新進気鋭も老境へ

 髪の毛が薄い方には失礼な話ですが。やはりハゲている方、白髪の方は年齢より落ちついいて見えます。ようするにトシに見えるということです。
 毛染め、カラーリングが売れるわけです。
 30代ぐらいでも薄い頭髪の人はかなりの年齢にみられるときがあります。逆にしっかり髪があり、真っ黒の人は若く見られ、時に下っ端扱いされます。
 気持ちだけは若く、落ち着きもなく、知識も経験もたいしたことないのですが、年を取ると確実に体も頭も衰えます。
 物忘れや、肩や膝など関節の痛み、泌尿器の問題など、かつて青春を語り合った若者同士が今や情けない身体の悩みの告白合戦です。
 新進気鋭と言われた新入社員の頃、退職金や年金の話などと遠くの未来と思っていましたが、その時が現実に来るのです。
 会社や仕事を始めると、どんな人でもイヤになることがあったと思います。3日目と3カ月目、3年目とか時期は違えども悩み苦しむ時があります。それでも耐えて続いた証が、退職金や年金にも現れます。
 今を充実させ未来につなげていくことです。
 見た目は大きく変わっても気持ちは若いまま、過去の時間と現在、そして未来は確実に繋がっているのだと思います。

安い牛丼や発泡酒はほどほどに

 この秋は近江牛のすき焼きもたべました。そのあと、久しぶりに仕事で外に出ていわゆる外食で牛丼を食べました。
 まあ比べるとかのものではないのですが、接客とか色々含めてまあやはり安い値段のものは問題でもあります。
 1000円ぐらいのラーメン店はそれなり接客や味にこだわりがあります。チェーン店の牛丼とかファストフードはダメですね。安い人件費がどこかに無理を産んでいます。
 もっと高くてもいいので良い商品、サービスを提供して企業も社員も消費者も潤うのがいいのではと思います。経済を回していくのには、安い人件費で安い商品を提供する牛丼屋のような形態は今ほどのシェアはいらないと思います。
 発泡酒、第3のビールは税金を取りたい政府と、工夫して税を逃れて安い販売価格にしたい酒造メーカーのイタチごっごのようです。たしかに日本のメーカーのまがい物造りの匠さはスゴイです。しかしそんな偽物つくりに汲々として、本当に消費者目線かというと何だか疑問です。ビールと呼べない泡のでるアルコール飲料を飲んで節税するなら、そもそも飲む量を減らすというだけで解決できる問題です。味を似せるためにはどうしても、長い目で見て大丈夫かという添加物なども必要になると思います。
 このジャンルもここまで大きくならなくとも。酒造メーカーは普通にビールを作って宣伝するべきです。

点から線へ 仕事の覚え方も教え方も難しい

 プロ野球などのスポーツ界で新人王等に輝いた若手が翌年以降、急にスランプに陥ることを2年目のジンクスなどと言います。
 厳しい世界だと、出る杭は打たれると言われる通り、周りも研究したり対応策を練り、弱点を徹底的に突き、良い点を殺しにかかります、
 仕事でもこういう場面はあります。最初は新人や転入、移籍などの新顔の御祝儀相場やビギナーズラックがあっても長く続かず、地金が出ると最初に輝いたのがウソのようになかなか自分の本来の力さえ出せないほど追い込まれる時があります。
 最初は持っている力と、教わった基本で乗り切れたものが、少し考えたり勉強して身につけないと太刀打ちできない段階が必ずきます。
 そこが正念場で、どんな仕事やキャリアでもそれはついて回ります。新しい係長などのリーダーや管理職になるとき、役員などの経営陣にちかいところに入っていく必ずあります。
 なかなか誰も的確に教えてくれないのですが、教える側も勉強する側も難しいですが、この正念場を超えないと人は育ちません。
 教える側は相手は自分とは違うので、他人の個性をよく観察することです。本当に「伸びて欲しいなら押し付けや通り一遍の指導ではないはずです。
 学ぶ側も、自分の個性を知り、また苦手を知りポイントをついたコーチングを乞うことです。
私自身、なかなかいろんなものを習得するとき何度か壁にぶつかり、逃げたり投げ出したりしたまま苦手を放置した経験があります。今となればもう少しアドバイスに耳を傾ければ良かったこともあったようい思えます。またスランプの時なかなか人は脱出できないものです。
 テレワーク等でなかなかきめ細かい指導ができないと言われますが、逆に組織内の人員の個性を冷静に見れる機会かもしれません。何が得意で何が苦手、どうのばせばいいか。社会がうまくいくためにも必要なコーチング技術です。

立冬を過ぎました

 暦の上では冬に入るのが立冬。2021年は11月7日でした。
10月も前半と後半で季節が大きく進んだ感じがしたのですが、今月が秋から冬へまっしぐらで寒さへの備えが必要です。
 暖かいとは秋らしい穏やかな日ですが、そうそう快適な季節が長くないものです。山国や北の方では長く厳しい冬がまじかです。
 ほうれん草や白菜旬の葉野菜。大根などの根菜を美味しく食べて身体を温め、元気にすこやかに乗り切りましょう。

北陸新幹線開業で先々代トンネルになる明治の遺構

明治時代の遺構、北陸本線敦賀周辺の旧線レンガで作られたトンネルです。昭和38年長大な新線の北陸トンネルができたため、いままでのルートは廃線となりました。廃線の跡の公道を散策しました。
 いくつかのモニュメント、水の滴る天井、ところどころ欠落したレンガの壁に歴史を感じます。1キロを超すトンネルでは機関士は煤煙で窒息死に至った場合もあり、トンネル工事での死者とともに多くの犠牲者がいたことも分かります。
 鉄道ができる以前は、人間が歩くか、馬か船ぐらいだったでしょう。
 そして敦賀までいくと現在は3年後の開業を控えた北陸新幹線の工事現場が見えます。さらに新しいトンネルと軌道ができると、現在の路線は旧線になります。明治にできたこの廃線は先々代ということになるのでしょうか。
 現在の技術ではトンネルで死者も出さないでしょう。時速300キロの高速鉄道が駆け抜けて明治はどんどん彼方の過去に追いやられます。
 しかし犠牲を伴いながら一歩一歩近代に進んだ日本の歩みは、いつまでも心に刻んでおきたいものです。

 強い力で少子高齢化を止めないと

 先日、少子高齢化の政策を打ち出すため等には現状維持の高齢者よりも若者の投票の一票に重きをおいた選挙制度の改革を提案して、若者の政治参加を促すことを書きました。高齢者の一票を軽んじることは「姥捨て」との批判をはじめ、制度改革の難しさなどいろんなご意見もいただきました。
 私自身も還暦を過ぎた高齢に分類されかける立場であり、うまく整理して自分の思いや感じていることを説明しないと非常に難しい誤解を呼ぶものだと改めて認識しています。たとえば自分が年金で生活している立場、あるいは高齢で再就職しようという時に、若い人だけでマンションの管理費を上げて、年金だけで生活している人が苦しくなるとか、いざ働こうとしてもきつい汚い肉体労働しか回してくれないとかいう実態は身近にあり、他人ごとではありません。
 構成比の高い高齢者の現状、実態は尊重されて暮らしやすく働きやすい環境にしないといけませんし、その声は届くようにしないとならないと思います。
 子育て、教育などで高齢者が貢献でき、収入と生き甲斐を得れば一挙両得です。
 また経験と知識を積んだ老人が、社会全体のオンブズマンやオブザーバー、時にご意見番となったり、現場監督として居続けることも否定はしません。
 ただ自分たちの世代以前では、大幅な支援のなかった子育て、学校に巨額の予算を回して少子化を止めるような法律を作るには今の年齢構成比では否決されるのではないかと思うわけです。予算に紐つくのが「しがらみ」「癒着」とはいいませんが、長年の支援者に貢献するごく人間的に当たり前の構造だからです。
 確かに若ければいいというわけではなく、民主主義の抱える問題としてポピュリズムや愚民政策、人気取りだけの政治に陥るリスクなどのご意見も現状あり得る部分です。
 先見の明と公平性をもっった知恵のある神や仏に近いような政治家が経験で生まれるのに期待するという考えもあります。
 それでも私は政治はバイタリティも必要ですから、ある程度社会経験と勉強を積みかさねた30代~40代くらいが管理力と発想力の脂ののりきった時期だと思います。同じ保守政党でもいいですし、高齢の経験者にはそれなりのポジションを与えつつ、世代交代をもっと進めるのです。これは活力ある民間会社なら当然進んでいることです。
 行政を見ると明確にわかるのですが、官僚も地方行政も財政や組織の改革効率化等の本来喫緊の課題を見事なぐらい先送りしています。自分の部署だけは過去の前例を踏めに執着されます。政治は本来その行政の長に回ったり。監視をする立場のはずが、これも選挙期間を意識したり、しがらみや成り行きなのか、なかなか変わりません。
 私の住んでいる京都市でも全国一財政状況が悪化しています。厚労省の仕事に関わっていますがお役所というのは、省庁再編時にわざと大臣の監視が難しくなるように統合してしまい、職員は減らないでそれぞれの予算は粛々と執行されていく体質です。
 これらを本当に改善して、民間や国際基準に合わせ、あきらかな無駄をなくすのにももう凄いエネルギーが必要です。
 本来、大臣や首長は先頭にたって財政の健全化と持続可能性を最大目標に任期中邁進すべきでしょう。
 選挙の制度にしろ、社会保障の制度にしろ、子育て支援にしろ、何かを変えようとしたり、新たな提案をしたりすると、元々今の制度も複雑な変遷があったりして、既得権者に限らずどんな提案にもいろんな課題、矛盾、不整合はでます。
 そんな調整こそ富岳などのスパコンやすぐれたAI、識者がやればいい話であり、トップに立つ者がやることを実現可能かを確認して決断して嫌われても実行する。最終的に方法論が決まれば、既得権者と交渉するだけです。
 少子化に対しては10万円の給付などでは、砂漠にコップ一杯の水程度です。私が思うには2桁くらい違う予算をつけないと変わりません。
 それを進めるにはやはり今の年齢構成、既得権者主体の代議員構成では法案を通すのが難しいという意味あいです。
 10万円の18歳未満給付にすらやっかみ自分のほうが貧しいから所得制限をつけろという高齢者がいます。高額納税者もさらにキャピタルゲイン課税をしてというと反対意見もあるでしょう。
 しかし結局、若い人にそっぽをむかれ外国に逃げてしまわれたり、政治に無関心のまま停滞した国家を放置されてはこの国の未来はありません。
 いろんな国家プロジェクトの推進、大きな改革には、当然賛否が生まれます。受益者もいれば損や犠牲を蒙る人も出ます。どんなことでも推進するには犠牲的な協力は必要なものです。それが一般論だと理解は得られても、いざ自分や家族に降りかかると知ると、神や仏の領域からすぐに餓鬼や修羅のごとく反対に転じる場合があります。私も自分に直接金銭的負担が来るとなると、主張が変わる場合もありました。
 政策を進めるには十分な説明と、補償などがセットにならないと理解は得られないでしょう。
 道路や橋、トンネル、鉄道を新たに作る、新しい制度、組織や産業を作る。新たな薬、ワクチンや医療機器を承認して現場で使う。すべて犠牲はつきもので既得権者の反対をくぐりぬけないとできないのです。しかし国に未来を再優先に考えると嫌われても誰かが推進しないといけないのです。

死ぬまで毎日続くエピソード

 イヤなことがあると確かに嘆きや怒り、絶望とか不安や不信といったマイナスの感情に支配されます。生きているうちは、毎日いろんな出来事、エピソードが起こるのは当たり前です。
毎日、いろんな出会い、音や声が聞こえ、何かを発し感じる。そのことは辛くてもエピソートの一つとしてやがて回収されるとすれば、少し冷静になれて楽しめるかもしれません。

人生は長い老いも若きも頑張ろう

 還暦を過ぎ、昔のことを美化して思い出すこともあれば、やはり辛かったと思えるイヤな記憶も蘇ります。
 かといって昔も今も決して目の前が楽でやすやすと乗り切れることばかりではありません。それでも毎日を乗り切り、すこしずつ面白いことが見えてくるとああ良かったと振り返れる時になるようです。

ごく当たり前に、世代交代すること

 昨日のブログの中で若い方の政治参加のため、投票の比重、一票の価値を余命を基準に変えたらというと、それに対してだいぶいろんなご意見をいただきました。
 一票の重みも変え選挙制度を変えるのは憲法まで当然変えなくてはならないでしょう。私の趣旨はそこまでの覚悟と優先順位をもって若者に政治を志してもらう体制を作ることで、これからの少子高齢化対策に向かってもらわないといけないのです。
 確かに年齢を重ねた人の方が政治に対する知識、それ以前の常識様々な経験もお持ちであり、逆に若者の中に思慮もなく無知な人も多いでしょう。まして長年勤続し、税金を納めて国家に貢献した人にとっては一票が軽くされるのは屈辱と憤慨される場合もあるでしょう。
 政策や施策個々の判断においては納税の割合で意見をお聞きした方がいいケースもあります。
 しかし、これからの日本の大きな課題であるところの少子高齢化に対して大きく舵をきるのには、高齢者にウエイトが高すぎる今の制度ではなかなか利害と、現状維持バイアスがかかって新しいことは決められないと思われます。老人にとって20年30年まして50年先の現実的想像は、いくら経験があっても難しいことです。
 たまたま同年配の方、すでに現役としてはセミリタイアした方と話していました。「税金もガソリンも上がり、年金が先細りしそうな状況で子育て世代だけに10万円給付するのは不公平だ。俺らが子育てした時そんなの貰ってなかった」との意見でした。目の前のことを考え、自分のことを見ていれば確かにそうです。しかし子育てをとうに終えた我々世代が税金を払う期間ももうそう長くはないのです。
 私がイメージする、本格的に少子化対策では、学校や保育園などの支援や、子供一人当たり何百万、第3子以降は800万とか1000万とか振舞わないと状況は打破できません。
 我々の世代やそれまでの世代にとっては、確かに不公平感は生まれますし、財源のためには多くの切り捨てや我慢が発生するでしょう。こんな制度を高齢者主体の投票とその代議員で決めきれるのは無理です。
 しかし高齢者の多くが30年後、50年後にも日本という国がほぼ現状に形で存続すると保守的に望んでいるとするなら、少子を止めないとどうにもなりません。
 国土(領土)があり、国民がいて、統治機構があって国が成り立ちます。国民が激減したら、離島がの国境が日本と認められようが、もう守りに就く人間がいません。介護も多くの治安や土木も日本人だけでできなくなります。多くの過疎地域は限界を超えて手放すことになります。これでは国家ではなくなります。国民があっての統治機構であり、領土なのです。

 いつまでも老人がわがままを言い、意見してでしゃばるのでなく、自然に隠居して譲ることは当たり前のことです。

少しずつ新陳代謝 政治も社会も

 ジャニーズのアイドルグループが次々活動停止、解散、一部は退所などのニュースに接しあの人がもう40とか50近くというのを見ると何だかこちらも経年を感じます。
 政治家は70過ぎても権力を離さず議員にしがみつく人も沢山います。さすがに次やその次はなさそうな重鎮も多いです。平均余命からいっても院政などを囁かれながらも最前線からは消えるでしょうか。
 自民は安倍さん、菅さんが総理総裁を辞めて岸田さんで選挙は凌ぎ、同じく数を減らした立憲民主の枝野さんは引責辞任のようです。原発事故時のスポークスマンの印象が強いですが、当時の若々しさは無くなってましたね。現政調会長の京都3区選出の泉健太くんあたりが選ばれるとかなり世代交代とイメージ刷新ができます。
 自民党で保守よりの高市さんは、民主党の野田佳彦、前原誠司、福山哲郎等の多くと同じ松下政経塾出身で、自由党、新進党から大きく右に舵切って自民党入りされています。
 人物それぞれを見れば与野党でそんなに志向も思想信条も大きな違いはない場合も多いようです。
 かつて故野中広務さんが語っていました。「職業として政治を志すとき、ドラフトや就職試験のようなもので。自民党が人気球団の巨人とすると、巨人に入れなかったエリアでの実力2番以下が民主党に行く、ただ人気球団なので伝統はあるが選手層は厚く上に上がりにくいとか、組織が澱み時に負けるときがある」といった趣旨のことだったと思います。
 たまたまCOP26の会議で2050年だとか2070年の未来の目標が語られていますが、そんな先に日本はどれだけの経済を持ち社会を維持してどんな政治体制となっているのでしょう。
 政治に熱い若い方がおられる反面、賢い方やリッチな方で醒めた考えで日本を見捨てるような考えを語る人もいます。
 日本の情勢は冷静に見て若い人には厳しいです。どういう形で今後若い人が日本を支えるかは年寄りが強要するものでもないです。しかし人数は減ったムラや町でも誰かが必死に役割を果たすものです。現役年代、若い人達の賢い選択に期待をします。