【麦秋至】緑色だが「青もみじ」森林浴   #麦秋至#森林浴#青もみじ

5月から6月の腫れた日は、青葉が綺麗に目に映えます。【麦秋至】と呼ばれる麦の穂が実る季節でもあります。
日本では青と緑の色の概念上に区別があまりなかったそうで、「青葉」「青ガエル」「アオムシ」「青信号(少し前のタイプ)」等は緑色をしているのに青を冠しています。
紅葉は秋は期間が限定され名勝は混みますが、緑の季節のいわゆる「青もみじ」は比較的ゆったり見れます。
日本は山国、森の国でほとんどの地方で、都会から少しの時間で森林浴が楽しめる森や山に入ることができます。
施設が休業でストレス発散の場が少ないと言われますが、森を歩くことはそうは咎められない癒しだと思います。

かつて戦争のために敷かれた鉄路 廃線跡を歩く  #廃線跡散歩

ややマニアックな趣味なのですが、健康のためのウォーキングを兼ねて廃線を歩くことを趣味としています。
昭和初期の廃線から、最近になっての廃線までいろいろあります。鉄道から、昔の文化や社会を知ることができます。戦争があった時代は鉄道は戦争に利用され、また戦争によってできた鉄道もあります。
平和ボケというのだろうか、飽食の時代に生きているので、水もスイーツも安全も楽に手に入るのが当たり前になっています。少し暑くてコンビニや自販機が見つからないと、いきなり飢餓感を覚えますが。戦中戦後間もなくの日本はこんなんでは無かったと思うと我慢もできます。少し歩けば、何とかなるのが今の日本です。
弾薬を運んだ鉄道の、廃線跡を歩き。戦後も挑戦戦争まで米軍に利用され、自衛隊に戻されてから廃線になったと書かれた碑を見ました。朝鮮戦争のことは、私は生まれる前なので詳しくはありません。日本は補給基地となり、特需により戦後復興で高度経済成長につながったと言われます。分断された朝鮮に比べ、国体をほぼ維持できた日本は幸運だったと思います。またこんな近い隣国での戦争がもし今あったとしたら、リアルな戦争体験者が多かった昔と比べ、ミサイル等の殺傷力も上がり危機感、恐怖感は強いでしょう。
鉄道は、第二次大戦以降は戦争のロジスティック利用も、長距離移動手段としてもピークは過ぎていきます。欧州やアジアを見ても第二次世界大戦が最後の鉄道を利用した戦争でした。
軍港や戦時おロジスティックで使われた港への鉄道も廃線か存続しても、かつての賑わいはなく、大きなヤードが寂しげな駅も多いです。
戦争はまだ世界のどこかでは苦しんでいる人のいる現実です。そしてつい70年ちょっと前には日本やその周りにも現実としてあった。その賛否は別として、遺産として鉄道の跡から想像することができます。

海外へはいつ行けるのか

コロナ禍、ワクチンで沈静化かと思えば敵もさるもの、変異株で感染力を高めて国によってはまだまだ拡大中です。
国民の過半まで接種を終えれば、イギリスやイスラエルのように収まるとは思われますが、ワクチンやこれからの治療薬開発とともにコロナとの戦いはまだ続きます。
日本に海外からの旅行客が自由に来る、そして日本人が海外に自由に旅ができるのは一体いつごろになるのでしょう。
留学とか、単純に学ぶだけならオンラインでアプリや動画でもできる仕組みはあります。しかし現地の言語や習慣等でリアルに生活を体験しないと身につかないもの経験できないことはあるでしょう。
ワクチンや治療薬、感染対策のグローバル化でコロナを季節性インフルエンザ程度の脅威に抑え込むことがここ1~2年でできるか人類の真価が問われます。
旅行や観光の復活を期します。

仙台国分町の思い出

いわゆるまん延防止法報道ののおかげで、懐かしい仙台国分町の映像がテレビで流れました。管理職の定例会や、バイヤー接待でよく行きました。
祇園や新地の上品さはなく、歌舞伎町やすすきの、宗右衛門町ほど下品でもない盛り場です。
仙台に商品部のあった企業の化粧品バイヤーと、キャバクラかサロンの仕事終えた女の子が飲みに行くような店で朝方まで付き合わされたものです。
そういう女の子の中で、当時働いてたカネボウのケイトという化粧品ブランドのシェアが凄く高かったので、バイヤーさんがなるほどと良く新規取引扱ってもらいました。
しかし、付き合い終わると、空が白む、翌日眠かったという記憶のみです。今ではとても無理、若かったなあと思いだします。

終電繰り上げでは「密」になるのでは

鉄道各社ダイヤ改正で終電繰り上げや列車本数削減が行われ、これといった新型特急も新路線もなく寂しい感じです。
そもそもコロナ禍で経営が苦しいとはいえ、保線管理の労働環境改善まで理由にあげるのは、今に始まったことではないので違和感も感じます。駅や列車の営業される時間が短くなると乗客は限られた時間に集中して「密」になります。首都圏の混雑はテレワークや時差出勤をしてもまだまだ収まりません。
いくら外出を控えている人が増え、深夜営業の飲食が減っても鉄道がサービス業としての使命をおろそかにすることは間違っています。結局、マイカーやタクシー利用されれば環境にも負荷が増え、鉄道離れを起こし自分の会社の首を絞めることなります。深夜の保線や安全作業は夜行列車の激減でかなり緩和はされたはずです。それでも営業していない夜間に作業するのは仕方のないことで、そういった方の労働環境、待遇改善はもとより必須案件です。その中でどのようなサービスが運輸会社で適性なのかを考えていただきたいです。

3.11

言葉は無力な気もします。
冬が終わり、春が来る。
夜が明け一日が始まる。
震災10年、それは変わりません。あの時流した涙、再び流す涙、微笑み。10年、長い時間だったのでしょうか。

【東日本大震災デイケード】岩手県厳美渓、三陸海岸の桜。

写真は記事と関係ありません

震災前、仙台に仕事で赴任して子供が遊び盛りで、あちこち休みにはお出かけ行きました。岩手県は一ノ関に景勝厳美渓には子供とも行って、渓流を挟んだ対岸からロープをはったかごで届ける「カッコウ団子」という名物も食べました。東北の労組とのレクリエーションでも渓流下りをし、この時ご一緒した岩手支社の幹部の方が、3.11で亡くなられました。大した会話は無かったのですがブラックな強面の人が多い中、優しい印象の方でした。関西に戻っていた私はだいぶ後で訃報を聞き絶句しました。津波に慣れてない彼は営業中、海よりの取引先被害を確かめに行ったそうです。三陸海岸、今も桜の季節は、みどりと、青、そして名もない花も頑張って見事なピンクに咲くのでしょう。多くの生き残った方は、亡くなられ方からエールを送られているのかもしれません。

外国人が日本に来れない

コロナ感染対策で国内の非常事態は首都圏を除き緩和されましたが、変異種の問題もあり水際での検疫体制は厳しいままです。
日本人が母国に戻るのにさえ検査証明から2週間の待機、公共交通機関の利用もダメというかなり厳しい制限のままです。外国人の新規入国は基本的に難しい状況です。
オリンピックを前にどこで緩めるのかの判断はかなり高度な難しい判断が求められます。
オリンピック開催の是非と、その際のフェアな運営も大変難易度高いですが、日本と国際社会のつながりはずっと続くわけであり、このまま鎖国のように取り残される訳にもいきません。
ワクチンの普及、治療薬、その他の感染対策これから良い方向に向かい感染は抑えられるのかですが、早く自由な行き来ができる日々が戻るようにと切に願います。

改めて思う新幹線の偉大さ

日本の新幹線は高速で専用軌道を走るためその安全性は優れています。地震や災害に強く、死亡事故もありません。今年2月13日の東北の地震では一部架線がやられましたが10日をかけ全線復旧しました。
やはり日本の鉄道はスゴイと思います。時間はかかりますが在来線で特急車両を使い、臨時快速を入らせ運休中の便宜を図りました。東北本線や常磐線は新幹線開業後はダイヤにゆとりがありました。これも嬉しい配慮です。
東海道新幹線がストップして、特急東海が在来線を快速として特急車両で走るようなものです。東海はエリア3社にまたがる新幹線なのでいろいろ問題は出そうです。それでも高規格複線のかつての大動脈ですからいざとなればもう少し列車は走れます。
逆に東海道ではさらに格上のリニアが中央を走り、立場は変わります。何だか出世レースを見るようです。今まで偉そうにやっていたトップが、取って代わられ中間管理職に格下げのようです。
いずれにせよ日本が世界に誇る高速の乗り物が安全と環境にも配慮した未来型の乗り物となりそのヴェールを脱ぎます。

奥松島5年前

奥松島の真夏の海。多島美ですが、過疎や無人の島でもちろん津波によって被害もあり施設が修復されても人口は減り、少子高齢の波が次は襲っています。
でも、防潮堤を築いたり、たくましく生きていく島民の姿に都会人にはないエナジーも感じました。
過疎の島に未来はあるのか。そんな深い悩みも吹き飛ばす感じで、小さな船が毎日活気あふれるエンジン音で荷物と人を運んでいました。