上方芸人の鑑 上岡龍太郎さん逝く

 昭和の著名人の訃報もこのところ多い中、また一人。関西で人気の司会者、漫才師だった上岡龍太郎さんが5月に亡くなられていました。
 2000年に、人気絶頂の時期に芸能界をスパッと引退されたので、昨日ある会合であった若い人は彼のことを全く知りませんでした。
 Mー1が始まったのが2001年ですから、20歳ぐらいの人は生まれてもいないし、知らないのは当たり前ですが、知らないことが残念だと思えるほど稀有な天才です。
 今はテレビ時代に入ってからのお笑いが第7世代なのか、第9世代なのかℤ世代なのかよくはわかりませんが、その世代分類に従うと、コント55号、てんぷくトリオ、ドリフターズ、笑福亭仁鶴、立川談志などの第1世代の一角を占めた漫画トリオという漫才師の一人でした。
 ピンの芸人になり、立て板に水のようなトーク、司会が冴え、関西中心にテレビ、ラジオのバラエティを席捲しました。引退前は東京進出も果たし、報道でも代名詞の関西の名物番組「探偵ナイトスクープ」に続き「鶴瓶・上岡パペポテレビ」などで全国にもその名前と話芸が知れ渡りました。
 京都出身で、皮肉屋で拘りの強い性格、芸風で共感もあり、好感を持って注目していました。テレビで人気モノになっても、昔からの関西ローカルのラジオにも長く出ていた頃がマイナーでしたが面白かったです。ラジオ大阪や、ABCラジオの番組に1990年代には、何度かリクエスト投稿をしてハガキを読んでもらったことがあります。関西のこういう番組は面白い内容を読むのがメインで音楽はほんの刺身のツマで一瞬流れるだけで、延々と上岡のマシンガントークが聞けました。
 引退前のパペポのトークも良かったです。しかし、彼が影響を与えた笑福亭鶴瓶や島田伸介、明石家さんま、その系譜のダウンタウンらがこれからのテレビでウケる芸あり、自分の芸の役割は21世紀のテレビには合わないというのが、引退の理由だとも聞きます。最後は好きな役者として舞台でその活動を終えています。
 その前年1999年に親交の深かった落語家桂枝雀が自死しています。爆笑王として上方落語のトップランナーで高い人気を誇った彼も同時期に、21世紀以降現代の若者にはナマの至芸を見せることなく消えています。
 

 ともすれば、洗練されていてもやや素人的なアドリブ芸が主流のMー1以降の笑いと、質的に相容れないようなところがあったのか、想像するだけで詳しくはわかりません。
 
 以降、ビッグネーム的なお笑い王者が続々と現れ、河原乞食の代表のようだったお笑い芸人は、第〇世代と数を重ね爆上がりにステータスを上げます。成功者はニュース番組のコメントどころかMCも務め、地位もお金も結婚相手もIT長者なみになります。
 上岡龍太郎が反骨とか正義の代表とか、そういうことではなく、また裕福になった芸人たちもハメを外し、不倫や反社とのつき合いなどで浮き沈みもあります。そんなことも、もちろん元々「ありあり」なのが芸人の世界です。春団治や藤山寛美の例を出すまでもないことです。
 ただ、そこから出てきたこじゃれた人達が、もう「人生の成功者、勝利者」みたいな本を出し、動画再生回数を誇り、大学の卒業式や成人式でエラそうな話をする。そんな21世紀の芸人というのが、たぶん相容れないようなものだったのだと、これも個人的には想像します。
 
 

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