「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があります。戦いに勝った方が正義であり負けた方は不義、逆賊という道理や本当に正しい道ではなく、強いものや卑怯な戦いでも勝てば良いのだという慣用句です。
由来は戊辰戦争での新政府軍と旧幕府軍の勝敗から来ています。
スポーツにおいては「明らかに誤審やらでおかしな判定で勝敗が決した」「勝負には勝ったが、見ごたえのない試合だった。次につながらない勝ち方だった」
本来は勝者をたたえたり、批判するべきところを、やや達観して表現する感じです。
ビジネスとか、芸術等の世界でも、本当に良い仕事や、人物が、何らかの人脈や背景等で評価されない場合があります。政治的な要素とか言われます。それでも勝利して上に行く場合は認めたり従ったりするしかありません。
しかし、この頃スポーツや芸術を見る目も肥え、ビジネスの評価も客観的なものになりつつあります。
不正経理等、コンプライアンス違反で売り上げを計上しても、「勝てば官軍」ではありません。
あまり国民全体がスポーツの中身に詳しくなく、与えられるソースもコンテンツも少ない時代。巨人が勝ち、力道山が勝ち、日本代表が勝ちさえすればバンザイだった時代がありました。
サッカーの人気が出だしたころはまだ今ほどマニアックには見られたいませんでした。。ワールドカップの上位進出はおろか予選すら勝てないレベルでしたから、そんな代表が初めて予選突破を目明日となるともう大騒ぎでした。何でもよかれで勝って悲願の本大会に出られれば良いという時代でした。
今は勝利も必要ですが、本大会で優れたパフォーマンスができるかが重要になってきています。
戦争や政治の戦いは同じではないでしょうが、やはり勝たないと何にもならないのですが。負けたからといって全否定されるものではありません。
政治の世界は特に、謀略や裏切りは常です。
不戦条約や中立条約等も形勢が変われば反故にされます。
同盟とかだって、国の事情でどうなるかなどは歴史を見れば分かります。
党首を決める政治家も、政策やきれいごとを並べますが、人柄や実行力もありますが、やはり過去を見ると、裏切りや策謀が渦巻きます。強いものが勝ち、約束や公約は反故になるときもあります。
権力を得て、実際に自分のやりたかったことをやる。これはある意味正当です。実際に権力を持てばそれまで、渋々我慢していたことを一気に吐きだし、支援した側から見ると裏切りに移るときもあります。
逆に、権力を持っても、自分のかつての理想や主張は忘れてしまい、権力の座を維持することが目的になってしまうケースもあります。上に立つと、見えてくるものややらねばならぬことは多いですが、本来の目的を忘れては自分を見失っています。
負け方は大事です。無条件降伏は最低の負け方です。勝った方は歴史を作ります。事実も歪められます。その時は勝てなくても、真実や正義はいつか実現するため粘り強く戦い続けることは必要です。「勝てば官軍」はやはり間違いです。
正義と真実、その人の主張は一度の負けで消えません。正しい方向性はひとつです。事実を捻じ曲げた歴史まで敗者が蒙る必要はありません。