行政はもっとデジタル化できる

 マイナンバーカードというとまだ一部セキュリティが怖いとかアレルギーの方がおられ、日本では3割程度しか進んでいません。
 どうも日本のマイナンバーカード自体はハードやシステムに手間やお金がかかり過ぎているように思います。それをもってもらうのにまたお金をかけて宣伝し、ポイントまで付与しては、これも税金がかかっておりすでに持っている人にとっては何なのか言う感じです。
 マイナンバー、いわゆる個人番号はすでに大部分の方に通知カードとして付与され、カードを作るからといって新たな番号ができるわけではありません。12ケタの個人番号を知っていれば実際にはできることが多いのですが、最初に紙の通知カードをあまり深く説明せず送っているので番号の意味も使途もあまり重要視されず失くしている方も多くいます。番号自体は役所で番号入りの住民票を入手すれば分かります。
 ただこの番号入り住民票や、個人番号通知カードは身分証にはなりません。やはり免許証やパスポート等の写真入身分証明書か、写真入りの無い場合、健康保険証や年金手帳等の2点で本人確認が必要になります。
 免許証がなく、写真入り身分証明が欲しくてマイナンバーカードを申請する方はなかなかハードルが高くなります。
 このあたりをポイント以前にクリアできないものかと思います。本人確認は身分証2点よりも来られた方のヒアリングで十分ではないかと思います。代理の場合は双方の確認書類は大事でしょう。
 マイナンバーで何か申請手続きするには、暗証番号やその他本人属性の入力は必要になります。しかし、健康保険証替わりに使うのに、医療機関側にカードリーダーまで求めるのはちょっと行き過ぎという感はあります。それなら従来通り健康保険証を持っていた方が便利です。健保が変わった場合もすぐにデータは反映しないので、やはり新しい保険証を見せる方が過誤も減ります。
 それよりも納税は多少進んでいますが、戸籍手続き、社会保険料の還付・免除等、役所に行かなくてもオンラインで完結し間違いの少ないシステムを構築することです。公務員の窓口業務は3分の1に縮小して、介護やインフラ整備、治安、生活保護、今なら保健など代替の難しい現場業務に回せます。
 役所の手続きは難しい、だから役所に行く、お金ある人は〇〇士に頼む。手書きの申請なので受け付けする側も目視チエックで間違いはありえますし、莫大な人件費です。後期高齢者の郵送などは間違いや理解不足の記入漏れがない方が少ないです。お年寄りだからデジタルは無理ではなく、お年寄りは手書きも窓口来所も難しいし手間もかかります。お年寄りもそこでの優しさに税金使うより、本当は介護や福祉、年金に回して欲しいはずです。

超新星もいつかは衰退する

 将棋の羽生善治九段(51)は4日、東京・将棋会館で行われた第80期A級順位戦8回戦で、永瀬拓矢王座(29)に78手で破れて2勝6敗となり、最終9回戦を待たずして、B級1組への降級が決まった。羽生九段はA級在位連続29期(名人在位9期を含む)での降級となった。

 というニュースを聞き、藤井聡太(19)四冠が今圧倒的な話題をさらい勢いの中、栄枯盛衰ヲ感じます。羽生は将棋界のまさに超新星としてその時代に今の藤井以上に着目され将棋の世界を広く世間に広めました。22歳で七冠を奪取して永世名人、国民栄誉賞まで駆けのぼりましたのには伝道師的意味合いもあったのでしょう。
 当面、藤井が七冠、8タイトル全制覇が注目され、やや地味な将棋の世界にまたスポットが当たっていることは良いことです。
 しかし若くして、全てを奪えばあとはひとつずつ失い、さらに若い世代追われ、衰えるだけというピークにもなります。48歳で無冠、51歳でA級転落、栄光が色あせるわけではないですが、一回り下の羽生のニュースは何だか時の流れをわびしく感じてしまいます。藤井聡太は今を頑張って、無邪気に応援する層はそれでいいのですが。

3回目接種 ワクチンの次の手は #ワクチンまとめ

 オミクロン株による急速な感染拡大で3回目のワクチン接種を前倒し、2回目接種8か月後から7カ月そして6カ月となるようです。
 周りでも、陽性者や濃厚接触者が出て、仕事やら学校生活にいろいろ齟齬が起こっています。有効な対策が少ない中、3回目の接種が遅れているからと喧伝されています。しかし苦痛をこらえ2回の接種をしたのが、ほぼチャラというのも何だかとは思います。
 3回目の接種を待望され、打って心から安心できる方はある意味プラシボ効果の高い方で、それはそれでいいと思います。
 ただ、少し考えると今のワクチンにどれだけ効果の期間があり、副作用が少ないのかはなはだ疑問です。
 そんなに焦って打たなくても抗体の減少が予想より激しく、効果は短いのであれば遅く打った方が次の波まで凌ぎやすいともいえます。今をしのぐのにはしっかり体力つけ予防して重症にならないようにしていても期間がスライドするだけで同じです。
 あるいは更なる変異へ対応しないのであれば、変異対応のワクチンや新薬もそろそろ出ます。
 8カ月が6カ月というのも、何が明確な根拠だったのか、ワクチンの供給だけだったのか、それもひどい話ですし、副反応を慮ってならやはり8か月くらい空けた方が無難とも類推されます。現実にモデルナは1回目2回目の半分の量を売るだけなのですが、これもそれで効果があるのか、それとも全量打つと危険なのか情報が不足して邪推を呼んでしまいます。
 プラシボは気休めでも効果があります。
 だから真面目過ぎるお医者さんが、副反応のデメリットを強調しすぎます。
「ワクチン打とうが打たまいが、コロナに感染しても症状の重さには関係なさそう。本当に重症化を防ぐ効果があるのか疑問。
 ワクチン打っている人がたくさん感染している。ワクチンで感染を防げるなんて幻想」
 とありのままを呟くのもまあちょっと言い過ぎかなとも思います。

節分は季節の分かれ目

 節分は季節が変わる日、翌日が立春、立夏、立秋、立冬に当たる日で年に4回あるはずですがなぜか立春の前日の節分が一番有名になりました。
 習慣としても写真のように豆まきから、鰯、巻きずしと何だかいろいろになりました。
旧暦での季節感ですのでまだまだ春には遠い。2月は太平洋側では時おり雪が舞う時期です。それでも日の入りが遅くなりだんだんと春の気配は感じられます、今年の冬は寒かったので春は待ち遠しく感じられます。
 春の備えて、年度末という方も多いでしょう。学校も年度は3月、企業も3月や2月が決算となるところも多いでしょう。西洋占星術も春分がスタートの年で、もうすぐ1年の終わりです。
 この1年間を振り返り、来年にやることを再点検します。年末年始と同じかもしれませんが、季節を合わせて、振り返りとリスタートを自分なりに都合よく行えばよいと思います。

 嗜好品1:珈琲へのこだわらないこだわり

 珈琲は毎朝自分で淹れます。もうここ20年以上同じメーカーの銘柄の粉です。たまに貰い物や少し洒落た店で入手しいたものを挟みますが、朝のトーストと飲むのは安定の定番もので十分と思ってます。
 インスタントコーヒーは飲みません。美味しくなってきているようですが珈琲とは違うものと考えます。缶コーヒーも基本飲みませんが、貰う機会付き合う状況もありますので渋々飲みます。ブラックも昔よりマシなようですが、やはり缶はコーヒー牛乳ですから微糖程度でいんです。アイスコーヒーも飲みません、珈琲は真夏でもホットです。氷の解けて薄くなるアイスコーヒーはやはり珈琲と言えないと思います。
 珈琲には気分をシャキッとさせる覚醒の作用と、穏やかに落ちつかせる作用と両方あります。
 希少で高級な高い豆も出回っていますが、外で1000円も2000円も出してそんな高いものを常飲する気にはなりません。景色とか調度とマッチした雰囲気に多少のお金は払う気になりますが、珈琲だけならコンビニで100円で挽きたてが飲める時代です。
 ワインでもそうですが、自分の中の定番レベルがあればそれ以上の贅沢はしません。

 まあ 王偏の珈琲には独特の雰囲気があります。他に常用のない漢字というのも贅沢で無駄なようですが、こればかりは素晴らしい漢字の当て方です。

ワクチン3回目の接種とは

 新型コロナウイルスがオミクロン株の段階となり、2回目のワクチン接種では抗体が減ってきていあゆるブースター接種、3回目の接種が感染拡大を受け前倒して始まっています。
 副反応がきつかった人、ワクチン懐疑派の方、オミクロン軽視の方はもう3回目を受けないという人もおられるようです。
 高齢の方、基礎疾患のある方はオミクロン株とて罹ると厄介なことにはなります。こうれの方でまるで持病の無い人もまれでしょう。
 まん延している地区に住み、接客仕事などで沢山の人と会う方は予防の一つの手段としてワクチン接種は否定しません。
 ワクチンにより、血栓症などがおきたり、結局はガンで亡くなったりした人はいます。それはワクチン接種がトリガーになったかもしれませんが、高齢であればしかたのないことです。ある病気に対する薬やワクチンを使うということは、全体的な体力や免疫力を上げるわけではありません。むしろ下げるのが一般的です。
 ゲーム世代でいうとワクチンは最強防御の防具ではなく、ドラゴンキラー?とかの感じで一定の敵の特殊攻撃を防ぐ特殊防具のようなものです。全体の防御力やHPは下がります。もう少し立てば、新しい武器(新薬、変異対応ワクチン)も出てくるようです。このまん延のステージをクリアするにはやはり必要なのか、ただ自分のHPを信じ乗り切るのかは自己判断です。
 過剰な期待や、後での文句を言うなら接種しないということです。

今こそ「ガソリン値下げ隊」を!

 2009年政権奪取した民主党、今では自民党から悪夢の民主党政権時代とも言われますが、当時実現すれば夢にあるマニフェスト、政権公約がいくつかありました。
 「こども手当」「消えた年金を消えない年金に」「農家の個別補償制度」「高速道路無償化」そして「ガソリン税撤廃」等を掲げて、衆院選を勝ちました。マニフェストのほとんどは実現できず、財源を見出す「事業仕分け」とともに民主党とその後継の党でも継続して訴求することなく封印された感じです。
 高騰したガソリン価格を何とかするには時限的にもガソリンに二重にかかる税金を何とかしないと今の政権与党も考えています。名前や体裁は変わっても少子高齢対策の給付、第一次産業に対する支援等は共通の施策です。
 有権者に大向うに受けて、国民の人気、支持率につなげたいのは一緒です。
 民主党は官僚に対する接し方、アメリカやマスコミに対しての対応も、稚拙のわりには自信過剰で墓穴を掘りました。
 それ以降の第二次安倍内閣からは、十分に民主党政権の失敗は研究され、二度と立ち上がれないように官僚と政権与党のタッグは強力になりました。それが官僚主導なのか、政治主導なのかは判断はつきかねます。
結局自民党の安定した長期政権となり良い点もあれば悪い点もあります。東日本大震災の対応などを見ているととても当時の民主党政権に今以上のコロナ対応は難しいと想像はされます。しかし一つ一つの施策は是々非々です。どうしても選挙を考えて施策を行うと本当に国民目線で早くできず、支持層に迎合した施策になり対応も後手になりがちになります。
 ガソリンの高騰などは早く、うまく収めて欲しいものです。少子問題、子供を育てるための支援も、自民党総裁選では話題になりましたが、喫緊であり早く対応しないと、日本に未来はありません。

雪深い里 #歌舞伎 文楽 名作の舞台 #菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 めったに出張はないのですが、右京区の中に京北地区があり、先日まとまった要件があって市内では溶けた雪の残る周山街道を北に。
 最後の案件はさらに東に進んだ黒田地区。廃校になった小学校の跡、外国人向け就労研修センターも閉鎖された経緯を確認。高尾三尾以北、人もクルマも少ない。
 黒田地区芹生(せりょう)は歌舞伎や文楽で有名な菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋の段の舞台となった里。
 歌舞伎、文楽の作品、数々の情景多しと言えどこれほど哀しき情のこもった段はありません。
 昔は河川を船で材木を運べたので林業で栄えており、船という交通手段で都近くに直結して行き来できるのが他の山里より便利だったのです。今は自動車で昔より便利に移動でき道路は舗装が行き届いていますが、たぶん他の地区がずっと便利になり相対的に林業が衰え活気がなくなり過疎が止まらないのでしょう。

年金給付は下がる、社会保険料は上がるのが当たり前

 2022年度の年金支給額が「0.4%引き下げ」になることが、2022年1月21日に厚生労働省より発表されました。年金保険料は国民年金で2021年度の16,610円から2022年度は16,590円、2022年度は16,520円と漸減されています。
 最終的には凄く細かく難しい過程を経て微調整されてこの数字になります。コロナ禍での賃金低下、長引くデフレを反映しています。
 実際には2004年の小泉政権下で年金財政不安が問題となり、100年安心という改革がなされました。いわゆるマクロ経済スライド方式の導入です。少子高齢化でも年金制度が保たれるためには、給付割合を2004年から20年かけて年1%ずつ下げていき最終的には2024年には20%ほど当時よりカットするというものでした。
 断片的にはこの以前からの、グリーンピア大型保養施設の年金福祉財団の無駄遣いや、政治家の未納問題、消えた年金問題などが思い起こされますが、この改革の重要な点給付の段階的引き下げは国民ほとんど政治家にすら忘れられています。
 ここで日本は社会保障、社会保険料が毎年増え続けこれからも大きな負担になるが、さすがに現役世代の負担をこれ以上増やせば働いた給料から差し引かれるものが増えすぎてしまいます。働く意欲も無くなり、日本で頑張って働こうという人はどんどん減ってしまいます。そのためには保険料負担は一定割合で止め、やはり給付を減らすことに舵を切っていました。
 年金をもらっていた人がいきなり1割も2割もカットされたのでが、不平不満も出て生活に困る人も出ますし、政権は選挙に負けます。そのため20年かけ徐々に下げ、なおかつデフレ下は作動させず、インフレで本来年金が上がる年にだけ給付上昇を抑制するようにしました。このわかりにくさが、アダとなり結局デフレが長引きマクロ経済スライドはほとんど働かなくなりました。の年金支給額が「0.4%引き下げ」になることが、2022年1月21日に厚生労働省より発表されました。年金保険料は国民年金で2021年度の16,610円から2022年度は16,590円、2022年度は16,520円と漸減されています。 最終的には凄く細かく難しい過程を経て微調整されてこの数字になります。コロナ禍での賃金低下、長引くデフレを反映しています。 実際には2004年の小泉政権下で年金財政不安が問題となり、100年安心という改革がなされました。いわゆるマクロ経済スライド方式の導入です。少子高齢化でも年金制度が保たれるためには、給付割合を2004年から20年かけて年1%ずつ下げていき最終的には2024年には20%ほど当時よりカットするというものでした。 断片的にはこの以前からの、グリーンピア大型保養施設の年金福祉財団の無駄遣いや、政治家の未納問題、消えた年金問題などが思い起こされますが、この改革の重要な点給付の段階的引き下げは国民ほとんど政治家にすら忘れられています。 
 ここで日本は社会保障、社会保険料が毎年増え続けこれからも大きな負担になるが、さすがに現役世代の負担をこれ以上増やせば働いた給料から差し引かれるものが増えすぎてしまいます。
 働く意欲も無くなり、日本で頑張って働こうという人はどんどん減ってしまいます。そのためには保険料負担は一定割合で止め、やはり給付を減らすことに舵を切っていました。 年金をもらっていた人がいきなり1割も2割もカットされたのでが、不平不満も出て生活に困る人も出ますし、政権は選挙に負けます。そのため20年かけ徐々に下げ、なおかつデフレ下は作動させず、インフレで本来年金が上がる年にだけ給付上昇を抑制するようにしました。このわかりにくさが、アダとなり結局デフレが長引きマクロ経済スライドはほとんど働いていません。

この20年でもわずか4年しか引き下げはされず2024年もまじかという時期で1割程度の2%の給付削減しかおこなわれていません。

 かなり難しい論理ですが、マクロ経済スライドが働かないということは、年金財政悪化はほぼ放置して次世代へ先送り、それまでの年金受給者は過剰給付 もらい過ぎが続いているということです。
 人によってもらい過ぎとはとんでもないというほどしか給付を受けていない人もいます。しかし、元々もらっていた人の中には現役世代が羨む使い切れないほどの年金給付を受けている人も少なくありません。
 年金生活者と聞くと最近はプアなイメージですが、ひと昔前は優雅な感じでした。年金カットというのは今のマスコミや野党が煽る以上に複雑なのです。給付を下げる(それも0.4%)と騒ぐならそれこそしっかりした対案を出さないと成り立ちません。というか忘れられているだけで決まったのは15年以上まえのことです。
 介護保険料や後期高齢者の保険料や負担割合も当然ながら上がりますし、これも急な上昇を抑えるために暫定措置があったりしてほぼ毎年か2年ぐらいで漸増しています。特別徴収で年金天引きの方は確かに手取りは下がり、直近で食料品やガソリンなどが上がると厳しいです。 年金だけの生活というのは、シュリンクを覚悟してバッファを持たせていかないといけません。

 

エッセンシャルワーカー 社会を支える人々

 コロナ以後またやたらとカタカナ英語が氾濫しています。
 ソーシャルディスタンス、ステイホームやリモートワークなど流行りやすいからか、本質をごまかしたいのかみんなわかっているのかも不明な言葉の乱発です。
 エッセンシャルワーカーもその一つです。エッセンシャルワーカーとは、「生活の根幹を支える医療や福祉、保育や第一次産業、行政や物流、小売業やライフラインなどで働く人々」のことだそうです。行政、小売といっても地方公務員の窓口とか、食料品など生活必需品の販売員などごく身近な現場の人を対象にしているようですが、それらにも管理も必要でありどこまでという境界はあいまいです。
 それを言い出すと経済や社会はお互いが全て繋がり結局どこかで支え合っているので、境界はないようなものです。
 ただ休んでもどうということのない高位の役職、生活必需ではないぜいたく品の関連なのはノンエッセンシャルになります。ノマド等ナレッジワーカーもこの分類でしょうか。
 確かに社会を、正月も休日も暑い日寒い日も毎日支えているのがエッセンシャルワーカーです。
 amazonで販売店が要らなくなったといっても、材料を調達し製品を作り梱包し、配送されるまでには多くのエッセンシャルワーカーが働いています。家にいるだけでも、電気や水道、ガス。物流、警察の恩恵は受けています。トイレットペーパー一つamazonで購入したとしてもエッセンシャルワーカーの多くに関わってもらっているのです。医療や土木も住む町の自治と維持には欠かせないものです。
 こうした職業の多くはそう簡単にテレワークに移行できません。
 ただ不要不急といわれる、芸術やぜいたく品の関連が無駄とかいうことでもありません。
 コロナ禍でエッセンシャルワーカーの感染や濃厚接触、その後の隔離期間などの対応が注目されましたが、ここではまず社会を底辺から支える人々にまずは感謝しないといけないということだけです。