東日本大震災 13年で変わったこと

 今年もこの時期が来ました。私が仙台にいたのはもう15年前になります。
 2011年転勤した2年後に、大きな地震が起き良く知る会社の同僚や取引先の被害に気を揉んだものです。
 当時、小学生だった私の二人の子供も今はすっかり大きくなり成人し勤めています。娘は仙台で同じマンションに住み同じ小学校に通った年齢が友達に昨年15年ぶりに東北に旅行して再会しました。電話やチャットではやりとりしても、リアルに会うのは久しぶり過ぎて、何から話せばいいのか戸惑ったようです。あのまま、東北にいたら私たちが経験した災害をその友達から少し詳しく聞いたようです。
 日本は地震国でその後も熊本、大阪北部、先日の能登半島など数多くの地震が発生して、防災の在り方、避難の体制も変わりつつはあります。
 当時は無かった、チャットのコミニケーションも進化し、多少なりとも情報の早期の共有はできるようになりました。
 それでも、まだまだいざとなると被災者には足りないものが多いようです。いわゆる「災害関連死」という言葉ができたのも最近です。それを防ぐ体制ができていない自治体も多く、まして個人の家では水や食料の備蓄一つとっても、不十分でしょう。災害のニュースを見聴きすると、一時的に防災意識は高まりますが、のど元過ぎれば人間は忘れてしまうものです。
 語り継ぎ、日常で活かすことも必要なのです。

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