元気な飲食店が復活していてホッとする

 年末に大阪の元職場の近くに行った時、いくつかの店が無くなったり代替わりしていて、コロナの爪痕の傷ましさに衝撃を受けました。

 仕事がら入ってくるニュースにも、閉鎖や倒産、差押のものも多く、コロナの助成金が断たれた昨年から苦しくなったところが顕著でした。元々助成金の無い業種で物価高や不況を乗り切れなかった例も多いのです。
 しかし、最近近所を少し歩き回ると、京都の飲食店、居酒屋やバー、レストラン、割烹など個人経営の小さなところでも元気にやっているところが多くホッとしました。活気のある接客をする人のいる店には癒され元気をもらえます。
 いろんな職業があって、お酒を勧める、料理を提供する飲食関係の水商売という仕事ももちろん無くてはならないものです。ちょっとした街なら、大手の居酒屋チェーンもありますが、町の盛り場やその横丁にも小さな個人の店がいくつもあるものです。
 コロナの波を乗り越えた多くの店を心強く、たくましくも感じます。
 どんな職業でもそうですが、個人経営は責任も重く、天命、天職と感じる情熱がないとなかなかやっていけません。
 
 やめてしまったところには、年齢や立地などさまざまな事情があったのでしょう。続けていけたところは、幸運もあるでしょうが、やはり情熱があり、仕事が楽しいからではと想像します。楽しく仕事をしているところには、良い人材や顧客が集まります。
 仕事が楽しくないなら、仕事をせず給付金を貰えて生活ができた時間があれば、もう働きたいとは思えなくなってしまったというところもあるのかと思います。少しぐらい苦しい時期に耐えても、いきなり休業補償で働かなくても、働いたと同じかそれ以上貰えるのは問題です。喜怒哀楽があり、あるいは苦しいばかりでも最後に少しでも儲かれば嬉しいのが自営業でしょう。それを何もしなくても、「はいこんなもんでしょう」と助成されたら、感覚もマヒします。
 むしろ、一番大切な働く楽しさを奪われたのかもしれません。
 楽しいというとそればかりではなく、苦しい時もあり、充実しているという言葉が合うのかもしれません。
 非合法とか理不尽には耐えてはいけないものもありますが、苦しい時をもう少しだけ乗り切れば自信になり、次のステージにつながる時があります。今は苦しくともその場で働くことの意義や使命に気づきもう少し頑張れば天使が舞い降りるような時が来ます。
 自分だけで頑張れないときは、少し方向を変え元気な人に会って少しパワーをもらうことです。
 

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