難しい老後のお金、年金のこと。でもよく知った上で楽観しよう

【あふれるネガティブな情報】

 年金の問題というのは、いろいろな要素があってその問題も解決も一言では難しい面が多いです。

 世代によっても、職業や個人によっても年金の問題、社会保障、お金の悩みや不安はそれぞれ違います。

 かく言う私でさえが、自分のお金のことや、年金のことも不安はあります。今、コンビニや書店でもかなり多くの書籍、雑誌、ムックでも、ネット上でもいろんなことが書かれ、情報があふれています。それだけ悩む人も多く、また分かりにくい面が多いということです。

 今の世相としても、不安を煽りどうにもならない政治批判系の不満を言っても始まりません。とくに年金の批判だとか不満は、近い未来の事や遠い将来のこともごっちゃにして、政府が転覆でもして、何もかも記録が消えてガラガラポンにでもなればいいという方向に短絡的に行く人もいて気を付けないといけません。
 確かに不安はありますし、分かりにくいとか、不公平とか話が違ってきているという不満には共感できるところもあります。
 たとえば「ウチの父親は、沢山年金を支払ったはずなのに、いざ貰える年齢の直前で重い病気で何も貰えず口惜しがって死んでいった。だから、俺も年金を信じないし、払わない」というような人に話も聞いたことがあります。

 また過去のいわゆる「消えた年金問題」などで不信がある方もいまだにおられます。若い方は自分が老いた時に年金がもらえないかもしれない。年金を貰っている人、もうすぐ年金が貰えると思っている人は、目の前の年金が減るとなると怒り心頭か生活できるか不安かもしれません。年金は100年安心といってたのに、【老後年金では2000万円不足】で蓄え必要とは何事かとも、ちょっと前にありました。

 まず大きく誤解されていることがあります。
 ひとつはごちゃごちゃ言っても【現役世代が年金保険料を払うのは義務です】年金の給付は年金保険料、20歳以上の保険料もくはそれ以下でも働いて厚生年金の方の保険料で半分以上賄われています。そして納付、支払うことは法律で決められていて、給与天引きだろうと、国民年金の振り込みであろうと、無視したり拒否することは、できません。

 この段階でああだからこうだからと言うの、言うだけなら自由ですが、だからと言って払わないことは許されません。学生や失業者、所得の低い人が申請によって、猶予や減額、免除されるわけす。
 小泉内閣の時代だったか、将来の年金財源が不安と言われ、100年安心というマクロ経済スライド方式が導入されました。「これは将来も年金を安定して払うために、物価など経済情勢に連動させながらも、少しずつ給付を下げて財源を安定させていきますから、将来全く財源がなくなることはないですし、今使い切れないほど年金貰っている方は物価が大きく上がった時には上がったポイントよりも少し少なく上がるので、我慢してください」という意味合いでした。当時から国民年金だけでは、家族もいなくて家も財産もなければ生活していくのは厳しいことは自明でしたし、条件により生活との差額は生活保護がありました。

 その後、消費税増税や、少子高齢化は顕著に加速して、今回など物価の値上げの急速さに、マクロスライドがついていけない弊害もあり、制度の見え方にはツッコミどころは多いです。しかし将来への体制画ぐらぐらというわけではないのです。

 将来どうなるか、今後どうなるかは、今の20代等の若い人の40年先とかまでは絶対的な保証は誰も出来ません。しかし、今までの例から、政府が無くならない限り、額や時期に多少の差はあれど、働けなくなる老後のため、障害や遺族のために年金は存在するでしょう。
 若い人はまず頑張って日本のために税金や保険料を納める義務を知り、将来に備えてください。今、不安を批判に変えても、根本的には日本の経済さえうまくいけば何とかなります。役所、行政も遅ればせですが、マイナカードでデジタル化は進んでます。

 【不安な今から間もなく年金を受け取る世代】

 やはり難しいのは、これから間もなく年金受給を迎える人です。

 年金は長生きする人が働けなくなった時期に備えるための、政府の管掌する保険です。定年のある厚生年金では所得の半分なり3分の2を保障して代替します。

 一般的に、10年ぐらい以上前からの厚生年金や公務員共済の長い期間のある受給者は潤沢に年金を貰っています。しかし、最近や今から貰いだす人ような人の年金は、現役の時代に比べれば優雅な生活を送れるほどはもらえません。ましてや国民年金だけでは、正直生きていくのには足りない額しかでません。

 【老後2000万円不足】は、ここらあたりの、ごく当然のギャップでもあります。これに今は健康保険、後期高齢者や介護の保険料アップや、諸物価の値上げが輪をかけて、不安を煽ります。現役世代でも、物価や住宅ローン金利まで上がり不安は増大します。

 年金の繰り上げか繰り下げ、70まで働くとか、高齢者任意加入で年金を増やすとかの記事は多く出ています。詳しくは別の機会というか、自分の条件を考えて、ムックやネットで見た方が早いやもしれません。70まで働ければ働くは確実に増えますから、金額的に間違いはありません。しかし、それも健康面にもよります。どの選択とかにもここまで来て絶対的な正解はありません。
 過去にさかのぼって後悔しても、どれが絶対正解というのも分かりません。

 大きな会社に定年までいて年金が多い人、少し足りないから70まで働くという人、一見確かに前者は優雅に見えますが、それも絶対的に有利で幸せかはわかりません。ここまでの年になれば、健康の要素も大きく、毎日キチンと規則正しく働き、細かい人間関係に気を付ければ認知が防げ体力は維持できるかもしれません。言い換えれば寿命あるいは心の幸せをかけたチキンレースかもしれません。

 「〇〇歳になれば。退職金の貯金を完全に食いつぶす、現役に比べ〇〇もできない、買えない辛い」とときおり不安になりがちですが、それをあまり考えても仕方ないような気がします。引退のない社長や役員でもない限り、財布はある程度紐をしめ、シュリンクした生活が要求されるでしょう。
 それも工夫して、切り詰められるところを見つける、ノマドで働いたり、資産の運用、メルカリなど細かくてもやれることや、支出の抑制と収入の増加を、楽しくやっていけば生きるヒントがみつかりそうです。

【結局は健康と楽しさ】

 そうです結論は、健康と楽しさです。

 たまたま動画サイトである熟年好きの方が、モテる男性は「健康とユーモア」と語っていました。身だしなみさえキッチリしていれば、お金や少々のイケメンに優先するとは、意外ですがその通りなのでしょう。

 いくらお金があり、保険が下りても身体が苦しくて、心が病む手前では生きながらえる意味がなく、幸せとはいえません。そこそこ貧乏で働きながら、節約しながらでも【健康】は最優先事項で、健康保険や医療保険、自己負担がどうあれ健康に越したことはないのです。

 そのためのお金の使い方であり、残し方だと考えて良いぐらいです。

 そこそこお金がないと、「同窓会や同期会に行けない」「家族に見放されるとか、孫に小遣いやお年玉ぐらいはあげたい」という人もけっこういます。それを優先上位にする生き方ももちろんありですが、自分の健康あっての【楽しみ】の一つでしょう。
 【楽しみ】は家族や孫だけでもなく、高齢者の集まりやSNSからでも見出せます。

 私だってときおり、不安が募るときもあります。でもそこはもう寿命だと、いつ尽きるかもわからないですし、現役なみに飲食や旅行、ゴルフのつき合いが頻々とあるわけでもなくなります。必然的にシュリンクしていく生活の中、予算の中で生活をして、生きる楽しみとして何を残すかです。
 鴨長明の『方丈記』ではないですが、人間最後は立って寝て飲食できるぐらいのスペースがあれば良いと思います。今は、勉強とか調べもの、テキスト、ノウハウ、映像全般スマホがあればすぐ手に入り、ほぼ無料でできます。鴨長明の時代にこれだけの情報を得ようとすれば、豪族か貴族で大きな蔵のような書庫をいくつも横に並べていないといけなかったでしょう。

 時代や政治を批判したくなる気持ちは私にもありますが、凄く長い目でみれば、人間社会は平安時代からは確実に進化して便利になっていることに感謝と感動すら覚えます。そんなに悪くない時代ですし、そんなに悪いことばかりではないはずです。

昭和は遠く2 #昭和のプロレス 書評#猪木と馬場 #1976年のアントニオ猪木

 平成が終わり、昭和がますます遠くなった感がある今年、昭和を代表するプロレスラーアントニオ猪木が亡くなり、すでにだいぶ体調は悪かったようですが、我々の年代の多く特に男性ファンが訃報に接し、呆然と時代の流れを痛感しました。
 プロレスに全く興味の無い方は、晩年の猪木はエキセントリックな政治家としてや、バラエティのビンタなどで、変なおじいさんとしか認識されていないかもしれません。
 今回、今年書かれた「猪木と馬場」(斎藤 文彦著)で改めてその生涯とライバル、ジャイアント馬場との長い因縁を振り返ると、まさに猪木の輝いていた昭和しかプロレスをあまり見ていないことを悟らされます。本当に昭和の子供から学生、若手の社会人だったころ、猪木と馬場の競り合いに一喜一憂していたことと、やはりプロレスは真剣勝負というより「ギリギリの興行で、その境目に面白さがあったということです。
 馬場も、その弟子鶴田も亡くなりましたが、その以前から平成に入ってからのプロレス、全日本はとくに見ていないし、どちらかというと戦後すぐからの長い歴史を淡々と綴るこの本で初めて知ったことが多いぐらいです。昭和の最後の頃は、猪木も欠場が増えだし、馬場よりも体調が悪い時期が多かったとかいうのも気づきませんでしたし意外でした。


 もう一冊、2009年の上梓で「1976年のアントニオ猪木」は柳澤健氏の著作。同世代の著者のデビュー作でかなりプロレスのガチ、深層に迫った玄人というか、ドラマとしても面白い問題作です。格闘技戦の柔道王ルスカ戦、ボクシング王者モハメド・アリ戦、完全に切れたファイトとなった韓国の実力者パク・ソンナン戦、パキスタンでのセメントマッチとなったアクラム・ペールワン戦。それら前後の背景も含め、よく書かれています。
 今は暴露系の動画サイトや、昭和プロレスの詳細記録のブログなども見られます。反社的な事件も多く、猪木も何度か監禁やらリング上でのピンチを逃れてきています。


 馬場、全日本との競争で言えば、ついに実現しなかったのが二人の対決であり、これは昭和のファンはみんなが思い込みもあり、対決して欲しかったけれど、無理だった事情も分かります。

 この前年、1975年には全日本が年末にオープン選手権という豪華選手を集めたリーグを開催して猪木の新日本にも参加を呼び掛けました。シリーズ中の力道山十三回忌興行にも、力道山の弟子として百田(力道山)家も巻き込んで、ふだんは馬場への挑戦を叫びながら、参加できないのかと、猪木を不義理、弱腰と追い込む作戦で攻めました。
 猪木が、リーグ戦に参加すれば、シューティング(真剣勝負)に強い外人レスラーを次々ぶつけ、馬場戦前につぶしにかかる計略というのは、当時からも囁かれていた通りで、全日派の解説者、マスコミも企みを暴露しています。
 ヤクザや道場やぶりの世界ですが、この時、猪木が全日本の興行で戦っていたらどのような結果になったのか、興味深いところでもあります。また、その4年後、一度だけ夢のオールスター戦でタッグを組んだ二人は対決を誓いますがやはり実現がしません。
 これが、引き分け的な筋書きの決着や、1勝1敗などで引っ張れば、興行的に大盛り上がりだったのではと思われそうですが、そうはいかないところがプロレスです。引き分けとかの筋が決まっていても、本番では喧嘩になり真剣勝負になって相手を潰すこともある、これは力道山の木村正彦との頂上決戦や、前記のパクソンナン戦などにも、その傾向はありました。ですので、引き分けの筋書きと安心して試合を受けるなど、とても難しいのです。

 1970年代、世界的にはプロレスというのは、ショーというのがばれて、スポーツとしての地位な完全に凋落していました。日本ではNWAが権威とか言われ、他のスポーツのWBCとか、FIFAやIOCみたいな厳粛な権威ある大組織のように伝わっていますが、それはほぼデタラメです。猪木の新日本プロレスが管理していたNWFや、全日のPWF、国際のIWAなどが外国にそれぞれ本部があるように宣伝しても、国内だけのお手盛り架空団体、創作のチャンピオンベルトだったのと、そう変わらないはったりがNWAでした。それが通るのが、昭和のプロレス界です。
 海外からの報道、インタビューなどもモリモリの嘘が多い古き良き時代です。そんな八百長や嘘ばっかりみたいなプロレスに昭和の夢を、抱かせてくれたのがアントニオ猪木であり、そのライバルジャイアント馬場だったのです。
 

 サッカーのワールドカップでさえ、新聞の報道も少なく、何か月もあとに映像を見ていた時代です。海外プロレスの珍しい技をかけている写真など、どういう技か無理に解釈していた古き良き時代ですね。

お金 これからの財政にまつわる話

 非常に個人的な身の回りの財政的問題から話しますと、マンションに住んでいまして、その理事を担当していまして、大規模修繕工事は今年終了したのですがその後、今後の財政問題が持ち上がっております。

 持ち家として集合住宅を所有している方だけの問題で恐縮ではありますが、御多分にもれず、何もかもが物価高騰のあおりを受けています。住宅設備の場合、長期にわたり個別の需要の少ない資材や機器類を安定した価格で抑え込むことは難しいですし、人件費や運送費、加工なども当然に値上がりが予想されます。元々の財政構造とともに、次回以降の修繕積立金を値上げしないとやっていけないのではという問題が顕著になりました。

 こういう基礎知識や、今回の経験が無い方に、輪番で役員や理事を回すと判断も難しくなるところです。かと言って今の段階で、すべてを見切って値上げという判断をするかどうかは微妙なところです。

 国政で言うと、財務省寄りの安定財源確保の増税派と、歳出削減の値上げ先送り派に分かれそうです。

 実際に15年や20年30年先となると現役世代も次々と年金世代へと移行します。そんな中で月の固定費になるマンションの管理費、修繕積立金が上がることは、ベアの無い中で可処分所得が下がることになり、なかなか納得ある説明は難しくなると思われます。

 マンションの資産価値とすれば、汚れた外壁やエントランスでは問題ですし、10年も経過すると以前は問題なかった部分が喫緊の補修が必要な場合も出てきます。水道や電気、自動ドア、宅配ボックスなどの施設も次々保障や部品保有義務期間さえ過ぎて、更新時期を迎えます。安全安心のためと、最低限の稼働のためにお金がかかるものが増えるのと、確実に見積もり想定することは難しいものです。

 かといって、何が起こるか分からないので念のため高めにしておくでは納得されないでしょうし、問題が起こってから積み立てを上げても間に合わないケースが出てきます。

 防衛費をGDP2%にという議論も本当にそういう面で難しいところです。有事が迫っていたら、悠長なことは言ってられないことになるというのは保守の論客のおっしゃることで間違いはないのですが、同時に国を強くするには少子高齢化対策、人口減少に歯止めをかけないと国力は維持できません。総合的な意味では、歳出削減や議員報酬、公務員給与なども抑えるだけ抑えて、防衛と福祉のためにはこれだけの税が必要で財政をこうしたいという明確なビジョンがないと話は進みません。
 保守側は、「北朝鮮コワイよ、中国が台湾攻めたらどうします、ウクライナ見てみなさい」ともちろん言うことも分かりますが、一方でコロナ禍でストレスもたまり子育てもできない状態の社会構造です。子供を作って、保育から高等教育ぐらいまでそれほどお金がかからないイメージができなければ、結婚して子供を沢山作ろうという若者は増えないでしょう。

 戦後、苦労して今の日本の構造を作った60代、70代以上の政治家や官僚のパラダイムはもうここへ来て完全に変わらないといけないのです。 

 エコとかSDGsとか流行りで言われますが、コロナが収まると結局、金満なクリスマスや年末年始の消費が始まります。それはそれで経済を回すので必要ですが、財政の在り方はここへきてもっとベクトルを変えないと日本の未来は厳しいでしょう。

命は重い、化学兵器の業【ごう】は深い  書評#大久野島からのバトン #毒ガスの島

 今年はロシアのウクライナ侵攻問題で、戦争がひと際現実的なイメージで日本人にも意識された年です。沖縄本土復帰から50年の今年、春に私は広島と瀬戸内の島を訪ねました。

 なかなか重い、読むのが辛いところもある本です。殺人事件や、ホラー、勇ましい戦争モノや難しい手術の医療モノは難なく読めるのに、ティーン向けに書かれたようなこの本の登場人物の運命に胃が重くなりました。

 戦後、修学旅行は復活したひと昔前の昭和の時期、山陽方面の定番は広島の原爆ドームと、竹原市沖に浮かぶ、大久野島の「毒ガス資料館」だったそうです。

 広島の平和公園と原爆資料館はリニュアルされ、今も観光客や修学旅行生で賑わっていますが、大久野島は「国民休暇村」と長閑なうさぎの島としてはそれなりの人気ではありますが、毒ガス資料館への来訪者はもうそれほど多くはありません。

 日本にとって、原爆を落とされた被害の国であることは、核問題もありいつまでもバトンが継がれていますが、加害国として毒ガスを作り、その製造者も病に苦しみ、実際に中国で少なくない犠牲者をだしていたことはあまり語られません。

 南京大虐殺などをオーバーに反省し、軍国日本が一方的にアジアで覇権を狙い、残虐の限りを尽くしたという自虐史的な歴史観は私も好きではありません。どんな戦争にも100%の悪も正義もなく、お互いが正義の聖戦と信じて戦ったのです。しかし、自虐史観を全否定した愛国主義、右翼が日本の戦争で何があり、加害は何だったかさえも全部もみ消しするのはいけません。この本が自虐史観の左翼に利用されるのも、軍国復活の右翼に否定されるのも良くありません。ただ、バトンが渡るように伝える、ありのまま語られるようにするのが大人の役目でしょう。

 「戦争が無い時代に生まれてよかった」これは戦後、令和までの子供や大人全てのホンネでしょう。遠くの国で、戦争があり死者が出ても、まだ対岸の火事です。

 ここから、戦争に巻き込まれないという気持ちは、平和を貫くか、抑止力と言われる兵力を強大にして戦争に負けないようにするか、感じ方も考えも別れます。

 戦前戦中でも、誰もが自らやその愛する家族が戦地に赴くのイヤだったようで、兵器の工場でお国のために働けて、兵役が逃れられるならと、就職試験に受かった人も家族も歓び、大久野島には人が集まって秘密裡に国際法違反の毒ガス製造は行われていました。製造者にも被害が出て、兵役に行った方がマシだったような生き地獄も描かれます。

 現代の戦争は垢抜けたドローンやサイバーテロで、敵基地攻撃能力を身に付ければ、兵役なくとも楽に勝てる、お金さえ出せばいいと考える人もいます。戦争がそんなに甘くないことは、ウクライナを見ればわかるでしょう。戦争は市民を巻き込み、生命、財産を奪い、大変な不自由を強いられます。

 大久野島では今は野ウサギが何事もなかったように、元気にインスタ映えする愛らしい姿跳びまわっています。やがて生き証人は絶え、人もウサギも70年前、生き地獄だったことは、資料館とこういった書籍で垣間見て伝えていくしかありません。

 この可愛いウサギたちは毒ガスの動物実験から逃れたものではありません。戦後持ち込まれたものと言われていますが、毒ガスの実験動物の子孫たちと、偽って伝えた方がいいのかもしれません。

社会保険料はシンプルに税と統合が良いと思う

サラリーマンの方は上図の例の通り、税金以外にそれ以上の社会保険料を払っています。自営の方は、天引きはないので自分で税金以外にざっくりそれに見合う額を払わないといけない義務があります。

公務系の仕事を経験して、健康保険や年金に携わっていますが、しっかり天引きされているサラリーマンの方と違い、自営やフリーランスの方は場合によって忘れている方の徴収をしないといけない場合があります。

 納付要件、資格要件を満たさないと「保険給付や障害や老齢年金の受給ができないです」と告げないといけない場合もあります。民間の保険で事故や病気になってから、やっぱり保険料払いますから保険金くださいとはいかないのと同じ道理です。

 国民健康保険の保険証は手に入れやすいので、出産一時金を不正受給(詐取)しようという外国人の方は何度か見かけました。

 年金に関しては、外国人はもちろん、若い方も老後という実感がなく、不安や不信もありなかなか理解ができないようです。義務と知らず、知識不足が未納に繋がって強制徴収など残念なケースにつながる場面もあります。

 20歳を過ぎて、自分の所得がなくとも世帯主(既婚の場合は配偶者も)に所得が一定以上あれば、催告され財産や給料の差し押さえなども含めた強制徴収に至ります。税金と違って、そこまでされるとは知らないケースも多いです。年金の加入は任意ではありません。法律では20歳以上の日本国民は厚生年金、共済か国民年金に加入しなければなりません。健康保険も会社の組合や教会健保共済か、国民健康保険に入らないといけないのと同じです。
 いわゆる減額、免除や猶予は所得によって可能ですが、「私は病気しないから」とか、「年金はいらない」「介護はしてもらわなくていい」と言って入らないという選択肢はありません。

 ここまでは、私が仕事してきたとくに守秘でもない範囲での社会保険の日本でのルールでありその世間での認知の度合いです。

 最近、ベーシックインカム論とか、税の一体化改革とかいろいろ政治家や評論家、インフルエンサーも囁き、年金制度も国民年金を65歳まで納付とかの話も出ています。

 年金財源が苦しいという話は、常に話題に出ています。
 前の大きな年金改革でマクロスライド方式を取り、安定した財源確保のために給付を微減させるやり方を決めました。将来の年金財源を確保するためには、既得の年金生活の方にほんの少しだけ我慢してもらうやり方です。大きな物価変動があればその翌年以降はそれでも年金を支給は当然上げ、上げ幅を少しだけ調整するというやり方です。
 ところが急なインフレが起こった現在のような状況では諸物価が高騰の中、前から決めていった通り年金は下がる(今年の場合、それまでがデフレで賃金が下がっていたため)という庶民の生活が苦しくなり、極めて政府への風当たりが強い事態となります。

 それでも年金支給を減らさないなら今貰える人はいいですが、年金財政の不安は大きくなり将来ヘのツケは増えるという理屈になります。野党などはそこは言いません。支給を減らすということは、生活からいって十分潤沢に貰っている人、今後の受給者に比べても不公平なぐらい昔の制度上貰っている既得の方から減らす意味合いがあります。ところがその線引きはどこまでというのは誰にもわからないのでできません。本当に生活が苦しくなる人には、一時的な給付や生活保護などの下限のセイフティネットに頼っていただくしかありません。

 保険料や、剰余積立金の運用から払おうが、税金で補填しようが、お金は同じです。将来への先送りで財源が不透明で、財政が厳しいことには変わりはありません。

 個人的には物価や賃金にスライドして年金が上がるのはもっと迅速にしないと、実生活には対応できないと思います。実際に年金生活になって、生活保護までいかない水準でも、何もかも値上げになれば、生活が急に苦しくなりそうなのは想像できます。

 何とか国の財政財政と言わずに、この問題は国民が安心できるものにして欲しいです。

 先の強制徴収などの、啓蒙から督促、最終の差し押さえに至るまでの組織ごとの手間を考えると、税と一本にすればと思います。これは一部インフルエンサーの受け売りのところもありますが、写真の給与明細を見てもらうと、日本の月給に占めるタックスは意外と安いです。ところが健康保険、介護保険、厚生年金保険料はそれよりずっと高いです。国によっては、これらすべて税金、タックスとされて天引きもしくは自営などの方は振り込みとなっているそうです。そして税から受ける年金などのサービスは国より多少の差はあってもほぼ同じような感じとなっているようです。それは政府の仕事として、コンパクトな組織で効率よく低コストだと考えられます。

 日本の場合、すべてを分けて徴収して、財源として苦しくなった分を国庫負担でカバーしています。税ではなく強制加入の社会保険料となっていて、制度を理解するのも煩雑です。そして組織も仕組みも複雑なので、手続きもややこしい上に、それだけ啓蒙から受付や審査、徴収にいたるまで人員もいるわけですからお金がかかっています。

 過去からの給付制度、年金も失業手当、生活保護なども、すべてちゃらにしてガラガラポンとベーシックインカムにするのは過渡的には大変ですが、ウラを返せばそれだけ複雑になり過ぎて無駄が多いのが日本の役所なのです。

 アタマの良い伝統を重んじる役人の方は沢山おられます。健康保険、介護保険、年金とか生活保護とか、それぞれの部署にいればそれはそれでもうそこの法律がいつ変わり、どうすればどうなるかを熟知されている自信満々の専門家が大勢おられるのです。優れた当事者ならそんなものいまさら統合できるわけないとしか思えないでしょうし、また変えることは自分の立ち場や尊厳を無くすことに繋がります。軋轢も一時的な不公平も当然生まれ、組織を大きく変えるため仕事が変わり無くなる方、今までの知識が大半無駄になることも考えられます。だから役人の組織は変わりにくいとも言えます。

 しかし、国家的な大局から見れば、役所のセクト主義や、役人の地位の安定などはプライオリティとして後回しでいらないくらいす。政府が強い意志と具体的な手法で、統合して改革はできることだと思います。公務員の数が多いとは思いません。現場に近いほど人員は不足して、残業などの過酷な労働を強いられています。申請書など紙の確認も多く、同じような給付を同一人物が3カ所にすれば3人の受付者が確認し、確認者がチエックし、上司が承認、出納担当に回りとまたそれぞれの組織×数人が関わる無駄が生まれています。無駄をなくすと、介護や生活保護などの現場に密着して、相談や公平な審査ができる体制へ公務員の人員をより多くシフトできるのです。

 一方でマイナンバーカードで所得は分かる訳なので、もうその人の義務も権利も、簡単に一本化できるようにできるはずです。おそらくその研究もされているはずです。あとは、新組織をどう効率運用するか、それまでの抵抗をどう排除するかなのでしょう。

 こういうことがあと10年ぐらいの間にできないと、日本の未来は厳しいです。

 ベーシックインカムの関しては、思いついたこと勉強しなおすこともあるのでまた次の機会に詳しく書きます。

秋も読書 駅の名は夜明け #軌道春秋2

 読書の秋企画というので、沢山アップするつもりが、他にも書きたいテーマがあったり、映画化されたのを見てからとかで、結局冬になりつつあります。
 それはさておき、読みやすいおすすめです。時代ものでブレイクして他のシリーズのが著名な高田郁さん、関西では特におなじみなの作家さんで、近畿地方の鉄道も登場する現代もののいわゆるハートウォーミングな短編集です。

雑誌連載の長いシリーズで、一遍ごとに丹念に描かれています。偶然すぎるような出会いや運命もありますが、どちらかというと不幸で不遇な巡り会わせの続いた人が、奇跡的で心温まる結末を迎えるという感じの話が多いです。

 もちろん、鉄道マニアでなくとも十分楽しめます。

 読書はあくまで時間つぶし的な意味合いもありますから、特殊設定であれ、こういう市井の平凡な人の奇遇にせよ、あまり突っ込まず楽しむのがいいと思います。

ザリガニの鳴くところ 映画と小説レビュー     思い出した自然観察の女子大生

今時欲しがるのかな

 写真は全く関係ありません。

こっちですね

 先日、映画化されたので、映画を見て、またさっと読み直しました。いろいろ違う点もちろん2時間くらいの尺に収めるためのカットやオリジナルもありますが、大筋や結末は同じです。

 以下(多少ネタバレあり)

 衝撃的な結末とはいえ、まあ完全なミステリを標榜しているわけではなく、伏線はあってもそもそも犯罪の状況とされる手がかりは全部明示されてはいないので、衝撃ラストはあくまでも自然、動物としての人間の本能的行為だという、カロライナの自然とそこに生きる湿地の女とうテーマによるものです。

 自然の美しさ、厳しさとともに、DVや差別、恋愛、法廷劇、いろんな要素が美しい自然と、難しい人間という生き物を彩ります。

 これ以上は映画鑑賞、もしくは原作をお読みください。残念ながら、全米で売れて、日本で本屋大賞でも洋画は有名なシリーズでもないとなかなか長い上映期間は難しい。分厚い原作ですので、そのうち無料配信が出たらお見逃しなくというおすすめです。

 自然に生きる女性としては、東日本大震災のボランティアで知り合った女性を思い出しました。奥松島から浦戸諸島で蝶の生態観察の大学研究生らのチームにボランティア入った時の女子大生です。蝶の観察、採取は応援で専門は「カエル」だということで、歩きながらもカエルのいそうな水田や小川には、寄り道して捕まえておられました。しかも器用に縛りポーチのようなものにいれて十数匹ぐらいは宿に持ち帰り、ケースにうつしていました。
 蝶やトンボでもマニアックですが、カエルとなるとドン引きしそうな人も多いでしょうが、この女性は喜々と作業をしておられました。真夏でしたので、もう顔は真っ黒ですが、化粧でもして垢抜ければ可愛い感じなのに、何故カエルなのか、不思議というか不気味な感じでした。

 セミやゴキブリでさえ号泣して触れない、虫など生き物大嫌いで田舎ぐらしなど絶対嫌がる、ウチの連れ合いなどとはもう真逆もいいとこ世界が違うような人がいるものです。

 あれから数年経って、彼女はその後も研究を続けているのか、犯罪にでも巻き込まれているのか、平凡に卒業して働いているのか、結婚したのか、「ザリガニの鳴くところ」を観ていてふと思いだしました。

秋の読書 書評:#熱源 翻弄され続けたポーランドとアイヌ

 ポーランドもウクライナの隣国としていろいろ事件にもなっています。

 ポーランドと日本のアイヌを描いた力作です。上梓は3年前で、ロシア人も出てきて、ロシア人よりもソビエトの体制や階級、人種などの今も続く問題も出てきます。そして何より、今も嫌悪され脅威となるロシアの姿であり、第二次大戦末期の哀しき動乱期です。

 写真は直木賞候補になっていますが、162回2019年の直木賞受賞された、大変熱い作品です。アイヌと和人のハーフ、日本人も出てくる点ではロシア人ばかりの「同志少女よ、敵を撃て」より読みやすいような気もしておすすめなのですが、やはりロシアやポーランドの長い名前は苦手という人は結構いるようですが、後半は一気に読めるという感じの熱い話です。このような歴史と海外の設定を日本人が紡げることは驚異だと思います。プーチンさんもびっくりではないでしょうか。

 「ラーゲリより愛を込めて」が映像化できるなら、日本人の登場はやや少ない比率ですが、何とか映像化して欲しいものです。

 アイヌとポーランド人の二人の主人公が平行して物語を進めます。周辺の強国に蹂躙され、国家が何度も滅ぼされた悲惨な歴史を持っているポーランド。かつては北海道や樺太に棲み、広大な平原を自由に生きていたアイヌ。

 樺太のアイヌ達とアイヌに魅了された人達の、自分達が何であるべきなのか、翻弄されながらも生きるための熱源を追い求めていくのがテーマでしょう。「アイヌとは人という意。強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ」降伏したことを知らずに、それでも“立派な日本人”であらねば、自分が自分達の存在が消滅してしまうと思っていたオロッコの日本兵の末路は切ないです。

 だいぶネタバレになりそうですが、このあたりで。

 登場人物の端の方に金田一とありますが、探偵ではありません。言語学者になる京助さんの方です。

秋の読書 書評:#終末少女 #特殊設定ミステリ  #本格パズラー #クローズドサークル  #スプラッシュホラーも

 古野まほろ「終末少女 AXIA gils」作者は東大法学部卒の警察出身とされていて警察が舞台の本格を書いていた方。デビュー作「天帝のはしたなき果実」以来ミステリランキングでは上位を多く占めていました。

 ただ履歴を確認しようとウイキペディア覗くと、削除されています。「禁じられたジュリエット」という作品をめぐって大学のミス研とツイッターの炎上事件があってメンタルを壊されたようで、この作品に続く「侵略少女、、」「征服少女、、」の3部作を上梓して先月絶筆されています。惜しいことです。

 作品は特殊設定ミステリで、終末の地球、しかも登場するのは孤島にたどり着いた美少女JK7人と、それに犯されるとそれになってしまうというマタンゴよりおぞましいい化け物のみ。人狼ゲームよのようなスプラッシュホラーでありながら、とことん文章の記述に伏線を織り込んだ上、読者への挑戦も入れた本格パズラーの骨太さです。

 このブログ副題も天使が舞い降りるですが、この物語も悪魔と天使の戦いであり、ロジッククイズの必ずウソをつく人間とつかない人間の「うそつき人間の国」のようなところもあり、楽しめます。エログロとえぐい場面もあるのと叙述の性質上、映像化は難しいところです。

秋の読書 書評「同志少女よ、敵を撃て」

同志少女よ、敵を撃て』小説家逢坂冬馬のデビュー作。第11回アガサクリスティーを受賞し第166回直木賞候補に挙がり、2022年本屋大賞。

 受賞以上に、ロシアのウクライナ侵攻の情勢と重なり大ベストセラーになりました。作品執筆当時がウクライナ侵攻は始まっていませんでした。
 元々、37歳の作家で、2015年にノーベル文学賞を受賞した、ベラルーシのスベトラーナ・アレクシェービッチさんの『戦争は女の顔をしていない』がベースになって、戦争体験は祖父からの伝聞だそうです。それにしても日本人は全く登場しないこの異国を舞台にした狙撃兵の女性部隊に話がここまで注目されるとは驚きだったでしょう。
 時代モノもそうですが、実際に外国の人間がこの状況でこういう心理で、行動でリアルなのかと疑い出すと私などは書く意欲がなくなります。

 太平洋戦争や英仏とドイツの西部戦線に比べ、その被害の大きさの割には日本では伝わることの少ない独ソ戦。
 その第二次世界大戦の独ソ戦が舞台の作品でしたが、現在の実際にウクライナ人やカザフ人の戦士もクルーとして登場し、ウクライナ情勢と重ねて考えると、とても重く、さまざまに考えさせられます。平和の大切さと、女性の権利やら人権、追いつめられた時の人間の弱さを思わずにはいられません。

 従軍慰安婦の問題なども、本当に薄っぺらいというのか、人間の本質を平和な時代から上から目線で見ているように感じます。戦争はもっとどす黒い、非常事態であり、人間の奥深い業が浮き彫りにされるのです。

 映画化されることはないでしょうが、ロシア人やウクライナ人はこういうのを読んでどう感じるのか、というかロシア人やまあイギリス人でも外国人が日本人だけ登場するの戦争を描いた小説なんてあるのだろうかと思います。

 登場人物の名前が長い割には読みやすい、ミステリ的にはタイトルの『敵』とは何かがテーマでしょう。