熱く感動した仙台での「復興」オールスター

東日本大震災からあ10年の今年も夏になりました。野球の話になりますが7月17日仙台でNPBオールスターの第2戦が行われ、試合前に震災の時1歳だった小学生が「東北は強くなりました」「10年後は選手になって、感動させる立場になりたい」旨の挨拶をしました。東北ゆかりの選手の目頭を熱くさせました。
本番の試合も東北楽天ゴールデンイーグルスの選手が投打に活躍し勝利、セーブ、決勝に得点打点も総なめしました。
派手な演出ではないですが、10球粘って四球で出塁し、同僚島内選手の長打で一塁から懸命にホームに駆け抜けた小深田選手の姿と、それに声援するベンチの全選手の姿に感動しました。
まだまだ東北が完全に復興して全ての人々が強くなった訳ではありません。
東北人のひた向きな粘り、真摯な努力にはいつも感心します。
次は東京を中心にオリンピックが開催されます。コロナ禍で当初目論んだ経済的成功には程遠いようですが、世界に今の東北の復興ぶりをアナウンスする機会として、大いなる成功を期待しています。

嘘つきでバチが当たった「コンパクト五輪」「復興五輪」の無観客開催

人間って弱いもので、どうしてもその場逃れに適当なことを言ってしまいます。うまく逃れたようでバチが当たり後で信用を無くしたり、しっぺ返しをくうものです。
当初、オリンピックは東日本大震災からの復興を世界にアピールし、既存施設を活用したコンパクトな五輪ということで開催都市に決まりました。
巷間伝わるところでは、合法か非合法かは知りませんが、東京開催誘致のため広告会社から数億のお金がアフリカ諸国に渡ったという話があります。その採算をとるためには結局は競技場、施設も新設をしド派手な五輪にしないといけなくなり、復興もコンパクトもその場しのぎの言葉で置いていかれたということです。いずれにせよ、「復興」や「コンパクトに」は裏切られ、予算は当初の3倍に膨れ上がりました。
コロナの蔓延で満員での開催が難しくなり、多くの施設は出鼻から満員稼働で稼ぐチャンスを失い、一度も使われることなく取り壊される観客席もあります。残るものも悲惨で今後は維持管理だけでも重荷になります。自治体の負の遺産が量産されているのです。
もちろんこれはコロナという予期せぬアクシデントではありますが、やはり何かリスクを見通した採算の見通しの甘さと、「原発事故も完全制御している」等の虚言まがいで強引に進めたツケのようなものがしっぺ返しを食った印象があります。
広告会社や人材派遣会社はコロナ禍でも利権太りしたままなのかよくわかりません。しかし倫理や道徳を逸脱してまで儲けだけに走る企業もまたいつかしっぺ返しを食らうでしょう。
自分自身でも仕事等で、その場をとりつくろい信頼を失うようなことで大いに反省したことがあります。
国家、政府、官僚もその場だけでなく、将来未来、世界に通じる言葉を大切にしないと信用、信頼は得られません。

苦言やマイナスの発言が多くて申し訳ありませんでした。とはいえ、世界のトップクラスのアスリートが競い合うイベントが間もなく開幕します。コロナのこれ以上の蔓延、亡命やテロ、大事故、災害がなく無事に終わることをまず祈ります。
プロ野球Jリーグ等も中断しますから、やはりオリンピックに注目は集まるでしょう。この時しか脚光を浴びないアマレスや重量挙げとか、マイナーや新興のスポーツの面白さに注目します。殺伐とした世情の空気を一掃して欲しいです。
スポーツの持つ力、ドラマ性は認めるところです。
新たな世代が、活気を持ち元気になれるようなドラマを大いに期待します。

パソコン技術も使わないと置いてけぼり

もう何年前になるかな、20年近く前情報処理技術士初級シスアドとってました。
パソコンは40歳くらいになってから勉強して、エクセルやパワーポイントは得意でした。
しかし、さすがに現場も離れ、退職して数年錆びついてます。
久々にタッチタイピングを思い出しそれでも、もう遅い指の動きです。
ソフトも根本のベースは変わらないけど、リボン等見やすく便利になりました。
今若手で企業でばりばり企画や営業等で働く人は、どういう使いこなしをしているのかなとも思います。
今でもエクセルやワードを使う機会はあります。久しぶりに図書館で2019のガイド本を手にして、分かっていることも忘れかけてたこと、新しいことを学び直してます。
これがなかなか面白いです。
パソコンもスマホもここ数年はマイナーチェンジ的な進化ですが、やはり何回かのバージョンが変わるとだいぶ進化しています。
母なんかがワープロは打てたけど、携帯のメールからダメになりました。
何とかついていける年寄りにでいたいです。

本格的に夏が始まります

九州から梅雨が明けだしました。
本格的な夏です。
星空を眺めることもやっとできます。
流星雨が見れるでしょうか。
コロナ感染症の早い終息を祈りたいです。
夏は情熱的な季節ともとらえられますが、感傷的になる人もいるでしょう。西洋占星術には夏の季節の概念はありません。夏の黄道星座は現在の蟹座、盛夏の獅子座、その後残暑から秋につながる乙女座ぐらいまでです。
個性もそれぞれ、捉え方も違いますが、身体的にも夏が苦手、冬が苦手はあるでしょう。それぞれ体力を失ったり、冒険で危険な目にあうこともあります。気を付けながらも、自分の目標に向かってまっすぐ進むような季節として欲しいです。

バックオフィスが精鋭なら強い 職業に貴賤はない

長い間、営業畑でしたので、わがままで横着のままでした。今事務、バックオフィス的な役割をしてると。つくづく感じます。私は杜撰でひどい営業で、事務方に助けられていました。
営業や、役職上位が花形と思うと、ついバックオフィスをしたに見ることがありがちになります。
適性というのもあるでしょうし、長年経験すると沁みつくものもあるでしょう。営業がいいか内勤や現場作業がいいか、職種に上下も貴賤もないものだとつくづく最近思います。

代表よりもクラブチームの応援が面白い

カズ、中田、香川、本田ら歴代綺羅星のようにエースを擁し、キラーコンテンツと言われるくらいの視聴率を誇ったサッカーの日本代表戦が今はかつてほど視聴率も動員も今一つ伸びません。
サッカーの代表戦に対抗して、WBCやらオリンピックにプロを集結させた野球の侍ジャパンも、オリンピックの雲行きもそうですが今一つの盛り上がりです。
一昨年のラグビーW杯は予想以上に盛り上がり、日本の健闘も光ったのと、ルールさえ怪しい人の多い中大いに代表戦からラグビー人気が沸騰しました。
この違いは何なのでしょうか。
その競技への見る人の目の肥え方にもよります。代表は選抜チームで、スターは揃い個々の選手は素晴らしいですが。連携や細かい戦術の浸透は不十分になりがちです。
ラグビーは初の国内開催のW杯ということで十分な合宿を重ねました。
一方最近のサッカーは海外移籍が増え、まとまった練習は難しいばかりかベストの招集すらできないまま興行としての強化試合や予選に臨む状況です。
野球に至っては元々メジャーが全員参加する訳でもなく、短期間の大会でそもそも実力が出しきれるかは、投手の巡り会わせ等運不運も付きまといます。
多国籍集団のクラブチームの方が、玄人目にも面白いわけです。
冬季のカーリング等は日本で優勝した単独チームが世界大会に行きます。かつての女子バレーボール東洋の魔女もほぼ単独のチームで、猛特訓をしました。
総花的なオリンピックでの野球やサッカー、一流プロにとって国の名誉のためそれなり戦うのでしょうが、個人的にはペナントレースやJリーグ続けてくれてた方がありがたいです。
それほどこの頃、代表の底が見えてきてしまいました。
かつて会社をうまく抜けて必死に帰って見たサッカー代表戦、今はあれ今日やってたんやという感じです。
WBCやらで投手の球数制限する意味が分からない日本のファンは多かったですが、今はペナントレースに関わるエース級の疲労消耗を考えるとごく当たり前に思います。

ワクチン不足?忖度はどこにでもありそう #人間の性#ワクチン

もう忘れかけられていますが、ワクチン接種の順番について自治体に忖度されたとか、あるいは秘書が優先を強要したとして少し前に愛知県のドラッグストア大手の経営者が非難を受けたニュースがありました。
結局は辞退に追い込まれたのですが、私はこの時この程度のことは日本中でしょっちゅう起こっていることで、いちいち義憤を煽るような報道をしても、立場変われば結局、人間同じような行動をとるのではないかと思いました。
60代以下にも接種券か配られ、いざみんなにワクチン接種の機会がとなると何だかワクチンが無くて予約できないとのニュースが流れました。
政府の管理、スキーム運用の拙さは別の機会に書きましたが、ここでチラチラ聞こえてくるのは、あちこちで病院の伝手や、議員さんのコネとかで早めに接種できたとの話です。
端数の破棄をしないために急遽入れ込む場合等いろいろなのでしょうが、結局予備としてVIP忖度用に抑えている分等もあり、全体で見ればワクチンの不足の原因になっているのではないでしょうか。
ドラッグストアの経営者への忖度を非難した人々も、いざ自分の番となると何とかしたくなる。そんな心理って誰にもあります。
政治家や官僚が何がしか不適切に思える横入りをしたら一斉非難する人が、いざ自分の子供が罪を犯したので見逃して欲しいとか、大学や会社に無理でも入りたい等、藁をもつかみたいときに議員さんや権力者を知っていれば頼むことになるのはよくあるケースです。そのために議員はいると思っている人もいます。
偉い人や金持ちが忖度されるのって、たまにスケープゴートとなり批判を受けても実際には表に出ない甘受されているケースはいっぱいあるでしょう。誰もがそう思っているし、立場が変われば気にもせず受けているのではと思います。
マスク騒動の時も、私も近所のドラックストアに早朝並んだ時もありますが、文句は言われてもいろんな事情で出し惜しみする店側、本当に明日からのマスクが無く本来使い捨てのものを毎日洗う人もいれば、暇なので家族知人用に毎朝何度も並ぶ人、転売目当てで並ぶ人、人間模様はさまざまでした。何か朝から醜いものを垣間見ました。
【新型コロナのワクチン】これもそんなに品性を落としてまで焦って打つ必要はないと思います。
かかりつけか、大会場に登録ぐらいはしておいて、順番が回ってくればうければいいでしょう。打たないという選択肢を貫く人もあります。
何せ、ワクチン打つか打たないで白か黒か、そんなに劇的に効果があるものでもありません。
逆に打たない間は血栓もアナフィラキシーショック等の副反応の恐怖に会う可能性もあり得ません。
コロナに罹患して重症化という可能性も60歳以下だと元々かなり少なく、しっかりマスク手洗い等予防して体調を維持していれば全然問題はないです。

それよりも、マスクやイソジンの争奪に始まり、コロナウィルスごときのワクチンなどで人間の焦る品性、国家や自治体の醜い面が見えることが悲しいです。
人間生きている間、衛生的にやるべき習慣は身につけとくべきですが、醜い性、落ちた品性のまま生き続けることもまた悲しいものです。
たとえ1週間あまりでも、悔いなく鳴き続けるセミの潔さにも見習うべきものもあるかもしれません。

七夕:星に願う国の安寧

梅雨が明けないと星が見えないので七夕の願いは旧暦まであと1カ月晴れ間を見つけて祈りましょう。
さすがにそのころには梅雨は開けています。
ベガとアルタイルが年に一度会えるかは別として、コロナ禍、大雨での土石流とまたイヤなことが続きました。コロナの影響で経済も低迷、世界的にもまだまだ政治も経済も混迷です。
スカッと晴れて、気分爽快な話題にチェンジできますように、お星さまにお願いしましょう。

会津っぽ、中華そばの思い出

東北には「会津っぽ」という名前でごくメジャーな外食チェーンでした。どちらかと落ち着いた「中華そば」加水製麺とか創業年を謳い、壁にも縁日でのたまの御馳走が中華そばだった時代からのこだわりの物語が描かれていました。
幸楽苑の屋号で全国進出を果たすのですが、290円の激安を売りにして利益が上がらなくなり、追加メニューを工夫するなどしていました。
今のつけ麺やらいろんな創作風のラーメンに比べると、地味な中華そばです。
ラーメン、中華そばがご馳走だった時代からすると、百花繚乱の1000円以上もする高級ラーメン時代等信じられない話ですが、まあ無骨で平凡ですがここのラーメンも餃子も嫌いではありませんでした。
仙台にいた頃5年間、家族で行った近所に店もあったのと、ある流通企業の本部で各メーカー集合させられての棚割り会議の夜食に良く行きました。
関西に戻って酒の量販「やまや」とともに。「幸楽苑」が出店してきたのにも驚きましたが。中華そば290円の安い戦略にもびっくりしました。しかし、その後この企業があの激安ステーキ店で一斉を風靡するとは思いませんでした。
逆に私が東北にいた頃は餃子の王将がまだ出店していませんでした。京都発祥の『天下一品』はフランチャイズで1店あり、懐かしくて行きました。少し個性のあるこってりラーメン、このチェーンも、他の個性あるラーメンに押され下火の時代です。
私も年齢を重ねて、胃も弱くなりましたので、もうそんなに個性的なラーメンを食べ歩きたいとは思いません。素朴な中華そば系ラーメンをたまに具沢山で家で作って食べる程度です。

戦後高度経済成長期はもっと格差があった

子供は純粋であったり、鈍感だったり残酷だったりします。昭和40年代に小学生だった私たちの学校、生徒たちの格差はある意味今より今より大きかったです。
給食や肝油で栄養を補い、その給食費の支払いもぎりぎりの家庭もありました。
高度成長期で、働けば働くだけ儲かりだした時代ですが、まだまだ戦後の厳しい中で苦しい生活の家庭もあったのです。
私は鈍感な方なので、他人がお金持ちか貧乏かというはあまりわからなくて、誰とでも遊びました。
少し大きくなるにつれ、あそこの家は✕✕だなどという情報が入ってきます。公立の小学校ですから、町内によってはいろいろな難しい地域や家もありました。今考えると昭和は個人情報保護も人権擁護もユルユルでした。
空地もなく、公園も狭いので駐車場などで遊んで怒られました。
洒落たお金持ちの家でもそんなにうらやましいとは思いませんでした。大手商社にお勤めの親の家でしたが、まあ狭いながら自分の部屋のある自分の家が誇りでした。
世の中にはお金持ちと庶民がいると本当の意味で実感するのは、大人になりずっと後でした。昭和40年というともう半世紀前、その20年前が終戦、焼け野原の時代からすると大きな格差があって当たり前。しかしやっかみ、妬みというマイナスの感情は格差が大きいから生まれるのではないのかもしれません。庶民から見れば一流の企業に勤めても、官僚になってもさらに上に高等な市民がいることに気付けば、嫉妬は生まれます。
気の持ちよう、心の在り方かもしれません。格差に妬み、自分の境遇を悩む時は誰でもあります。私もいくつかの場面で、居場所を失い悩んだ時があります。そんな時、子供の頃の無邪気さを思い出しましょう。
何かを得たら、次の何かを欲しがり、今の立場を守ることにも汲々とする。そんな時、何もなかった知らなった頃を思い出しましょう。