久しぶりに福知山観光

 4年前に、過去に住んだ場所をレビューする思い出シリーズを書いていました。↓
 京都府福知山市は当時23年前と書いていましたのでさらに4年プラスで27年前。新婚で妻がみごもって、その後、授かった娘ももうその年齢で嫁ぎました。その京都府の北部に位置する福知山市、先日新しい鉄道博物館「フクレル」という施設は福知山城公園にできたということで訪れました。
 当時は鉄道にも、まして廃線跡までには深い趣味でもなく、歴史もそうは興味はなかったので、明智光秀の築いたという福知山城さえ訪ねていませんでした。
 北丹鉄道の廃線跡や、残された車両など、今なら垂涎のものも、散策コースもスルーでした。
 それ以上に20年以上時を経て、その時に合った建物が旧くなり、消えた建物、改築され、新築され、また老朽化したものなど、栄枯盛衰さまざまです。当時大手コンビニは一切なかったものが、今やセブンだけでも駅周辺にかなりの数があります。ドラッグストアチェーンもいくつかできており、地場の化粧品店、薬店の苦戦、撤退も顕著でした。
 人の営みも、鉄道の廃線、新線のごとくです。京都と府北部の中核、綾部市、福知山市を結ぶ山陰本線の普通電車で訪れました。赴任当時はディーゼル大国で、キハ181系特急、キハ85系急行、キハ40系普通など、当時でさえ国鉄型動態保存と揶揄されていました。当時も全国で珍しいぐらい、哀愁のあるディーゼル音を響かせて汽笛もわびしさをかもしていて、絶滅した急行ディーゼル、寝台列車も走り、駅弁の立ち売りまであったのです。
 そんな福知山も、私が去る頃には、電化され遅ればせながら電車特急が走り出し、随分経ってようやくJR化後の電車特急や新快速型の223系が回ってきて、一昨年やっとICOCAなので頭交通系ICカードが使えるようになりました。
 しかし、京都から園部までが快速も含めて4両や8両の編成が行きかうものの、園部~綾部間特に、胡麻から綾部は本数も少ない青春18切符の愛好者でのダイヤ上のネックになるほどです。よくここを電化したなあという、小さなトンネルや鉄橋を繰り返す曲がりくねった路線です。
 昭和のはじめにできた鉄道ですから、特急通過用に電化したのですが、地元の方はやはりクルマを利用するのでしょう。これは、高速道路ができると、いつもいわれることですが、正直ドアツードアのクルマが最新設備で幅も広い高速道路を走るのと、大昔の路盤を使う電車では勝負にならない典型です。丹後の、舞鶴、宮津や福知山も京都縦貫道の完成で圧倒的に早く便利になりました。
 かつては、途中の南丹市までしか、高速道路がなく、そこからのカーブの多い国道の山道を身重の妻が気分悪そうに助手席に乗っていたのを思い出します。今は橋立あたりも飛ばせば2時間以内、平成の終わり頃に一気に便利になりました。
 私の転勤した後、水害や花火事故など不幸な出来事も起こっています。治水においては地下排水のある京都などの大都市とは格差があります。
 鉄道、交通の要衝とされた栄えたJRの鉄道部、支社も今は管理部という格下の組織になっています。
 今も大阪方面と京都方面からの特急が接続し、城崎や舞鶴、橋立へのん乗り換えジャンクションの役割を果たす駅ではありますが、同一ホームで乗り換え出来て、逆に日本海方面の乗客は下車する時間もなく、街をスルーします。高速道路に至っては、サービスエリア以外では止めることもなく、京都から一気に日本海方面へ行きます。
「明智光秀」で観光で注目されたのもつかの間、大手が進出し、デリバリで近代化は進んでも、過疎化に悩む地方都市の縮図が見られます。

 私が結婚して新居を構えた当時新築だったころです。外壁をリニュアルしたりしてキレイになっていました。
 周りは、畑だったのがが外食店になっていますし、買い物事情も随分変わっているようですが、20年以上経て残っているのが嬉しく何か懐かしいです。

思い出から6:京都府福知山市 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

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