大雪でトラブルから、JR西日本は変わるのか

 JR西日本で1月に京都地区で大雪のトラブルで新快速が止まり1500人以上が閉じ込められる案件がありました。実際1月末にこのブログでも取り上げ、JRにも直接投稿して改善するとの返事ももらいました。
 少し時間は経ちましたが先日、JR西日本京都線と並走する阪急京都線が人身事故で2日続けて、朝の通勤時に不通となりJRに代替輸送のお客が流れ大混雑となりました。私は直接乗っていないので聞いてはいませんが、混雑した車内で車掌が案内とお詫び、朝からの混雑で一日の体調と精神状態を気遣った良いアナウンスをしてくれたそうです。阪急からの振り替え客も、JRの定期客も朝から救われるような内容だったと、同僚が話していました。
 災害時でもそうですが、適切な言葉をかけることがどれほど、人の気持ちを和らげるかですね。マニュアルにないから、ダンマリとか決まったフレーズの繰り返しではなく、温かみのある言葉に人は感動するのです。
 お客様の気持ち、接客するには基本中の基本です、

お客様ファーストではないJR西日本に失望

なんともささやかな年金生活者支援給付金

 年金生活者支援給付金は、月額5,000円が基準です。 国民年金を40年 (480カ月)納付した場合は、基準となる5,000円が給付されます。
 国民年金の保険料納付期間や免除期間などによって給付される金額は異なってくるため、それぞれの受給者の納付期間や免除期間などを基にして金額を計算します。
 異なってくると書かれていますが5000円が上限で、納付期間が短くなれば減額されるだけで、微々たるものになります。お年寄りが寄って話をされ、年金を月6万5千円貰えていた人は5000円プラス、期間が短く4万円しか貰えていなかった人は3000円ぐらいしかプラスにならない中途半端な給付です。
 以下厚労省、年金機構HPより 抜粋 要約
 対象となる方は、年金生活者支援給付金の種類ごとに、以下の支給要件をすべて満たしている方です。老齢年金生活者支援給付金対象者は、65歳以上の老齢基礎年金の受給者である。同一世帯の全員が市町村民税非課税である。前年の公的年金等の収入金額とその他の所得との合計額が881,200円以下です。781,200円を超え881,200円以下である方には、正式には「補足的老齢年金生活者支援給付金」が支給されます。障害年金生活者支援給付金 遺族年金生活者支援給付金はこの所得が4,721,000円以下となり、国内居住が必須です。

 要するに国民年金だけで生活している非課税世帯に対し、令和元年以降消費税率アップに対して給付している措置です。年金とは別建てで振り込まれています。しかし、煩雑な説明の割には厚生年金が少し入っているだけでもほぼ対象外となり、いったいどれだけの人を救っているのかというと大いに疑問です。年金の物価に比例してのマクロスライドは対応が遅く、率も減らされています。
 「隣の爺さんは5000円貰えたので、彼より年金の少ない私も5000円かと思うと3000円」ではがっくりです。さらに年金の少ない人はもっと少ない額が計算されやはり年金と別建てで入金されます。千円を切る人もいます。こんなものは何か意味が解らないし、感謝も何もない人ばかりでしょう。

 国民年金の満額受給者でも、年金だけで生活できず、家族の扶養や、自営や高齢者雇用で働いていたりでやはり条件で対象外になるケースも多いです。肝心のボリュームゾーンの厚生年金期間があり、期間や報酬が少なくカツカツの年金生活者に対しては何の支援もないのです。こんなつまらないいかにも国がやっている的なアリバイ施策、制度に煩雑な計算をして毎年所得と照らし審査して給付しています。受給者も確定申告でもややこしくなるだけです。それならシンプルに一律5000円の方が、お互いに楽でいいに決まっています。

 物価が急騰すれば、高額所得のある年金受給者をのぞいて、一律に年金給付を引き上げ翌年以降で微調整していけば良いのです。食費や光熱費、住居費が上がれば、その都度蓄えの少ない年金生活者は不安におびえます。高齢者施設なども支払いに困るようなことになり、施設の維持が難しくなります。国が自らを貶め、国民を不安にし窮地に落しているような施策は一刻も早く転換すべきです。

運命を背負い、非日常を想像して日常を生きれるか。

 戦後の日本の、政治や、経済、文化などを復興し驚異的に発展させたのはいくつかの要素もありますが、戦争で家族や仲間を失い生き残った人が悲しみを乗り越え、死んでいった人の分まで頑張ったところも多いと思います。
 思想や信条はそれぞれでも、たまたま除隊されたり、命からがら帰国できたり、召集や出陣が延びて生きることができた人が、家族や友人のためにも戦後の発展に尽力されました。そういう実業家、政治家、著名人の話は多いです。

 戦争から時間が経ち、多くの命を奪う最近の事象ではやはり大震災でしょう。そのこと自体があったから全てのきっかけや運命が変わったのではないかもしれません。それまでに日常の中での家族や指導した人々、仲間と培ったものが、非日常の荒波の中で洗い流されて浮き上がったのでしょう。さらに明確に自分の運命、天命を知ったのかもしれません。
 令和の怪物と言われる佐々木朗希投手も、東北岩手の大船渡出身でお父さんを震災で亡くされました。
 その後、プロ野球に進み160キロの剛球を投げ、完全試合を達成したのが、この運命によるものなのかというと、全てそうとは言えないでしょう。それ以前から、そしてそれからの非日常以前以後の、日常における絶え間ない努力の積み重ねがあっての飛躍なのだと思います。
 ひとつの思いとしては、誰もが自分だけ生き残って幸運だと感じつつ、生き残った宿命を考えます。しかし多くの人はなかなか日常の中で強い変革をして、亡くなった人の分まで、人一倍努力するなんてできない人も多いのです。ただ単に俺は才能はないけどラッキーだったとのうのうと生きる人になりがちです。
 生きるとは何か、生かされたとは何か。そう思うとやはり日々ボーッと生きることは振り返ると残念な日々になります。8.15も1.17も3.11もそういう非日常を思い、日常の中でいかに生きるかを考える機会を与えてくれる戒めの日と考えます。

東北の悲劇の後に来る悩み

 やはり今週は3.11を特集した報道や企画番組も多いです。そんな中、鉄道系の旅番組でも、報道特集番組でも東北日本海側3県の海岸の防潮堤が今年度中に98%まで出来上がると言う情報が流れました。一部しか実際には見ていませんが、少し異様なまで堅牢で、1メートル60センチを超え、美しい海岸はなかなか街から見えなくなっています。
 自然破壊も当然進み、生態系にも大きな影響はあるでしょう。
 自然観察、生態系環境変化調査のボランティアに関わりましたが、その観点でいえばあれだけ他の地方から土砂を持ち込むというのはある意味とんでもないことです。それでも緊急事態で、命や生活がかかれば景観や生態系など優先順位は下がります。
 ところが、ある程度予想はありましたが、それ以上に人口は減り、守るべき人の少ない防潮堤が聳え立つ姿は、何だか寂しい限りです。
 それでも人の命を守るものですから、間違っても「どうせ限界集落になるから要らん」とは言えないものでしょう。
 生き残る人であえて町に残る、土地に執着する人への対応はデリケートで難しいものです。生き残った人、守られる町は、運命を背負いつつ普通の生活に戻るだけを所望しているのですが、すでに戻れないのです。
 それでも、運命を受け容れ、、これだけいろいろなことがあっても生きていくことは意味のあることなのでしょう。

【東日本大震災10年】生と死 運命を分けた野蒜駅発205系電車。仙石線の思い出

東日本大震災10年、海岸線ほとんどに防潮堤の是非

大手企業賃上げのニュースから

 コロナ関連のニュースが日によっては、全く取り上げられない日も出だし日常が戻りつつあるのかとも思います。
 3.11が近づくと毎年のように震災を忘れないという報道も増えます。災害も疫病もいつやってくるかはわかりませんが、怯えすぎ怖れすぎも景気を悪くするので難しい問題です。

 政府のぶち上げた賃上げに呼応し、サントリーや自動車会社など大手企業が春闘満額回答でベースアップするというニュースも話題になっています。大きなところはすでに物価手当てなどもフォローしていました。これからどこまでの業界、企業規模に及ぶのかは注目されます。いずれにせよ、厳しい業界や中小企業までは難しいですし、ますます大手や公務員と、中小や自営との格差、あるいは非正規雇用との格差が大きくなるのも否めません。

 元々、大手企業は住宅補助、健康保険など福利厚生面でも給与以上に恵まれた待遇を用意しています。働き甲斐と正比例するかはわかりませんが、一度その差を知ると、同じ職種とかだとやってられない差別感、格差を痛感するはずです。丸ごと大手グループに吸収され、スケールメリットを活かす方策の方がベターなのかとも思います、よく、大阪の中小企業町工場などが注目されますが、技術はどうのこうのというよりも、待遇面で変わらないと人材はいずれにせよ集まらず、未来は見えません。

 日本に中小企業がなくなるとどうなるかというか、いろいろ考えられますが、淘汰されるべきところと、雇用や技術の継承含め、大きな問題が胎動してくるわけです。賃上げは大手からという報道に、日本の新たな変革を予感します。

老いも若きも目の前のことに集中するしかない

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 啓蟄を過ぎ、春分ももうすぐです。厳しい寒さの冬が去って、春が来ても人いよっては花粉やほこりっぽの春が苦手な人もいます。年度末でや異動などで忙しく、仕事や学校の環境変化がイヤな人もいます。
 自殺の増える季節でもあるそうです。
 交通事故や自然災害もいつ出会うかわかりません。死という意味では循環器系の病気や、ヒートショック、餅などの誤飲などの突然死もあります。交通事故や有名人の訃報を見ると「死」は身近に感じられ、死んだらどうなるのかという恐怖にかられる人も多いでしょう。
 煩わしい生きる悩みが少し隠れると、怖い死を意識する時が誰にもあります。
 年齢を問わず、生と死は表裏です。そして死の清算までが、その人の人生になります。

 とか書いて、死が消えるわけでもなく、今を一生懸命目の前のことに集中して大事に生きるしかないのです。

 今まで生きたこと、これから生きること、人と比べても仕方ありません。それぞれに大事な意味があるのです。今日も明日もしっかり目の前のことを頑張って歩いていくのです。

「そうじのおばちゃん」は差別用語?

 今は「おそうじおばさん」などというと職業差別になるのでしょう。
 ビルやオフィスの床やトイレを掃除する人もメンテナンススタッフとか言われます。
 職場でも、このスタッフの方が掃除をしに来てくれています。「キツイ仕事なんやろな。入れ替わり激しいなあ」と同僚と言っていました。隔日交替ですが、男女で女性の方はわりと長いこといますが、男性はよく替わっています。たまに若い方もいますが、概ね年配の方です。女性の方も若くはないですが、別にまだ事務などでも働けるのではと思うぐらいの感じです。男性のトイレもそれほど躊躇いなく清掃されています。
 職業に貴賤はないとは言われますが、最近でも「キツイ、汚い、危険」とか言われる現場の汚れ仕事は低賃金のまま現存します。

 私が小学生の頃、故3代目笑福亭仁鶴さんが唄っていた哀愁ある曲に「おばちゃんのブルース」というのがありました。B面、カップリングの曲ですが、A面よりリクエストが多く良く歌われていました。語りも入った哀愁のあるブルースです。
  
 歌詞は仁鶴さんの作詞です
わたしゃビルのお掃除おばちゃん モップかついで生きてゆく

ひとり息子を自慢のたねに毎日 床を みがくのさ

 おばちゃん おばちゃんがんばってやおばちゃん

(セリフ)「おばちゃん 腰にぶらさげてんのん トランジスタラジオ?ようやる」

 やがて息子は 立派に育ち 

 今じゃ一流    サラリーマン  

 だけど 嫁さんもろうてからは 

 息子は はなれていったのさ  

 おばちゃん おばちゃん 

 がんばってや おばちゃん 

(セリフ)「そら息子が悪い 悪いチャンチャコや ソンナ息子ドツキチャンチャコしたりぃな!」

 息子にゃ 息子の道がある (セリフ)(ナンジャイナ) 

 わたしゃ ひとりであきらめた  

 しぼり足りない 雑巾のように 

 初めて わたしは 泣いたのさ  

 おばちゃん おばちゃん 

 がんばってや おばちゃん 

(セリフ)「おばちゃん、若い時 だんさんと一緒に行水入ってんてな」

 わたしゃビルの お掃除おばちゃん 

 モップかついで 生きてゆく  

 ピカピカ光る 床の様に 

 汚れちゃいない 人生さ 

 おばちゃん おばちゃん 

 がんばってや おばちゃん 

(セリフ)「夕焼け空に おばちゃんの顔 きれいななアー」

  以上 歌詞引用
 

 最後のセリフこそ、少し救われますが、2番以降の展開もなかなか悲しい歌詞です。憂歌団がアレンジした曲は放送禁止になりました。
 こういう差別を封じ込めるような、問題に蓋をするのも何だかと思います。

 今のオフィスやショッピングセンターで見かけるトイレのメンテナンススタッフの方にも、それぞれこういう人生のバックボーンがあるのだろうかと思います。
 潤沢にお金をもって、高等教育を受けられる環境に恵まれれば、就かないのではと思ってしまうのですが、何らかの難しい事情があるのでしょう。そんな目線すら恥ずかしい差別意識かとも思います。
 安易に水商売などに走らず、お金だけではないとも見えてきます。「汚れちゃいない、人生さ」と言い切れる気概を持って仕事をしている人はホワイトカラーの職業の人にどのくらいあるのでしょうか。

フルマラソン健康長寿なのかな

 職場同僚、同級生、見ているテレビのMCなどが軒並み直近開催のマラソンにトライして、ほぼ完走ばかりでした。
 同級生等齢63歳で奮闘には頭が下がります。
 しかしマラソンは健康に良いのでしょうか。
 マラソンが長寿、健康に繋がるかというのは概ねそうなのですが、ケースバイケースでもあり一概には言い切れません。
 こう書くと走れない人間のアマノジャクと言われそうですが、30キロ以上をアスリートでない人が、走ることもは当然場合によっては危険でもあります。

 元々運動不足でメタボ系の人にしても、運動するのに超したことはないですが、いきなりは負担が大きいです。心臓、肺など健康にプラスなのはせいぜい1日2キロのランニング程度で十分です。

 一番怖いのが膝です。マラソンとか長距離のランニングやウォーキング、ハイキングなどで無理をして膝の軟骨や半月板、関節、じん帯などに負担がかかり痛みを伴ってきます。アップダウンの多いコース、特に下りなどで発症すると、日常の歩行にも支障をきたします。

 いつまでも若いと思いこみ、ギリギリまで頑張りたい、前年と同じことはしたいと焦ることで結局墓穴を掘る人がいます。膝は複雑でデリケートな精密機械のようにできています。一度損傷するとなかなか完全に元には戻らず、歩けないことによりメタボをはじめ一気に老化は進みます。
 スポーツしまくる、徹夜で仕事しまくる、旅をしまくる人もそうですが、高齢でも若い人でもいつかどこかのタイミングで身体に無理が利かなくなります。 
 膝の軟骨などは消耗品で長持ちさせるには使わないことです。筋トレで軟骨の周りを鍛えるのは正解ですが、限度があり完全な代替は無理です。ボチボチでも毎日着実にがいい場合もあります。

お笑いと反社

 昨日もR-1というピン芸人のナンバー1を決める番組がありましたが、M-1、キングオブコント、その他漫才大賞など登竜門となる番組、イベントも人気のあるキラーコンテンツです。毎年、巨額の賞金とともに、一気にスターダムののし上がるサクセスストーリーのような物語の魅力と、実際にテンポの良いお笑い、芸術的なものさえありネタの工夫され新鮮です。
 しかし、雰囲気は盛り上がってスターは量産されますが、芸として長く続くのかというと、何となく大御所を取り巻くひな壇芸人クラスの小物が増えて、俳優やMCやコメンテーター、ユーチューバーなどで稼いでいく売名の場にもなっています。

 古典落語も正当的な漫才も関西では正直下火です。笑いの主流はコント的なルッキズムやシチュエーションの面白さになっています。
 芸と呼べる領域かどうかは難しいところです。

 このお金が大きく動き、お笑いが量産される背景には、企図された経営的野心、政治的な思惑があります。多くの世論は結構お笑いの芸人のわかりやすい説明に左右されています。
 過去の時代でも、お笑いが世相風刺や政治批判を堂々とやっていたものですし、逆に権力の政治的な意向に従い、戦争や経済のプロバガンダに芸人が利用されたケースもよくあります。

 才能とお金や権力への欲望、野心をもった者が、反社的な支援を受け、政治のウラ側でも権力と結びつくと、性質の悪いことになります。

 昔の大芸人にも、桂春団治さん、藤山寛美さん、横山やすしさんら強者が大勢いました。昔の人々でも興行ですから、反社との結びつきも今よりアッケラカンで、お酒や金銭、女性関係も酷いものがありました。しかしどこか、権力と結びついてお金を儲けるというよりは、借金まみれで、泥まみれという芸の肥やしにして自らはボロボロという感じでした。今のお笑い界は、大御所が番組を差配し、冠番組を持ち、カースト上位になってイジメやいじりで年収何億というのがもう何十年も続いている状態です。政治と裏の権力とも、結びついています。河原乞食とは程遠い、金満です。潮目が変わったのが、日曜のある報道番組もMCに漫才師が進出した時です。お笑いだから面白ければいいというものですが、何かが昭和とは大きく変わってきています。
 吉本興行というところは戦中は軍部、戦後もGHQ、権力と常に結びつき、裏の世界とつながりながら大きくなってきました。東京にも進出し、あれよあれよという間に多くの局の番組を席捲して、支配的な存在になりました。
 さすがにこれ以上は詳しく書けないです。

 芸としては、楽しめるのですが、お笑い芸人がこれ以上政治に利用され、あるいは利用する側に立ち絡んで欲しくないものです。

 

少子化対策の本質はお金か

 異次元の少子化対策と言われるが、従来から発想の次元が違うようなものはあられていません。
 従来からある児童手当の拡充、保育、教育の無償化、出産手当の増額などのレベルで『異次元』は誇大に聞こえます。

 結婚して子供を作るのが当たり前だった、産めよ増やせよの時代とは比較も難しいですが、やり方次第のところもあるでしょう。
 あれだけ不信があり人気のなかったマイナカードでもいついつまでに取得して、口座や健康保険紐付けで20,000ポイントというと行列ができるのですから、条件とあおりによって何とかなる時代かもしれません。

 結婚して1年以上離婚しないなら何ポイント、出産すれば何ポイント。高等教育までで何ポイント,最終的に成人まで育てた夫婦に生涯ポイントを年金に付加する仕組みなどを、時限的に試す意味はあるかもしれません。

 子供と添い寝し、だっこするだけで癒され、かけがえのない歓びを感じるという、著名人の発言もありました。それはお金に替えがたいという話でした。
 ペットの動画投稿なども、ものすごい再生数になり、そこそこ余裕がある方は子育てではなく、何でも値上がりの中でもペットにはお金を惜しんでいません。そういう面では人間の赤ん坊、子供の可愛さ、愛くるしさをもっと拡散し、訴求することも大きな効果を持つでしょう。いろんな制度ができても、やはり感情、情緒で人間は動きます。

 メディア、教育、あらゆる機会で子供を育てる良さを『見える化』することも大事です。冗談のような話ですが、何かしていかないと日本の未来は明るく開けません。防衛費か子育てかとか不毛の優先順位の議論をしても始まりません。何をおいても日本の未来への全体像を考えてもらわないといけないのです。