マスコミ報道

 確かめようのない大げさ、偽り、ヤラセをするなと言われながら、恣意的なものウソ、紛らわしい悪質な報道は毎日です。
 先日も仕事であるお問合せをされた老人は、関西の某テレビ局の報道番組で取り上げたことが真実だと思って不安でたまらないご様子でした。
 テレビや新聞はすべて正しいと思っている層はまだまだ多いと感じました。

 マスコミは報道の自由という名のもと、よほど検証されない限り間違いを認めて謝罪しません。まして報道のあとの街のインタビューなど、編集で意図的に印象付けようと選んでもな咎められることはないでしょう。流れに沿った意見は増長されます。企業の新製品とか流行のリリースはその後の街の声などは否定的にはしません。
 テレビマンが聖人ではないのはわかりますが、それだけ責任をもった公平公正な報道は常に頭に入れて欲しいと望むのは無理d¥なことでしょうか。

情報のあふれる世界での洞窟の囚人 プラトンのイデア論

 洞窟の比喩とは、古代ギリシアの哲学者プラトンが自らの著書『国家』の中で「イデア論」を説明するのに使った例え話です。
 プラトンはこの比喩で、人間が知覚している世界の限界や、目に見えない世界の本質「イデア」やその理念に対する認識に関する考えを表しました。イデア論とは本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚する対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎないとする説です。
 洞窟の比喩(寓話とも)は壁の前で縛られて拘束されずっと後ろから投影される像だけを見せられた囚人たちの話です。一人が解き放たれ自由を得て、まぶしい太陽のあたる真実の世界を見ますが、戻ってきて他の囚人に外の世界を説明しても分かってもらえない。
 というような寓話です。
 テレビもインターネットもない時代の哲学が今の時代の事象にも当てはまるというのがなんともプラトンの偉大なところです。それだけ人間の営みと悩みの本質は不変ということでしょうか。
 政府や政党、大企業のリークやプロパガンダの可能性が高いテレビや新聞、SNSなどネットで偏った情報ばかり見て、それが世の中のすべてだと思ってしまう人もいます。
 情報は、いつも同じ方向から見ていると、いつの間にか視野が狭くなっていき、価値観が狭まってしまうということです。

 与えられるもの、見えているものが全てだと思っていると、「洞窟の囚人」たちのように、物事の本質というものを見失ってしまうのです。

 プラトンの考察は解放された囚人が見た太陽もまたイデアかもしれないと言われています。

高齢者運転免許返納

 2019年4月19日午後0時25分ごろ、東京都豊島区東池袋4の都道で、板橋区の無職、飯塚幸三さん(87)の乗用車が約150メートルにわたって暴走し、歩行者らを次々とはね、自転車の母と娘2人が死亡、飯塚さんを含む40~90代の男女8人が重軽傷を負いました。

 妻子二人の家族を一瞬で失った男性の心情ははかることもできない無念でしょう。
 この痛ましい事件以降、高齢者の運転免許返納の動きが、胎動しました。
 しかし一度クルマの運転のベネフィットを知った人間にとってなかなか運転するなというのは難しいものです。

 人間40を過ぎたあたりから、50代、60代と目も身体も疲れやすくなりあちこちに衰えを感じだすのは誰しもあることです。
 先日、速度違反がなくならないという話をしますとやはり道路によっての制限速度などの不公平などの反応をされる方もおられました。
 運転技術も若い頃飛ばせたものが、どこかで衰えていきます。


 運転免許、クルマ社会でいうと地方にとってはクルマでの移動、日常の買い物や通院など都会に比べてなくてはならないものとも言われます。また地方の人だけではないそれでは不公平だ。都会の高齢者だって、重いものを運んだり大勢を乗せる機会もあるので返納はできないとも言われるでしょう。
 制限速度違反にしろ、高齢者運転にしろ、些末な条件の議論を家族を一瞬で奪われた人にとってはどう感じるでしょうか。
 ようやく、制度化されつつある高齢者の返納や講習制度の話題の中、都市部でも、赤字の公共交通機関の値上げ、高齢者のパスの値上げが囁かれます。
 これこそ流れに抗う深刻な問題です。敬老パスをただ運輸事業者の利益だけで考え値上げすれば赤字がいくら減るとかいうのは完全に間違っています。
 都市部も地方も交通体系とそれに伴う高齢者への社会全体のフォローの仕組みを考えないといけない時期にきているでしょう。
 ネット販売などで今は間違いなく鉄道やクルマも無かった時代に比べ何もかもが便利になった時代です。そんな中で少しの我慢を我慢と押し付けていうと、やはりどこかから何かと不満の声があがってしまうのでしょう。
 平和な日本で交通事故でもらい死にするのだけはやはり無念すぎるイヤなものということは自覚いただきたいところです。

中立なのはロシア擁護ではない

 私は一般の人がけっこうミステリも読んでいるし推理ドラマや名探偵コナンなどもよく見ているので、もう少し世間で起こっていることを疑ってかかり、冷静に判断できないのが不思議でならないです。真実は一つとまでは言いませんが。目に見えているものや繰り返されるものの矛盾点や、動機を考え、時系列を見て分析して論理的に考えるのは好きではないのでしょうか。

 国際情勢だって、コロナに関してもだが、ちまたには絶対賛成を声高に強要する一大勢力と、全てが陰謀や嘘だと否定する勢力が罵り合っています。とばっちりのように、真ん中で公平で中立な分析をしても犯罪のように両側から攻撃されるのも何だか、納得できないものがります。

 真実や政治志向がどうより、少なくとも多くの人は探偵劇のトリックや伏線を看破する読み方はしていない。むしろ自分は小気味よく騙され裏をかかれながら、探偵の活劇を愉しんでいるのかと思いました。

 これはニュースに対する姿勢もそうです。戦前の大本営発表のそうですが、政府や企業はプレスリリースしたり、リークしたりします。これは短時間では真実とかその背景はすぐには検証できずに表に出ます。政府や大企業、あるいはそれとつながるマスコミは時に厖大な情報でまぎらわしい誇大、ウソを真実に捻じ曲げます。
 ロジックであくまで考えるだけです。ミスディレクション、レッドへリングに引っかからないことだけで今の報道を見ると不思議なことだらけです。
 プーチンの行動あるいは、サイコパスとかジェノサイドとか狂人とするオチよりも必ずもう少し納得できる真実があるはずです。それに対するゼレンスキー、バイデンや西側の行動にももっと裏側の真実はあるはずです。

見つからければ速度違反がまかり通る不思議

 捕まらなければ泥棒や殺人などの犯罪をしてしまう人ってそんなにいないはずです。法律を守るのは当たり前でそれ以上のマナーとかエチケットにうるさいキッチリした人も多いでしょう。
 でもなぜか空いた高速道路や田舎の広い道路だと、オービスがないとわかれば思い切り制限速度オーバーする人が結構います。しかもどこからどこまで何分でいけたとか自慢したくなるようです。
 普段は法令順守はもちろん、人権や環境、マナーやコンプライエンス、エチケットにことさら気を配る人もなぜかクルマを運転すると、大して急いでいなくとも飛ばす人がいます。
 ひと昔前は飲酒運転もそういう感覚ではありましたが厳罰化や、事故時に飲ませた者も責任を問われるようになり、さすがに減ったようです。
 100キロ制限で飛ばせる高速道路で120~140キロ出すとか、60キロ最高速制限の一般道で80ぐらい出すのってそう難しくはなく、そうそう事故につながるとは思えない良い道が多いでしょう。ましてやクルマの少ない田舎道ならなおさらです。
 でもやはり速度制限には意味があり、当然ながら何かあった時は速度が高いほど一瞬で回避できる間隔は長くなり、事故も致命的に大きくなります。落石や動物注意などの標識もなんだそれと思わないことです。歩いていると何でもなくよけられる石なども高速になるとよけることは難しいです。動物もしかりです。新しい道路はけものみちを分断したりしています。
 シカや小動物はよけられるわけが無いと言われますが、それも速度や状況により回避できれば罪のない動物を撥ねる危険は減ります。
 まして自分が重大な殺傷を犯す可能性のある唯一の機会がクルマの運転だと考えてみれば、いくらすいた道路でも飛ばす気にはならない。と言っても飛ばす人はいます、何とも。
 GPSやドラレコなど結果として事故につながった場合に速度違反をしていれば、酒酔いのように処分を厳格化していくとかなりの抑止にはなるでしょう。普通の人が飲酒運転をすることがまずなくなったように、速度違反もなくなると関連のあおりもふくめて事故も減ると思うのです。

究極の3択?エネルギー問題のジレンマ

 ウクライナ情勢は世界中の市場や経済、社会に影響を与えつつあります。
 そしてロシアに対してさらに制裁を加えるとして石炭やガスの輸入を止めるとなると、エネルギーの約10%を依存していた日本への影響は小さくありません。
 その結果として考えられる選択は

1.電気料金、ガソリン、運送費その他関連の諸物価、税金などの上昇を受け容れる(国際市場高騰の中、何とか多少高くても融通を受ける)

2.原子力発電所を再稼働する

3.ロシアとの取引はフェイドアウトとは言いながら、実質のらりくらり継続する(もしくは前言撤回、やはりそこまで制裁はしません)

 アメリカやEU、G7などの西側の反ロシア圧力に同調して見栄と付き合いで制裁に加わらずを得ない日本の背景、世論でありなかなか3は難しいところです。
 ところが原発反対野党系の人は、ふだん国民生活密着とか言いながら2は絶対反対だとなります。では庶民にとって大打撃となる電気代値上げを容認するのかという「それも反対」、じゃあロシア制裁には加わらないのかというと「それは制裁すべき」となり、じゃあどうしたいのか、本当に政権担当する気もない党は矛盾だらけです。これはジレンマではありますが、実際に政府、岸田さんは究極の選択をしてどれを選んでも一部からも嫌われながら進めていかないといけないのです。
 政治トップの選択は時には誰からも褒められず、非難ばかリ多くとも決断しないとならないのです。
 私は3、ロシアから融通が続けられる限り、抗議姿勢とは別に割り切って続けれないいいと思います。

 それがいろいろな要件でできないなら迷わず 2、原発の再稼働です。安全基準のクリアが大前提ですし、テロや事故の危険は稼働しても止めていてもそれほど変わりありません。非常事態であり、将来的には比率を下げるにせよ、安定供給は必要です。この春先ちょっと厳しい寒の戻りと地震での火力発電停止が重なり、安定供給が見込められなくなりました。こんな綱渡りでは早晩ベースロードでの原発再稼働は必要だったのです。

3回目ワクチン接種は無期延期します

 友だちも3回目接種の状況を伝えられたり、するかどうか迷っておられる様子の方もおられます。
 私は3回目は接種しないことにしました。個人としての選択です。
 実は家族の別案件での入院もあり万一の感染をしないため本来は先週金曜日に集団接種会場に予約を入れていました。
 ワクチン公務休暇予定でしたが、その前日から部署に陽性者や濃厚接触での離脱が続出してやむなくキャンセルしました。この情勢で次回を予約することもできず,タイミング的には子供の入院にも間に合わず断腸なのか運命なのかと思いました。
 厚生労働省のガイドラインに沿ってかかりつけ医と相談し、3回目のワクチンは受けないことに決めました。
 これは厚生労働省管掌の仕事をしている立場で、反政府でもなんでもありません。ワクチン接種するかしないかは、最終的に個人の判断と明確に接種券にも示されています。


 マスコミなどの膨大な情報とそこからの無言の同調圧力で、受けないといけないとか勘違いされ他人に強要するのは間違いです。
 昨日出勤してきた感染者の方も3回の接種をしていて40代後半の独身で真面目な公務員タイプの方で、きっちり感染対策していた人です。
 部署では他に3人、ワクチン3回接種1人、2回接種2人が感染しました。接種時に結構副反応でも休まれ抗体がしかりできていると思われた方がいともあっさり感染して苦しまれました。接種していなければもっと重篤になっていたとのロジックもありますが。オミクロンの重症病棟の使用率、ワクチン未接種の患者の重症率を見ると説得力はありません。
 私の十年来の主治医も率直に武漢ウイルスへの治験で認可されデルタまでの接種にはそれなりに多少は意味があったとは言われます。しかしオミクロンに関しては3回目の接種が、個人によりデメリット、リスクがベネフィットを大きく上回っている可能性があると言われました。
 クリニックでももう3回目のワクチンは打たないそうです。結構おいしい臨時収入で接種を続ける個人経営のクリニックもある中【打たない】選択をしたそうです。
 集団接種のように問診医も打つ看護師も行きずりで顔も覚えない流れ作業的なシステムと違い、町医者は良く知った患者ばかりを相手にし副反応やその後の後遺症も対応しないといけません。証明されるほどの因果関係とは別にして後遺症の残るほどの重い副反応の割合は決して少なくないということで、自分のクリニックの患者さんのケアは想像以上に疲れて気を使うそうです。

 アンチワクチン派の漫画家小林よしのりさんの『コロナ論5』シリーズ最新で最終巻。なかなか力作で重厚で、レビューは別の機会とします。
 そのなかに【日本政府が6億強のワクチンを契約をして使わないとさらに莫大な違約金を求められる。しかたなく3回接種や子供のワクチン推奨のバーゲンセールをやっている】とスッパぬき書いています。
 あながち嘘ではないでしょうが、あの非常事態でアベノマスクにしろワクチン契約にしろ、やらなかったら良かったとは思いません。仕方のない判断で裏目に出るときもあります。
 問題は国民の命と健康を守るために状況やデータの変化で止めるタイミングも情報公開すべきということです。
 『コロナ論5』の中に「オミクロンはただの風邪だ、この国には医者はいないのか」と嘆くコマがあります。
 しかし幸いに、私の周りにも、いくつかの繋がりの中にも「患者のことを思い、国策に反抗的にならないぎりぎりの線でうまい説明をされ、真実を告げる【医者】はおられます」
 

ローカル線廃止とともに切り捨てられる集落

経営難にあえぐJR北海道をはじめ、先日発表されたJR西日本をはじめ地方路線の赤字公表がされ、廃止やバス転換が次々とささやかれます。
ただでさえが、コロナ以降の乗客減で削減本数のダイヤ改正で、鉄道ファン以外にも厳しいお話です。

もちろん昔と違い、多くの地方に高速道路も主要幹線道路も整備され、鉄道がないと不便な地域は限られます。
 それでも多くの集落の通勤、通学、通院などに影響のある地区もあります。
 国鉄改革の問題は新幹線や首都圏のドル箱通勤路線もない3島会社に厳しく、ローカル線割合の多いJR西日本が次に厳しいわけです。エリアに関係なく東海道新幹線を保有して北海道のローカル線を持っている会社があれば、廃止にはならなかったかもしれません。しかし長い目でみると鉄道やインフラの地方衰退は否めない現実です。

 過疎、人口減少と少子高齢化の問題は今後ますます顕著になります。財政が厳しい中、人口は都市部に集まるため、地方の限界集落へのインフラ整備などは大変効率の悪い支出になります。JRに限らず、道路や土木、電気、水道、医療すべてのインフラが抱える問題です。
 こういうとお年寄りを見捨てるのか、田舎を切り捨てるのかと非難されそうです。

私も離島を旅した時、そこで生きる人の活力に癒しやパワーを感じました。鉄道でローカル線を旅するのも好きですので路線がなくなるのも忸怩たる思いです。
 ただ財政や、経営をずっと維持するためには一度そこにも将来的予測を精査することが必要です。過疎地の方々には何とか周辺のインフラ整備できる地域に早い段階で居住、雇用含めて支援して転居をしてもらうことを真剣に考えないとならない時期には来ています。
 代々守って来た家や土地を離れるのは断腸、痛恨の思いでしょう。しかし都市部の高齢者も、老いと病で病院や施設に最初は抵抗しても移動して暮らし始めています。
 国土軸を再編するぐらいの大きな変革が今後は必要だと思います。
 


 

子育て予算>防衛費  あとは高齢者の社会保険料をどう抑えるか

 それにしてもリアルな戦争の映像ばかり見せられると、重苦しいです。このような時代遅れの暴挙が早くオワコンと言われるようになって欲しいと切に思います。
 何だかウクライナ問題で急に日本のリベラルや左よりの人まで自衛隊を認め、安保でアメリカにすり寄り軍備防衛費増強、核共有まで許してしまいそうな風潮があります。ロシアや北朝鮮が攻めてきて、中国と戦う時どうするといきなり不安になり、アメリカにすがりたい。だからアメリカや欧州の世論にへつらうしかないのでしょうか。
 もう少し落ち着いて考えないと、今、日本は少子高齢で超高齢国にまっしぐらです。
 国破れて山河在りと言われますが、子供や若者がい無くなれば先に国体の維持が難しくなり、他国が攻めてくると言っても武器を持ち戦い戦闘機に乗る人がいなくなります。年寄りばかりに回る税金や社会保険料すら払いたがらない若者が、その国家を守るために命懸けで戦ってくれるとか戦うべきと思うのこそお花畑的楽観です。経済や経営でも古い慣習や法律、税制に嫌気がさして海外に出る優秀な若者が増えている状況です。
 今の日本がウクライナのような戦争はできないし、今後ますますできなくなる人口構成の時代になります。
 一定の防衛費は必要ですが、米軍の駐留予算含め、これ以上防衛費を上げることに意味はありません。国体維持のため先に必要なのは防衛費ではなく少子化対策です。
 
 日本はそもそも核を持たず非武装で、戦争放棄を謳った国です。国際紛争に巻き込まれることを事前に避けていくしかありません。
 幸いに島国の日本は領土問題や民族問題などで他国と死活問題で意地でも決死の争いをする必要はありません。自衛の軍備が貧弱でなめられない程度は持っても、驕って相手をねじ伏せれようと考え、相手を怒らせ追い詰めて暴発させてはいけないのです。


 確かに厳しい道で暴論かもしれません。 防衛費を抑え、過疎地に見切りをつけインフラも取り捨て選択して税金をまわせるところは集中していきます。尊厳死を認めるなど高齢者医療にもメスをいれることです。生活は保証しながらお年寄りの医療保険負担などを上げて財政を安定させていくしかありません。
 そして子供のためには大きなインパクトのあるインセンティブを考えるなど知恵を絞った施策を打ち出すことです。このままでは日本は残念ながら2050年にはギブアップです。
 お年寄りにはどんなに嫌われてもそこはやり遂げないといけません。

年金、社会保険問題の対策の難しさ

 少子高齢から年金や社会保険の財源問題は確かに抜本的対策が難しいものと考えられなかなか手をつけられません。
 最近では記憶に新しい自民党総裁選でこの問題が議論されましたが、結局その後は具体策、議論さえあまり聞かれません。
 年金生活者に参議院選挙前に5000円給付する案も消えました。これは方向としては是でしょう。配るなら世代は一律で良いはずです。
 日本の人口構成は2040年を過ぎるとさらに厳しい高齢者の割合が高い国となります。
 現役なみ所得の後期高齢者の医療保険の負担割合が3割に上がるのも、対象者からは反発はあったものの当然の流れです。
 政府も行政も嫌われますし、時に政府が悪い役人が悪いとなりますが、やり場のない憤りもあるのでしょうがしょうがない問題です。
 残念なのは、かといって若い人の負担が目立って減るほどのインパクトではないため誰からもそれほど喜ばれもしていない施策です。


 働き手の少ないムラあるいは家庭をイメージしてもらえばもう少し共感できるのではと思います。働けないお年寄りを沢山働き手が支え、子供も産んで育てないとならない家、今までおじいちゃんが稼いだ家で悠々としたい気持ちはあってもここはみんなで我慢してもらわないとしょうがないところです。財産があるならそれを早いうちに少し分けるイメージでいいのではないでしょうか。
 以前の時代のお年寄りは良かったので、厳しい制度を国や役人が押し付けると、もっと他に無駄はないかとつっこみたくなり、自分の権利は守りたくなり怒りたくなります。しかし、それを俯瞰したり、ムラ単位の集団で考えると、もうこの世代に優雅な制度は維持できないと少しは理解してもらえないものでしょうか。
 戦争ではないですが、ほぼ確実にやってくる国家的危機が高齢化です。
 あらゆる財政の効率化と、成長戦略も必要で収支を上げていく難題ですが、小手先ではなく知恵を絞り啓蒙をして乗り切らないと未来は来ません。