る企業もまたいつかしっぺ返しを食らうでしょう。
自分自身でも仕事等で、その場をとりつくろい信頼を失うようなことで大いに反省したことがあります。
国家、政府、官僚もその場だけでなく、将来未来、世界に通じる言葉を大切にしないと信用、信頼は得られません。

苦言やマイナスの発言が多くて申し訳ありませんでした。とはいえ、世界のトップクラスのアスリートが競い合うイベントが間もなく開幕します。コロナのこれ以上の蔓延、亡命やテロ、大事故、災害がなく無事に終わることをまず祈ります。
プロ野球Jリーグ等も中断しますから、やはりオリンピックに注目は集まるでしょう。この時しか脚光を浴びないアマレスや重量挙げとか、マイナーや新興のスポーツの面白さに注目します。殺伐とした世情の空気を一掃して欲しいです。
スポーツの持つ力、ドラマ性は認めるところです。
新たな世代が、活気を持ち元気になれるようなドラマを大いに期待します。

中国アメリカを復興で追いかけろ  #ワクチン#アフターコロナ

世界経済は米中を中心に回っています。この二大国はすでにコロナ禍からほぼ脱却しています。
毎日、放映される大谷翔平のMJBの画像の観客は、マスク無しで酒も飲み叫んでいます。
中国はともかく、欧米は日本なみの感染者の割合ですが、ワクチン接種も済み重症化が減ったためコロナの感染症としての危険度合いの「格」が下がっている感じです。
日本はワクチン接種は遅いですが元々民族として清潔な習慣を持ち、免疫力も高いため、ワクチン接種をした欧米がやっと追いついた程度です。それでも未だにニュースネタを欲し政府批判したいマスコミ系が恐怖を煽り洗脳を解きません。
元々しっかり感染対策をすればそうそう感染し重症化に至る割合は著しく少ない上、さらにワクチンで免疫力が上がればほぼ影響のないものになり下がるはずですが、なかなか安心の報道はなされません。
最悪のリスクの情報も必要ですが、全体的な説明が必要です。【変異株】という新語も良く出ますが、なぜ【種】や【型】でなく【株】かというとコロナウィルス自体が著しく変異するウィルスではなく表面のスパイクというトゲトゲが少しだけ変わり特性が少し変わる。マイナーな変異を繰り返しているだけです。【新型】とまで変異するには前の旧型からと同じく15年くらいかかるそうです。毎年流行の型の予測のつかないインフルエンザに比べると、しごくワンパターンで旧型を一度罹患した人でさえかなりの免疫力があるという説があるくらいです。(いわゆる東アジア人のファクターX)
ワクチンにもいろいろ玉石混合の情報があり次のデルタ株にはあまり効かないとか言われてもいます。
しかしコロナのマイナーな変異程度では全く効果がないとは考えにくく、ある程度効くワクチンであり続けるようです。
ワクチンの接種回数や頻度の問題も長い治験は無く、実はまだよくわかっていません。
専門家が読み取る1回~複数回の治験データからも、1回接種でかなりの効果があるのと免疫の低下の時間がそれほど短くは無いのではないかと言われています。
1回より2回のが良いのと、毎年2回受けるのが良いのは良いでしょうが、費用対効果やリスクを考えると1回でもかなりの効果はあります。
効果を言い出すとインフルエンザの予防接種等は年により大外れに近いものが多いです。それでもインフルエンザに感染した時、「重症化を避ける。記憶免疫を強くしている」と言われています。
記憶免疫、そこまで言うならコロナのワクチン1回でかなりの効果が残るはずです。
ワクチンを作る薬品メーカーや医療行政は、感染後の特効薬よりも毎年複数回の接種を勧めるデータの提供に拘ります。彼らは、使命感もありますがビジネスでもあります。
今いきなり日本はワクチン不足と言いだされましたが、これも1回接種を先に進めていれば局面は変わっていたかもしれません。7月中ぐらいには成人人口の半分、希望者のほとんどにワクチン接種ができることになっていました。元々感染の少ない日本で、これで収まれば一気にワクチンは1回で十分とも言われだしかねない対応なので、結構慌てて2回接種をメーカーは強要しました。少し胡散臭い感じのするところです。

また緊急事態宣言出した東京、日本はまだ企業も個人、国家財政もまだ立て直しがきかない状況です。オリンピックの無観客も痛手。これからコロナ関連で税や保険料の引き上げの痛いところであり、財政もますます厳しいところです。
日本の消費が止まり、日本への輸出が減っても二大国はびくともしません。逆に貿易相手としての格が下がり、インセンティブ等の条件が悪くなる一方です。
アメリカ、中国との経済力の差は広がるばかりです。
既に食糧の輸入等どんどん足元見られています。有利な先物での買い付けが、消費低迷でできないと国内調達のできない日本は致命的です。
そして日本は今少子高齢で、国内の産業、輸出できるようなモノがどんどんなくなっています。
コロナの国内世論も大事で、命も大事ですが、本腰を入れて経済の復興をしていかないと、日本のプレゼンスは決定的に下がります。
テレワークと些末なことにとらわれず、【経済復興】日本のビジネス、教育これから必死に頑張らないと日本は中等から下のマイナーな老人国に落ちていきます。
若者たちを中心にもう一度【坂の上の雲】を必死に追いかけるよう、教育もしっかりしないといけないでしょう。

ワクチン徒然

つい一年前はマスクの供給で騒いでいましたが、今はワクチンの接種、予約や供給で相変わらず混乱、騒然としています。
オリンピックをめぐる議論も立場が変わればいろいろですが、ワクチンをめぐる議論はさらに複雑です。
どちらかというとアンチ政府の人は、ワクチンがコロナ対策の切り札と言いながら後手に回ったことを非難しています。裏を返せば早くワクチン接種をして安心を得たい人です。
このほかに、コロナワクチンそのものに懐疑的なグループがいます。
このグループは日本人の治験が不足しているという慎重派から、メッセンジャーDNAワクチンそのものを無理して身体に入れなくても良いというスタンスの方もいます。薬品メーカー陰謀説に近い論理もあります。
確かにワクチンには重症化を防ぐとか、発症をある程度防ぐという、国が進める目的であるメリット、ベネフィットと、これに相反するデメリットがあります。それはやはりアナフィラキシーショックや血栓等、副反応、最悪は死です。

いくらワクチンが引き金で死ぬ確率が低くてもゼロではありません。元々日本人が感染対策をちゃんとしておれば罹患する確率は低く、まして健康な基礎疾患のない人が重症化し、死に至る確率はかなり低いです。そうなるとワクチンをわざわざ打って血栓でもできて死ねば救いようがないとも言えます。
確率が低いとはいえ、重大な副反応が起きる人にとっては生きるか死ぬか1:1です。コロナそのものも、また確率は低いですが重症になってしまえば生きるか死ぬかあの時ワクチンを打っておけばということにもなります。

この判断が一般の人に委ねらると大変難しいです。
アンチワクチン派は専門家は薬品メーカーから研究費等お金をもらっているとか、大金で抑えたゼネガのワクチンが危険なので他国に譲った。結局ワクチンは危険、必要ないのではとディスります。そういう面もありますが、そこからもファクトを見つけないといけません。多くの国もワクチンによって爆発的感染は抑えているということと、重篤な副作用はほとんど現れていないというのもファクトです。
世界経済を大きく揺るがした新型コロナです。その裏にどれだけのものがあるか想像してもしょうがないです。
どっちに転んでも命まで取られる確率は低いと楽観するしかないでしょう。

京都地下鉄市バス赤字問題       京都財政再建2#京都市財政破綻

京都市の赤字の原因はいくつかありますが、大きいものが交通局。市バス地下鉄の事業と言われています。それもインバウンド拡大の時期はそれなりに乗客があふれ目立たなかったのですが、構造的にもあまり採算がとれにくくなっているようです。
コロナ倒産とか言われますが、企業もコロナを言い訳にしているだけで、財務体質や本業の競争力等根本に問題がある場合が多いです。たまたまインバウンドのバブルで延命していたものが途切れての倒産というケースです。
京都の財政逼迫もそれに似ています。
市バスもインバウンド全盛の頃は混雑しすぎて満員で地域の足としては利用しづらくなっていました。地下鉄は環状はおろか半環状にもならず他の私鉄やJRとの接続も悪い状況です。市が肝入りの洛西ニュータウンまでの延伸を約束した地下鉄東西線は途中の太秦天神川で事実上延伸停止です。それまでの工事に予想以上に費用と時間もかかりました。ニュータウンは最早旬を過ぎ、人口も全盛期の半分程度になり「陸の孤島」と揶揄されたままです。
京都市には、洛西ニュータウンに住居を購入した人への最低限の約束を守る義務もですし、もっと大きな志として京都市全体の交通体系を考え市民が暮らし良く、豊かな住みよい街を築く使命感を持ってもらわないといけません。
たとえば地下鉄とバスの連携、バス乗客を観光客と地元市民に分かる。一見コストがかかりそうですが、便利にしないと乗ってもらえません。そして主要観光地と住宅地を結ぶ新たな路線や延長も考えるのです。その際もコストは重視して単線とか一方向のみ等シンプルにして、過剰な設備はカットします。
公共事業が大赤字になり自治体財政を悪化させるのは、予算を乖離したような民間だとどこかでストップしないと借金がふくらみ経営が破綻することを一度決まったからと暴走するからです。小さな企業ならすぐ無理になることが、税金、親方日の丸は後戻りしません。地下鉄東西線はそのパターンです。
考古学を全否定しませんが、市民の多くはそういう学術に時間やお金がかかることは望んではいません。大阪で橋本市長の時、文楽の予算の件で議論がありました、橋下市長はすべてアンタッチャブルに見直しを図りました。いろいろ誤解や軋轢もあったでしょうが、覚悟が伝わりました。京都の場合も聖域やしがらみのタブーは多いですが、
地下鉄やバスのこれからは、市民とその目線の代表により,しがらみなく改革してより良い交通体系を目指して欲しいです。

田植えの季節

今は人手の関係で5月の連休から田植えが始まり、梅雨時にはあらかたどこの田も苗が植えられています。
カエルが鳴きだして、日本の田舎、農村風景です。京都市でも少し周辺に行くと田や畑が多かったのですが、今は国道等の主要の幹線道路の周辺は店舗になったり開発されて田んぼは消えました。
ただ街中には駅から10分、歩けば結構田舎の風情、水田が狭くても残っています。昔は主食であり貨幣でもあった時代もあり、どんなに苦労しても田んぼを守り稲を育てるという気合が見えるところもあります。農耕民族の心意気ここにありという感じです。
貧しい時代から、減反や飽食の時代が来て、それでも多くの日本人がお米を食べているのが良く分かります。