大阪阿倍野

大阪市の南部、天王寺区や阿倍野区あたりは、京都からはめったに行かないエリアでした。いわゆるキタ、梅田周辺が主に遊ぶ地域で、せいぜいミナミ心斎橋や難波あたりまで最も遠い印象でした。
最初に赴任した大阪は8つに分割された大阪府の第一南ということで天王寺から一つ南の昭和町という駅でした。最初は堺市上野芝の寮から通い、その後阿倍野区のマンションに移りました。
会社と住まいの往復が主で、休日は京都に戻ることも多かったのであまり周辺部を散策していませんでした。
先日、初めて堺と天王寺を結ぶ阪堺電車を完乗しました。近くにいたのは1年くらいですが乗車はおろか見てもいなったです。
恵美須町駅や恵美須町駅や新今宮駅前は、大阪で最もデンジャラスな駅。ホームは夜は、「家なき人」の塒となり、少し酸っぱい汗と、独特の匂いがします。
朝になると、いつの間にか夜を過ごした人はいなくなります。
路面区間の多い1両編成のチンチン電車ですが、下町情緒たっぷりでなかなか面白いところです。

「いってらっしゃい」

独り身の方には申し訳ない話です。
時々、近所の新しいマンションで通勤時に見掛けるサラリーマン男性、出かける際に自宅を振り返って手を振ります。そこには愛児を抱えた奥様が微笑み手を振っています。
微笑ましい光景です。
私もあんな時代があったかな。
まあ、今もあそこまでは無く大した会話も無くなりました。でも、帰れば食事も風呂も用意され、掃除や洗濯もしてくれています。いろいろ細かいことを怒られ、陰ではもっと愚痴られてるおでしょうが、「いってらっしゃい」でで出かけて「お帰りなさい」で迎えられる。男女の役割は固定も何もない時代になりまして、こういうことも書きにくいですが、子供二人(男女)それぞれも外で働くようになり、外に出て働く者のへの労いと注意、内を守り、整える者への感謝は大切だと思います。
独り身の人はそれを一人二役でやらないと生活できないので、これもまた気楽な面もあるけれど、本当にお疲れ様です。

災害があっても住み続ける人はいる

お盆前後に気象が大荒れ、台風も来た上に、大雨で全国的に被害も出ました。
コロナばかり警戒して結局まだコロナで死者を出していない地方の小さな市や町が台風や大雨では死者を出してしまっています。
皮肉な運命というか、あらためて日本を見渡すと土砂災害や洪水、津波、地震まで含めると災害に遭わない地域を見つけるのが難しいぐらいだと感じました。

それでも人は生まれ育ち慣れ親しんだ土地を離れたがらないものです。
都会がなんで揃って、仕事もあり人にもいっぱい会えるはずでも、お年寄りをはじめ地元に執着される方はいます。
転勤でいろんな県の地元採用の営業や美容部員さんと仕事をしました。島嶼が地元という人もいました。宮城県の地元の人、石巻のそれこそ震災でどうなったかわからない街の人が、離島にいる母が本土に戻ってきてくれないと嘆いていた。

石巻でさえ、仙台からみても東京や京都から見ても相当に田舎なのにである。
近い将来、少子高齢化、インフラの老朽化、温暖化での気象や地質の変化で、限界集落のライフラインを自治体はいつまでも維持できない可能性があります。
でもその人が語っていた母の話を思い出すと、こじゃれた高齢者向き住宅やアパートを用意しても無理なのは判ります。
空気だったり、自然だったり、言葉だったり、そこにいる自分も含めた人間がそこにいないとダメという感覚なのでしょうか。
住み辛いエリアが増える日本で一つの課題です。

立秋過ぎ、残暑お見舞い申し上げます

残暑お見舞い申し上げます。オリンピックの喧騒がやっと終わって、気が付けば立秋過ぎてました。二十四節気と季節感の合わない代表格です。まだまだ暑い、最高気温更新もありえる時期です。
普段SNSばかりなんですが、昨年より年に何枚かは手書きの残暑見舞いを書いております。漢字書かないと本当に衰えますね。世の中がこんな時代、いろいろ不安や焦り、怒り、妬み、マイナスの感情がどんどん湧きますが何とかコントロールしたいものです。季節の変わり目にふっと目線を変えてこだわりから脱しましょう。
まだまだ暑いですが、熱中症にも感染症にも負けないよう、しっかり食べて寝て運動して免疫力つけて乗り切りましょう。

原爆を落とす日 「いつか、、、」#つかこうへい

光文社

今年もクソ暑い8月の上旬、太平洋戦争の末期、米軍が日本に原爆を落としたことを振り返る日々が来ました。
私ももはや若い人から見れば戦中はにも見えるような年寄りですが、1959年の高度成長期生まれで、戦争は語り継がれたものです。
大学時代に演劇を志したこともあり、1980年代同世代の演劇人にとっては「つかこうへい」は時代を代表する大きなインパクトある演出家、脚本家でした。1948年生まれで戦後派です。
当時小劇場、アングラ演劇は唐十郎や寺山修司等に代表され「胎内回帰」とかシュールで暗く難解なイメージでしたが、アングラ第二世代と言われた「つか」の舞台は、明るくおふざけの多いアクションあり、マシンガントークで畳みかけるコミカルでハイテンポで、派手なアクションやダンスも取り入れた時もあり、その中に深いテーマを盛り込んだ舞台でした。
「蒲田行進曲」の映画化ヒット等で一時期つかは時代の寵児ともいえるくらいの人気を博します。今でいう三谷幸喜ぐらいの売れっ子でした。この影響で野田秀樹、鴻上尚史等も続々と現れ、若い世代に演劇が根ずくことになります。今は硬派の作品や、人気のあった舞台の本しか残ってない感じですが、当時角川書店やらいろいろエッセイ本等玉石混淆で沢山出てました。
「広島に原爆を落とす日」は「戦争で死ねなかったお父さんのために」に続く戦争をテーマにした作品で、戦中の設定は初めてのものです。正式な戯曲、脚本がなく毎回、口立てで変化するのが特徴のつかの演劇です。逆に初期と後期では全く変異しています。
得意のギャグの多いハイテンポなトークの中に、カミングアウトしたつか自身を投影した朝鮮人の主人公が代表的な後期の作品です。いろいろな政治的要素、差別等の社会問題が入りながらも日本人女性との悲しい愛を描くところに力点が置かれているのは一貫したこの演出家の姿です。
原爆の日の追悼にはやや斜めからの視点かと思いましたが、どうも今は当時のイメージ以上につかこうへいの硬派な部分が残り伝わっているのかなと思います。
それでも切ない愛があり、笑いがあり、争いや大きな悲劇を起こしてしまうのが人間の性なのだと描いていると思います。
原爆を非難する人、核兵器を容認する人、無視する人「8月6日にはそんなことちゃんと考えておけよ、日本人なら」とつかこうへいは言い放ったそうです。
戦後間もない九州に在日として育ったつかの少年時代の苦しみは想像しきれません。それをユーモアとエネルギー溢れる舞台にして一時代を駆け抜けた姿はかっこいいに尽きます
今、世界のさまざまな人種のアスリートが東京に集っていますが、差別や格差、内戦、飢餓はまだまだ世界中にあるようです。
金 峰雄(キム・ボンウン、 朝鮮語: 김봉웅 )が、ペンネーム「いつか公平に」に託した

青春の旅2021

コロナ禍で猛暑も続き何かと気持ちも落ち着きません。昨年は昨年は自粛した青春18きっぷでのローカル線散歩、今年はプチ旅に行きます。
すでに2回使用して元はとっていますので、あと3回は気ままにローカル私鉄、3セクへのアクセスにも使います。
感染対策をとって閑散のローカル、廃線を中心とする予定です。
それなり青春18や撮り鉄等の密も避けたいと思います。
私は眺望もですが。前面展望でいうとやはり架線のない非電化単線、少し草の生えたローカル線が好きです。
不要不急の外出の典型のような青春の旅で、状況により中止はします。しかしいくつになっても旅はあきらめないというスタンスは貫きます。
コロナの感染者数は増えていますが、悪いことばかりではない確実に抗体を持っている人は増えていると思います。
まあ還暦すぎた年齢だと、お金のある方はリゾート地にゆったりと、移動も高級車やエグゼクティブクラスでという人もいるでしょう。私もリゾートホテルやグリーン車が嫌いなわけではないです。しかし青春18のルールの制約を守る知的ゲームの面と、普通座席で出会える光景がまた良さがあり、捨てがたい魅力に取りつかれる訳です。
実はすでに九頭竜湖線(越美北線)と紀勢本線行きました。

世代交代

1年遅れでやっと開催されたオリンピック。すでにいくつかのドラマが生まれる一方。
この五輪を最後に現役第一線を退くことを発表したり、まあ事実上3年後のパリは無理そうなレジェンドも多いです。東京が地元開催ということで現役にしがみついた方も多かったでしょう。
プロ野球も松坂大輔が今季限りで引退発表。メジャー帰国後は影が薄かったですが、平成の怪物と言われた日本のエースでした。その後を継いだ田中将大もベテランの域で、メジャーの人気は大谷翔平です。
こんな話で世代交代を書いてると若い人から見れば年配、年寄り、高齢者なんでしょう。
俳優さんでももう若い頃から見てると、ああ老けたなあと思う以上に書いてる本人は老けてるのでしょうが。
1年のずれで今年はサイクルが違いなすが4年に一度の五輪はいろいろ振り返るのにいい年だと思います。
生徒や学生の時期は学年に左右されますが、若い時期は4年ごとのマイルストーンをひとつ目標を定めて進めることもいいと思います。
制度や法律、社会の変化が少しあり、自分の立場も変わるのが4年のサイクルです。
もちろん、年齢を重ねると出世や増収だけでなく、マイナスの時期も来ます。引き際、フェイドアウトも考える時期も誰にも来ます。
勇退する時の言葉等は参考になります。

平成ウルトラマンさえリメイクされ令和のウルトラマンへ

ウルトラマンが誕生して今年は55周年だそうです。私が子供の頃、ウルトラQに続いてカラーとなって巨大ヒーローや怪獣退治の戦隊が登場する特撮番組に胸躍ったものです。
初代ウルトラマン、それに続くウルトラセブン、その怪獣ゼットンやバルタン星人等のキャラクターも商売上手な親会社になった円谷プロがいろんな映像や商品タイアップで今でもよく見かけます。
55年なので、3世代、3元号を跨いでプロデュースもマーケティングもされています。昭和の最後が予算不足でレオや80で息切れして終わった後、単発や海外制作、アニメ等の時代を経て平成ウルトラマンという初代のからのウルトラマンと一線を引いたシリーズが産まれます。ティガ、ダイナ、ガイヤと続きコスモス等に続きます。私の子供は平成シリーズをビデオで見てコスモスをリアルで見た世代です。その子ももう成人で子供向け特撮は卒業してます。
ウルトラマンティガに始まる平成シリーズは、仮面ライダーの平成ライダー「クウガ」と並びよくできたエポック的作品です。
ティガの高評価でシリーズの継続が確定して今に至ります。
そしてそのティガが令和でリメイクされて、現在放映の「ウルトラマントリガー」となっているのですからもう時代の変遷はスゴイです。
これまでの平成シリーズにもマックスやメビウス以降さんざん大人が懐かしむような怪獣の再登場、エピソードの続編等も良く作られました。そして最近はもう過去の全ウルトラマンの力を借りるアイテム、その子孫たちも主役で登場して盛りだくさんです。特撮を見て育った優秀な作家や脚本家が本を書いてなかなかいい出来のモノも多かったです。
こんな時代がくるとはあのとき、昭和41年のガキには思いもよらなかったことです。当時の最新鋭の通信はさすがに今は当たり前です。

セミの短い命に思うこと

毎朝、セミの鳴き声がうるさいという人もおられます。
セミの成虫期間は短く、まあほっといてあげればとも思います。セミは地中生活が長く、飼育も難しい昆虫なので分かっていないことや誤解されていることも多いです。
成虫の命は1週間と言われていて「八日目の蝉」という小説がありましたが、実は成虫はもう少し長生きなのが知られてきました。元々発声、生殖するのに数日かかり最短でも2週間どうやら1か月くらい生きる者もいるようです。
これは飼ったセミが1週間程度で必ず死んでいたことから生じた誤解ですね。
まあそれにしても「不完全変態」とはいえ幼虫の地味さに比べ、成虫の時期はイベントでしょう。
地中に5年以上雌伏して、日の当たるのが長くて1カ月程度というのは、人間の目からは哀れに思えます。もちろんセミは哀れも、喜怒哀楽も四苦八苦も煩悩もないでしょうが。
ただメスを呼ぶための発声機能と飛翔と生殖の力だけを備えたシンプルに身体構造は進化しきったものと言えるでしょう。意外と多くの仲間が環境に適応して生き残っている凡虫ともうべき多数派です。
仏教の輪廻転生を信じるなら、いつかセミの一生にも巡り合うのでしょうか。
シンプルに解脱、断捨離しきった生き方なのかもしれません。

一番熱い時期は過ぎた

日本の夏で一番暑いと思うのは、梅雨明け10日間だと個人的には思います。
最高気温そのものではなく。日射時間、湿度や体感も含めて8月上旬まででしょう。
暑さの最大のピークはもうすぐ過ぎるように思います。
日の入りがやや早くなり、夕方はジリジリくる日光も早く和らぎます。
まだまだ夏の日は続きますが、セミの鳴き声もいつかピークは過ぎます。
秋の虫も動き出します。
もちろん夏バテ、熱中症はまだまだ警戒が必要です。コロナよりこの時期怖いと言うよりも、トータルでの健康管理、安全管理なのです。疲れた身体には感染に対して免疫力も弱くなります。夏には風邪は引きにくいですが、かからないわけではありません。冷房や寝冷えの対策も含めて、夏の一般的な健康管理とコロナに対する対策は一体です。
まだまだ暑さ+コロナの対策は続きますが、何だかピークは過ぎた感じはあります。もう一息乗り切りましょう。