袴田さん再審初公判

 袴田巖さんのいわゆるやり直し裁判、再審初公判が一昨日静岡地裁で行われました。
 刑事訴訟法は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」がある時に再審公判を開くとしています。袴田さんは拘禁症状があるとして出廷は免除され、お姉さんのひで子さんが「弟の代わりに無実を主張します。巖に真の自由をお与えください」と訴えておられました。
 拘禁症状っていったい何かと、WIKIで調べると
 拘禁反応(こうきんはんのう)とは、強制収容所や捕虜収容所等の監禁施設、刑務所や拘置所等の刑事施設、精神科の閉鎖病棟等、強制的に自由を抑圧される環境に置かれた人が示す人格の変化を指す、精神医学や心理学における術語。より非公式な表記として、拘禁症、拘禁病と表記される場合もある。
 全くの無罪かもしれないのに一度ならず死刑判決を下されたなら、どんな人間でも病むでしょう。
 お姉さんのひで子さん90歳だけど、本当にかくしゃくとして、御立派でした。弟を信じ、支えたい一心で頑張って来られたと想像します。

 検察はなお有罪を訴えるそうです。
 事件の約1年2カ月後に、血痕が付いた衣類がみそタンクから見つかり、これが犯行着衣と認定され死刑判決に至ったが、静岡地裁、東京高裁は弁護側の実験結果により「赤みは残らない」と結論付け「捜査機関の捏造ねつぞうした可能性にも言及し」法と証拠に基づく判断をしました。検察は有罪立証をして行く考えは悪あがきではないかとの見方さえあります。
 立場上断定的なことは言えませんが、時系列を見ると組織的な冤罪なら恐ろしいほどの負担を個人に与え、時間を奪ったのです。そして、袴田さんが無罪だったとして、償えるものでもありませんが、償わせる人もいません。
 事件が起こったのは1966年、死刑が確定したのが1980年、当時を覚えている人も少ないような時間の長さ、袴田さん兄妹に平成という時代があったのでしょうか。1966年まさに高度成長まっさかりで、東京オリンピック、今騒がれる関西勢同士南海対阪神のプロ野球日本シリーズの2年後です。私や岡田監督は物心ついたころで生まれていますが、オリックスの中嶋監督は54歳なので生まれてもいません。そんな前の時代の事件です。
 真実が明らかになり、このようなことが令和の時代には起きないことを願います。
 

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