直接民主制の危うさ

 日本の政治が行き詰まっていて、国会には与野党ロクな議員がおらず、歳費や文通費などお金ばかりとって、献金もうけて、何ら良い政策は打ち出せないでいるようには見えます。

 韓国が直接民主制で、新しい大統領を決めました、アメリカも正確には直接大統領を決めるわけではないですが、トランプが実業家から一気に絶対権力を握り賛否はあっても、関税など大きな改革を進めています。
 では直接民主制がいいのかというと、韓国を見ていても、それは不安しかありません。未熟な国民では危険すぎます。
 日本の政治の行き詰まりは、別の要因であり、政治家がもっと政策と立法だけに特化して、選挙制度そのものを変えるべきです。
 何期も当選を重ね、大臣を歴任してやっと推薦人を集めて、与党党首になり首班指名されないと総理になれない、その総理も支持母体が弱ければ実質傀儡で、老害政治家や官僚に逆らえないのでは、沈みかかった日本を強い力で引き上げることはできません。

 またポピュリズムで、国民人気がないと大臣になれないなら、人気者が祭り上げられ、気に食わないとマスコミが権力を持って潰します。

 政治家は汗を流し、選挙をやるのではなく、政治をやるのです。

権威や空気に流されない

  昔は新聞やテレビの報道というと、みんなが真実とまでは行かずとも権威あるものと認識していました。「新聞を読んで勉強しなさい」ともよく言われました。就職活動でも、最近の興味あるニュースはという質問を受けたり、大新聞の記事から出題があったりしました。

 自分が大人になり、いろいろ社会の仕組みや裏側を見聞きしたこともあるのですが、今はそういう権威などが良いも悪いも無くなっています。

 新聞をとる人も減りましたし、テレビの裏側などもジャニーズ事務所やフジテレビの問題などで、その価値もモラルも一気に下がって見えました。

 もともと、そんな権威や肩書は時には必要でも、ありがたがるほどのものではないのです。

 三ッ星の評価の店、口コミ上位とかいうのも真実は会っても、盛られて作られたものだというのも、少し考えれば分かることです。

 内閣総理大臣というのは、本来なら国の行政のトップで本来、日本国で最も肩書上エライ人のはずですが、巷間そんな尊敬の感情を抱く人は少ないでしょう。自分の目の前にいる上司や先輩などでも威厳のある人はいますが、実務上は社長だとか、監督官庁の認可や決済が必要な時があります。弁護士や医師、公認会計士、税理士、大学教授など、資格という権威がないとできないエライ仕事もあります。司法試験など難しい試験を受からないと、得られない資格で、常人より頭が良く勉強された権威のはずです。国家公務員でキャリア官僚になるなども、大変な難関試験を乗り越える、頭と努力が必要で、本来感心して、敬意を表すべき存在のはずです。

 ところが、ある局面では、ある特定の人物かもしれませんが、弁護士でも金儲けだけの悪徳な者がゴロゴロいる。議員でも役人でも給料だけ高いけれど、何をやっているか分からないヤツがいっぱいいるような気がします。

 政治や経済が行き詰まるとますますそんな気持ちが沸きます。長年作られてきた伝統や権威も今や、新聞のようなもので、真実も伝えていることも多くとも、それほど重用されないものになっているのです。

 伝統や権威を持って素晴らしい仕事をしている人もいますが、それぞれ報酬に見合った仕事をして欲しいものです。

 一人一人は伝統や権威にあまり惑わされなくともいいのです。

人間性?高めたいものです

 町を歩いてると、お寺とか教会、お説法、何気ない看板などの言葉になるほどと思う時があります。

 仏の道までの悟りにはほど遠い人格です。

 それでも、そうだなもう少し品のある人格者となるには、素直に聞き入れようと思うこどあります。

 自分では陰湿なイジメやパワハラをしたつもりはなくても、相手のとり方は違います。
 公的機関でも、正義感や弱者救済のつもりでカスタマーハラスメントになってしまう人もいます。

 年功序列は先輩風吹かすのが良しとする制度です。弱者であるいじめられた後輩は優秀でもイヤになって辞める。残った者も残る理由は「我慢すればやがていじめる立場の先輩になれるから」では社会は良くならないです。

 弱い立場の人は、場面により変わります。子供や、老人、身体が不自由な人、その部門で経験や知識のない人、反論できない立場の人。しかし、全ての人間が立場がかわり、弱者になる可能性はあります。やがて老いるのも防げないのです。

 品のある人ほど、どんな立場の人にも公平です。

 人間性、高めて行きたいものです。

1年に1度か55年ぶりか

「春がまた来る旅に一つ年を重ね、、」 

しばらく前から万博に関してはけっこう詳細にガイドブックで調べていました。そして関係者からの開幕前日の詳細レポートも見て、その後テレビやSNS、友人の口コミなどもお腹いっぱいになるほど頂いております。

 開幕の賑わいを他所に決して、維新が嫌いとかアンチ万博ではないのですが、名残の桜を求めて昨日は京都市の北東部にある大原に有人のグループと散策いたしました。
 
 竹内まりあさんの「人生の扉」という名曲(以前にも紹介しています)に
「満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度みることになるだろう」という歌詞の部分があります。この歌の詩の重みが分かる年齢になりました。

 今年は桜の開花が遅く、入学式入社式に間に合い、遅くまで楽しめました。山間の古寺に桜吹雪を散らす絶景は、神が作りし奇跡の時と言えるものでした。

 インバウンドの賑わいもそれほどでもなく、天候にも恵まれた健やかな一日でした。

 この先、万博を見に行くこともあるかもしれませんが、もちろん比べるられるものではないです。あちらの人類が描く未来の技術にもまた大いに期待したいと思います。
 

旅先で回想すること

 4月に入ってホテルでの更新です。

 3月31日、退職辞令交付という形式的訪問で、局長から労い。職員証や共済組合証の返却、退職金の振込先確認などでした。

 現場の破産や保全の窓口は年度末ということで忙しそうで、異動者も含めてんてこ舞いの有り様で、文房具やら片付け終わっても処理を手伝って最後まで残りました。

 たった5日間ぐらいの有給休暇でも、けっこう心身緩んでいて少し疲れました。

 改めて仕事を毎日朝から夕方までやるのはけっこう大変なものであると、当たり前に気づきます。

 裁判所のようなお硬い所には、色気なんて要らないと思っていましたが、どこの職場も男女のなんていうか艶めかさ、あざとさがあるのもわかりました。

 年金事務所でもそうでしたが、裁判所でも異性として、無駄にというと変ですが、タレントや化粧品会社顔負けの美人さんもいらっしゃいます。俳優並みのイケメンもいます。才色兼備といいますか、勝ち組と言い切れなるかまでは微妙ですが、印象には残りました。

 かつて、どこがであったようなキャラクターに年齢を変えて会うよね人もいます。

 たくさんのキャリアの方と知古になれたのは宝物として、心に残しつつ、旅の空で回想しております。

 それにしても、この旅は旅で面白いし、たきへんなものもあります。

旅行中 青春18の旅1

 4月2日、昨日から青春18切符で京都から静岡県に入り、天竜浜名湖鉄道で掛川今日はさらに東を目指し右往左往です。 

 改定され、複数人使用不可、連続3日OR5日使用となった青春18切符での初めての旅です。
「使いにくくなった」いろいろ改悪とかネガティブな意見も多いようですが、ある意味「旅」の提案としては3日間以上の連続というのは、いいルールかもしれないと思います。
 土日の何れかで間隔を開いて、日帰りで5回利用していたとか、バラにした切符を金券ショップで売った買ったで実際には2~3回しか使わないとかでは、本来のワクワクする旅ではないのではと思います。
 ルールの制約の中で、いろいろ考えて「旅」をするのが楽しいのです。安く鉄道を利用することそのものは「旅」の目的ではありません。金券ショップの使用や裏技みたいな、「旅」は本質の旅範疇ですらないのです。

 4月で桜も満開近く、ピカピカのスーツの新入社員軍団も見かけます。

 旅先で土日ほどではないですが、18族っぽい人もチラホラ。なぜか、スイス人の若い女性がも前面展望で撮り鉄、英語で話してると意外に日本語上手い人で、新婚旅行でスイスに行った話をしました。いろんな出会いがあるのが旅らしいです。

商品券で騒ぐ以前に

 一国の総理大臣が、新人の同胞議員に食事会の手土産の商品券10万円を激励か慰労の意味で配ったことが、それほど忌み嫌われるほどの問題でしょうか。もっと国会で審議し、新聞などのマスコミが問題提起すべきことはあるはずです。
 誰が記事につながるリークをしたのかも、過去の例はどれほどのものかも問題ですが、すぐに今の情勢を鑑み全員返納したのも、失礼でもあるし変な話です。それほど、政治とカネに潔白で10万円貰うのを憚る清廉な議員ばかりなのでしょうか。田中角栄の時代ならいざ知らず、今はそんな時代ではないからとかいう人もいますが、それならもっと問題にすべきお金はあります。

 庶民にとって10万円は大きいと言いますし、諸物価高騰で税金も高い中、怒りを炊きつけられれば世論は誘導されます。
 確かに法に触れる、政治の決め事の中で、政治資金などであれば収支記載には金額が小さくとも書くべき内容ではあります。
 しかし、怒る人も、そもそも国会議員がどれほどの歳費や無税の経費を貰っているか今一度考えてみてください。たぶん、沢山貰ってるだろうと思っていても、およそでも金額を即答できる人は少ないでしょう。

 国会議員の月給にあたる歳費は月130万1000円で、ボーナスにあたる期末手当は約635万円、これだけで年間3000万円近くです。その上に毎月、文通費といわれる文書通信交通滞在費:100万円、立法事務費:65万円/月が入ります。
 石破総理の10万円を取り上げる立憲民主党、維新ら野党議員もさらにこの上に、けた外れの団体献金を受け取っています。
 この実態の金額をよく見れば、10万円ぼっちで怒っている国民はどう思うのでしょう。
 もちろん、民間企業の役員でもっと貰える人もいますが、国会議員ぐらいの立場の人が貰うお金としての10万円と、月給手取り20万30万が貰うのとは、いろんな意味でまず感覚が違うと思います。10万円という金額に対して、表現というのか感覚を説明するのは難しいですが、このぐらい貰っている人を印象付けるには、1万や2万ではやはりすまないでしょうし、ある意味それなり妥当な額です。問題はそれ以上のお金が平然と毎月動いていることです。

 国会議員がみな清廉であるのなら、月に130万も貰えたら、文通費はいらないとか、もっと税金に回してと言うのこそ、現代でいうところの普通の感覚でしょう。今の野党の国会議員でさえ、その感覚がもう無さ過ぎで、現実的ではない清貧を主張するかと思えば、自分たちの実態はズブズブです。
 
 確かに一国の立法を司る議員の先生がそんなに貧乏ではやっていけないし、成り手もなくなります。それでも、庶民感覚と言うならば、せめてこの文通費や事務費、歳費の問題を見直し、法律を考え直すべきです。

書評:昭和100年ということで

 今年は昭和元年から100年目であり、戦後80年でもあります。戦後80年総括の談話もどうなるか議論されているようですが、政治は昭和からずっとグラグラしてドロドロしたものです。
 もう令和も7年ということで「平成史」なる書物もいくつか出ていますが、昭和ほどの複雑怪奇で魑魅魍魎が跋扈した時期とはボリュームでほど遠く違います。
 左右考え方の違いで、いろいろ言われますが、半藤さんの著作は、よく調べ上げておられます。
 昭和というとどうしても、日中戦争、太平洋戦争と重い戦前編のボリュームが増えます。歴史は、勝者が編綴することが多いのですが、日本では自虐史とも言われ、さまざまなバイアスがかかっているという意見も最近は特に多いです。
 ただ右側の立ち位置から、半藤さんは「左翼だ、自虐史観さ」というのはだいぶ違うと思います。元々、文藝春秋の記者で立ち位置はそれほど左寄りではありません。この年齢の方の、母店でいうと渡邊恒雄や氏家斎一朗、堤清二らも共産党出身でアカになっていまします、朝日新聞や毎日新聞はアカではなく、軍部に寄り添った政府のプロバガンタのような新聞でした。
 最近の報道だけで、右だ左だと決めつけず、先達の著作の労苦の部分は、偏見なく読み取るリテラシーは必要です。

 もちろん、歴史は間違って伝わること、誤解を産みやすく歪曲されている場合があります。資料や証言などを良く読むと、そこらを悟るリテラシーが磨かれます。

 半藤は昭和天皇やその侍従などの資料をよく調べています。陛下を美化しすぎて、軍部が悪役に見え、政治家や大衆が愚かに見えます。しかし、戦争に流れていく歴史の妙な、偶然と必然が複雑に絡んでいくのもわかります。

 戦争で被害を蒙った人、家族を失った人、戦地や抑留で辛酸をなめた人は当事者であり、戦争を恐れ、否定するのは当たり前です。戦後80年経ち、その人達が亡くなっていくことは、感情的なものを排し、昭和の戦争とは何だったのかを検証すべきところです。

 同名のマンガですが、水木しげるの「昭和史」もまた、著者の体験がメインで天真爛漫で本奔放な青年が、軍隊で壮絶な目にあい、片腕も失います。理不尽な運命ともいえますが、その後の活躍は、この時の南国での友人や霊的なものとの出会いも重要なキッカケとなっていて、戦争に対する恨みや憎しむのようなものはなく、淡々と終戦も高度経済成長も描かれます。

 私たちの子供の頃は、傷痍軍人が片隅にはいて、軍隊の物語は映画やテレビや街中でも身近に語られていました。今は大がかりな考証やCGの大作映画でこそありますが、二次三次の伝聞で作られ、エピソートもそれらしい劇的なものが多すぎてリアルさがないのです。
 軍隊で、上官が新参兵を虐める、学徒動員なども容赦なく叩きあげるところなどトラウマになります。しかし、人間はどこでも同じことをやります。企業でも下士官と同じように、「会社のため」「決算のため」「〇〇支店の達成のため」と激しいゲキを飛ばしていました。そしてこんな上司になりたくないと思っていた新人もやがて管理職になると同じことをやっていました。高校の体育会系運動部で3年になるのと、同じですし、学校の多くのイジメ構造と同じです。

 誰が悪かったとか、追及するのもつまらない業です。人間なんて、その場に追い込まれたら同じようなものです。そこをサラッと振り返るだけです。

 歴史を後から見て、現代がいいとか、自虐も、正当化もいらないのです。証言や資料から、著者の思惑から、真実を紐解いていくだけのことです。

 読み応えはあり、詳しい書評、内容などはとても短く書くことはできません。それでも歴史や政治が好きな人、水木さんのはマンが好きな方にもおすすめです。

幸せは人と比べないこと

 うちの娘は、マイペースであまり空気を読まないで突き進むところがあり、親としては自慢できるのか恥ずかしいのか複雑な子でした。

 遊びでも運動でも何か夢中になると、体力が尽きるまでやり続けていました。参観日などでは、先生を困らせ他の生徒がひくほど質問する子で、聞くと参観日で張り切っているのではなくそれが日常だというのです。
 まだ言葉を覚えて少し経ったぐらいの小さい頃、赤いゴム風船を貰って、「ワタシの風船」といつまでも持って喜んでいました。

 こんな小さなゴム風船でいつまでも遊べる無邪気な時代、親としてはやがて高いおもちゃなどのプレゼントやレジャーにもお金がかかる時期が来るのは分かりました。それでもわずか10円ぐらいの風船でいつまでも遊べる子供を見ていて嬉しかったものです。

 幼稚園、学校、就職先と友人ができると、自分が家の中だけでやってたことが世間の他人と違うと、「ダサい」とか「間違っている」「もっと格好いいものがある」と思わされる情報がたくさん入るのでしょう。
「風船で遊ぶ」「サンタクロースがプレゼントをくれる」「親や弟と一緒にお風呂に入る」などと言うことは、友達から情報が入らないと、娘はずっと信じて楽しんでいたように思います。マイペースな性格は概ね変わらないですが、ずいぶん妥協しながら大人にはなっていくものです。

 それが幸せかどうかは別にして、勉強をしていき、社会にでると清濁、真偽のわからぬさまざまな情報を選ぶ毎日になります。
 他人が持っている情報を羨むと、だんだんとそれが欲しくなって今の自分が幸せなのかが分からなくなってしまいます。

 自分が持っているものが実は素晴らしいと思えることが幸せの第一歩です。

 そんなことを思いださせる娘も嫁ぎ、親になろうとしています。

整備新幹線延伸、平行在来線問題はまさに曲がり角

 今年7月で休刊する鉄道ジャーナルですが、ここへ来てジャーナルらしい集大成ともいえる特集でした。整備新幹線の歴史、現状、課題をきめ細かく調べ、鋭く提言しています。

 北陸新幹線延伸、西九州新幹線の佐賀、北海道新幹線の札幌延伸と、整備新幹線のスキームは完全に見直しの時期に来ているのは明白です。土台になるルールがグラグラしたところで、地元の政治家が我田引水でいろいろ言い合っても拉致があかないのは明白なことです。
 最初から、決定事項として迅速に進め、例外を認める場合も明確にしておかないと、どんどん議論が泥沼の深みへと沈みます。

 鎌倉淳「鉄道未来年表」鉄道研究所の代表を務める著者の本の中にも、整備新幹線がスキーム含めて見直しの時期に来ていることは、各新幹線の見通しとともに書かれています。

 5年後は、ほぼ現在進行の中で見えますが、20年後となると精度も難しいところです。延伸や新線計画では北海道新幹線とリニアの名古屋までができているかどうか。

 交通系ICカードと、クレカ決済、コード決済と三つ巴か三すくみのような運賃収受も既に戦いは始まっています。さらに試験的には顔認証のゲートも作られています、それでも、現金から紙の切符あるいは、現金収受も無くなってはいないのでこの見通しも複雑です。

 そして、これらはあくまで都市部で多くの乗客を効率よく、確実に漏れなく捌くためであっって、地方鉄道との格差は進むばかりです。

 非常に地域や路線、設備などあらゆるジャンルの近未来を分析された本でこちらも面白く読みました。

 京都に住む私としては、都市と地方の格差も問題ですが、関西の人口が減り相対的に首都圏との格差は開き、新路線の計画も少ないことは残念でもあり、危機感もあります。万博やその後のIR、リニア新大阪延伸まで関西が盛り上がり続けられるのかは、政治家、経済人も頑張らないといけないところです。

 駅や路線で、土地を奪われたり、環境が悪くなるとか、産業に利用していた水が心配だとか、そのあたりは当然利害関係があるわけで、「害」を蒙る方や、可能性のある方は補償し、安心を与えないといけません。政治が当たり前にすべき説明です。
 作るための地元負担が大きいのに対し、どれだけ地元に恩恵があるかのデザインスキームを見せられ、夢を与えられるか、鉄道を含め地域の関わる政治家、事業化の使命でしょう。