鉄道150年です1

 鉄道が日本で開業して今年この10月14日で150年です。ちなみに私が13歳くらいの時が鉄道100年というのがあったのでしょうが、まったく覚えていません。その前に明治100年というのがあったのは覚えています。

 話はそれますが明治から日本で始まったことが多いため、小学校などの子供の頃は入った小学校も100年目という感じで100年周年というのが多かったようです。中学校も、入社した企業も100年目を迎えた経験があります。明治初期に始まって残っているものは紆余曲折があっても150年経つのです。10年20年でも大きく変わる世の中で、150年続いている会社や学校、事業や文化などがあることはスゴイことです。

 時代によってその盛衰はあるので、残念ながら今は鉄道は全盛とは言い難い時期です。確かに今年西九州新幹線が開業され、今後リニアや他の新幹線の延伸計画もあります。それでもそれよりも多くの路線が赤字により廃止や転換が囁かれています。もう交通機関の主役が鉄道の時代ではありません。

 私の趣味の一つ、廃線跡の探訪ウォーキングも、そういった遺産をしのび文化の盛衰を検証するものです。
 とはいえ、まだまだ鉄道に期待される可能性は大いにあります。

 

鉄道会社の赤字の根源はローカル線ではない

 JR各社がローカル線の赤字、収支悪化を理由に廃止、バス転換の検討などを発表しています。

 決まって1000円の利益を上げるのに数千円や1万円とかいう数値が使われる。確かに、鉄道しか中距離以上の移動の手立てが無かった時代に比べ、道路も整備されて鉄道がとくにローカル輸送の主役で繁栄した時代は終わりました。

 しかしながら大都市圏を結ぶなどドル箱の通勤圏や、大型レジャー、観光のある沿線以外にそれほどの利益路線はありません。通勤や通学、通院など地域の足を担っている公共交通であり、越境の通学などは少ないため、県境を越えるローカル線に通しの旅客は期待できません。  

利益は元々そんなに多くは期待できないものの、それほど大きな赤字でもないのです。では通勤圏や新幹線、リニアの投資はすべて回収できるのかというとそうでもないはずです。並行在来線の赤字なども考えると新幹線が必ずしもドル箱というとそうではないところもあります。元々期待する営業収入も利益も違う路線を数値で評価して納得させるのもおかしい話です。通勤圏も結局は少子化などでパイの取り合い。コロナ禍でテレワークなどで思ったより利益がでないから、大きな規模のJRなどは赤字ローカル線の数値を悪く見せて責任を押し付けているのです。

 赤字だから減便して、ますます乗りにくい不便なダイヤにして、さらに乗客を減らし切り捨てるようなやり方は本末転倒です。待たずに乗れる程度の頻度、せめて覚えやすい1時間に2本程度のダイヤ維持が乗りやすいサービスです。
 鉄道を維持するのには、会社側も地域に密着して乗ってもらうスタンスしかないと思うのです。地方鉄道の私鉄や、三セクでも成功事例は出ています。確かにドル箱路線があってそこで稼げば手間のかかるローカル線に目が向かないのは大きい鉄道会社ではある面しかたがありません。しかしスケールメリットを生かしたグループ会社として残し、通算切符つぃて運賃レベルを維持して観光資源を共有するなど、やり方はあると思います。
 鉄道の線路を誘致し、駅が街の中心だった時代もあり街の構造は駅を中心にしている場合も多く、駐車場の整備や再開発でクルマ社会とすみわけと共存的な発展は望めます。

 性急な赤字路線切り捨てには違和感しかありません。
 

戦争、平和への思い

 広島平和記念資料館の展示、そして呉や江田島の施設も見ました。原子爆弾によって無差別に都市のほとんど全ての人が被害に遭いました。
 日本人に限らず在留の外国人や、捕虜も被爆しています。在日の同盟国ドイツ人も、捕虜のアメリカ人も被爆しています。
 戦争は愛国心を鼓舞し、実際に召集され祖国のために戦うことは勇ましいことです。現在の日本でも自衛隊が全くなかったらやと思うとやはりそれは大変なことでしょう。
 ミリタリーというとおしゃれですが、今も昔も兵士はリスペクトされないといけませんし、それを応援する気持ちは国民は持つのは当然でしょう。
 しかし、一方で市民が戦争に巻き込まれ攻撃されること、送り出した家族が死ぬことは、これもまた大変な苦痛です。
 かつて出征や、その先で特攻に向かい命を落とした若者たち、あるいは空襲や原爆で亡くなった市民たち、戦争の悲惨さもまた真実です。
 日本の戦争から77年たち、小ぎれいに制約の中でまとめたテレビドラマや、遠く離れた海外からの映像でしか戦争は見られなくなりました。
 そこにいろいろ偏りはあったとしても戦争を記録して、実際に見聞し、平和を訴える施設などから伝わる言葉、その人達の背景には胸を熱くさせるものがあります。
 戦前戦中の一部のリーダーが異常だったのではなく、戦争は国全体が進んでいったものです。そこには、はっきりした正解も正義もありません。あいまいとかした戦争と平和を天秤にかける人間なのか神なのかがいるだけかもしれません。

瀬戸内に浮かぶ「ウサギの島」の哀楽

 連休に久しぶりに旅をして瀬戸内海の小島を訪れました。
 太平洋戦争中は軍事機密として地図から消えた島とされていた大久野島が、今は平和なウサギの島として人気を集めているそうで、御手洗の大崎下島、国宝の多い大三島などとともにツアーに組み込まれていました。
 

 900羽以上のウサギはいて今や人は職員などの22人のみの無人島に近い島。かつて日本軍は勝利のためには当時の国際法にさえ違反する生物化学兵器を研究開発していました。
 戦争はどんな手段を使っても勝てば官軍という考えもあります。負けたからこそ歴史を歪曲され悪者にされる史実も確かにあります。しかしやはり法にも倫理にも外れた勝利はやがて手痛い敗北と滅亡の道に向かいます。
 

 戦争の怖いところは勝つと士気が鼓舞され、恩賞や論功のためさらに勝ち続けないといけなくなり民の世論もそれを推します。
 本当は平和望み、母は我が子だけは命を危険にさらす徴兵にも反対でももはやそれも言い出せない雰囲気、全体主義に押されていきます。

 人間が戦争を好みつつ、どこかで平和を願う存在。平和を愛しつつ、勝つためには殺戮の兵器を研究する矛盾した存在であることは、多くの歴史が証明します。第二次世界大戦も日本が先に原子爆弾を開発していたら使っていたかもしれません。事実敗戦を知った毒ガスの研究者は「殺される」と思いつつ「もっと早く毒ガスを開発できていたら」とも嘆いたそうです。
 それでも戦争の悲惨さ、核や生物兵器の危険を誰かが警鐘を出さないといけないのです。
 人間が戦争に巻き込まれると、フェアなスポーツ大会ではなく、人道上許されるかぎりぎりでも勝てば良いと思ってしまいます。
 戦争の全てを否定するものでもなく、その醜さと、平和であることの純朴さを、小さな島の野ウサギが語ってくれるようです。

命の橋がつながっても

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 かつて私は20代の若手社員の頃、昭和59年広島県呉市に赴任し、呉市内と一部周辺の音戸大橋でつながっていた倉橋島、能美島まで営業で回っていた。現在は平成の合併で倉橋町、音戸町なども呉市に編入されました。当時「島」と聞いてどんな過疎の集落かと想像しましたが、本州とそれほど変わらない田舎の風景でした。
 船でないといけないところと違い「橋」でつながることは大きい意味があるとは思いました。


 私も海から遠い盆地生まれですし、内陸の県や有人島の無い県関係の薄い地区の人には「島」に生活する人の願望、医療や教育や大きな商業施設とのつながりへの渇望はなかなか想像がしにくいものです。
 昭和から平成になって、本州と四国が3つのルートでつながり瀬戸内の島のいくつかに橋ガつながりました。その詳細を元々本州に住む人にはあまり知らないと思いますがつながった嶋の人は喜び、他の島の人は取り残された思いだったでしょう。


 とびしま海道と言われる安芸灘諸島連絡架橋は呉市東部仁方から6つの橋を渡って、北前船やドライブマイカーのロケ地でも有名になった大崎下島、汐待ち風待ちの港「御手洗」地区があります。
 さらにもうひとつの橋を渡り愛媛県の岡村島にはつながっていますが、その先いくつかの島をつなぎ大三島まで繋げないと四国には行けません。
 確かに御手洗地区や、岡村島はクルマを飛ばせば、ドライブマイカーの西島秀俊演じる主人公と寡黙な女性ドライバーがたどったルートで1時間ちょっとで広島に通勤できます。首都圏では考えられないスゴイ景色からのドライブ通勤ですが、現実味は薄い気がします。
 大崎下島で2000人、レーモンド松屋氏の名曲「安芸灘の風」の舞台にまなった岡村島には実際には300人しか住んでおらず、それも昭和の末からは何分の1にも漸減しています。
 その島の小学校に生徒が3人、校長、教頭、担任、副担任、英語、体育、用務とスタッフのが多く、廃校の便りもそう遠くはないでしょう。

DSC_0621_TEMP第二音戸大橋

 島に命の橋がつながり、いざというときクルマで本州の病院に行ける!
 それでも過疎が止まるわけではないのです。映画のロケで話題になっても、コンビニやスーパー、大手ドラッグストアやホームセンターが来るわけでもないです。
 都市との格差はむしろどんどん令和になって広がっています。
 呉にほど近い音戸大橋でつながった倉橋などは第2音戸大橋ができるほどで、人口の減少はさほどではないです。やはりある程度の近さと元々の人口規模
 橋のつながっている島でもこれなのです、つながっていない島はもっと厳しいでしょう。
 首都圏や都市部が、働き方や生き方を変え、風光明媚な島からのワークがもっとできるようになれば活路は開くのかもしれません。

朽ち果てゆくのか地方の公共交通

 初春から5月の連休は立夏となります。

 私は鉄道ファンで主にローカル鉄道乗り鉄と廃線跡探訪が好きな趣味で、歩き回る方です。どうしても地方鉄道の赤字や苦境、廃止の噂には胸を痛めます。
 何とか地域のためにも存続、赤字からの脱却と願うものでもあるし、できるだけ乗りにいくのとグッズなど購入して応援もしています。


 廃線跡探訪は産業や文化の遺産として、これも地域の歴史を知る上で大切にして欲しいものと思います。
 そのため、クルマよりは鉄道やバスで近くまで行きウォーキングというケースが多いのですが、地方へ行けば行くほど、電車の本数やバスの本数が少なくまたコロナ禍以降減便されています。負のスパイラルがおきています。

 廃線跡まで歩いたり、バスに乗ると本当に人が少ないのに愕然とします。そしてバスに乗っている人の年齢の高いことと敬老証のようなパスでほとんどの人が現金は払いません。これが日本の地方だし、未来の日本全体の構図なのかと思います。

 整備新幹線の並行在来線の三セク化、赤字のJR路線、大手私鉄の不採算線区の分割三セク化とその後の経営困難など地方鉄道も厳しい中、頑張っているところもあります。

 人口規模だけではない何らかの要素で街が栄えたり生き残ったりしています。大都市でも公共交通が大赤字の場合もあります。
 昭和初期から我田引水のように引かれたいびつな交通網、JR民営化分割時の問題など、これからに禍根を残すものもあります。


 地域密着とアイデアなどの経営センスが必要不可欠です。
 ドル箱路線や企画グッズでもなんでどこかで儲ければ少々赤字の線区があっても文句はいわれません。ただドル箱の都市圏で稼ぐと地方のサービスや安全管理は手抜きになります。そういう面では鉄道やバスの会社はある程度のスケールがいりますが、JRのような大きさまではいらないと思います。JRは北海道、四国に限らず西日本なども内容は良くなです。もう少し地域に寄り添い、ファンドてきなものなど、アイデアや工夫をするには小さな単位が必要だと思います。

 大都市の若者、現役世代が地方と高齢者を支える日本の縮図がここにもあります。

ゴールデンウィーク

 2年あまりコロナの影響で旅、本格的な鉄分補給もできてませんでした。

 コロナ禍に苦しむ人、世界の紛争や貧困を見ると国内の移動も不要不急の贅沢にも思えますが、やはり人は旅することが好きなのです。

 乗り鉄&廃線跡が好きなのですが、ラストランやリバイバルランはそれほど好きではなく撮り鉄ではないのであんまりこだわりはないです。
 あえていえば【廃線跡】というのは、時代に流された真実の情景です。リバイバルランとかラストランに群がるのはただの郷愁だと思うからでしょうか。ただ乗るなら設備のいいこじゃれた新型車両の方がいいです。

時刻表買って旅を想う

 日本全国にはこの大判の時刻表、JTBとJRがあり合わせて9万部ほど売れているそうです。紙の本や雑誌が売れない時代に、鉄道ファンはまだまだネットだけでなく紙の時刻表を買うそうです。
 私はそんなにマニアではないので、大きなダイヤ改正や運賃改定、旅に出る前ぐらいで毎月はおろか毎年も買っていないです。何せ嵩張る本ですのでバックナンバー揃えたりもしません。
 価格も1000円超えました。同じような雑誌が2社で平行して販売される業界は多いですが、いくつか淘汰される中ずっとこのパターンを保っているのも安定したファンが多いのでしょう。
 旅というとお金も時間もかかりますから、時刻表だけ投資してバーチャルな旅も楽しめます。
 実際に鉄道に乗ることはのその検証のような感じです。秘境駅あどのあるローカル線に行くなどはお金より時間の贅沢でしょうか。今般のダイヤ改正で減便され、厳しい情勢におかれる赤字ローカル線も、支援などおこがましいですが乗っておきたくなる存在ではあります。

コンビニのイートインで贅沢?

 コンビニで挽きたての珈琲を味わえるのも定着してきました。
 忙しそうなビジネスマン、学生、ブルーカラーの方までコンビニの駐車場やイートインスペースで楽しまれています。
 20円くらい足して少しいい豆の入った贅沢ブレンド的なのも売れているようです。もちろん喫茶店や専門店での味や雰囲気まではいかないのですが、慌ただしい日本独自の風景かなと思います。
 簡易なテーブルとイスのスペースは値段相当の最低限の贅沢でしょう。

コロナ後も鉄道の最大の危機

 ウイズコロナ、アフターコロナと叫ばれながらも、波の揺り戻しも煽られてなかなか旅行支援のキャンペーンなども難しい局面が続きます。
 テレワークやリモート会議、オンライン授業などで通勤、通学、出張も減り、運輸系の事業、鉄道会社の業績はなかなか浮上しにくい面があります。そもそも少子高齢化、過疎化などでパイは減りつつあったところ、地方では鉄道自体がモータリゼーションに押されてもいました。
 戦争や大地震、台風などで鉄道も街も被災した時も復興はしました。しかし、コロナの後は完全には戻らないのではと言われています。
 学校こそ平常に戻っても、会議や出張は今後もリアルでなくともオンラインで十分なことが広まりました。
 豪華なツアー型の寝台列車や、グルメなどのリゾート列車は人気を保つでしょうが、普段の通勤、通学、出張はなかなかコロナ前とはいかず人口減少に輪をかけてシュリンクするでしょう。
 鉄道会社は正念場です。サービス、企画、安全な移動のアピールしないといけません。
 かつて小林一三が沿線の宅地やレジャーを開発したモデルはコロナで崩壊していると言われる人もいます。しかし、それ以上のスケールで鉄道の再生で地方を活性化しながら高齢者の多い街を暮らしやすい社会にしながら再発展させることができると私は考えます。首都圏などの異常な混雑はもう無理でしょう。全体パイは変わりませんが、より国民、利用者全体が満足できることを実現していくことが鉄道会社の生きる道です。