今の中学や高校、大学なども、私たちの学んだ40年も50年も前とは,施設は随分変わっているかもしれません。それでも、子供や新卒の後輩などから漏れ聞くところは、学び舎の友達関係は大筋では変わらないような感じがあります。
学内には少なからず、イジメもありました。
それでも親しい友達を作り、それなり楽しかったのが学校に行っている時代でしょう。大学までにはアルバイトもして、ちょっとは働くことを覚え、社会を知ったつもりでも、社会人になったのではありません。
中には学校がつまらなかったと言う人もいるでしょうが、やはり社会に出てからの厳しさ、格差の大きさに比べると、学生時代までは楽しいこと、気楽なことが多かったと思う人が多いのでしょう。
好きな言葉ではないですが、「勝ち組」「親ガチャ」「家ガチャ」、社会に出て大成功した人もいます。逆に「負け組」ともいえる落伍者や、実力や学力は変わらずとも貧乏くじを引き、出世できず平凡なポジション止まりに終わる者は多いのです。
やはり辛く、残酷に感じるのがそんな「負け組」となる立場に落ちいった人です。
継いだ事業や、家族、健康などさまざまな要素もありますが、苦労しながら這い上がった人もいる中、同窓の中で若くして自死を選んだものがいました。
参加した告別式では彼の子供の頃からの30年ほどの生涯が読経の中に語られ、良く知る高校時代のエピソードもありました。
悲しいという感情と、口惜しいというのか残念な思いが入り混じった不思議な気持ちになりました。
自分だって、イヤなことはいっぱいありますが、優秀な彼がそんなことに耐えられないほどもっと辛い日々だったのか。30近くになり、会社勤めだと、主任や係長と出世の階段を上がる、友人の景気のいいバブル時代、それがかなりキツかったと聞きました。
自分の居場所がみつからないと、やはり人は悪い選択をします。
もう一人親交のあった友人も少し残念な別れでした。
還暦を過ぎ、悲しい別れだなあと思ったのです。高校で人気者でむしろいじめる側に近い、面白い存在、授業や遊びの中心にいたタイプの人間です。
こういう人は、社会に出て上手くいかなくても、友達に誘われると見栄を張り背伸びをして、自分を盛り(もり)ながらも昔のツレに会いに出てきます。
誘う側も、面白いメンツが多ければ多い方がいいから悪気なく声をかけます。
「高校時代が一番楽しかった。一番人生で戻りたいのが高校時代」飲み屋の女性にもよくタイムマシンで戻れるならと質問し、自らはこの解答をしていました。
小学校時代は優秀で、中高でも元気で、授業もいろんな活動も華々しかった彼ですが、老舗の家業を継ぎ失敗、いくつかのしくじりを重ねて、再出発とは言っていました。
もう、サラリーマンなら安定した定年後を考え、事業を展開していた人も息子への承継を考える年齢です。その友人が格差ある「勝ち組」のもう一人と3次会で、近況やら本音を語り合ったようですが、正直あまりの現状の自分の立ち位置、同窓生のリッチとプアの格差に気づいたら驚いたか呆れただけならいいと思いました。
どうもイヤな予感のする二人でした。もう一人は温厚なので喧嘩とかではないですが、実力なのか強運なのか親からの事業を拡大して大成功して、大変な資産でもう遊んで暮らすような老後の人物です。
その後、「俺はまだまだ頑張らないといけない」と、すでに老後の計算ができている人間に比べて、自分を謙虚に卑下したホンネを語ったとその夜の話を少し聞きました。
元々高校生ぐらいまでは口が上手く面白かった特性が社会では信頼されない軽い人間とされ迷走、しくじりは続いたようです。
ある時、SNSで私の職場が近いということで、また飯でもいこうとメッセージが来ました。しかし。何週間も経っても一向に連絡はなく、相変わらずいい加減な男だと思っていましたが、その後事故というか病変で亡くなったという悪い知らせが来ました。
あの夜に会ったきり、結局彼の人生はもう一度輝くことはなくなりました。
私も地元にいない時期が長く同窓会への出席はおろか、親しかった友人グループとあうことも稀な時期が続きました。帰省しても移動して子供を双方の実家に連れていき父母に孫を見せるだけでも大変でした。
妻と子供の病気もあり、転勤が多く上手くいかない社内で立場も難しく、それぞれ環境の違う友人に心を割って相談するゆとりも時間もなかったです。
ネットで繋がろうと誘われても、しばらくは絶縁でした。
今、思えば誰も他人は成功して幸せそうに見える症候群だったのかもしれません。
関西に戻り、ようやくSNSなどで繋がりを取り戻しはじめ、還暦近くで再会を果たす友人も何人かはできました。ただ自分の中で、鎖国のように友人を拒んでいた選択も間違いではなかったと思います。
冷静に自分の居場所を見つけるのは、時には逃げること、誰か信頼のおける人に頼ること、それぞれの勇気と優しさが要ります。そして、その時に助けてもらったり、迷惑をかけた人には必ず礼を尽くす、感謝の気持ちは持ち続けることです。
今でも、毎日あの時こうすればよかったと思うことは繰り返されますが、とりあえず多少自分勝手に生きてきて
65歳になっても役員でとか、大学教授、定年のない仕事、自由業、自営、雇用延長でがっつり働いている人もおられました。
今は役職定年も増え、60歳以降となると再雇用で契約も違うそもそも肩書の無い人が増える割中で役員で残る前述のような人もいる肩書も所得も格差が激しいのです。「妬み」や「嘆き」はむしろまだまだ大きくて、「学生の頃はあんなに楽しかったのにとか、あいつよりモテたとか。優秀だったのに」ということがあってなかなかフラットになれないのです。結局いつまでも公平なんてないのが世間です。世の中の格差、不条理、理不尽を沢山みてしまうのがむしろ還暦以降かもしれません。四苦八苦の煩悩の一つでしょう、妬むとか驕るとかは結局毒であり、苦につながるのです。
それでも今はSNSなどで、繋がり、励ましや癒しを共有してくれる友人も見つけやすくなりました、新しい居場所ができれば良きいことです。
勝ち組負け組とは – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)