夏休み終了

 肺疾患で入院後、自宅療養、わずか1週間あまり出勤してコロナ感染でまた10日間休み、結局2か月近く、大して外出もできない悶々とした日々でした。

 まだ昼間は暑いものの盛夏は過ぎ、夏祭りからお盆の行事、レジャー、呑み会なども全部キャンセル、行けずじまいでした。
 それはそれで、そういう時期もあるという何かの示唆なのでしょう。

 普段、いない曜日と時間にそこにいるだけでも何だか家の中も外も少し違って見えます。このような仕事の人や、年代の人と話す機会はないという人にも会えました。

 人生、いくつもの出会いがありその時期があるのです。

 夏を彩る花火、豪快な打ち上げ花火もあれば、手持ちの花火、地味な線香花火もあります。多くの人の人生は線香花火のようだと言われます。最初こそ、地味ながらも火花を飛ばしはじける華やかな時期があり、やがて落ち着いた明滅となり、最後はしなやかな輝きを続けて最後を迎えます。

 派手な夏の行事も終わってしまえば寂しいものです。息の長い線香花火の方がいつまでも心に残るような気もします。

1969年夏の甲子園 延長18回東北青森三沢の無念

 今年の夏の甲子園、全国高等学校野球大会で東北勢として初めて仙台育英高校が優勝し、深紅の大優勝旗を白河の関を越えて持ち帰りました。

 仙台に住んでいたこともあり、知人も多く東北の人がいかにこの優勝を待ちわびたかを知っています。
 悲願に関しては、東北人にとってもう何とも言えない感慨でしょう。

 ただ個人的には最近の高校野球はどうも好きではありません。私にとっては高校野球が子供の頃から、最大の娯楽だった時代がありましたが、いまは多くのエンタメにあふれスポーツだけでも一流のコンテンツが多い時代に入り、何となく底というのか、裏が見えてあまり楽しめないのです。

 1969年今から50年ほど前の、夏の甲子園決勝、松山商対三沢高校は小学生だった私に衝撃的な名勝負でした。
 当時は延長18回制で球数制限なし、3回戦以降連投は当たり前、準々決勝準決勝も三沢は当時の超高校級人気投手、エースの太田浩司が一人で投げ切っていました。

 この試合実は延長15回、16回と三沢は1死満塁のチャンスを迎え、実際にサヨナラ勝ちしていたのではと言われています。審判が同校OBだとか、決勝戦の結末にふさわしくない幕切れなので大変微妙な判定でした。えこひいきよりも、延長18回まで両軍が死力を尽くすのが決勝戦らしいという風潮のような空気が支配していたのかとも思われます。そんな空気がなければ東北勢はとうに50年前に大優勝旗を白河越えて持ち帰っていました。

 今の時代は、多くのチームが複数投手や分業が当たり前で、決勝戦までに休養日も2日はさみ準々決勝も2日に分けたりして投手の負担はだいぶ軽減されています。それでも潤沢な選手層を誇る名門と、少数精鋭のチームは存在します。
 負けると後がない一戦必勝のトーナメントで優勝を決めるため、どこまで行っても実力ナンバー1が優勝するとは限らないのです。サッカーやバスケのようにベストメンバーを出し続けるわけにはいかない野球で本来トーナメントは合いません。ドラマ性やギャンブル性はあって面白くとも、長く練習してきた選手たちが1試合の敗戦で終わるのはやはり理不尽な悲劇であり、やっている人が本当に幅広く楽しみ野球という競技が好きになり、競技力が向上するとは思えないのです。

大企業の組合健保、福利厚生は優れている

DSC_0735_TEMP

 大企業を退職してから病気になり、今さらに思う大企業の福利厚生は素晴らしいということがあります。
 写真は少し映りが悪いですが、私がいた会社の健康保険の案内です。実は高額の医療がかかったときの一時的な負担の割合は、大手企業の組合健保、小規模企業の協会健保、国民健康保険も同じ表です。右上の図表の通りで、普通に月給貰う人で月57,600円とか、少し貰うのが増えると80,100、もっと稼ぐと16万~とかに上がり、非課税世帯でも月35,400円の負担はあります。これは共通の金額で、窓口での一時負担を避けるには事前に限度額認定証の発行ができます。入院時の食事代は別ですし、差額ベッドや保険適用外の高度先端医療も当然別です。

 大企業の健保が恵まれているのはこの写真の一番下、色を変えて3行ぐらいであっさり書いていますが「付加給付」です。これにより、1カ月の自己負担額はどんなに給料が高い人でも2万円に収まり、あとは戻ってくるのです。

 私自身は月に25万はおろか12万も超えて医療費を払ったことはありませんが、大きな手術をして検査もして後療養をすると、そのぐらいの負担になることはあり得ます。月70万とあ85万とか役員くらす、幹部クラス世間がやっかむほど給料をもらっている人がこの多額にキャッシュバックに該当するのです。そんなに給料貰ってる人が月17万とか非課税世帯よりも実質負担が少なくて済むというのは、何ともうらやましすぎる制度です。

 それと、傷病手当金も、直近1年の標準報酬月額の3分の2が通常支払われますが、組合健保の場合は上乗せされ、80%とか私のいたところでは85%という金額が保証されます。所得税非課税ですから、ほぼ働いた時なみということです。

 いざこういう病気などになった時は、寄らば大樹ではないですが、同じパートでもしっかりした健保のあるところの方が大きいのです。

 それと、それ以前に有給の上に、病気有給がある会社(国家公務員もあるようです)とないところでも大きな違いが出ます。休暇の細かい規定は会社で定めることができますので、服喪休暇や、介護、育児、つわりや生理なども規定と実際の運用は会社によりまちまちになります。

 逆にいうと、大手企業にいる方は民間の保険がなくとも給料はそんなに減らず、医療費もそうかからないということです。ローンなど抱えて、万一と思い重い保険料負担で二重苦に悩まれる方、具体的にはこの程度の負担ですのでよくお考えください。

 入社の案内では目を通すことのできない細部、健康ならそう気にならないところに会社の差がいろいろあります。

猛暑のあと一息

 今年は多くの地方で梅雨明けが異常に早い時期に宣言され、セミが鳴く前に猛暑の夏に突入しました。その後に梅雨前線が戻って雨が続いたり、それでも暑い日は猛烈に暑いという厄介な夏でした。それでも、今朝辺りは少し秋の気配を感じさせる涼しさで、セミは少数派になり秋の虫が鳴き始めました。

 終戦から77年、沖縄本土復帰から50年、毎年暑い夏は日本の戦争を思い起こす季節でもあります。私らの戦後世代は、子供の頃今ほど便利で選択肢は多くはなくても、水と食料と安全は確保されていました。

 小学校時代は給食があり、肝油のドロップが配られていましたが何のためのものか今一つ分からないまま食べていました。栄養状態の悪い子供のための政策の名残だったのです。

 子供の頃、読んだ軍隊の話、ガダルカナル島などの武器も食糧も断たれた惨劇、餓死も玉砕も直接見聞きはしていないまでも、忌まわしく怖い記憶として残っています。満州は北方領土などからシベリアに抑留された兵士たちの劣悪な環境も、とても痛々しい辛い話として記憶にあります。本当に戦争の終わった時代の日本に生まれ、ありがたいことだと思いました。

 ちょっと熱をだして苦しんでも、飲料や携行食糧などに特に困ることもなく何とかなります。その飲料などのチョイスに拘れるような時代です。

 確かにコロナ禍の医療機関の目詰まり、そこからの独居老人、独身者の孤独死などは痛々しいです。しかしまだまだよほど不運が重ならない限り、少し知恵を働かしアクションを起こし、頑張れば情報や救援の手は皆無ではない時代でしょう。
 そういう面では、本当にあんな戦禍の時代にはとても生きられないと自分自身思いますし、多くの人がそうではないかと思います。

 長い一生を地下で暮らし、2週間ばかりの成熟期を地上に出て暮らすセミたちの生きざまと比べ、人間の一生は長く貪欲に生きながらえ、享楽をむさぼることが可能な業の深いものとも思います。

朝日新聞の歴史にない、昭和17年に「幻の甲子園」大会がありました。

 昭和17年、朝日新聞主催ではなく、国、軍の意向を受けて文部省が主催する幻の「夏の甲子園大会」がありました。朝日新聞社の記録では昭和16年から5年間甲子園大会は中止とされています。「選士(選手ではない)交代禁止」「死球をよけるのも禁止」「延長無制限」 日本語によるジャッジ  準決勝、決勝がダブルヘッダーなど、今の高校野球の連投禁止のため予備日をおき、球数制限をする時代からは考えられない過酷なレギュレーションでした。

 80年近くたち、関係者もほとんど鬼籍に入ってしまったため、知る人もいないこの幻の大会を、あるいは開催するため、あるいは出場するため、必死で奔走し、鍛え、戦い、戦争と言う逃れがたい運命に必死に抗う様が、実にしっかり、細かに描かれています。

  参加すべての高校の対戦とその後の戦中、戦後への生命の慟哭ともいうべきエピソードが語られます。
  夏の優勝旗を持ったまま戦争に入ってしまった海草中(和歌山)。エース富樫を擁し、大会がないながらも甲子園を狙う平安(京都)。猛将稲原幸雄の下、当時は「北高南低」だった四国勢で、初の徳島からの代表入り、さらには全国制覇を狙う徳島商業(徳島)。東の雄水戸商業、西の強豪広島商業、松山商業、最後の外地代表台北一中・・・。
 日本の外地としてはかつて、台湾や朝鮮、満州からも甲子園大会に参加していましたが、すでに朝鮮や満州は野球部の活動を停止、移動もままならなかったとされます。
 優勝旗すらなく賞状だけでも勝利を目指し命掛けて駆け巡る若者。この大会を制したのは・・・?猛暑の日のダブルヘッダー2試合め、決勝戦に臨んだエースは満身創痍、肩や腰に痛み止めの注射をち続けていました。
 短く報われない夏を終えた球児たちのその後、関わった人の話は涙を禁じ得ません。

不毛の論争、愚痴や悪口は止めて前向きに

 まず大きな論争について

 傾向として

 どうしても右翼(親米)はアメリカに甘くなり、左翼は中国に甘くなってしまいます。左右の論争を思想だけでなく、バックまで言い出すと本当に不毛のものになります。

 保守と革新、体制と反体制、中央と地方なども対立軸のように言われますが、人間も弱さというか集団となった時、当時者となったとき、目の前のバイアスにかかってしまいます。
 よく新聞を左から右に序列され、右翼は朝日を左翼は産経を非難しますが。しょせんは新聞の業界内、井の中の蛙同士が争うようなものです。新聞全体に消費税がかかるとなるとか、記者クラブを改革されるとかいうと朝日も産経もこぞって反対に回ります。朝日も政権幹部と会食して情報のやりとりをしています。地方新聞は赤いと言われ朝日より左翼寄りの中央批判もしますが、いざ地方紙の地元へいくと地元の政財界と地方紙は中央以上にカネや人などでどす黒く結びついています。これは記者クラブの急先鋒的な北海道新聞などでもそうですし、私の地元関西の京都新聞や神戸新聞でもその傾向は強いです。地元の名士や、支援企業などで地方紙はやっていけないわけでその構造は中央と同じです。もちろんテレビ局も全く似たようなものです。

 そんなマスコミ、ネットの情報をもとにファクトを見極めるわけですから、必死になってウクライナの選挙区に感情移入して一喜一憂しようが、コロナの感染拡大やワクチンの是非に悩もうが、誰か有名人が逮捕されたり不審な死を迎えても、所詮は真偽の確かめられないことです。
 政治や経済、社会保障や戦争の行く末に比べれば、大谷翔平が打ったとか三振とったなんて爽やかなニュースです。Jリーグやプロ野球、大相撲のひいきが勝ったとかも憂さ晴らしなののか、目くらましとかいう人もいますがそれはそれで楽しめばいいのにと思います。

  で本題かな 天使が舞い降りる法則 

 たかがサッカーや野球の板でも政治とかコロナ問題以上に熱くなって融通の利かない人はおられますね。すごく残念な人です。ひいきのチームが気になって勝って欲しい隠しようのない本心があるのに、可愛さあまってか監督や選手をあげつらいネガティブな批判ばかりしてしっまうのです。
 わざわざ自分の年収まで頑張っても300万足らずと公開して、自分の何十倍以上ももらっている監督が「なぜこんな無能な起用や采配をするのか!あそこは違う選択だとか、選手交代だった、〇〇を交代にすべきだった。ずっと応援してきたのに現在の監督は許せない。実力のない〇✕をひいきして使っている、誰を辞めさせた、連れて来た誰それが活躍しない。監督は野球(サッカー)の基本の戦術を知らない、などなど」
 病んでいるような書き込みをする人がいます。こういう人に何の救いを差し伸べてもネット上では反発するだけです。この思考そのものが、「他人の責任、自分は悪くない」
 まあ社会的に成功しているわけではないので、はけ口が必要でその人が頑張っていないとはいえませんが、もう少し世の中のこと全てをポジティブに捉えたて、悪口や愚痴を減らせば楽しい人生になると思います。若い頃からそれをやれていいたら年収ウン億も夢ではないのですが、お金を稼ぐだけが人生でもありませんので、前向きにつぶやく癖をつける訓練をするだけでだいぶ明るい人生になります。

 居酒屋で聞こえないように悪口言い、愚痴るのも、ネット上で愚痴るも犯罪的なヘイト以外が自由ですが、それで日常のストレスを発散しているようでその毒は自分に回ります。仕事なら苦しいけど耐えるが、自分が何を言っても改善できない野球やサッカー、有名人の悪口言うのは有名税で自由でそれもダメと言われると辛いという反論もお聞きします。
 だから訓練です、自分の仕事などの重要なポイントで改善をできず、思い切った努力ができないで耐えるだけで、そのストレスを居酒屋やネットで発散すると、結局根本的な改善の努力が「まあいいわ」になってしまうのです。そういう「まあいいわ」が、極端に言うと300万の年収で年間何試合も野球やサッカー応援してグッズまで買って吝嗇もできず将来の目処もたたない人生に終わるのです。
 せめて年収1000万で資産や貯金が1億か2億くらいはできて、シーズンシートくらい買えるような余裕の人生を過ごせるように、つまらない愚痴、悪口は止めましょう。

コロナがもたらしたマイファミリー

 私事で恐縮です、私の家の2022年現在の家族構成は、私と妻、長女、長男の4人です。子供二人は大学卒業就職していますが、自宅から通っていますので弟が生まれてから25年ほどずっとこの構成は変わりません。

 長女が部活やバイトに明け暮れ出し、旅行会社に勤めてからは平日は深夜まで働き、土日の休みはあまりないところです。。私も定年前は仕事や通勤で帰りも遅く、定年後は私は早く帰っても長男が働きだし、これまたブラックまがいに残業が多く、家族そろって夕食というのは年始にあるぐらいで、年に数えるほど奇跡的なタイミングしか4人が揃っての食事はありませんでした。夜遅くなると4人とも揃ってはいるのですが、集まるわけでもなく、風呂や家事、、スマホ、寝床となてしまう時間でした。

 今般、8月7日に長男が高熱を出しコロナ発症、陽性と判定され当然家族全員が濃厚接触者になり、9日には中心的に看病していた長女が発熱やはり発症で、私のマンションは野戦病院となりました。

 長男は元々腎臓の難病を抱える基礎疾患者であり、私も3週間あまりの入院からやっと自宅療養に切り替わったばかりの肺膿腫、呼吸器系の疾患なので、緊張が走りました。

 幸い二人とも熱は何日かつづき、脱水手前まで行きましたが、軽症の範囲なので漸次回復に向かいました。私と妻もそれほど隔離された状況までは作れなかったですが、換気と消毒、手洗い、うがいなどだけで、何とか罹患することなく一番危険な時期は逃れました。2日連続の抗体検査陰性で昨日から私は職場復帰しました。

 思うにコロナはインフル並みとか風邪と同じというと大論争になっていますが、何より厄介なのは病気そのものより、医者に行って迅速に診察や処方がされずに自宅療養を強いられ、周りもまともに守れば物凄い制限をかけられることです。後は、大きな咳やくしゃみの極端な飛沫感染だけ防げば、換気などの対策しかないので、空気感染で体力が落ちたりしてうつるときはうつるので仕方ないと思うしかないと思います。

 お盆のこの土日と15日はそろそろ寝込んでいた2人も食欲が戻り、期せずして毎日、家族そろって家での食事になります。

 娘も「彼が家に来て挨拶したいと言っている」とチラリと、コロナ前に爆弾発言をしていましたから、この家族構成での日常的な食事はこれが最後かなあとも思われますが、そんな感慨もなくガチャガチャとしながらの毎日です。

高校野球 プロ野球 メジャー 大谷翔平

 また野球の話で恐縮です。昨日、お盆休みなどで大谷君の記録がかかった試合ということで、朝MLB見て、昼間高校野球、夜は日本のプロ野球を見たとかいう野球ファンの方もおられるかもしれません。
 一応、延長や指名打者など細かいレギュレーションは違うけど、大まかなルールは同じ野球、ベースボールなのですが、やはり日本の野球とくに高校野球とアメリカのそれは戦術などは大違いです。
 まず日本の高校野球は、高校生の大会が異常なまでに報道される注目度が世界的にも珍しいアマスポーツの聖地的な場所で行われる伝統ある大会です。
 アメリカやヨーロッパで、野球やサッカー、テニスやゴルフなどの他のメジャースポーツで高校生や学生の大会に「甲子園」はありません。それだけ注目されても、高校生や大学として組織だった注目される大会が報道のトップにくることはないのと、すでに学生の段階でどんどんプロの所属になったりする場合が多いのです。

 その特殊な伝統的な要素もあり、昨日もあらためて、メジャーのあと高校野球観るとやはり全然違います。身体もだけど、体格は30年までくりとはかなり違い大きくなっています。戦術が違い過ぎて面白いです。ランナーが出たら、コンコンコンコンと面白いようにバンドする高校野球と、ランナーが出ても、ぶんぶんただ振りまわし、気持ちよく三振かダブルプレイですぐ攻撃終了ばかりかというと、あっという間に連打や2ラン3ランで大量点のメジャー。

 バントの確率や、日本人の犠牲精神には前にも書きましたが、日本のプロ野球の戦術にもあきらかにこの高校野球の戦術の記憶が指導者やファンにも焼き付いている感があります。たまに大谷くんのためにメジャーを見ても、やはりひいきの日本のプロ野球チームがノーアウトでランナーを出して凡退すれば、『なぜバントしない』とつぶやいてしまうようです。これは是非や確率、前に書いたので、置いといてとても面白い現象です。

 とりあえず、まったく違う戦術をとる野球だけど、大谷君は高校野球から、日本プロ野球、そしてメジャーで活躍しているのですから、その才能と努力、環境への適応緑はスゴイものだと思います。

 ベーブルースの記録という昨日の騒ぎは、何か104年前の記録でまだホームランキングがシーズンで11本という今とは野球が違う時代のもので、投手兼打者というのは今のメジャーでは誰もやっていないわけで、その意味での難易度は別格で、ケガなくやれば大谷の実力からすれば、投手で〇〇、打者で〇〇の複合的な数字は毎回何らか生まれます。

 実質的に前人未到であるということと、日本からメジャーにわたり環境の違いを完全に克服して、大活躍しているのを見るだけで、ベーブルースは関係なく、ただひたすらスゴイ。

書評:『生涯弁護人』事件ファイル1.2 弘中惇一郎 やはり後味の悪い検察の横暴

 正直なところ読後感は爽やかなものはない。検察や警察が頼りになる正義であるという思いが幻想だと思い知らされる。今もコロナやウクライナの情勢で結構SNSであるレベルに達すると言論統制が敷かれている国家の横暴はそら恐ろしいものを感じざるをえない。

 私は一人の著者の思いを読んでそれが100%正しいとは信じないので、もちろんこの本も周りの事実関係に関して調べ疑いを持ちながら読んでいます。しかしながら、村木さんの事件の内容は、概要は正しいため、やはり彼自身が一方的に金で無罪だけを勝ち取る悪徳弁護人ということではないと結論づけられます。当然、弁護士も職業であり、報酬はそれなりに貰うわけで、その観点から書けば彼を薄汚い印象に描くことは可能でしょう。
 しかし、世の中にカネのためだけの悪の弁護士というのは存在しえないことが、彼の事実の調べ方、依頼者との会話などの著述を紐解くと良くわかります。
 弁護士は法の下に証拠や証言を集め、検察と戦うわけです。

 これはある意味、スポーツやゲームのようなロジックや体力も含めたどちらが正しい悪いではない、『戦い』ととるのが近いかもしれません。

 それにしても恐ろしいのは、検察がストーリーを作って狙った獲物を有罪にしようと、人権を無視したような手段に出るという事実です。
 個々のケースの詳細は書くと厖大になりますが、政治家であれ官僚や有名人であれ、特捜部が狙うのがなぜその特定の人なのかが怖いのと不公平、不公正、理不尽を感じます。

 一部の政治家に問題があると思惑があっても、その他の全ての政治家がシロなのかというと、もっと黒い政治家がいるのにその時特捜が追ったものだけが貶められるという事象はやはり民主的な国家としてはあってはならないと感じます。 

 有罪にするため他の証言者を無罪にする司法取引なども含めて、普通の市民感覚ではおかしいと思うことがどんどんでっち上げられる。これも怖いというより、不公平であり貶められるものには理不尽なものとしか思えません。

 正直、読後、こういう思いが分かると、現在も五輪関連の疑惑で特捜部が動いているなどと聞いても、どっちが正義か悪かなどとは思いません。

 それでも、オリンピックや、コロナ関連でも多くの政治家や省庁官僚、医師会など、御用企業に不正な金が動いている話はよく聞かれ、地検特捜部には不正を正し巨悪を暴いて欲しいという気持ちは残ります。

長い夏休み 

 そろそろ毎日が日曜日でもおかしくな年齢ではありますが。今年は6月下旬から7月いっぱいまで、体調不良、入院、自宅療養で仕事を休みました。

 40日あまりということで、学生なみの夏休みの長さでしたが、自宅や病院で苦しんで悶々としている期間も多く、当然どこかに出かけたこともなく、あっという間でした。

 若い頃の夏休みに比べると、もう何ともなさけないような気持ちと、まあ懐かしい時代を思い出す郷愁のような念でした。

 青い空、入道雲、突然の夕立、星空、セミの声、あの頃と変わらないような空と自然を感じながら、来月からは活動していきます。

 入院したこともない身体でしたが、やはり弱さを知ることが必要だったのでしょう。ここからまた一歩ずつです。