いざ鎌倉に備え技量を磨き待ち続けるか

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 鎌倉殿のドラマの年というわけではないのですが、一方の勢力が栄えると冷や飯を食うグループは雌伏し、機を待たねばなりません。
 コロナ禍、ウクライナ危機の現代も業績の良いグループもあれば、就職難や失業、倒産、リストラと厳しい世相です。
 時代や社会の流れを読み勝ち馬の乗るという考えもあるのですが、侍、武士と同じように自分の技量を磨き、学び続け備えないといけないのです。
 それが報われないかもしれない、無駄に終わるかもしれないと思うかもしれませんが、そこで鍛錬したことは結果ではなく過程として大切なことです。
 勝ち馬に乗った人が運よく出世したり、儲けたりすることだけに着目してはいけません。侍、武士も道はやはりその志と大義とそれに対する忠義こそが大切で、評価されるところです。
 戦争を経験している人が減ると、今回のウクライナ問題でも、誰もが対岸で勝ち馬に乗りたい傍観者、評論家になってしまいます。
 平和が悪いのではないですが、志こそが大切です。
 個人に置き換えても、自分の仕事をするために志を高く切磋琢磨して追いかけないと文句ばかり愚痴ばかりになってしまいます。
 勝ち馬にのるのは技量のないものが幸運を追いかけるだけの危険な賭けです。平和ボケで、自分の技量以上にあぶく銭を得たい人は、「驕る平家」の滅亡から学んでいないのです。
 いつ呼ばれても呼ばれなくても、戦いの準備をするリリーフや代打、リザーブメンバーがいて初めてチームは成り立ちます。目の前の仕事だけでなく技量を磨きいつ大事な仕事を任されてもいいような力をつけることが大切です。

3.11 ウクライナ、世界は分断されているか

世界一ロマンチックな鉄道と言われる福島県の只見線」

 ウクライナは自国のプライドをかけてロシアに抵抗しています。少なくとも報道では創刊要られます。ロシアは原発や病院など民間施設まで攻撃する悪の権現のように報道されています。
 我々には実際確認する術はありません。この頃の刑事やミステリのドラマではフェイク画像なんて言う何でもありなトリックが使われだしています。戦争のトリガーや蛮行は歴史を見ても仕掛けられたことの方が多いです。それで愛国心、義侠心に火をつけて、世論や国際的支持を得たものが勝ち、勝てば正義、官軍となれるのです。
 政を為す国のトップは、国民を守るためあらゆる手立てを考えないといけません。それは目先の利益やこだわり、好き嫌いを優先せず、すべて最終的な国のためでないといけません。
 隣国ロシアや中国が絡むと日本の国防は極めて重要な意思決定を迫られます。そこには絶対的正解はありません。
 勝ち馬に乗るという考えはありますが、それが裏目に出た時何もかも失わないような危機回避、リスクヘッジは必要です。
 日本が中国と戦争をしながらアメリカ、イギリスに戦争を仕掛けたのも結果を見ればすごく鞭無能とか思われます。しかし当時破竹の勢いのあったドイツが敗れるとは思ってもいず、多くの国民が勝ち馬に乗っていると洗脳されたのです。
 バランスをとったインテリジェンスも求められます。アメリカと欧州、中国とロシア、今の対立は米ソ冷戦期以上に難しい問題があります。今すぐに全面戦争はないでしょうが、国境を接し領土問題も抱える日本は、アメリカに追随していてもメリットばかりではありません。戦場となりやすいのは国境を接していいる前線の日本です。
 人口で10倍の中国は早晩、GDPも軍事力もアメリカを上回る時期が来ます。その前に叩いて現体制を壊したいという気持ちは分からないでもないですが、今のままでも絶対に犠牲が少なく勝てる可能性は小さいのです。
 例えば7:3の戦力分析で欧米側が軍事力で勝てるとしても、そこには何の意味もありません。負ける可能性は3割あるのです。1%でも負ける可能性があれば危険です。負けないにせよ大きな犠牲もその後の遺恨も残ります。
 いざとなってからの外交ルートなど難しい交渉を強いられます。国民世論は百歩譲って反中,反ロでも外交は常にバランスが必要です。

息吹き、芽生える春の花

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植物園に行ってきました。
 子供の頃は動物園や水族館に比べたら、花を眺める植物園は男の子には良さがわからない場所でした。
 早春の花の展示もあり、水仙、椿が咲き梅林はほころびから見ごろの樹もありました。チューリップは芽生えたばかりでした。これから、春分、春の活力を植物からも感じ、元気を貰えた気になりました。

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「見逃し」の無い時代

 私の子供が小さい頃、地方に住んでいたのでたまに関西でしかやってない映画や子供が喜びそうな番組を親が録画してくれていました。
 操作もままならない老夫婦が頓珍漢なこともしていました。まだVHSが往生する寸前ぐらいでその後DVDだと機器の互換性が下がりそんなことも難しくなりました。
 今はリアルで視聴できず録画もできずとも、見逃し配信サービスがあります。昔の映像、映画やドラマもBSやCSはじめその他の配信サービスを探せば、問題があって放送禁止以外はたいてい見れます。
 チャンネル争いで兄弟げんかしていたころに比べると、テレビが見れなくてもすぐスマホというのが今の子供たちです。
 昔の優れたものとも対抗していかないといけない今の制作者はそれなり大変です。その上、多チャンネル化、働き方改革、テレビ離れで予算も時間もないのでしょう。
 それだけテレビ地上波もスカスカになってきています。
 ちょっと前に引退した先輩が暇で鬼平犯科帳ばかり見てるというのを、バカにしていましたがそんなものなのかもしれません。

人生とは孤独 ヘルマンヘッセ「霧の中」より

ヘルマン・ヘッセ「霧の中」から

暗さを知らないものは、

賢くはないのだ。

不思議だ、霧の中を歩くのは!

人生とは孤独であることだ。

だれも他の人を知らない。

みんなひとりぼっちだ。

 人間は弱いから、他人に頼ったり、自慢したり、認め合い、許し合わないと「孤独」を感じてしまうものです。
 孤独に対する耐性や強さは人により環境やDNAで違うかもしれません。
 孤独をさけるためマザコン、ファザコン、シスコン等に陥ったりします。ゲームやペットなど趣味、クスリなどに過度に依存する場合もあります。
 親も伴侶も友達もいつかいなくなります。ペットなどもちろんそうです。最初からロスが見えているものには覚悟が必要です。死別でなくとも、物理的精神的に距離があけば同じことです。物理的距離や死別を嘆いても、精神的にはとうに離れている場合もあります。
 所詮は生き物、人間は一人で生まれ。一人で死んでいくのものです。そこは納得して受け入れ、心を整えるしかありません。さみしい、さびしがりという人が他人に頼ると結局さらに寂しいロスを迎えるのです。

オリンピックとナショナリズム

 北京での冬季オリンピックが終わりました。
 コロナ禍ですが、やはり日本人選手の活躍を中心にニュースのトップを飾りました。北京での開催ということで、ウイグルでの人権問題で「政治的ボイコット」に始まり、ドーピング問題や不可解な失格判定も問題となり、政治色や国威掲揚の問題とは切り離せないものとは痛感します。
 冬季の場合メダルを獲得する国も、参加国も夏季には及ばないスケールで先進国お金持ちの国中心の大会です。
 それでもテレビを見れば普段愛国心のかけらもない人でも、なんとなく自国民やそのチームを応援したくなり、自国のメダルの数が気になるようになっています。
 日本のアスリートたちが、4年に一度の晴れ舞台のため物凄い努力を積み重ねたことには敬意を払い労いを禁じえないです。
 しかし、オリンピック精神以上に商業主義が拡大し、メダル至上主義、放映権は暴騰し、種目数も増えており、日本のメダルが過去最高と言われても少し違和感はあります。
 もちろん本当の戦争が一触即発とも言われる情勢で、スポーツが世界平和の鎹(かすがい)になればそれは素晴らしいことです。
 閉会式やフィギアのエキジビションのほっとするような選手の表情がいいです。

昭和33年 映画が娯楽の全盛 都会と地方は格差はもっとあった?

松本清張原作、野村芳太郎監督の『張込み』上映は昭和33年1月でした。日本の映画館入場者数は昭和33年(1958年)に年間11億人に達し、入場者数がピークになった年でした。
 街の大きな娯楽や、情報伝達も映画だった時代で。テレビの家庭への普及は翌昭和34年の皇太子ご成婚(平成の天皇)が契機ですから、映像ニュースは映画館が主流だったのです。
 清張原作の短編をより人間の業、情念を深く描いているとともに、時代の風俗、都会と地方の情景も良く描かれています。
 鉄道マニアには冒頭出てくる、東京発西鹿児島行きの「急行さつま」帰路長崎からの「急行西海」の映像も垂涎ものです。ときおり映る機関車、駅名標。沿線風景も貴重な映像ですし、このような長距離を立ったままや、硬い直角の座席で一昼夜過ごす旅も過酷そうですが当時は当たり前だったのでしょう。
 ストーリーとしてはネタバレにもなりますが、平凡で地味な日常に終始する28歳の主婦が究極的な選択の運命に翻弄されます。年齢といろんな習慣、世相も今とは違いますが、なかなかにどんな時代でもあり得る選択肢です。
 戦後の復興、地方にも活気はあったのも描かれています。しかし首都圏までの交通の便や、文化やインフラは大都市中心に進んだことも如実に分かります。地方で犯人を追いかける刑事が走る道がまた舗装もされず過酷なのです。すでに多くのネオンの描かれた東京との格差はある意味当時の方が大きかったかもしれません。

今さらのバレンタインチョコ

 チョコや甘いものは嫌いではないぼですが、歯が悪いのでバレンタインで貰う義理チョコを小腹が減ってが食べてしまうとエライ目にあいます。
 何でバレンタインはチョコなのですかね。しかも判でおしたように義理だと、まあそれなりの出費のものを、お返しに気を使ったりします。
 学生の頃まではこの時期や、クリスマスはソワソワしましたがやがてがっかりに変わるマンとも不毛なイベント期間です。女性の多い会社に勤めたのでその後バレンタインは義理チョコの山にお返しに苦しむ期間に変わりました。
 貰って嬉しいものならいいのですが、うーんそんなにありがたいものではないですね。何かお酒とか、別の食べ物の人はいてもいいような気がします。

キツイ肉体労働をロボットが全てやったら

 新潟の大手菓子メーカーの工場で深夜の火災があり、5人の死者が出ました。24時間操業で、5人のうち4人が70前後の老人でした。
 24時間操業の工場での清掃ということで、機械のラインのメンテナンスなのでしょうか。いずれにせよ、深夜に高齢の方がかなりハードな肉体労働をされていたようです。職業に貴賤はないのですが、こういう現場にいた人の話によると高齢だが無年金で貯蓄もなく、働かないと生きていけない人々のようです。
 65歳を超えると、なかなか求人情報の内容もよほど資格や経験がないと厳しい、あっても厳しい時代です。
 高齢の方が、ハードで危険な仕事につかざるを得ない、IT化が進みロボットがその職務を果たせば、それはそれで仕事を奪うことになるのでしょうか。
 この人達は公的な補助が少なく、自力で稼いで国の負担を少しでも減らしています。孫に配っても使い切れない年金をもらって悠々と暮らす高齢者もおられる社会を底辺で同年齢が支えています。
 ベーシックインカムなどキレイごとを並べる人には想像しきれないスキマで、彼ら彼女らは立派に仕事をしているのです。
 

故国に帰れなくても            思いは伝わる 帰らぬ人はそこにいる

 コロナ禍はグローバルな時代で自由に海外と行き来できた人々に大きな制約を設け、旅行や運輸産業にも壊滅的な打撃を与えました。
 かく言う私も国内にはいますがお金と時間さえあれば旅行したい鉄オタに分類される人種ですし、娘は海外旅行中心の旅行会社に勤めていてその打撃の大きさにも嘆きます。
 セミリタイアした富裕層は外国のリゾート地に別荘を構えて二重生活をするのもトレンドだった時代もありますが、カントリーリスクに加え日本への再入国の難しさが今や大きなネックとなっています。
 鎖国時代に戻ったようなと揶揄されているほど、日本を出ることは何とかなっても戻る際に2週間の待機は事実上旅行困難な大きなハードルになっています。
 オーストラリアも出入国が厳しく、そっちに行った友人はもう日本との行き来、里帰りは完全にあきらめています。
 
 戦争や内乱のない日本で、こんなにも家族に会えず祖国の墓参りもできないと嘆く向きも多いようです。
 イギリスなどコロナ規制を撤廃し始めている国にとって日本から来るのは易く、日本に入るのは難しいという片鎖国状態が続いています。
 円高時代を背景に年に2回の里帰りを楽しみにして、コロナでそれが不可となり、相当精神的にも参っているような友人がいます。
 ただ世界の多くの国、多くの人々はまだまだ恵まれていなかったり、軍政や戦争、内乱で自由な行き来も制限されている人は多いです。
 昭和40年代、フォークソングで南北朝鮮の分裂を唄った「イムジン河」という切ない曲が流行しました。戦争で南北分断となり戻れなくなった祖国に、川の流れや鳥の群れだけが自由なのを悲しむ内容の詩です。北への配慮で一時期発禁にもなりましたが、当時から朝鮮戦争以後二度と双方にの祖国の土は踏めない人々もいるわけです。
 私の学生時代や20代の頃、1ドル360円時代等海外旅行はかなり高価で難しかったですし、今でも日本にも海外はおろか、国内の旅行や洒落た外食すらままならない人もいます。
 中にはアメリカに留学していて、どうしても親の顔は見たくて2週間の缶詰覚悟でこの正月に帰国した方も聞きました。今はその気になれば海外との行き来も家族友人との通信も簡単です。
 日本にいたとして家族や友人がいたとしても、それなりの年齢になればいつか別れが来ます。それは人間、生き物の宿命です。どんなに優しかった父も、母も、連れ合い、友人、子供もいつか風になっていきます。逆に憎たらしい人、恨みたくなるような人が残るときもあります。
 愛した人と別れる。その人が風になる。その風は別に必ずしも祖国の墓にとどまっているわけではありません。歌詞ではないですが、それぞれ思いのあった、心を通わせた人達のそばに吹きわたります。
 旅行会社には悪いですが、航空運賃等いらないわけです。
 コロナ禍で嘆く向きは多い激変を一つ一つ見ると、やがて来ることだった運命が少し早く来ただけの場合があり、その覚悟が少し足りなかっただけだとか、やがて来るもっと劇的な変化への予告で準備を促しているものだったりします。そこは冷静に考えましょう。