インパール作戦生き残りの叔父が96歳大往生

96歳の叔父、亡き父の8人兄弟の長兄が先日亡くなりました。
昭和、太平洋戦争に関わった人から直接話を聞ける機会はどんどん亡くなっていきます。
日本は満州や中国で戦争状態に入り国際的に孤立していきました。アメリカに石油を始め輸入を止められて、海軍の指揮下叔父は当初アラビア方面に石油確保の外交を命じられアラビア語。アラビアからの輸送困難と見るやインパール攻略でイギリスの援蒋ルートを遮断する作戦支援のためビルマ語を学ばされたそうです。
饒舌な叔父は親戚の集まりでビルマの話をし出すと長かった。私らは黄綬褒章まで貰った大叔父の自慢と苦労の話をよく聞かされました。
インパールは兵站を無視した無謀な作戦で史上最悪と言われる2万人以上の犠牲を出す悲惨な結果に終わります。
叔父は奇跡的に生存し帰国、もはや死んだ者と思われていた京都の実家に運ばれました。
知性と体力、叔父は何かを語り伝えるため生き延びたのでしょう。当時のビルマの将軍アウンサンと交渉したそうで、その娘が今のアウンサンスーチー女史です。
戦争を知らない世代が完全に国のリーダーになっていくことに、戦中派の叔父は平和ボケを嘆きました。
コロナの猛威を戦争と表現されるこの時代に、同世代も少なくなった中、ひっそりと叔父の宿命は終わりました。

東北の海、山、川、湖すべて美しかった

忘れられない東北の情景2~3.11

白神山地、奥入瀬渓流、不老不死温泉 五能線からの景色。秋田に2年いた間に世界自然遺産を満喫できました。八郎潟という日本最大の干拓地は四季折々の景色が奥深く楽しめました。
東北とひとくくりにされるが1県の面積が広く、他県への通勤などあまりできない距離です。
ミニ新幹線と呼ばれる秋田新幹線、山形新幹線は東北の背骨といえる山脈を横断します。しかも在来線ですから景色は素晴らしく、清らかな渓流や鬱蒼とした森も見えます。
福島は広く会津若松は、城下町らしい街並みです。
猪苗代もリゾートとしては最高の設備、ロケーションでした。
浜通りの原発事故後は訪れる人も一時的にはかなり減ったでしょう。今も福島の括りとしては会津は維新以来の厳しい時期が続いています。中通の郡山、福島も決して完全に復興しているわけではありません。常磐線がようやく全通しますが、まだまだ除染しきれない立ち入り禁止の地域が残る浜通り。
不安の少ない地域から見ると、日本から中東シリアの内戦見ているような他人事になります。しかし今も故郷に帰れない人たち、風評にも苦しむ人たち。
日本人の心のふるさと原風景。東北の復興を全ての日本人が心に刻み続けられますように 3月11日。

三陸海岸で見た桜、奥松島で見た朝日

忘れられない東北の情景1~3.11

海などあまり見ることなく育った京都生まれなので、東北の沿岸部秋田、宮城は新鮮でとても美しい景色が忘れられないです。
大阪、神戸、広島、静岡でも海は見えたが、東北の海の情景はまた独自の哀愁を秘めていました。
東北地方の沿岸部は南北に延びているため、日本海側の秋田山形の沿岸部はさえぎるもの無く西側の海に沈む夕陽が見えます。そして太平洋側の宮城岩手福島の沿岸部は真東の海から登る朝日が見えます。
毎日朝日や夕陽ばかり見ていないし、よその土地へ出かけて夕陽や朝日をわざわざ見る機会は実はあるようでそうないものです。
ずっと秋田に住んでいた女性が30歳過ぎてから慰安旅行 で人生で初めて山にい沈む夕陽を見てびっくりされていました。
秋田の夕陽は日本海に沈みます。
三陸の朝日は太平洋から登ります。
太陽は毎日、刻々とその姿も周りの色も変えていきます。
海は静かだったり、恐ろしい力で襲い掛かることもあります。そして人間も人間の使ったものも呑みこんで壊してしまい、また静かになります。
自然の力の前に人間の力の無力さを思い知らされます。高い丈夫な堤防を築いたところで叶うものではありません。
2011年3月11日、海は真っ黒になってものすごい勢いで東北の太平洋岸を襲いました。

ポーランドという国

若い人には、ワルシャワというと音楽祭等で東欧の芸術や文化の都という響きで把らえられます。
ひと昔前の冷戦時代はワルシャワ条約機構という東側の軍事同盟の尖兵にされていました。第二次大戦でもドイツに占領されロシアにも領土を荒らされます。それ以前も分轄や植民地化で国が消滅の危機を経験しています。
ショパンは最も有名なポーランド人ですが、巴里に亡命し、『革命』のピアノ曲で祖国の独立を祈りました。
日本は概ね独立を維持し続け、革命も支配も経験していません。
このところポーランド人を描いた『熱源』『また、桜の国で』といった小説でポーランドが取り上げられています。コぺル君の元、コペルニクスもポーランド人。日本には少ないですがポーランド人が何人かおり、親日家は現地にも多いです。阪神大震災東日本大震災の支援が多かったのも親日ぶりがわかります。
平和を願い世界共通言語エスペラントが生まれたのもポーランドです。
しかしヨーロッパの平原で強い民族ながら、東にロシア、西にドイツとい超大国に挟まれ、長い苦難を日本以上に経験しています。
そんな東欧の国、一度は訪れたいものです。

どんど焼き、左義長、火祭り

神戸の絆の灯を見ながら思います。
小正月1月15日前後に、正月の門松、注連飾り、書初めなどを焼く行事です。名前も規模ややり方も全国でマチマチです。
左義長、どんと、どんど、とんど、さいと、、これほどさまざまな名前で呼ばれる行事も珍しいです。概ね、小正月ですが節分近くに火祭りとして行われる場合もあります。
今年は暖冬とはいえ、外で立っている時は寒いものです。焚火やどんとがあると温まります。また火の粉が空に舞い上がる様は勇壮であり、ストーブなどが無い時代は一大行事だったと思われます。
星空も綺麗な季節。空に上がる火の粉は、書初めにしろお守りやお札にしろ、天に返すという意味あいです。
昔は15日まで松の内と言われました。正月気分も落ち着き1年が動きだしています。
どこかで火の祭りや焚火を見つけたら、少しほっこりとして、今年の無事を厳かに祈りましょう。

隣国アジアと仲良くする

北朝鮮とは国交がなく、韓国ともここへ来て慰安婦問題から徴用工問題に発展して、日本製品不買運動まで行き、ますますキナ臭い不穏な雰囲気です。
米中が貿易摩擦問題で、これまた燻る。日中は尖閣列島の問題では対立するしアメリカを挟んで決して仲が良いとも言えない。しかし中国人は爆買いツアーに来ているし、ホテルや観光地もかつてないバブルで儲かっている。
韓国との貿易や旅行、芸能活動なども最盛期ほどではないが、根絶したわけではなく。一定の規模もビジネスです。
歴史や政治の話は当ブログ主旨から離れるが、最近の特に嫌韓、嫌日はひどいものがあり、一言申しあげたい。
日本は戦前1945年以前まで韓国、台湾、樺太の南半分を領土にしていた。その他、戦時下に満州国を事実上傀儡国家にし、東南アジア、南太平洋の欧米諸国の植民地を解放、信託統治し支配していました。
侵略戦争と言われますが、とくに韓国併合に関して1910年の段階です。日中事変1937年や太平洋戦争1941年開戦よりはずっと前です。
朝鮮半島は35年間にわたり日本統治下となり、今の北朝鮮を含め、韓国人、朝鮮の人々は日本の国籍の共に日本のため働いた日本人だったのです。
朝鮮の独立には中国の前身で属邦とみなしていた清国や南をうかがうロシアなどの脅威があり、日清日露の戦いで勝利した日本は、両大国から朝鮮を護る形で独立させました。
朝鮮の中の勢力も分かれてはいましたが、伊藤博文暗殺後、韓国政府閣僚の多数の併合賛成で、大日本帝国は大韓帝国を併合しました。
日本が強制的に日本姓を名乗らせたとか言われていますが、当時は、身分差別が大きく、賤民には姓も名乗らせてもらえず教育の機会すらなかったのです。
日本の統治は、欧米に比べインフラの整備や教育や文化に力を入れています。欧米人がアジア人を奴隷や野蛮人と考えての支配との違いです。
歴史は歪められやすく、都合よく解釈されます。韓国の人にとって、同じアジアの隣国に教えられたり、管理されたのは、ある意味欧米人にされたより屈辱なのかもしれません。しかし、第二次世界大戦以前に世界中に、実質的独立国は数えるほどしかありませんでした。
日本の統治の後独立したマレーシア等、支配がすべて暴力によるものではありません。日本の戦勝や戦後の発展がアジアやアフリカ、南米の人々に与えた自信は大きく、世界に多くの国が植民地支配から解放され独立したのも日本人の奮闘が幾分かは貢献しています。
ここまでの事は決して右翼的思想からではありません。韓国の方やいわゆる自虐的歴史観を持つ左翼の方はこの辺すらひっかるようですが、事実です。
逆に右翼の方は、何でもかんでも韓国人が悪いとヘイトになっています。
35年も一緒にやってきたのです。その後70年たって何でこんなに仲が悪くなるのか、不思議です。日韓が仲良く発展するのや軍事協力するのを邪魔したい勢力に躍らされているのではないでしょうか。
ドラマなどの男女を見ていると、日本も韓国も同じです。貴賤も優劣もないです。
38度線で国家が分かれたのも運命のいたずら。イングランドとスコットランドや北アイルランドのように日韓が連合国家を維持できなかったのも運命です。いたずらに憎しみ合うよりも、よく忍耐し、話し合い、民間交流を促すことでしょう。
今日も家族は韓流ドラマを見ているし、治安が心配でも韓国旅行から帰っていた同僚から海苔のお土産もらいました。

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人生は長い旅

トラベルの語源はトラブル。どんなに段取りしたツアーでも、いろんなことに驚き、何らかの新しい発見やトラブルにも出会います。
人生も長い旅のようなももの。
旅行が好きな人もそうでない人も、人生は小さな旅行を積み上げていくようなものです。
いままで、まったく同じ場所に居続けるという人は少ないでしょう。いろんなところに行き、人と出会う。笑いも涙も喜びも苦しみも、あったでしょうし、これからもあります。
かつて交通手段も限られ、移動の自由や金銭的余裕もなかった時代があり、あっという間に日本全国に鉄道やバス、新幹線ができ、円高で飛行機も誰もが乗れる時代になりました。そして駅や旅行代理店に行かずともネットで全て予約できる時代が来ました。
昨日と同じマップやガイドばかり見ず、新しい旅を考えましょう。チャレンジすることが人生を豊かにします。

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東北の夏まつり

秋田竿燈
仙台七夕
青森ねぶた

なかなか東北地方のこれらの祭りを、とくに西日本などからはわざわざ見に行ったという人は少ないのではないかと思います。海外や沖縄、北海道にいったことはあっても東北は知らないという人もよくいます。
ちなみに三大祭りに山形花笠祭りを加えて四大祭りとも言われます。格から言うとやはり三大は揺るがず。都市規模やアクセスから仙台、青森、秋田の順に集客も多いです。
日程としては青森ねぶたが8月2日から7日、秋田竿燈が8月3日~6日 仙台七夕は8月6日~8日。
微妙にずれていて3つをめぐるツアーも組めるようになっています。
私は仙台にも秋田にもいて弘前も行きましたが、それぞれ見応えもあり一見の価値ありと思います。私の一番お奨めとういか好きなのは秋田の竿燈です。
他の祭りも華やかで勇壮だったり、伝統の力や技を感じるものがありますが、竿燈は基本一人が職人芸がみどころです。
大きな竹の棒にいつもの竿燈を乗せ、頭だけなどでバランスを取る。小さい頃から練習した祭りのための技です。神輿や山車などが団体芸術なのに比べ個人の技です。派手さでは劣りますが、汗まみれで支える人を見るのがいいです。
東北の夏は短く、秋冬は長く厳しい。東北夏祭りは、華やかさの中に消えゆくような哀れを含んでいます。ねぶたや七夕も一部使い回しもありますが毎年燃やしては再生していく。私が生まれ育った京都の祇園祭や葵祭り等とは全然価値観が違います。既存の権威や伝統も毎年生まれ変わっていくパワー。権威を守り伝統を引き継ぐのも大変ですが、東北の祭りはあくまでも主役が飾りなき庶民。
祇園祭りや天神祭や博多山笠が、歌舞伎や劇団四季なら東北のは小劇場みたいなイメージです。
東北は常に中央から疎んじられ、今も過疎や、震災後もいろいろ問題もありましたが、日本のふるさとの元気さがあります。
一度訪れてください。

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