1986年広島市民球場 北別府学さん追悼

 私は転勤で若手時代、最初に行った地方が広島県でした。接待や支援スポンサーの立場で野球観戦には行かせてもらいました。
 この年、地元テレビ局で北別府さん、高橋義彦さんとナマですれ違いました。
 1986年は前年優勝の阪神タイガースに対して広島カープもエース北別府、抑え津田を擁して激しい優勝争いをしました。
 昨日若くして白血病ということで、訃報に接した北別府さんそして、抑えだった津田恒美も難病水頭症でかなり前に30代で亡くなっています。
 この二人が、バース、掛布、阪神現監督岡田のクリーンナップと対決し、かたや広島の攻撃陣は高橋義彦が1番で、山本浩二、衣笠がしぶとく返すという昭和の名勝負でした。
 阪神が前年、勢いで優勝はしたものの絶対エースのいない投手陣は層は薄く、北別府さん中心のカープがバランスの取れたチームで優位に立ちました。ペナントレース終盤は阪神が脱落し、原、クロマテイ、江川卓らのいた読売と熾烈な優勝争いとなり、カープが勝ち切りました。
 今よりもメジャーとの距離は遠く、球速も遅く、スタンドは帽子程度でユニフォーム着てるのは応援団長ぐらいの時代ですが、当時から広島の野球ファンの郷土球団愛は強かったです。
 今はフランチャイズ球団ビジネスが成功し、カープ女子はじめ全国にも人気がありますが、その原点はカープを支える地元の野球熱です。たとえば大阪でももちろん阪神の話題からとか、名古屋ならドラゴンズというのもありますが、広島でのカープというと何か違うもう溶け込んだ一体感の愛のようなものがあります。
 長年弱かったし、貧乏だったのもあるので、絶対勝たなきゃという感じが少ないというのか、負けて悔しくないことはないのですが、負けても愛というのが強い感じが全面に出るのがカープファンです。
 ちなみにこの年の日本シリーズで3勝1引き分けから4連敗して西武ライオンズに日本一をさらわれ、秋山のホームランバク転パフォーマンスには、広島ファンは根深く怒っていました。
 その後、40年を経て広島の街も変わり、球場も移転しましたが、あのアナログなスコアボードに独特の文字で書かれた市民球場は懐かしいです。盛り場の近い繁華街にある珍しい立地の球場でした。
 カープやプロ野球の古き良き時代でした。

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