永山基準は古い 死刑が重いのか? 

 京アニ放火殺人犯、ALS患者嘱託殺人犯、王将社長殺害事件など京都だけでもさまざまな殺人事件の公判が行われています。
 判決の量刑は裁判官の公正で、精緻な判断によると思いますし、テレビなどで報道されるは主文の一部が切り取られ、被害者遺族や街の人の印象の方が大きく採り上げられるときさえあります。
「死刑」が極刑とされ、その方が被害者家族は少しでも気が晴れるというのは正しいものなのでしょうか。
 死刑を執行してしまうと、冤罪だった場合取り返しがつかないという問題とは別にしても、死刑と無期懲役を比べ、無期懲役だったら軽いからうっぷんが晴れないというのは少し違う気がします。
 無期懲役だと、刑務所で我慢して更生したふりをしていればやがて出所できるんじゃないかという点も間違ってもいますし、そこもちょっと別に考えて被害者に罪を償わせるという点でのみ考えても「死刑」は極刑ではないように思います。
 無期で永遠に毎日罪を償わせ、被害者遺族や社会のために労働、奉仕してもらうことこそ反省であり報いではないかと思うのです。刑務所就労の労賃など知れていますし、その作業の製品など被害者遺族は心情的に欲しくもないかもしれませんが、被害者を忍び加害者の反省で家族が少しでも気が晴れるのは、むしろ「死刑」よりも「無期懲役」ではないかと思うのです。

表題の「永山基準」は

9項目を提示し「それぞれの項目を総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」とする傍論を判示したものです。1983年7月8日に最高裁判所第一小法廷(大橋進裁判長)が連続射殺事件(1968年発生)の加害者である被告人・永山則夫(事件当時19歳少年)に対し、控訴審(東京高等裁判所)の無期懲役判決を破棄して審理を東京高裁へ差し戻す判決(第一次上告審判決・以下「本判決」)を言い渡した際に提示した傍論が由来で、初めての死刑の量的基準と言われています。

1.犯罪の性質
2.犯行の動機
3.犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性)
なお本判決では明示されていないが、3. の1つとして「犯行の計画性」も考慮すべき事情とされている.当初から被害者の殺害まで計画していた(計画性が高い)事件の場合、当初は被害者の殺害までは計画していなかった(計画性が低い)事件より死刑が適用される可能性が高いとされるます。
4.結果の重大性(特に殺害された被害者の数)
5.遺族の被害感情
6.社会的影響
7.犯人の年齢
8.前科
9.犯行後の情状
 1人殺したら無期、2人以上なら死刑でその他基準を考慮する、この裁定は現在では、この基準にとられない判例も出てきています。

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