資生堂帝国の崩壊【枯れ行く椿】

コロナ不況は運輸等とともに化粧品メーカーも直撃しました。外出も減り、マスクの着用でメイクアップの機会も減り対面販売の大手(美容部員が売る制度品化粧品)の国内売り上げは相当な落ち込みで、業界最大手資生堂は2020年度118億円の赤字と発表しました。
1982年にカネボウに入社した私にとって、資生堂という化粧品会社は強敵でありライバル会社切磋琢磨する長年の好敵手でした。
カネボウ化粧品の幹部教育には「椿を折れ」と叫ぶ特訓をするような、今では考えられないようなカリキュラムがありました。
当時の資生堂とカネボウは毎シーズン華やかなCMやモデルを使い大きなキャンペーンでトップを競い合っていることは消費者からも著名でした。それは現在のトヨタと日産、キリンとアサヒ、巨人と阪神、ドコモとソフトバンク等よりも華やかで厳しい盟主、覇権を争うライバル関係でした。
常に2位メーカーという悲哀もあり、キリンが嫌いトヨタよりも日産が好きという人がカネボウにも多かったです。
潤沢な資金でCMを投入する資生堂に比べると、カネボウは派手なキャンペーンでピンポイントを抑え資生堂と同一認識を消費者に与えるものの、内実はスポットの量等全体の広告料は少なかったのです。後は人海戦術でいかに目立つところにポスターを貼るか、資生堂にオンリー店になんとか取引を拡充するのか営業の泥臭い努力と強引な押し込み販売が現場の肝でした。「資生堂の知名度と宣伝があればなあ」というのはカネボウの社員や得意先ですらたまに愚痴りたくなる思いでした。
ドラックストアもネット販売もない時代、街の有力な化粧品店薬局が主体で、大手メーカーと取引できれば、再販制度という価格維持で利益は守られていました。そんな温床の上で資生堂は長年、王者に君臨してカネボウは青息吐息ながら2位を維持して追いかけました。
カネボウが繊維本体の赤字で、超優良な化粧品に販促費を投入できない構造は、それでも化粧品事業単体で見ると、資生堂に比べ優良な利益構造の事業になっていました。これが後々花王に事業だけ買い取られ生き残る要因となりました。
カネボウはその後の本体の粉飾で泥をかぶりました。
しかし外から見てうらやましい反面、資生堂が完全独走とまでいかない大企業病、宣伝費がかかり過ぎ、いざ不況になると儲かりにくい構造になっているのは巷間でも囁かれていました。
その後、中国市場拡大グローバル化の波、カネボウも花王傘下となり、ドラックやネットで流通の一大変化も起こり、化粧品業界は寡占というより乱立の時代に入ります。
カネボウが美白問題でも凋落する中、資生堂にもかつて業界を席捲した神通力はなくなっていました。多くのモデルを抱え、莫大な宣伝投下しても化粧品は大手だけでトレンドを作れない時代に入りました。外資や薬系、かつての弱小一般メーカーもそん色なくドラックの棚に並び、ネット情報で消費者が好きなものを買うのが主流になりました。
今回のコロナ禍は、伝統的な制度に胡坐をかいていた体質の業界、企業を一気に加速して財政的危機に直面させます。テレワークが増えやリアル店舗が減少するなどは予測されていた未來です。
中国市場に強い資生堂は盛り返す機会もありますし、ブランドや人材もまだまだ強いはずです。伝統的な対面販売の在り方の未来をどこがしっかり掴み提案していけるかが、これから楽しみでもあります。

改装されたGMSの中のドラックの化粧品対面コーナー。GMSとの共同の新しい業態らしいいがこの時期にチャレンジングではあるけれど、占いコーナーみたいでした。占いがなくならないのなら化粧品に対面販売もなくなりはしないかとも感じました。

ダメおやじの万年係長

大阪の新入社員時代に結構今ならパワハラを見ました。そういう面では大卒の新人で可愛がってもらったのか。そこまでイジメられることはなかったのでしょうが、先輩がボロクソにやられてるのを見るとプレッシャーがかかったものです。
やはり販売会社、売上数字が中心なのと,その中身が押し込みでなく販促にみあったものでかも、よく見られました。
Tさん、土田さんは小柄で、本当にまんがのダメおやじそっくりでした。係長から平に降格されて転勤されました。給与体系からいっても厳罰の処置でした。
卑屈で見かけも悪い人で、お世辞にもセンスがいいとも言えないタイプですが。そこまで悪い人とも思っていませんでしたが、何だかそこまで悪い人だったのかと驚きました。
次にお会いした数年後、平から主任には戻られましたが、やはりその人格には残念な面は大いにありました。
正月の高校サッカーに息子が出ると親ばかな面も持たれ、私と食堂で弁当等を食べる時、ほとんど残さず一気にキレイに食べるのを見て感心されてました。自分は好き嫌いするから大きくなれなかったと嘆いてました。
最後は倉庫番の係長で、寂しい会社人生を終えられました。もちろん見た目だけですけど、なんだか今の化粧品会社ではあり得ないような昭和の営業マンでした。
もちろん私もその後ベテランになり、おっさんになりリストラ候補みたに厳しく言われて、後輩から情けなく見られてたこともあったでしょう。そんな面ではよく土田さん最後まで耐えられたなあと思います。

人が変わった再会:鈴木義明(仮名)さん

出会った人の思い出1

いろんな人と社会人になって出会いましたが、最初の3年間大阪の南の方の支店(当時販売会社)の人たちは今でもよく覚えています。その中でも転勤等で複数回あった人は印象も深いのと、縁を感じます。
Sさん(仮に鈴木さんとしておきましょう)は年(学年、入社年次)は2つ上で背の高い好青年でした。先輩社員として養成担当だったI川さんの後任として、当時は3年目で必ず転勤があるローテーションで来られました。私がいた第一南というところは全国でも大変厳しく、細かいところで鬼のトップと課長のいるので有名でした。最初の母点がユルイところで、最初の転勤が厳しいところというのは難しいパターンです。恩着せがましく偉そうに私に先輩ずらしたI川さんに比べ、鈴木さんは社内のモノの置き場、人間関係や地域の実情等は私に聞いてくる丁寧で朴訥な人でした。
丁度1年後輩にも私と同姓がいたので「智史」と名前で呼んでくれていました。
本人もタフだったのでやがて厳しい状況にも慣れて、後輩の私を一目置きながらも面倒見る感じでした。二人で新規開拓に山の奥まで行き脱輪して難儀した思い出もあります。
私が3年目で転勤する前の慰安旅行等で、女性関係でいじられるところを庇ってくれたことを覚えています。
その鈴木さんと20代だった頃から30年ほど経って再会した時、彼は豹変していました。立場、役職はずっと上の流通部長でしたが、その評判はパワハラ、セクハラ、ヤクザまがいの恫喝する噂でした。実際の顔も凶悪な人相で、恰幅もよくなってましたが、どこか疲れた感じで、訓示も暗い話が多かったようです。
「智史」と呼ぶのは変わらず、「智史変わらんなあお前だけは」お前にまた会ったのは、若手の頃思い出して一生懸命やれていうことやろかなという話もしていました。
しかし、大阪での彼の評判は悪いまま売上全体も上がらず、まもなく降格ではないものの長野への異動で短い再会は終わりました。
まもなく鈴木さんの定年退職の告示だけ見てもう会うこともないと思っていました。
ところがある日、私も京都から姫路へ毎日新幹線で通う日々に、一度新大阪駅のホームで鈴木さんにバッタリ会いました。「新幹線通勤」というと、「俺は今から一から研修やのに、何でこんな立場かわったんや。でも智史は変わっとらんなあ」
「まあ、智史、がんばれ」「はいお疲れ様です」
少し、寂しげな背中。さすがにもう会うことはないと思いました。
彼の顔をあれだけ変えた30年も会社生活。当時生き残り、出世するのに大変なく売ろうのあった会社です。変わらなかった私、どちらが良かったのかは聞きもしないし、分かりません。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ17】

カネボウ化粧品と歩んだ人生17 会計から

戦前日本最大の民間企業で、戦後も繊維と化粧品で1兆円の商いを目指したカネボウですが、起死回生の化粧品売却は失敗に終わりました。一度上場廃止となり、本体のカネボウは事実上解体。化粧品事業はのれんとともに花王に売却されました。
では花王にとってのカネボウ売却はどういう意味があったのでしょうか。
もちろん、消費者側や小売店、営業からみたシナジー効果等は目に見える通りです。比較的高級な化粧品を売るノウハウや、前のいくつかの章でも語った販売力やファンのあるブランド力もあります。
しかし花王にもソフィーナという化粧品ブランドがあり、シャンプーやサンケア等競合する者も多いのです。
花王はM&Aで傘下に事業を10年で利益を産むようにしていました。カネボウはなかなか上昇せず化粧品部隊は焦りました。インバウンドの波が来て、国内組織も大改変してようやく利益事業としました。花王はEVA(経済的付加価値)という国際会計基準IFRSにのっとった、財務戦略を日本で最初に導入しています。将来の収益を見込んだ投資、しかもその資金調達は株式ではなく借入金で行いました。
無借金経営が褒められるのも昔の中小企業で、現在のグローバルな市場では高配当を期待される企業は市場での資金調達では高い配当をステイクホルダーに返さねばなりません。「真の利益」価値を求めて花王は真剣にカネボウ化粧品を傘下にして炊くとを取りました。
それはまた、化粧品事業の世界的な会計基準にも合わせていく、かつての粉飾カネボウでは考えられない進化した財務でした。例えば美容部員売員が必ず販売するブランドの商品群はその人件費は商品原価に仕訳する。
私がたまたま参加させて頂いた花王の会計の研修で、その密な内容、先進の考えにはただただ感心しました。
そして、もう一つ花王クラスでさえ世界のトイレタリー大手に比べては小さい。買収をかけられる恐れさえあったのです。カネボウを呑みこみ、世界トップスリーに近ずくほどになっておかないといけないのも背景にはあったのです。
残念ながらカネボウの社員でそこまでのことが分かって、働いている人は少なかったでしょう。みんなが新しい花王のやり方の合わせるのに必死でした。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ16】

カネボウ化粧品と歩んだ人生16 花王GカスタマーMKへ

昭和57年(1982年)カネボウ化粧品に採用された私は伊藤淳二社長の鐘紡株式会社に大卒統一採用として入社し、令和元年(2019年)花王グル―プカスタマーマーケティングでカネボウ化粧品社員として37年の勤めを終え定年退職しました。
最後の年は京都から姫路まで新幹線通勤等、化粧品と家庭品の融合した組織でのつなぎでの奮闘でした。
化粧品の分かない支店長ら上司にソフィーナを含めたカネボウの売上対策や管理を任される仕事でした。カネボウと30年以上名乗ったものが花王のと名乗るのは抵抗はなかったですが慣れるのには時間がかかりました。
カネボウ化粧品の入社した同期もだいぶバラバラに散りましたが、最後まで化粧品に勤めあげた人間家庭品中心に動いた人。この長いドタバタの間に途中で辞めた人。一部幹部含め、なおも再雇用で続ける人もおります。御多分にもれず再雇用の待遇は良くはなく、男性の大部分は家庭品、洗剤等も含めた店頭のメンテナンス作業要員です。デスクワークの閑職や営業もほぼないような扱いで、別の仕事を探す人、隠居した人も多いです。澤田社長からの感謝状を貰い、花王で辞めたのかカネボウで辞めたのが微妙な感じでした。
履歴書等の最後は花王の会社ですが、身分はどうなのか極めて複雑でした。
健康保険は花王健康保険組合
退職金は花王からの確定拠出金、慰労退職金(旅行券)がカネボウから、企業年金は花王G以前でカネボウ企業年金が解散する前の分が企業連合会からと複雑です。厚生年金はカネボウで入社以来、出向カネボウ販社から㈱カネボウ化粧品と一環してカネボウのままでした。
労働組合のままの方はカネボウ労働組合(花王は組合員層にも労働組合なし、花王ファミリー会というレジャーや福利厚生の互助会にようなものがありました)でした。
バブル以前の団塊以後入社の、カネボウ人生は2019年5月、多くのメッセージも頂きました。
今も化粧品ブランドを作り、陸上競技部、商品開発(花王と共同)海外事業を行うメーカー^としての㈱カネボウ化粧品は残ります。
コロナ禍の2020年には花王グループはいち早くテレワークに切り替え、カネボウとソフィーナの店頭美容部員の活動を止めました。
白斑事件以来の営業の危機を私は外から見ていました。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ15】

カネボウ化粧品と歩んだ人生15   白斑自主回収2(後半)

カネボウのHPには毎月、白斑患者の状況が更新されます。

白斑様症状を確認した方
19,605人
和解合意された方
18,675人 が2020年7月現在の状況です。2万人近くが発症され、約7年を経て残り1000人程となりました。
もちろん重症の方、完治には至らない方もおられます。白く美しくありたいと思う消費者に対し、被害を与えたことは、企業責任は重いとしかいいようがありません。
資生堂『HAKU』 コーセー『雪肌精』というブランドを中心に、外資や一般品含め美白の化粧品市場はエイジングと並ぶ、大きな効能をうたったシリーズと言えました。しかし老化予防や肌を白くするなどというのは医薬部外品とは言え元々グレイなものです。肌を白くすろことを求めて、何千円とお金を出す消費者に対し、クスリではない化粧品は本来、肌を白くするとも、皺を無くすとも表現もできないし、実際そこまでの薬効はありません。
表現は『シミソバカスを防ぐ』『肌にハリツヤを与える』程度しか厚労省から許されていません。それでもメラニンの元を抑える等のウンチクを謳い、美白製剤の効能を何とか美容部員が訴え推奨して、各社が競っていました。そんな中、カネボウの主製剤ロドデノールは実際に効果は高かったのです。問題はその副作用ともいえる白い斑模様に色が抜ける白斑の発症のある方が頻出したのです。
商品開発の方向としては間違っていないのですが、やはり消費者にとって大問題でしたしブランドも大きく傷つきました。2012年までの好調は消え、制度品の中でカネボウは一人負け。化粧品単独メーカーでは存亡の危機ですが、本体花王の欠損処理でカネボウ化粧品は何とか美白以外のブランドで信頼回復を期すことになります。
その時の、店頭販売員の悲しみ、またそれでもカネボウを愛していて戻ってきてくれたお客様との感動のつながり、現場にはいろんな悲喜がありました。
そして営業も幹部含め、最終2万人にも及ぶ、発症者にアポをとりお詫びと説明、交渉に回る仕事に追われました。通常業務や会議、研修は圧縮しながら、男女のペアで顧客訪問で休日も深夜も入りました。OB、OGも召集して臨時再雇用をして対策チームを立ち上げ、この数年でようやくかなり和解にこぎつけました。関わった社員の努力は大変なものでした。
この件の後で花王は完全に主導して、販売会社を化粧品(カネボウ、ソフィーナ)家庭品を統合する動きを加速します。
もちろんマイナスの大事件でしたが、カネボウのブランドへの根強いファンがいること、先輩社員含めカネボウの人的パワーの凄さは花王グループの中でも証明されたと思います。



日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ13】

カネボウ化粧品と歩んだ人生13 労働組合

労働組合の話を書いておきます。今やどこの企業でも労働運動は形骸化され、一部を除いてあまり活発な組合活動はないようです。カネボウの歴史においては最後まで組合は影響を、それも悪い意味で持ち、花王の傘下でもその存在はあります。
昭和の頃はカネボウ化粧品全員には労働組合はありませんでした。繊維出身の組合員層だけが労組でした。
繊維主流の時代もカネボウの労働運動はまたいろいろあったのですが、それは私の入る前の歴史です。
伊藤淳二(社長、会長歴任)が労働組合も経験し、労使交渉、労使一体の家族主義で企業の存亡の危機を乗り切ってきたことだけを記しておきましょう。
やがてユニオンシップ制がうたわれ1990年代に入り、平成3年頃には管理職やパートを除く全社員が組合員となりました。
私はなかなか課長、管理職にもなれず。組合にはつき合わされ、職場委員、分会長は経験しました。いっそ専従で現場の仕事を離してくれればと何度も思いました。
大きな問題は一度カネボウは1997年賞与カットとなります。その後も組合と経営の談合で給与10パーセントカットも行われました。
組合専従員は説明の業務のため、賞与相当分を貰っているのですから、これはもう御用組合。経営の手下です。10パーセントカットも、個人管理をして返す返すと言っていましたが、花王傘下になる時簿外債務となるとかいう勝手な経営側の理屈でついに返されることはありませんでした。帆足社長も当時の組合上層部もウソつきです。
2003年に、業績給を増やした新給与体系を構築しますが、組合員に借りた俸給を体系をいじっても返すべきだったと私は今でも思います。ですから当時の社長にも組合幹部にもこのことは強く恨んでいますし情ない嘘つきと蔑んでいます。100万円前後だったと思いますが、帳簿まであるのに返せない、それをフェイドアウトしようとする情けない限りです。
組合はその後も細々続きますが、美容部員の宴会援助くらいにしか役に立たない。花王ではいらない存在です。
カネボウ労働組合が令和の世も無くなっていない。それは上部団体の全繊同盟が抜けさせないとか、花王本体が悪者になりたくないのでしょうが、花王社員がない労働組合なのでいらないとしかいいようがないです。
組合はどの企業でも最近は、経営者側についたり機能していきません。カネボウが粉飾で断末魔の頃、伊藤元会長の暗躍に組合が関与したとかよからぬ話も情けない。社員の事など何一つ考えず、己の立場を利用して存続と権力に寄り添う組合等は本当に良くない存在でした。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ12】

カネボウ化粧品と歩んだ人生12 上司

カネボウ販社当時は直属は課長で、その上に支配人という販社最高責任者。取締役がいました。
マーケティングでの権力者等一部の例外を除き、この上司に恵まれないのが悲劇でした。

とにかく朝礼が長い。叱責も長いし、訓示も長い。販売会議も個人攻撃。
できない。失敗、営業成績の未達等。『なぜだ。なぜだ?』の追及の嵐でした。
ああならないよう達成しようという、努力を回りに促す効果はありましたが、好事例をプレゼンして共有するような最近の会議や朝礼とは大違いでした。
大阪の最初の営業スタート時のトラウマ。I部長とY支配人のコンビにはなかなか辛いものがありました。
それ以降なかなか厳しい販社ばかりでしたが、追いつめられる前に何とかすることが、逆に墓穴を掘ることもありました。
粉飾まがいの売上も、追い込まれるとやってしまいがちでした。
広島時代はK支配人、M部長でとくに厳しい訳でも無かったのですが、悪い癖がついていました。
愛知ではKという支配人の上の事業部長、後販社社長に就くNマーケ課長が支配人以上の権力を持つ難しい二重構造でした。
沼津のKは先進過ぎ、秋田のKは只々前時代のパワハラ、そしてW課長などは組合で決まっている残業を握りつぶしシカトしました。
平気でうそをつく上司がいあるのには少し呆れました。まあ自分部下としては誤魔化すし、いざ上司になると苦し紛れもありましたからアイコでしょうか。
仙台でようやく課長に自分がなった時、パワハラと言われてしまいました。
一国の主になると下に物足りなく声を上げることもあり、嫌われもしました。
敵を作る前にいろいろしないといけないことがありました。
関西の戻って奈良のK課長や滋賀のS支店長やはり相も変わらぬパワハラでした。
これ以降は年も年、そんなに期待も叱咤もないベテラン社員です。この時期に前章で述べた同期のMが本社のパワハラで死んだのは何とも衝撃ですし、昭和からずっと難しい時期を乗り切った逸材が何故と思いました。
カネボウの終焉のその後、何とか花王の中でカネボウの看板を守りたいそんな焦りが、あの白斑事件につながったのかもしれません。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ11】

カネボウ化粧品と歩んだ人生11 死者

実際に関わりのあった方で不幸にも亡くなられた方が何人もいます。
大きな企業ですから訃報だけでも毎日のようにあるわけですが、現役社員の病死や自殺等はやはり衝撃を受けました。
入社のときから関わった大学の先輩で結婚式にも出てくれたFという部長は、多額の私的流用と取引先の女性との問題で解雇されました。その後金融会社に再就職されて一度カネボウの行く末を案じたような話もしていたと聞きますが、やはりお金の問題で自殺されたとのことでした。正確にはカネボウ在職中ではないのですが、幹部研修も経て出世街道の上位にはいた時期もあった人だけに残念でした。
ある県の販社で美容教育の責任者だったMさんが、パワハラと不倫の果てに首を吊ったという話もショックでした。
バツイチではありましたが、仕事も熱心で大変美しい方で、支配人(販社トップ)にかなり追いつめられたのが原因と聞きます。不倫関係にあったBという男性社員もやり手でしたが、やはり会社は去らざるを得なくなりました。当時不倫自体は相手が問題にしなければ今ほど大きな不名誉ではなかったのですが、相手が死んでしまったのと、結局パワハラの方の支配人は権力で逃げて処分は無かったのです。
Sという同期は、懐に深い気さくないいヤツでよく研修で雑談はしていましたが、とにかく大酒呑みで、身体を壊しました。誰からも慕われてましたが、ある朝冷たくなっていたそうです。
白斑の事件の後、再び本社に呼び戻された同期Mは、出世頭でした。温厚でいい話をして部下の人望も厚かったのですが、本社の直属の上司からのプレッシャーとパワハラに心を病み、実家の山口で不審死でした。
私は、結構思い悩むこともあるのですが、周りからは「あんたは能天気で自殺しない。死なない」と笑われてましたが、その立場になっていたらわかりません。
もっと早く辞めていたかもしれません。池井戸さんの半沢直樹みたいな勧善懲悪みたいなことはなくドロドロしたものはあって、スカッとしたものはないのです。
白斑問題を語るまえにパワハラ上司列伝ができそうです。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ10】

カネボウ化粧品と歩んだ人生10 商品

一気に2004年の粉飾、崩壊まで書いてしまいましたが、その時点でカネボウ化粧品も販売会社もなくなったわけではありません。企業、経済をあまり知らない女性ユーザーには資本関係も債務超過も意外と分からなかった面もあります。
今でもカネボウ化粧品は存在します。
しかし花王傘下の2012年、シナジーを模索していた花王とカネボウ化粧品販売を揺るがす大事件が起こります。
その前にカネボウ化粧品の商品としての歴史をこの章では記します。以前CM等のキャンペーンやモデル等を中心にした章で企業風土を書きましたが、肝心要の商品としての化粧品です。
カネボウの化粧品としての原点は、繊維、絹工場でのシルクです。絹工場の女性労働者の手指が白く美しいことに着目され、絹の油脂から絹石鹸が生まれました。
ソワドレーヌという絹の脂を使った基礎化粧品シリーズ等、原点は繊維です。
繊維の名門の超大手企業が化粧品に参入したことは、どちらかというと小さい怪しげな会社の多い化粧品業界に大きな存在感を示し業界の発展に寄与しました。最初は異業種としての違和感もありましたが、資生堂とならぶ直売、美容部員派遣の制度品メーカーとして確固たる地位を築きました。
メイヤングというエイジング老化肌シリーズで特許をとっっていました。そして大きなプロジェクトとして、1980年代は女性の時代としてレディ80を提唱し、大きなブランドとしました。
ポイントメイク中心の春と秋、大きなプロモーションの夏はファンデーション、冬もベースメイクと基礎化粧品などキャンペーンを中心にいろいろなヒット商品新商品を世に送ります。
ミニ口紅、バイオ口紅、パレット、落ちない口紅とムードだけでなく機能をうたったヒット商品も多くでました。商品開発と宣伝力はなかなかのものでした。
カネボウはレディ80、メイヤングに続き基礎化粧品を多岐にわたり送り出します。しかしメイクに比べると定番で安定したブランドが今一つ確率しませんでした。
アフィニークというクリームが5万円、化粧水2万円というとんでもない高級品シリーズも出しました。
強力な販売力で重要顧客を囲いこみ、単価を上げて売上を作りました。提携仏キャロン社の香水シリーズもきついノルマでありました。ロイヤルゼリーや健康食品もまとめて売ったりして売上を上げました。100周年記念の『甦』等工芸品のようなメイク揃えが数十万というのもありました。
これらは決算用の商品の意図もうかがえました。一般品よりも値崩れはない制度品の品質安定価格安定と知名度の安心感で、こぞっ化粧品の単価は高くシフトします。
2万円は別格としても化粧水の3000円~5000円、口紅の3000円、ベースメイク3500円等バブル時代とはいえ明らかに今の市場価格(ましてやスペックで大きく劣る)に比べ高いといえます。それだけ制度品の寡占、価格支配が利いていました。
カネボウは資生堂よりやや単価の高いスキンケアでこの部門のヒットブランドがない面をカバーしていました。逆に10万円を売るのに50人以上アプローチするより2万円や5千円を奨めるのでなかなか200円台などの大衆に広がるブランドを作っても販売店が売らないジレンマもありました。価格に低いブランドを宣伝するのは止めて欲しいという有力販売店もあったぐらいです。
美白シリーズもフェアクレア、フローテスとありましたが他者に比べてマイナーでシェは低かった。美白やエイジングは医薬部外品で研究開発に時間がかかり、厚生省(当時)の認可もいります。基礎ブランドで定番になる強い商品を出したい。その焦りも最終的にカネボウ化粧品をの名を地に貶めたあの『事件』へと繋がります。