財務省や政治家こそ国際会計基準に

 
 私が大卒で勤めた明治以来の日本を代表する企業が粉飾で事実上倒産し、日用品最大手の傘下となりました。辛酸と感じた人も多いですし、仮にも商学部で簿記を学んだものには残念だった面もあり、この機会に新しい会計基準、IFRSやEVAという進んだ考えを勉強しました。当時50歳代でそんなものを親会社の若い経理部門や管理職と並んで、子会社のおじさんが学ぶのは奇異にもとられましたが、個人的には本当に良い学びでした。
 残念ながら、このことは元の会社系の人事には全く理解も支援もなく、知識を使って貢献することはできないまま定年を迎えました。しかしその後、意外なところで役に立つ機会があり、学ぶことや知識を持つことで損はないのだと思います。

 グローバル展開でもしない限り、IFRSなど意味がないとも言われた時代もあります。しかしたとえ国内だけの企業でも、外資からのM&Aは容赦なく来ますし、何より誤魔化しのできない客観的な基準の面でIFRSの方が優れている面があります。

 私がIFRSが好きというか、相性がいいのは、目の前の損益計算に拘らず、貸借対照表重視で、細則に捕らわれる日本の会計基準と違い、原則主義でいわば大雑把に善悪を問うからです。前例にとらわれ、何法の何条とか、マニュアルの何ページとかを、メガネかけたインテリエリートがキリっとやるのが日本の会計ですが、それが意思決定を遅くして、事務を増やして、効率も下げています。

 中小企業でも公的機関も、IFRSや価値を生む投資を長いスパンで考えるEVAの考えは必要です。

 裏金やパーティー券で問題になった政治家は、献金などの収支を全時代的な小遣い帳レベルの単式簿記でやっているそうで、2周遅れになっています。

 財務省も企業にはIFRSを奨め、優秀な人材がどんどんはいっているのに、今の予算提案は単年度収支に固執しすぎです。見せたくない、わかりにくくするごまかしの意思もあるかもしれませんが、国の事業、政策の評価があいまいになります。

 子育て政策であるとか、国土の強靭化計画、年金の改革のようなものは長期にわたる事業であり、20年とか30年のスパンで投資を考え、予測するレベルです。それが単年予算の分捕り合戦にさらされ右往左往し、政権の交代でも影響を受けるのはおかしいのです。

 昨日「昭和16年の敗戦」という本のことを書きましたが、多くの優秀な官僚はこれからの日本に未来の破綻を予測しているはずです。10年後か30年か50年か分かりませんが、それを避けることこそ、最重要のプロジェクトです。
 このことは多くの高齢者には、直接関係のない未来ですし、若い人にも現実感は少ないので、今の直面する問題の方が分かりやすく、未来を見る目を曇らせて先送りされやすいです。
 しかし、子供たちは未来では、高確率で破滅か、著しい衰退した国で生きねばなりません。

 そのためには、かなり大胆に発想を変え、今の予算をつけた事業が30年後に必要な価値あるものかで再構築しないといけないのです。

 今までそれに連なってやってきた人は痛みますが、そんなことは企業では当たり前です。数年前に業績を上げ花形だった事業はあっという間に不採算になってリストラされています。国もそれができないと、恐竜と同じなのです。逆に今はまだそれが十分できる税収も積み立てもあるのです。国債を発行するのが未来に借金を残すのではなく、意味にない事業、天下り先を沢山活かさず、30年後の国家、50年先の未来のための政策、投資ができるかです。

 財務系の考えをこう変えるだけで、日本の未来は明るくなります。

疎水、南禅寺、哲学の道の思い出

 九州南部は早くも梅雨入りしたようです。本来は旧暦の5月(今の6月)の梅雨の晴れ間のことを言いますが、現在は5月の晴れ日にも用いられています。
 少し動くとむし暑く、いわゆる薄暑とでも言うのでしょうか、初夏の頃に感じる、うっすら汗ばむ程度の暑さを感じました。

琵琶湖疎水、国宝が増えるのはいいけれど | 天使の星座

昨日、国宝指定になったからではなく、偶然同窓生と、南禅寺、哲学の道、銀閣寺と琵琶湖疎水あたりを散策することになっており、雨の中、件の水楼閣なども訪れました。

 映画やドラマのロケにも使われる、見事なレンガ造りのアーチ橋で、この上に京都市北部へと灌漑用水を運ぶ疎水があります。
 まだ独身だった頃、上司に紹介されたセッティングで東京の本社勤務の女性の方を京都案内するという、準お見合いデートで行きました。一般的な金閣や清水寺でなく、たまたまテレビか雑誌でここキレイなだあと思った南禅寺と、その中のこの偉容の水楼閣に行き、2ショット写真も撮りました。
 もう30年以上なので、その後の交際の行く末の記憶というのが、あいまいですが、いい雰囲気では別れて、お互いの印象は悪くなかったです。
 元本社にいた上司の推しでしたが、本人にはお礼の電話をしましたが、当時はLINEなどでのアドレス交換もないですから、それはそれでいきなり遠距離恋愛にもなり、次はこちらが東京に行って案内をしてもらうのが流れなのでしょうが、そこまでの積極性がなく、もちろんもう一度彼女からの連絡もないままで、(大幅な省略、その後結婚)現在にいたります。
 そこで上手く立ち回っていたら、本社のエライ人の姪っ子さんなので、いろいろ運命も変わっていたでしょうが、今の妻との子供は存在しなくなる世界線になってしまいます。

 その水楼閣の先には、疎水分水の豊かな水を明治40年代に利用して作られた、京都で最大規模の工場がありました。私が入った会社、鐘紡(カネボウ)の本体、繊維部門の大きな工場が高野橋近く、今の高野団地、阪急洛北スクエアなどの一帯にありました。私たちの中学の頃に、すでに市営団地と、高野アリーナ、ホリデイイン京都に建て替えられていますので、化粧品主体の鐘紡工場と言ってピンと来る人はもう70代以降の方のようです。
 高野団地の一角には、レンガ造りの建物が団地集会室やモニュメントとして残っています。

 昭和57年に入社した時には、歴史のある戦前から日本を代表する企業で、待っていたのは大層な入社式と、厳しい教育と小うるさい先輩たちでした。
 関西の教育施設での長い研修期間でして、たまの休みに、80人くらいの同期の中でウマのあった、東京の方の大学のNとKという3人で出かけ、私が梅田の地下など関西を案内しました。京都に哲学の道というのがあり、いつか一緒に行こうということを話していました。
 入社早々、伝統とは言え過去の慣習、栄光にしがみつく姿勢や、販売部門の体育会系ノリに、肌が合わない3人で、浮いた存在でもありました。
 研修期間が終わり、各配属が全国に散り、見習い期間を終え、営業部門に本配属になっる前に、NとKは辞表を出したと噂を聞きました。
 その翌年だったかに、Nから国家公務員1種(現国家公務員総合、キャリアの入り口)の試験に合格し、外務省に入省が決まったというハガキが来て、その連絡文には「いつか、井上と哲学の道を歩きたい」と書いてありました。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】1 | 天使の星座

 

 Nは、その後外務省で眩いような活躍をし、広報責任者から、中東の国の領事を経て、今はアフリカの某国大使になっています。
 雲の上の人みたいに、昇進していて、さすがに連絡はないですが、いつかどこかで出会える気はします。
 私は36年鐘紡という会社の盛衰を見極めて、定年後公務員のお手伝いのようなことをしていますが、若い頃から公務というのは、やはり性に合わなかったのかそういう運命なのかと思います。
 同窓生、同期生見ていても、本当に人生のその先は分からない、人はそれぞれの道であり、哲学の道に碑のある西田幾太郎の言葉通りです。

「人は人、吾は吾なり、とにかくに、吾行く道を、吾は行くなり」


 カネボウ入社当時、見習い日誌というのを毎日書かされていたのですが、こういうブログ調に書いてて、Nくんは井上のそれは普通のヤツと違うと絶賛して友達になりました。

芸能人のスキャンダルなんかより

 少し推しだった人のスキャンダルでショックだったのもあります。干されていた俳優さんが久しぶりの出てくると少しホッとします。
 しかし世の中、もっと大事な報道が必要とは思います。
 清純派の女性俳優が年上の俳優と不倫していたとか、あるいはかつての人気ヒロイン俳優が病院で暴れたとか、まあどうでもいいニュースではあります。

 世間を騒がせているようで、どこのテレビ局でも、いろんな芸能人や報道の人間もあるあるの話でしょう。

 スクープとして喜々と報道している方も、馬糞にたかるハエのようなものです。

 パワハラ、セクハラがいけない、不倫はいけないとは言いながらも、その構造そのものは変わっていないで、多くの場面では見て見ぬふりで、いざ機を図って大々的に報道するケースも多いです。

 たしかに文春だとかフライデー、日刊ゲンダイをはじめ経済誌や女性誌、政党の機関紙でもそこが上げた事実であり、国を揺るがすほどのスキャンダルもあります。

 官僚の某が、賄賂もらったとか、不倫していたとかいうより、有名な俳優がホテルに入った方が絵にはなり、政治的圧力も少ないのでしょう。しかし報道は、公平公正が当たり前の大原則です。バズるからだとか、注目を集めそうな人だけターゲットにして大きく報道するのはアンフェアです。

 永野芽以さん、現在放映中のドラマにも主演級で出ていて、今月主演映画も封切りで、CMも13社ほどあり、局も事務所も頭痛いところでしょうか。事務所も大手で何とか本人責任を回避して、イメージダウンを免れて、揉み消しに必死です。

 永野さん、直近ではトリスのハイボールのCMが印象的ですが、かつては私が辞める年、2019年カネボウ化粧品の敏感肌用ブランドのCMモデルやっていました。その後、調べると2020年から花王の柔軟剤、コーセーの「雪肌精」サンスターの歯磨きと関連業界にも出まくり、2022年クラシエのヘアケア「いち髪」「2024年からP&Gの「SK-Ⅱ」のモデルも加わっています。
 コーセーは辞めたと思ってたら、継続中でサンケアの括りで、SK⁻Ⅱとバッティングしていないとの契約?!
 これはいくら何でも節操なさ過ぎです。花王グループと資生堂だとかP&Gはしのぎを削るライバル企業です。最近はシャンプー、歯磨きとか洗剤だけはアッチで契約して、化粧品はライバル企業でとかはよくありますが、「雪肌精」と「SK⁻Ⅱ」は明らかに競合ブランドです。CM女王ランキングの数稼ぎなのか、事務所が強欲なのか、本人の責任かは知りませんが、インフルエンサー的な意味でも、大金を貰う契約でパーシャル的にライバル企業とも契約するのは消費者にも失礼な話です。本人もあちらと契約しているし、不本意なら拒否する権利ぐらいはありそうなだけに、スキャンダル以上に残念な面です。

労働組合ってもういらない

 労働組合なんて正直、時代遅れでさすがにもういらないと思います。
 そう言い切ると、まじめな組合員さん、オルグなどで洗脳された方や、かつて組合に相談して親切な対応を受けたり、恩恵を受けたりした人には反発を買うかもしれません。もちろん、あとで出てくる組合の専従者も、自分たちも苦労していると怒られそうです。

 しかし、日本の労働組合ほどタテマエと本音が錯綜し、労働法が整備されたことで皮肉にも少なくとも大企業、経営者がまっとうなホワイト企業なら、もう組合費など天引きされない方が手取りは増えます。
 組合を今失くすと、組合潰しと睨まれて二の足を踏む経営者もいますし、何のための春闘か団体交渉かとか言われますが無くても賃上げ、ベースアップが無くなるわけではありません。

 結論、春闘など闘争してるふり、アリバイつくりの出来レースです。プロレスのようなもので、決め事と結果の決まったものです。

 日本の組合が酷い、要らないと考えるのは、「御用組合になっている」「専従員など労働貴族を産む」の2点です。専従幹部はやがて上部団体に成り上がり、政治や経営に関わるのです。組合費の大部分は彼らの給料と上納金です。現場で働きもせず、幹部に戻ったり、上部団体へ行ったりです。そしてろくでもない(失礼)政党への投票を強要しています。政治への参加強要などは本来の活動とは大きくかけ離れます。

 本来やるべき組合の活動は、コンプライアンス委員会やハラスメント委員会、公益通報などもう多くの職場で仕組みはできています。ブラック企業はというと、組合があってもなくてもブラックなのです。

 こんな必要のないものは、官民一体の声で無くしましょう。
 連合なんて、日本から無くなった方がいいに決まっています。
脱退が可能な人、企業はもちろん脱退すべきですし、経営者も組合員層のメリットを示し、組合は廃止の選択をとるべきです。関係の無い人も少なくとも組合関係の推す政党は支持しないで消滅させるのです。

大規模な立ち退きはもうできない時代か

 名古屋の100メートル道路と言われる久屋大通、若宮大通は有名です。焼け野原になった戦災からの復興で当時の市が強力なリーダーシップで、都市の美化、防災、産業の発展を企図して計画されできたと聞きます。
 写真は京都の堀川五条の交差点です。私が済む京都市内は細い路地や、クルマの行き違いも難しいため碁盤の目の道路の細い道は一方通行が多いですが、時折広い道もあります。堀川通、御池通、五条通などは戦時中に空襲の延焼を防ぐため家屋疎開をさせて拡張したものもあり、戦後まもなく都市計画で区画整理、拡張整備されました。新丸太町通りと言われる丸太町通りの市内西部の部分は、大地主私有の田畑だった土地をもらい受け、東西の道では珍しい幅の広い両側2車線道路です。
 こういった広い道路を作ることのできる土地も最近は住宅が増え、所有者が細分化し、国や自治体も無理強いがしにくくなり再開発は計画しても頓挫したり、時間がかかることが増えました。

 私の近所も狭い、危険な交差点を含む地点、学童の通学路や危険なバス停などのある個所が、拡張の計画が発表されても反対にあい実現しませんでした。

 そのあたりを、最近では例外的にパワハラでも強引に駅前開発をやった当時の明石市長、今テレビにもよく出ている泉房穂はやって乗っけました。市民全体、市の未来を考えての協力なリーダーシップと言えます。

 写真の京都市内の五条通なども戦時中に強制疎開させられ、南側の町家はごく短い変な間取りになっています。私の実家のあった堀川通も近所の方が強制的に移転させられ、西側に移ってきた話を聞きます。

 今はそう簡単に移る土地もないですし、「区画整理」で簡単に立ち退いてく貰う交渉などかなり難しい時代でしょう。そういう面では広い道路、高速も鉄道も作るコストは上がっていますし、シールドトンネルの大深度公報でも、技術的にか可能でも、地下水や陥没、残土なども問題ですし、都市計画も難しい時代です。

人権が重要な時代ではありますが、進めるべき都市計画が頓挫するのは行政の怠慢とも言われても仕方ありません。泉さんではないですが、怒鳴りたくなるのは利便を待っていた納税者たる市民でもあります。

 行政のリーダーシップの必要性は、国土全体の強靭化や防災や交通体系の整備にも顕著です。都市部と地方の格差、限界集落の問題も私はもう少し力強く迅速に進めないと、無駄とは言えないですが効率の悪い税金が長く垂れ流されます。水道管や電線は住民がいればずっと整備し続けないといけないのですが、多くの住民がいる都市部でさえ予算的な限界がきています。

 人権ももちろんですが、かつて日本の国土、その町の拡張のため、涙を呑んで立ち退いた人にとっては、今ウダウダ文句をいって居座れば何も進まない現状はどうなのでしょう。このまま、人は減り税金はどんどん上がり、あちこちで道路が陥没し、日本が沈んでいくのを眺めるだけでしょうか。あるいは小さい交差点でも危険が放置され、事故で亡くなる生命があるのかもしれません。

 AIが進化して、結論は出ていることはあるはずです。人権擁護ではなく、多数の利益のためには、力業で動かさないとどうしようもないほど追い込まれているのです。

 リニアや整備新幹線の問題も、ずっと前から決まったことが、政治家が選挙のため市民の顔色を窺いウダウダと逆戻りして、停滞している内のどんどん着工中でも税金が垂れ流され、便益の時期は遅れ、投資回収は減ります。補償すべき点はかぶるが、国土の改造のため「すぐやる」かもしくは「すぐやめる」かなのです。
 利害のからむ人は賛成か反対かに必ずなるし、専門家でも当事者でもないアナリストが、そんな討論にウダウダ面白がって参戦しても、何の利益も産まないのです。

公務員なら37年も続けられなかっただろう

 会社時代の上司が、年賀状に「前立腺がんで4カ月半入院した」と記されていました。電話をしてみると。大変感謝され懐かしがられました。
 しかし、まあ若くして切れ者の本社エリートから関西地区の総責任者となり社長候補の一人とまで言われた方でしたが、声や話の内容はさすがに老いた高齢者のものでした。
 10年ぐらいの先輩やそれ以上の方は、激務をこなしながらも60歳で定年で少し楽な延長をして優雅にリタイアされている方が多いです。この上司の場合は職階も上ですが、10年くらい上の世代になると、退職金や年金の額も違いますし、関連会社も含め、終身一企業でしか働いていない方が多いです。

 平均寿命も違いますが、先輩方も定年後優雅な年金生活と思われても、楽しむ期間は意外に短く、鬼籍に入られたとか、患われている方もよく聞きます。

 65歳にして、「裁判所でフルタイム事務官やってます」などと言うと、驚くあきれられる反応がよくあります。

 私の場合60歳で、再雇用は選ばす民間企業を定年で退職しました。同年代にも、そのまま勤め無い人もおれば、再雇用の道(役員や、定年なしの会社の人も含む)を選んだ人もいます。私は65歳の今の年度まで5年別の仕事で働いたことになります。
 アルバイト含め、こういう働き方の人もいます。もちろん、自営業など、まだまだ働いている人もいますが。大学を出て37年の60歳、42年の65歳区切りをつけた方は多いでしょう。
 42年同じ会社という方にも尊敬と驚きに値しますし、その方はそれが当たり前と卒業されたのでしょう。
 私が37年で定年でも、いい加減長い間という感じでした。プラス、5年の中で今は裁判所公務員の2年目です、年金事務所も公的機関なのでみなし公務員とも言えます。37年民間企業で5年公務員のようなものです。

 公務員的難しさ、楽さや良い面もありますが、大卒でそのまんま公務員だったら37年は勤まらなかったとは思います。今やってみて公務の新鮮さと面白さ、合っている面もありますが、やはり長くは無理です。飽きます。高校、大学時代からもっと勉強して官僚とか裁判官とか検事、公立施設の仕事とか目指すなどというのは、も生まれ変わっても間違っても選びはしないでしょう。

 民間企業だって、大手とは名ばかりでカネボウという会社はブラックで入社した時からもう経営は傾き破綻の道でバブル時代の恩恵もありません。公務員よりは賞与も給料も少ない時代が長かったですし、倒産しそうになり賞与が止まり、給料一律減額という時もありました。
 それでもやはり自分は企業で売上を伸ばすためとか、企業業績のために、いろいろブランドやマーケティングを身につけて、提案のスキルを磨き、仕事してきたのが一番性に合って、輝いていたとは自負しています。

 でも人生はいろいろです。この年になって公務を選んだ人と、出会い関わったことは本当に良い経験でした。
 今年は66歳を迎えます。健康寿命というといろいろ考えないといけないですが、これからも何が起こるのか楽しみです。

「逃亡」「争議」から「バレーボール」近代日本を担った産業とは

 年末年始、少し休みも長いので、多読乱読しようと、いくつか目を引いて手に取った本を買ったり、借りたりしました。

 なぜ、東京なのかというとあまり意味はないのですが、あえて薄い線でいうとべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜つながりの江戸でしょうか。
 実は、この本の第Ⅱ部第6章において40ページ弱も割いて「女工たちは語ることができるか」と題して、紡績工場とそこで働く女性労働者のことが書いてありました。

 退職直後なので5年ほど前に、カネボウの昔を調べ、創作をしようとして紡績工場の労働実態を調べようとしたことがあったのですが、現代文で書かれた物が少なく難解でお手上げでした。
 その時、あたった文献も含め、平たく、鐘紡も含めた紡績工場の女工とその労務管理について書いてあります。

 日本の近代化への道を支えた紡績、繊維産業がその成り立ちからより理解しやすくなっていますし、東京綿商社という鐘紡の前身が他の工場とともに墨田川べりに当時としては大規模な工業地帯を形成していた時代があったのです。

 当初、士族の娘が、女工についたのですが、工業化と社会の変化で女中奉公も減り、女性の働き口として人数も求められて、大規模化し組織化して、過酷な労務管理下におかれます。

 逃亡や脱走もあった中、「虐待」など過酷なものもあったようです。やがて労働争議という問題も出だします。鐘淵紡績は武藤山治社長の時代に、労使協調路線を先駆けて打ちだし、労働者の待遇改善、福利厚生に取り組み、民間企業では日本初の年金制度も取り入れました。
 大正中期には、各地の工場が、女学校の寄宿舎ぐらいの団欒とした集団生活で規範もでき、教育や娯楽も備えて、何年かすると嫁入り支度が整うか、監督や主任職に回るキャリアができていました。
 その娯楽のひとつに「バレーボール」もありました。当初は設備もコーチも整った裕福な子女の通う高等女学校の強かった競技が、やがて紡績工場の強豪チームが主役となります。戦後の高度経済成長期までをリードした繊維産業、紡績工場のチームが東京オリンピックも主力だったのはうなづけます。
 男性の過酷労働は、鉄鋼や化学工場や炭鉱労働などこれまたさらに体力を要し、危険なものが沢山あり、それらももちろん日本の近代化を支えました。鉱山労働の方の年金制度も早い段階で危険なものと認定され、手厚く進められました。

 戦後と簡単に括りがちですが、東京や大阪のビル群や洒落た街並みも50年ほどさかのぼると泥臭い工場だったのです。日本は、そういう汗と泥の中から、発展したのです。

高度経済成長の日本をリードした紡績会社 ユニチカも繊維から撤退

 昨日、大日本紡績→ニチボウ→ユニチカと名前を変えた会社が大幅な収支改善のため、経営陣の交替と、繊維事業からの撤退がニュースで流れました。 1964年東京オリンピック、女子バレーボールで金メダルをとったニチボウ貝塚の選手や、同様に2005年に繊維か撤退したナレとともに懐かしいカネボウ長浜工場に在りし日の映像も流れました。

 2005年当時、カネボウの解体を知る身には懐かしくも切ない感慨と、遡れば日本の時代の流れを感じます。

これは1962年の十代紡と言われた天然繊維、綿紡績会社の標章、看板か新聞公告のようなもののようです。三大紡が鐘紡、東洋紡、大日紡と言われることもあります。

 日本の近代化を支え、戦後間もない頃まで日本の復興を支えたのは綿紡績で、繊維産業がその工場の女子労働者の汗水たらした力によるものでした。

 103万円の壁や、在職老齢年金の問題、兵庫県知事選のSNSでの公選法違反疑惑など書きたい内容も多い中、テレビメディアもいつかは、完全にネットの下になり、こんな感じで、2024年のキー局とか懐かしまれる時代がくるかもしれまえん。

 栄華を極めて、各県にも次々に系列局を増やしたテレビ局も、もう広告料でネットに負けました。それだけ、誰もみていない儲からない業界になっているのです。そのベンチャーやIT企業も競争も変遷も激しく、早くも初期の勝ち組は衰退している場合が増えています、

 産業で見る時代の変化は面白いです。今の若い人は40年50年、勤め上げる業界を探すのは難しいでしょう、それは昔も今もそう変わりません。

社員を大切にする企業は価値がある

 いまだに、業界や業種、職種、企業によってブラックやグレーの待遇のところがあるようです。雇用のありかた、労働管理面でグレーゾーンの多い、営業や流通業は働らきかたとして厳しい業界ですし、感じようではブラックでしょう。
 店舗を構えるということは、土日祝日休みの週休二日とはそうそういきません。それだけをとってもなかなか辛い人がいるでしょうし、ライフイベントの多い子育てなども大変です。
 私もメーカーに勤めた転勤族で、営業畑も長く、GMSなどのスーパー、ドラッグストア、ホームセンターなどを取引相手にしていましたし、名だたる企業の幹部、バイヤーもお相手しました。

 それぞれの企業に特徴があり、ダイエーやマイカル、そごう、ヤオハンなどが消えたのも分かる気がします。逆に、ローカルだった平和堂、イズミが生き残って地域の雄となり、全国区に負けていません。これら残った企業も、決してホワイトではないところも見てきていますし、ジャスコなども公私とも知っている人が多いですが、本当に生き残るのが大変な企業だと思い見ていましたし、イオンリテールとか、イオンスタイルとこじゃれた名前にしても、グレーさは変わりません。それでも生き残る企業はどこか人をうまく働かせる魅力があるのでしょう。

 ギリギリの線ですが、イオンは従業員や、取引先に対しても違法ではないですが、冷たく厳しいと感じます。ビジネスだから当たり前なのです。しかしライバルのイトーヨーカドー、私はよきアイワイといっていたセブン&Iグループは人の部分に負荷をかけず、優しい面があります。
 よく比較されるBIG2で、今はコンビニ中心の収益のアイワイ(セブンアンドアイ)と、大型モールのデベロッパーのイオンで実は比べにくいのですが、収益力や企業価値としてはアイワイが倍ぐらい優れているのです。
 この差も何となくわかります。アイワイはコンビニ以外に、人や手間と場所を使った商売をもうしないのです。本質的にブラックでないのです。
 つまらないことですが、イトーヨーカドーの社食の美味しいことは定評がありました。それに比べて、ひどかったのはダイエーでした。中内氏を評価する声も一部は残りますが、まず人を人を思わない扱いで時代遅れでした。
 そのダイエー、マイカルを吸収したイオンはまだやはり、規模と売上に拘り、人には優しくないのです。それは商品やサービスの細かいところに現れています。
 それでも一方の雄として生き残る、その雑さや人間味が全く嫌いでもありません。何より多くの地域にモールを作り、地域の経済や雇用を支えている。そんな中で魅力的な人やサービスが生まれることもあるから不思議なものです。

イオンのこと 働く女性と結婚 – 天使の星座

営業の倫理 残念なスクープ

 政治やドラマ、10月での半期、季節の替わりなどいろいろ語りたかったのですが、ちょっと最新のニュースで気になったものです。

 共同通信系の新聞に掲載されたスクープですが、
【ドラッグストアを展開する「スギ薬局」が、不適切な免税販売があったとして、名古屋国税局から2023年2月期までの5年間で消費税計約7億円の申告漏れを指摘されていたことが28日、スギホールディングス(HD)への取材で分かった。追徴税額は重加算税を含め8億5千万円。既に修正申告を済ませたとしている。
 スギHDによると、消費税の免税要件を満たさない外国人への販売や、本人確認時の誓約書の管理が不十分なケースが確認された】

 修正申告をしたとは言え、8億5千万とは大金です。ぼろ儲けしているのかもしれませんが、メーカーのわりと大きなブランドの売上に匹敵する金額です。スギも化粧品メーカー勤務時代から、副社長はじめ良く知る企業で、化粧品の社員教育などにも熱心だっただけに、報道に接し複雑な思いです。

 メーカー時代にもあった葛藤ですが、営業などはどうしても売上の金額、コストを差し引いた利益の短期的近視眼で評価されます。
 メーカーにとっては返品さえされなければ、流通に商品が渡ればそこで実績が上がります。現場の販売員でも、目の前で商品がレジを通る金額が大きいほど、自分の評価は上がります。それが丁寧に接客した積み重ねの1万円であろうが、転売ヤーが上手く金額を小分けした10万円✖10であろうと、遠目にはわかりません。

 私がドン・キホーテという深夜早朝含む24時間営業の店を持つ企業を受け持っていた時も、大阪ミナミの道頓堀などで、当時シートマスクや酵素洗顔が外国人の爆買いが始まった時代でした。

 万引きさえされずに、混雑や人目の少ない深夜にうまく品物をバックから、顧客に渡せば売上は青天井に上がることを分かっていた者がいました。独身で夜の時間に融通が利き、それなりに自分や担当部署の営業数字を上げたい知恵なのですが、深夜出勤ということもひっかりました。それとやはり、転売の疑いというモラルの問題も大ありです。

 私はその者を許容し、評価する上司とは意見が真っ向から食い違いました。昼間一日、百貨店で丁寧に接客しようが、POPの工夫をしようが何日もかかっても作れない売上金額を一晩の2時間ぐらいで叩きだすのです。賛否が分かれるのも当然で、私の意見は当時やっかみのようにとらえられました。

 しかし、そんなものがいつまでも許される時代ではないです。それ以前からの取引先に在庫を抱えさせる押し込み商法と何ら変わらないモラルでは、長期的な営業の力も、ブランドの育成もできないのです。

 スギ薬局の報道を見て、ふとそんな少し昔の話を思い出しました。

 人間の運命とはそれなり不公平にもできていて、運不運で実力や努力が評価されないときの方が多いです。それでも自分が頑張ったのかズルいことをしたのかは自己評価できます。時間が経てば、案外不公平はないことがあります。