音楽や映像の癒し効果 春へ

 JR西日本の人的ミスともいえる雪害による電車閉じ込めに関して、JRにもいろいろ意見を言い返事も貰いました。その後も会見を開き調査や対策を述べられていますが、まだまだ不十分なところもあります。
 素人考えでは、私鉄が走行できているのにと感じ、特に京都~滋賀の路面電車のような京阪京津線に比べ、高規格のJRがなぜという要因に関しては確かにいくつか知り得たJRならではの事情は分かりました。

 それでも、あれだけの長時間、車内の放置したことに対しての説明、大いに不満で対応のまずさ、対策の不足を感じます。

 技術的なことよりも、私が書いたのは待たせている間のアナウンス不足が、不安を増大することです。今度の場合は、人災の部分もあり判断のミスがあるかもしれません。しかし実はこういうことは今後もあり得ますし、地震や台風でもいろんなことが突然来ます。そんな中で、乗務員が多くの乗客をどういう風に安心させるアナウンスをするか。あるいは遠隔でどう対応するか。あらかじめ準備できるものは何か。音楽や映像でも流してヒーリングをすることや、トイレの順番決めを提案したり、ストレッチやツボ押しでも案内することもできる時代です。そういう面では、対応も全くダメでしたし、その後もアイデアも全然ダメ前時代の国鉄レベルです。

 音楽やお笑いぐらい、スマホでパーソナルに見聞きできる時代かもしれませんが、逆に言うと不安や焦燥を和らげるその効果は十分あるのです。 

 緊急事態的な時だからこそ、与えられる音楽などの癒し、不安や不満のガス抜きは効果的です。

 昨日、2月の新年度への複雑な心理を書きましたが、私自身公私忙しく、複雑な思いで落ち込む時、ややベタな音楽やドラマで元気をもらっています。
 今クールのドラマだと、『リバーサルオーケストラ』『女神の教室』といった、青春ものに励まされています。特に『リバーサルオーケストラ』はスカッとします。クラシック音楽そのものにも癒されます。
 ウチの連れあいも音楽畑ですが、私がすごく落ち込んだ時、何気に聞こえてくるピアノに元気づけられます。
 もう二十年以上前に、春の異動で、遠くにあまりいい転勤ではない、要するに泣きたくなるような左遷人事で飛行機に乗りました。まさに飛ばされたと嘆く気持ちで搭乗した座席で、機内で聞く放送から流れていたクラシック『威風堂々』と、最後に切り替えたJPOPのチャンネルで松たか子さんの『明日春が来たら』という曲は今でも覚えています。本当に窓の外の景色とともに感動的にその澄んだ声が響き、よし悩まずに頑張ろうと思いました。
 ついこの間みたいな気もしますが、当時乳飲み子だった長男がもう25歳。松たか子さんもおキレイなままですが、当時20歳そこそこお嬢様的な感じが、今はしっかりした奥様役が似合う45歳くらいというのですから時は流れます。

 気持ちが上がったり下がったりするのは、誰でもいくつになってもあると思うのです。そんな時、気持ちを切り替えられるようなのが音楽かもしれませんし、言葉の力かもしれません。
 JRさんにも自戒を込めて、また多くの人がそうだと思うのです。

 

2月 冬と春が行き交い、新年度への期待と不安が交錯

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 1年で最も日数が少ない2月なので、通常月末から何日前に始まったり、締め切ったりの仕事が前倒しされ慌ただしいところです。流通業など一部2月が決算のところもあれば、3月末の決算のところも決算前の忙しい時期です。
 新年度で職場、学校も含めて、新しい体制、場所へ変わることもそろそろ決まり出し、不安も期待もあるでしょう。未だに進路が決まらない不安もあれば、決まったことへの不満や不安もあるでしょう。

 どんなに年齢を経ても、春は新しい年度の始まりです。日本では新しい年は1月、学年は4月です。1年の計を慎重に見定めて決算するのが3月決算のようにも思えます。2月、3月は確定申告などその意味を含めて、検証の月でもあります。

 三寒四温と、暖かい日と寒い日を繰り返し、日が長くなり、春へと向かう季節でもあります。この寒暖とともに、期待と不安が錯綜し、気持ちが揺れる季節です。

 日本人はこの季節の変わり目を、雪から、梅や桜など自然の情景に重ね合わせて思い起こし、意識することができます。

 寒い地方だと、もうこの氷や雪は永遠に溶けないのではと思うほど、硬く冷たく量も多いのですが、やがていつかは溶けて春になります。その試練が冷たく厳しいほど、泣きたくなるほど哀しいほど、やがて春が来る感動は大きくなります。

 フリーランス、自営、有期契約の立場だと常に年度の不安はつきまといます。私もそんなものです。

 それでも風は冷たく、花粉も舞いますが春は来ます。

中学生の学徒勤労動員で作られていた風船爆弾

 戦中の古い記述をたまたま読んでいると、今中国と米国でもめている気球の原点ともいうべき、旧日本軍の風船爆弾を、勤労動員で作らされ記述がありました。

 実際に風船爆弾は放たれたのは、アメリカ側に近い、東日本の太平洋側に残る地点ですが、各地の紙や紡績、染色なのど工場で、こんにゃく糊を使い、中学生が男女一組で紙を貼り合わせて爆弾の制作に携わりました。60センチ×1メートルの和紙を幾重にも貼り合わせ今の厚手のビニールのような製品を作っていたと回顧されています。
 当時は何を作っているかは知らなったらしいですが、やがて、アメリカまで偏西風でたどり着き山火事などで死傷者も出し戦果をあげた風船爆弾だと知ったそうです。その年の8月にはすっかり制空権をなくした日本は、風船爆弾とは比べ物にならないとてつもない破壊力の新型爆弾を二つの都市に落されます。
 もう鬼籍の方の手記ですが、終戦の前年の2学期から京都の伏見でもこの学徒勤労動員はあったそうです。修学旅行も運動会もカーキ色一色で、英語の授業もない今生きていれば90歳以上の方の、青春を戦争が奪っていた時代が書き残されていました。

 昨日も戦争のことを書きましたが、国が疲弊しきり、子供命さえ危険にさせ、多くの生命を奪われる前もっとできることがあるはずです。
第二次世界大戦の書記、史料を読むとロシア(当時ソ連)の参戦、虐殺その後シベリア抑留など、今のロシアへの恨み骨髄と感じるものも多くあります。ロシア人は悪くないプーチンが悪いんだとはとても思えないような、残虐で非道な暴挙も綴られます。多少はアメリカの占領の影響があるにせよ、ロシアを殲滅したくなり、擁護する意見や助けたくなるなど論外に思えます。
 戦争の終結は難しいのです。相手国を憎む気持ちが強ければ強いほど戦争は終わりません。それでも戦争を始めてしまうと、このような悲劇を繰り返すということでしょうか。

戦争は、賛成反対以前にいつも『停戦』『やめ時が難しい』

 ウクライナの長引くロシア侵攻からの戦争、北朝鮮のミサイルや、中国の台湾や南沙諸島などへの動きが報道されるたび、それ見たことか軍備を拡充しないといけないと語る方向に人がいます。あんな暴挙をするロシアには制裁を強化し、ウクライナを支援しようということです。

 しかし戦争は長引くばかりで、停戦の動きはなかなかです。このまま、さらに戦争が拡大し、停戦がままならずロシアが戦術核を用いたりすれば最悪の道です。

 ウクライナをかつての戦中の日本に重なる人もおられます。
 物資が枯渇し、鉄も砂糖も脂もコメも手に入らないで、田舎に疎開させられ、家は道路の拡充に使われ供出されてしまう。焼け野原になりつつある都市部、それでも絶望的な召集で、武器も戦闘機も不十分で戦地に赴く人々。

 日本もそうでしたが、戦争は戦う双方の国が自分こそ正義だ思っている聖戦です。そう簡単に、停戦を受け容れると、愛国者やその支持者からは轟々たる非難を受けます。戦争をよくぞ止めてくれたとは言われず、何で途中で投げ出すとなります。最後はメンツかもしれませんが、それ以前に戦争のプロバガンダを信じ込まされ洗脳されてしまう人々が大きな問題です。

 影響力の強い人が洗脳されると、集団にも勢いがつき暴走が止まらなくなります。戦前の日本やドイツが何であんなことになったのか、怒り嘆き、今ならと思う人も多いでしょうが、残念ながら今でも大して大衆の愚かさというのは変わりません。

 ロシアを批判する国々は『力による現状変更を許してはいけない』と言い、特に日本ではそれに毅然と同調しないと東アジアにも及ぶと米国やEUと横並びを強制するような世論が強いです。しかし『力』をさらに『力』でねじ伏せようとし、軍備増強を図ればエスカレートするばかりです。『力』に『力』では戦争は終わりません。長くなるだけです。長引けば、兵士やその家族、一般国民は苦しむだけです。ロシア人は憎くない、プーチンら指導部が憎いのだと言う人もいますが、結局戦争で苦しんでいるもはロシア人です。
 国際世論や他国がまず戦争を止め、国会や国際裁判所、公平な国際世論に委ねるべきです。

 戦争体験の語り部の方々はどうしても、戦争絶対反対の左翼思想に利用される場合があります。国と国の主張がぶつかり合うことそのものは避けられません。戦争やむなしになる事態は、国際社会ではむしろありがちなことです。問題は武力衝突となった時の停戦,やめ時をいかに想定して、国民にも妥協を説明し、交渉していくかです。
 日露戦争は、完全決着で勝敗が決まった終局ではありませんでした。日本が勝ったとも喧伝されましたが、賠償金もなく世論は不満でした。殴り合いで体力もつき、わかったやめようよとなった感じでしょう。有利不利はあったにせよ相手が降伏したわけではなく、条約が結ばれました。
 日本人は潔しなのか洗脳なのか、白黒はっきりさせ無条件降伏まで戦った第二次世界大戦の敗北しか頭にない方が増えました。ロシアのプーチンが完全屈服する可能性はゼロではないですが低いです。むしろ長引き追いつめられると戦術核を使う可能性さえそう低くはなくあります。
 国際世論というなら、玉虫色で双方のプライドや世論に妥協しつつ、停戦を模索する動きが早くでないかと願います。

生きてる限り新しいことに命を懸けたい

 持って生まれたものか、幼稚園の砂場か小中学校の校庭で育まれたのか、人間の性格はそうそう変わるものでもないかもしれません。還暦を過ぎて、体力も物覚えを悪くなったのに少し落ち着けばと思う頃、それでも限られた時間だからこそ、いろんなチャレンジをしてみたくなります。

 こんな気持ちを持つ私は変っているのでしょうか。若い頃にもっともっと、チャレンジしたり頑張った友人知人は沢山います。

 また私自身が、学歴も安定したもの、社会人になっても大企業に長年勤め、定年後も公務員みたいな堅い仕事について平凡でチャレンジングとは言えないと見られる人もいます。若い頃、もっとがむしゃらに頑張って、勉強もして遊びもして、冒険もして、告白もして良かったのではと思う時もあります。若い人に勧め、昔の自分に語れるとしたなら、もっとチャレンジしても損なはいと言うかもしれません。でも人生それぞれです、どんな時期にどう悟り、何をするかは自分が決めることです。

 どんなに平凡でも、そのなかに非凡はあります。自分のやってきたことを卑下したり否定的にならずとも、その場面場面で、一生懸命まさに頑張ること、命を懸ける自分の人生なのではないかと思います。

 お金持ちに生まれ、順風満帆に過ごした人、波乱万丈となった人、平凡に、むしろ貧乏に生まれ頑張ってお金持ちになった人、貧乏のままだった人、それぞれの人生に優劣も貴賤もないし、後悔も嘆きも要らないと思うのです。人生の本当の答え、結果なんて、誰にも分からないです。小さくても満足できる時はあれば、それが幸せかもしれません。少々お金持ちでも、上には上がいます。世界には贅沢してもしきれないほど、年に1000億ドルとか稼ぐ人が何人もいるのです。そしてその人が本当に幸せだとは限らないのです。
 ただし、お金を稼ぎ少し贅沢をするために頑張った人は否定されるものではなく、やはり偉いです。社会はそういう頑張りで成り立っています。

 ご褒美なのか、苦行が続くのか、人生は寿命が延びて長くなる傾向にあります。人生を40年、50年、60年と生きたら、次はまた違うチャレンジができる。別の人生を頑張れるかもしれません。やりたいこと、やれなかったことに気が付けば残る時間が面白くなります。お金もいるかもしれませんが、お金は沢山あると人は怠けますから、そこそこで十分です。何かに向かって命懸けで頑張れば、自分の人生の意味、生きて来た目標がわかるかもしれません。

古い原発より怖い東海道新幹線の老朽化

 リニアの話は何度か書きました。賛成反対は利害のあるなしや、自分の知識や推理の範囲で採算性や便益を考えてのものになり、不毛の議論、治安の悪い論争になってしまい難しい問題です。ここではリニアそのものの是非よりも、元々リニアを作ろうという計画の大きな動機となる、東海道新幹線の代替問題について書きます。

 多くの議論の中で、特にコロナ禍で拍車もかかるリニア不要論、賛成派含め東海道新幹線の老朽化という現実と代替案が欠落しています。

 東海道新幹線は日本の大動脈で、1日40万人以上が利用しており内外の観光を除いても日本経済を支えるビジネス、用務などの利用が占める割合が多い路線です。元々、明治期に東京から京都、大阪を結ぶ際に、東海道経由や中山道経由かと議論され、当時や地震津波よりも外国からの攻撃に備え軍部は内陸、中山道を押しました。ところが当時の土木技術で中山道に幹線鉄道を通すのは無理があり、沿岸部を通す東海道線が開通し、その後の新幹線も東海道に並走しました。新幹線でも伊豆で湧水問題も起こり、難工事でした。現代の技術でさえ、湧水の問題はじめアルプスなどの急峻な山を貫き、環境も守るのは難工事なのでリニア問題に通じます。

 しかし、東海道の太平洋岸のルートは南海トラフや大型の台風で被害を蒙ることが想定されます。

 それとともにすでに施設され60年が経過して、トンネルや橋梁、レールの地盤の劣化が著しい問題が出てきました。
高速道路はすでに中央道、第二東名、名神方面だと新名神と代替はできていますが、鉄道しかも高速の新幹線のインフラ代替はそうやすやすとできません。60年というと、原発でちょうど今延長運転が反発を食らっている期間です。高速鉄道と原発では比較になりませんが、毎日利用者を40万人乗せている列車に何かあれば事故の大きさと危険度合いの確率は高いです。1000人以上を乗せて10分に1本上下で走っているのぞみですから、静岡県や神奈川県で時刻によれば何万人と被災する確率は大いにあります。

 自宅が築60年のビルだというと不安になるのと同じで、原発も鉄道もしっかり止めて点検して、部品を変え、かなり大規模に作り直して安全に動くかどうかです。60年で代替がなく、リニアが名古屋や大阪までというとあと10年でも無理で20年いじょうはかかりそうです。そうなると東海道新幹線は90年以上今のまま使い続けて、毎日時速275キロで1000トン以上の重量級が走る訳です。

 南海トラフで、津波が起こり原発の電源が喪失する福島のような最悪のことが重なる可能性よりも、ごくありふれたトンネル壁の崩落などで、何万人の命が危機となる可能性が東海道新幹線の老朽化は抱えています。

 リニアを作らないと方向転換するなら、早く第二の東京大阪新幹線ルートの建設代替を考えないと手遅れです。リニアを建設するにしても早くしないといけないのです。

 

早春 Jリーグ30年目の開幕

フクジュソウ

 早春とは言え2月まだ寒い日も多く、北日本はこれからまだまだ寒波が来ます。それでもスポーツ界は、春シーズンの到来というニュースで盛り上げています。
 サッカーは昨日2月17日にJリーグの開幕戦、今日は各地のホームで試合が始まります。今年は30年目を迎えるJリーグの節目で昨年W杯での盛り上がりをどうつなげるかというところです。コロナ禍での無観客、動員制限、声出し規制がようやく撤廃されます。

 30年というと、やはりもう長いです。その前の20年ぐらいは日本サッカーは本当に低迷してマイナーでした。代表戦の国立競技場でもガラガラ、日本リーグに至っては1000人も動員できない漢字でした。
 今でも代表戦に比べると、Jリーグの人気は世間に広い拡散とは言えませんが、地元の開幕での盛り上がりは隔世の感がします。それぞれの地域にチームがあり、アウエイまで旅行して応援に行くコアなファンが増えているのもスゴイところです。NPBでもそうですが、ユニフォームやグッズの購入額の増加が顕著でしょう。バブル期以前は皆無に等しかったこういう顧客囲い込みのマーケティング戦略、関連販売の儲けなどで経営を支えていそうです。
 とはいえ、私の地元の京都でも実際に月2~3度のホームゲームが街の話題の中心になっているとは思えず、ワールドカップ人気がサッカーに直結するわけではなく動員を上げるのには難しいところです。
 コアなファンから、ごく一般的なミーハー的を動員して魅力や面白さを知ってもらうアイデアが必要なところです。
 終盤での優勝争いや降格争いというものは、最終的には興行のキラーコンテンツになります。しかし序盤や中盤ではどう盛り上げ注目すべきなのか、降格を逃れ優勝には届かないチームも終盤には増えてくるとき、本当にサッカーの面白さがを伝えないと興行としても難しいです。そこに未来の『ミトマ』クラスのスター、野球でいうと佐々木や村上、大谷クラスの見たくなる選手が認知されることも必要でしょう。

 ただ、これはスターありきではなく、競技の面白さが伝わらないと話になりません。報道や解説もそこらあたりを分かり易く、面白く伝えることも求められます。『ミトマ』とか『ドウアン』『クボ』といった代表のキラーコンテンツに未来にはつなげる選手を見つけ、戦術があること、また緑のキレイな芝で単純に選手が動く、ボールを奪い合う面白さをナマで見て存分に味わって欲しいものです。

リニアや北陸新幹線大阪延伸を待望する街もある

 静岡県の反対でストップのかかったリニア中央新幹線、詳細ルートも工事も定まらぬ北陸新幹線の敦賀以西大阪延伸。水の問題で生活や産業を脅かされる街、並行在来線で切り離される街、受益を受ける人と損害が予想される人で対立軸もできて、難しい問題になっています。
 西九州新幹線延伸、北海道新幹線延伸も相当な並行在来線問題や自治体負担で逆風ながらの見切り発車という感じです。京都在住の私でも、小浜、美山あたりから北陸新幹線が京都駅に深い地下へ接続するルートなど想像もつかないところですし、リニアはルートにもなくとりあえず恩恵がありません。名古屋までの開業時には新幹線で名古屋プラスリニアでしょうか。北陸は敦賀延伸で関西からは金沢へサンダーバード直通が難しくなり、乗り換えも不便で料金も上がりそうです。何だか今仕上がりつつある敦賀延伸でもうええやんという感じです。

 リニアは名古屋までさえが、生きているうちに見れるか心配で、反対派の意見も根強く炎上しやすいテーマになっています。
 水の問題でいうとリニアの静岡だけでなく、北陸新幹線京都周辺では伏見の醸造用地下水の問題もあり、延伸反対も出ています。
 そして反対派は、計画そのものに対し、コロナのテレワーク、オンライン授業なども追い風もあり、不要論に繋げます。
 とはいえ、新幹線やリニアを待望しているところもあります。北陸新幹線延伸でいうと福井県の小浜市、リニア中央新幹線では長野県飯田市、岐阜県中津川市あたりでしょう。小浜市、飯田市では特に在来線で、東京、大阪に出るのがとても不便で、新幹線、リニアが来ることを周辺自治体含め、市と地方の活性化、再生計画に大きく組み込んでいます。名古屋、大阪と東京首都圏を短時間で結び、メガ都市圏を形成することに注目が集まりますが、選ばれ限られた範囲ですが地方の活性化を担っています。

 飯田市で9万人弱、小浜市には2万8千人の小規模な都市です。両市とも、伝統産業や文化、古いお寺などの地味ですが観光資源も豊富で、この地に住む人にとってはそれこそ生きている間に見たい乗りたい新幹線でありリニアです。自治体の計画はそれで進んでいます。それぞれ『海の奈良』『南信の小京都』と言われており過疎で朽ち果てさせるに任せるのは惜しい街です。

 いくつか、ルート変更してでも早急に開通をという声もあります。リニアに関してもかなり検討はされていましたが、技術論や他のルートを見ても変更の可能性はほぼないようです。
 北陸新幹線も未だに小浜すら通らない米原案や、湖西案が蘇りかけますが、小浜は変わりはないでしょう。ただ小浜以降京都までも、舞鶴経由や美山経由など輻輳しています。

 工事が着工以降時間がかかるのは、工費が嵩むばかりで、JR本体の負担も増え、利用者負担も増え、地域の活性は遅れます。作業場を抑え契約しているゼネコンが儲かるだけです。
 静岡の水も伏見の水も大切で、見切り発車は許さないと当事者が反対することも心情的には頷けます。コロナの影響で不要論まで出ると議論がややこしいのですが、すでに不要論まで後戻りできる進行ではありません。反対の方もごね得を狙っているわけではないでしょうから、正直なところ反対しても『そうですねじゃあ、やめます』にはなりません。JRが苦しむだけ、利用者が待たされ負担が増え、最終的に、不毛な時間経過で、誰一人得はしないのです。最終的には行政と企業のトップが頭を下げ、早急に『やります、やめます』を早く宣言して、決めることです。 

女性の時代?と言われてから40年

 かつて、私が所属した化粧品会社が、1980年代が『女性の時代』だということで、新世代的ブランドとしてレディ80という化粧品シリーズを大きなキャンペーンとともに発売しました。1970年代以降世界ではウーマンリブが社会活動となり、女性の平等な権利と社会進出の嚆矢となり、日本でも遅ればせながらも中ピ連が運動したり女性の活動が叫ばれ、男女雇用機会均等法も制定されました。本格的な女性の社会進出はこの法律が努力目標でなくなる1999年、世紀末近くを待たないといけません。

 それまで、営業職等の一般職は男性がほとんどだったのが、徐々に女性が加わっていきます。2000年シドニー五輪では高橋尚子が女子マラソンで優勝するなどで、他に女子柔道なども活躍し、当時男子競技ではほとんど金メダルが取れていない時期で、まさに女性活躍の時代という人もいました。しかしウラを返せば女性の競技人口は多くの国には広がっておらず、男子とのレベル差は歴然でした。    
 女性が参加するだけで、注目され男性とは注目度も違う、今もあるような逆差別の問題も現れました。
 とはいえ21世紀を迎えると社会全体の女性参画が企図されていきます。
 女〇〇とか、女性初の〇〇、美人過ぎる〇〇など、女性が進出するたびに変に騒がれましたが、徐々に当たり前になっています。
 実際にかつては、OLと言われ事務職に限られていた企業も、いつの間にか総合職で男女の新卒が均等に採用されるようになりました。
 
 しかし、管理職、経営幹部となるとなかなか欧米基準には程遠い状態が、現代でも続いています。

 女性だから、障害者だからとか、制度目標に拘り、数値目標に近づけるため無理に底上げするのは、女性に希望を与える時代は良かったのですが、新たな段階で女性をチヤホヤしたりしていることが公平に能力を磨くのにはかえって弊害になっているのかもしれません。

 まだまだ職業により、階層により男女の棲み分けは存在しているよですし、女は家で家事育児という封建的家長制度の意識ですら現存します。LGBT問題でもそうですが、過剰に国際化に迎合することなく、日本の風土らしい闊達な自然のムーブメントに任せたいものです。

どうする限界集落 高齢化 どうする日本

 旅行で田舎を訪れると都会の喧騒と比べ、のんびりしていて空気も食べ物も美味いので、田舎暮らしに憧れるときがあります。しかし、それは都会人のが田舎の苦労をよく知らずにいるだけです。

 観光で潤うほどのエリアでなければ地方の経済、インフラは厳しく、雇用など生活していく上でも厳しいものがあります。そしてさらに、過疎に悩む地域では高齢化日本の未来ともいえる厳しい現実、限界集落があります。

 限界集落げんかいしゅうらく)とは、人口の50%以上が65歳以上で、農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のことでです。国土交通省の発表では2015年度時点で全国に1万5568限界集落があり、今後10年以内に消滅する恐れがあると予測される集落は570、いずれ消滅する恐れがあるとみられる集落と合わせると、3,614集落になるそうです。

 正確な数字は多少ぶれるでしょうが、子育て世代が流入するという稀有な可能性がないと、どんどん限界集落は消滅します。

 そして消滅の可能性があるところでも、インフラにまるっきり税金を投入しないわけではないのです。なんとか頑張っている集団の高齢者に可能性を早めに立ち切れば、消滅は確実に早まります。見極めも難しいですが、東日本大震災の復興の護岸工事などは、限界といわれそうでもしないわけにはいかず、宮城県あたりは沿岸部の全市町村に防潮堤を作り終えました。正直、無駄とは大きな声では言えませんが、大金を投じて多くない人口を守っています。大きな津波が次に来るまでに消滅するかもしれないところよりに巨額を投じています。頻々と人やクルマの通る道路の、老朽化、インフラで不安なところは多々あります。

 財源が限られる中、コロナ対策、防衛費、子育て支援とどんどん歳出は膨らみ、インフラは後回しの印象さえあります。東名高速の天井崩落をきっかけに、一斉に全国で点検され補修が必要とされたトンネルでさえ放置されているところが多いと報道されました。橋や道路、踏切、鉄道、電気や水道のライフラインさえ今後利用者の不便はあっても放置を選択され、他の財源に回すインフラが検討されるでしょう。

 逆に言うと、それを考えないと国や自治体が破綻してしまいます。大量に負傷者が出た場合ん患者の優先順位を決めるトリアージでと同じです。福祉の考えでは難しいですが、すでに鉄道では過疎路線は協議されながらもどんどん廃止が進んでいます。JRも自治体も潤沢に資金がある情勢ではなく、そこにまわしていては本体の財政が成り立たないのです。

 自治体間の調整、民間企業に弾力的な支援など、何とか知恵を絞りながら地方を再生していく模索が必要です。