書評:「反知性主義に陥らないための必読書70冊」

 「反知性主義」という言葉は、もともとアメリカ史において、権威主義的な知識偏重への抵抗を標榜して使われた言葉だそうです。しかし現代日本では、インターネットばかりではなく、マスメディアや政治家に至るまで、論敵(あるいは外国)を脊髄反射的に切り捨てるようなヒステリックな言説や人を指し、ネガティブなキーワードとなっています。
「論破王」などに代表される。深い知識もなくその場の議論のすり替えなどで勝とうとします、内外を席巻している不毛な対立を乗り越えるために必要な、真の教養を学ぶには何が必要なのでしょう。
 戦後七十年の今、冷静に日本と日本人を省察するために必読と思われる書を、現代日本を代表する叡智が集められています。

 本が売れない、本を読む人が少ない、出版不況だとは言え、図書館はそれなりに盛況です。幅広いジャンルの書籍が出版されており、書店が閉まる中、逆にニッチなジャンルの専門店や古書店が現われたりしています。
 この本の中にも70以上も、作者も詳しくしらないものもあれば、著名な古典や現在も活躍中の作家もおり、70冊の中に「戦後思想の名著50」という本が入れ子構造のように入っています。
 一つの本を選べば、次に関連したものや、対峙する書物も手にして読みたくなるものです。
さまざまなジャンルの本をそれなりに読んでいるひとを、教養のある人、知の巨人というべきでしょうか。
 たとえば、お医者さんや弁護士さん、博士、大学教授が難関を突破し勉強し続けていたとして、自分の専門外に関して全く疎い場合、果たして教養があると言えるでしょうか。
 暗記力が強いと個人差はあっても財力など環境に恵まれれば、時間をかければ資格試験や就職試験は合格できますが、そのジャンルだけで、他の勉強、情報を身に着けるのを怠れば、なんだと思います。
 ところが、どうも先生と言われる専門家、司法試験合格したとか、教授や博士号もらったということその肩書だけで、教養と思ってエライ先生とありがたがる傾向はあります。それがまた増長を産み、そのジャンルの深堀だけで良いと思う驕りに繋がります。専門家が決して愚かとは言いませんし、私なんぞよりも頭がいい人、世渡りも上手い人ばかりでしょう
 しかし、何かの課題解決をする場合は、ジャンルが広くなければ実際の現場、人生の局面局面では役に立たないことがあります。
 

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