「色白は七難を隠す」? 美熟女のせつなさ     #ルッキズム2

 人間は花でも、絵画でも、動物でも美しく、可愛いものが好きなはずです。ですのでルッキズムはごく自然な本能的なところからきているといえるでしょう。
 美の価値観を押し付けたり、美しい人を優遇し、そうでない人を差別し、外見を揶揄したり罵ることが問題なのでしょうか。しかし美が評価されるることが、完全否定できない以上はどうしても起こりうる問題です。

 ミスコンを廃止しようという大学が出てきて。未だに続けている大学を時代遅れとい風潮もありますが、自由な大学にあって楽しいイベントではないかという考えもあながち否定はできません。そんなものを廃止したからと言って大学の価値が上がるなどとは私は全く思いません。むしろ自由さのない、つまらない大学になって人気がなくなり衰退するのではと思います。

 芸能人、モデル。タレントあるいはキャパクラやホストクラブのような水商売などは美形であることが一つの条件の場合もあり、それは仕方ないと思います。

またミスコンのような一過性のイベントに目くじらを立てる以上に、社会にはびこるルッキズムは沢山あります。
 もっと噛みつくべきところは、普通に学校を卒業して職業に就く場合などで美、外見が優先されるということでしょう。資格を持ち、学生時代に取り組んだことがあり、仕事ができそうとか、どういう考えとか意欲をもっているそういうものに関わらず外見が重視されるということです。
 芸能人やモデル、水商売以外でも、テレビ局のアナウンサーも昭和では考えられないほど、美男美女、とくに女子アナが無駄とも思えるほど、ニュース番組にぞろぞろいます。しかも網の凄い高収入です。ニュースや気象情報を読むだけなら外見は関係ないはずなのに、どうもそうではないようです。
 女子アナが視聴率を稼ぎ、あるいは大きな会社の受付嬢、百貨店や化粧品などの販売員も外見優先というのは、採用の段階でそこがポイントなのは何となく分かります。

 前回述べたように、もっと今騒ぐべき問題は、全く一般の営業など総合職に就くためにもルッキズムが蔓延し、化粧どころか整形までする風潮です。どこの会社も就職の選考にルッキズムが入っているということです。

 これはとくに韓国が先行し、日本も欧米以上にこの傾向が強いようです。取り合えず入ってしまえば、秘書や受付嬢などは十分だという男尊女卑的な考えも根強いという面もあるとは思えます。また外国人に受け入れ、移民などが少なく、「色白は七難を隠す」などの言葉があるくらいで、価値観の同じ同一民族の占める割合が多いことも要因でしょう。

 片方で、ミスコン批判やルッキズムを問題視しながら、他の局面では「美しすぎる市議」「無駄に美人(イケメン)」だとかの表現が罷り通る報道もご都合主義です。

 美少女やイケメンばかりのコミックは昔からあります。最近はエンタティメントはもちろん純文学的作品でも映像化を元々狙ってビジュアル化を明らかに意識して、美男美女を書いているようなものも当たり前になっています。

 しかし、現実の世界ではそうそう美男美女が揃う集団はいないので、幸か不幸か適当なところでうまくいきます。ストックホルム症候群とも言われる現象もありますが、テレビやネットの中すれ違う街では美男美女を知っていても、職場などの自分の交友できる人がその人しかいなければそこでその人のいいところを見つけうまくいくのです。
 テレビのキー局と、町工場ではレベルは違っても、それはそれで憧れる人、愛する人ができるのです。そして、それはルッキズム関係なしに、良い仕事や交際に繋がります。誰もが老いを迎え、若い可愛らしさや、美しさは漸減します。元々、それだけでうまく寵愛されてきたのなら限界を迎えます。「ミス〇〇大学でした、15年前、、」では自虐ネタにしかつかえないでしょう。身勝手なもので、異性への外見的な興味は若い美しい方へ移ります。そこへ興味が移る方は、もっと醜く老いていても自分にはルッキズムは適用されない身勝手さです。

 結局は長い目で見れば、外見で人を選んでも大した違いはなく淘汰されるのでしょう。「整形して何が悪い」という人は、頑張り続けないといけません。その場しのぎの優位性ではなく、お金をたっぷりため、権力を握り絶大にするなどしないと、やがて容姿の衰えとともに、情けないことになります。

 人間って切ないし、ある意味可愛いなあと思うのは、若い頃とても美しくルッキズム恩恵を余すところなく受けていた人が凋落を恐れ、必死にもがくような姿です。開き直って、強欲とかお茶目で可愛いオバサンになり切れない人が、美に執着して、髪を染め、スキンケアをして、化粧を濃く変える、必死になっても其れでも若い人や昔を知らない人には色気のある滑稽な熟年にしか見えないのですが、その哀れさのようなものに、業を感じるとともに切なさを思います。

 流行語?なのか ルッキズム  #ルッキズム1 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

流行語?なのか ルッキズム  #ルッキズム1

オリコンニュースより「ビフォーアフター」(画像提供:みきしぃさん)

 大学のミスコンなどの問題で、議論したこともあるのですが、ルッキズムという言葉、潜在的にはあると思っていましたが、まさに流行語大賞にノミネートされるほどとは、何だか妙な感じです。言葉そのものは1970年代からあるようで、ウィキなどでは以下の感じの説明です。

 ルッキズムとは外見に基づく差別または偏見。主に人間が視覚により、外見でその価値をつけることである「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり外見至上主義、「外見を重視する価値観」との意味でも使われる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。

 蔑視や差別の意味合いが強くなり、ヘイトや人権、多様化の価値観の昨今ならでは意味が変わりつつあるようです。

 日本では他人に対して ”髪型変や” ”太ったねー” ”老けたねー”等と他人の容姿に対するネガティブなコメントが容認されている傾向があるそうです。日本ではこれは家族、友人間だけでなく職場でも行われています。アメリカやイギリスでは家族間ではたまにありますが職場で他人の容姿を褒めることはあってもけなすことはあまりないそうです。

 不快なことを言う言わないだけでなく、ルックスが良い人が厚遇されるというのは日本に限らないかもしれません。

 2000年代初頭、韓国では就職活動を有利に進めるため、男性の9.3%、女性の22.3%が「リクルート整形」を行なっているという話がつとぁりました。

 女性にリクルート整形はその後日本では割合が上がり、男性も印象を変えるため始まりました。
 2003年には、就職活動を行う大学生だけでなく再就職を目指す中高年男性がプチ整形を行なっているという報道がなされたそうです。

 芸能界はもちろん、政治やスポーツ、報道、あらゆる分野で「イケメン」とか「美人過ぎる〇〇」などという存在がチヤホヤされ、広告塔として目玉にもなってきました。

 美人やイケメンの経済価値というのは、随分前から、陰では言われていました。そのために、私がいた化粧品業界のメイクなどのツールがあるのです。昔は女子高校生が、化粧品会社の就職し美容部員になると、どんどん年齢不詳にキレイになり垢抜けていき30代後半ぐらいまで年齢も若く旬の美しい時期が続きました。
 そして、化粧品からさらに進んで親からもらった身体にメスを入れる整形へと時代は移ります。

 お金をかけて美を追求し、利益を得た人にとっては「何が悪いのか」という意見も、議論の中にあります。

「脱ルッキズム」や「美の多様性」の観点から、いろいろ問題が出だし、その論争が流行語にもつながったのが今年でしょうか。

 議論の詳細は 明日以降に続きます。 (つづく)

天使が舞い降り25の法則  11  昔に戻りたい?何でもないことに傷つかない気にしない

 11 何でもないことに傷つかない

 私の中学高校の友人で、京都の何代目かの老舗を継いだヤツが、飲みにいって女性との話すきっかけ、話題作りに、『戻れるとしたらいつの時代にも戻りたい?』という質問から入るそうです。
 その相手がいつに戻りたい、いつが良かったと聞きながら自分が「高校時代」が一番良かったと、昔自慢をするのです。

 ただこの友人やはり、ちょっと今が不遇というほどでもないものの、少し不満な物足りない時期のようです。
 小学校時代から優秀で、運動神経も良く、高校あたりでは遊びを覚え、やりたい放題だったのでしょう。大人になって、ハメを外しきれない他人に気を使い、地味にコツコツもやらないといけない長い時間よりも、あの青春の日々が良いのでしょうか。

 この間、AMラジオのMCとゲストたちは、今の知識や経験を持って子供に戻れるならいいが、一から勉強をやり直し、受験勉強や。入社試験、社会人の基礎もやり直すなら今のままでいいと笑いながら言いました。それには「そうそう、めんどくさいもの」と共感もありました。
 それはまた設定に対して妙にリアルな大人的なリアクションです。
 それを言い出すと、我々の世代でいうと、子供時代に帰れば、ウォシュレットもコンビニもスマホもありません。やがてそれができると知っていてもその不便に耐えれるでしょうか。

 そんな細かいこと抜きに、人生どこかのポイントに戻ってやり直したいというのは夢のある事かとも思います。
 社会人で、そろそろ先輩からお局「だとか、長老的な年代になると、もう「守りに入ってる」と言われるような年代で、つまらない失敗もしたくないので勢い消極的で保守的な選択をしがちになります。

 逆になんでもないつまらないことに、失敗を恐れ、臆病になり、不安を増殖して憂鬱な気分に落ち込む時があります。
 「何でもないことに傷つかない」
 この法則を共感いただいた方も何人か、熱い「そうだった」というコメントを貰いました。失敗ができない世代などないのです。経験が多ければ多いほど、もう新たにチャレンジするのも、過去に何度もやったことをもう一度やるのがめんどくさくなりがちです。でも、失敗することは若さの証明でもあり,成功への検証、一歩前へ進んでいるのです。

拝啓NHK殿 朝ドラと紅白は卒業、もう見ません

 私はけっこうNHKのニュースと朝ドラ(連続テレビ小説)を朝の時計替わりに、見てきていました。朝ドラは当初始業がやや遅い会社に勤めていたのもありましたが、ここ数年は録画も交えてほぼ毎回を見ていました。

 すでに何年か前の広瀬すず「なつぞら」で100回目を迎え、そのサブの登場人物も朝ドラや大河の主演となったりで、時が過ぎるのも早いですが、今般本土復帰50年沖縄を舞台しした「ちむどんどん」が先月で終わりになり、もう朝ドラを見ることはやめます。
 紅白歌合戦の無駄遣いも以前に書きましたので、今年年末は紅白も観ず、初詣に行くか早く寝ます。

 朝ドラに関して言うと、NHKの前時代的な体質があまりに露骨に透けて見えるようになり、脚本もこのところひどいので止めます。別に次のヒロイン福原遥が好きとか嫌いではないのですが、今後よほどの出演者か興味ある人物の採り上げでもない限り、見ないことにします。
 大河ドラマは多少歴史を思い出す勉強になるので思案中ですが、現在の鎌倉殿の13人は同年代の舞台脚本家の三谷さんが書いていたので終わりまでは見ますが、次はわかりません。
 

 ニュース番組はネットで通常はすませますので、大きな災害や政治関連くらいです。あと、ドキュメンタリーやスポーツ中継、単発のドラマには民放でできない内容のものは見るでしょう。

 まあ、こんな宣言しなくともNHK見ない人は多いので、受信料って理不尽なものです。NHKをぶっ壊すという方にもろに賛同するほどではないですが、どちらかというとあの組織は解体した方がいいようです。

自分の出た大学を買ったブランドだと勘違いする草

 私は中学校から京都で同志社に入り、大学まで進んだ同志社ボーイです。
 京都に戻ってからはたまに今出川の校地を散策することもあります。
 一応、母校のOBのコミニティサイトなんぞも覗いていますが、何だかこのところ事件もありましたが。そのリアクションやリプのレベルの低さに驚きます。頭の悪いというのか、バイアスにかかりやすい、騙されやすい、融通の利かないのには辟易とします。10年も世話になって母校愛がないつもりではないのですが、ちょっと問題があると自分の卒業した学校のブランドが棄損されたような被害意識で、正義感のようなものを見境なく振りかざして満足する後輩や先輩が多くて、そのことが嘆かわしいです。

 棄損されるような内容の事件そのものが、いいとか悪いとか議論していないはずですが、火がつくと文章が読めないのです。
 OBが不祥事を糾弾する行為は、どこまで行っても自分の買ったブランドモノのバッグが傷つけられた被害者意識を、エセ正義感に転嫁して憂さ晴らししているようにしか見えません。
 

 大学は自治、自由なものですし、スポーツや芸術などに秀でてそれを中心に活動している人は過去からいました。有名なアスリートが輩出され、文学賞を獲ったり、有名な俳優や実業家が出れば、自分のことのように自慢しておいて、いざ不祥事や事件が起こったりすると癇癪を起す。もう小さな子供駄々っ子と同じ心理だと思います。
 自分の時代の方がコンプライアンス、SDGsなどもなく人権的にはひどかったのに、今は少しこういう問題に抵触すると「時代遅れ」とか上から目線で偉そうなことを言うのです。年齢は食っていても頭は幼児のままか、それ以上に硬直して厄介な人々です。

 大規模の大学で、人を集めるのであれば当然一定の割合で不祥事をやらかす悪人も常に発生します。同志社が一流のブランドだと褒められた経験は皆無ではありませんが、国立や早慶には負けますし、早慶とか東大だからどうではなく、問題はその人の力であり人となりです。卒業して何年もたつOBは目の前の仕事や家庭、地域のことに目いっぱいでいいのであって、母校がスポーツつやらで上がろう下がろうが何の影響もないことです。
 そんな母校の盛衰など私はあまり気にならないです。思い出としてはもっていますが、まあ時々勝ち進んだらスポーツを応援する程度です。決して自分の評価も上がらないし、下がらないのです。気にすることが無駄です。

 

秋は慌ただしく来て去る

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 今日は昼間に少し移動があり、日中を歩き結構暑かったですが、陰に入ると真夏ほどの猛暑ではありません。だんだんと日が短くなります。
 1年でも収穫の秋とも言われ、食べ物も美味しい季節であり、スポーツや文化芸術の秋とも言われますが、活動しやすいのは確かです。

 1月から始まった1年は4分の3近く終わり、4月から始まった会計年度は半分が終わりに近づきます。9月後半の連休、国葬が終わるとあっという間に10月です。夏までに終えたことと、課題を残したことを点検して年末や年度末に向かいましょう。

 かく言う私はこの7月と8月はあっという間に入院や療養で終わりました。やり残しではないですが、あまりにも早い時間の経過に驚きます。一寸先は闇とも言われますが、そんなことも思いましたこの半年です。

前に夏の終わりはアンニュイになると書きましたが、9月病と俗に言われるこの時期の心身の不調も世間にはあるようです。長期の休みが終わると、自殺が増えたり、出社や登校できなくなったりする人もいるようです。そこまでいかなくても夏の疲れが出てこの季節の体調管理やストレスへの対処は大事です。せっかく夏を乗り切ったのに、過ごしやすい秋に不調になるのはもったいないです。人間も暑さに耐えて、充実の季節になるはずです。うまく乗り切って、季節を存分に楽しみたいものです。

夏の暑さが終わる         少しだけアンニュイ

ドラレコ、GPSで今の営業はさぼれない?

 私が若い頃は化粧品会社の営業の第一線だったので、一人に営業車を与えられ、朝晩はよく上司に怒られても外に出てしまえば気楽というのはありました。
 大阪の新入社員時代からの3年間は、朝から小言や、叱咤、修正の書類など出さされても、営業の主だったメンバーはそれなりどこ吹く風でした。午前中から数件回るような空気出して出かけ「ロイヤルサミット」とか言いながら、昼前から長々とファミレスで上司の悪口や女子社員のだれが可愛いとか、まあ仕事の攻略もちょっと話す程度で結局ランチまでゆっくりしてました。
 ブラック企業的に昭和の営業はみんな夜遅いですが、昼はみんな公園の木陰などにクルマ止めてよく寝てました。
 当時は黒板に行先を書いて、緊急以外はそう探されませんでした。その後、ポケベルを持たされ、やがて携帯となりましたが、サボる人はサボるのです。
 私が平成も半ば過ぎて管理側に回ると、サボる効率の悪い営業をチエックしないとなりません。これが難しいところです。
 Y君という一見人当りのいい営業マンと、2度ほど一緒になりましたが、とにかく評判が悪く、約束を守らない、誤魔化す、取引先にほとんど行かないというとんでもない奴でした。
 営業日報を見ると月に何度も訪問して商談したことになっているが、取引先から数カ月見たことがないと言われるレベル。ホントにGPSでもつけて管理しないとどうしようもないタイプでした。
 今はドラレコついて、行った場所やルートは安全運転管理側で明確にわかるので、あんな営業マンはどうしてるかなあと思います。

 もちろん他の業種の店舗を参考にしたり、息抜きも必要な時もあるのであんまり杓子定規は自分の経験上も良くないとも思います。今はエビデンスがすぐ出る時代なので、深夜まで残業代なしで怒鳴られることもなくなり、本来の営業だけを集中した時間をこなすしかないでしょう、営業はサボれるものという観念がぬけないY君彼は心入れ替えてないと多分厳しいとは思います。

実は最強、マスク要らない状態

 肺の疾患の療養中に家族全員がコロナということで、一瞬真っ青になったが、オミクロン比較的たいしたことなく通過しました。コロナ陽性から、その後PCR検査、抗原検査でも10日後には陰性、これってもうワクチンを放出していないことの証明だし、なおかつ2ー3カ月には抗体の影響でコロナにはかからないそうであり、最強のスーパーマリオ状態です。
 全体主義の周りは気にするけど、人に感染させない、人からも感染しないのであれば、マスクの必要性はまったくないと思えます。暑苦しいだけ、皮膚の過敏症や、呼吸器疾患とか特例以外にも罹患治癒の直後は人にうつさない、人からうつされないのだから、本当にマスクの意味がないのです。

とはいえ油断は禁物ではあります。コロナ以外にもいろんな不潔なものの飛沫は飛んできます。元からいる常在菌やウイルスも疲労などにつけこんで悪さをします。適度にうがいをし、手洗いは有効です。
 マスクは乾燥を防ぐ意味合いもあり、冬場はエチケット以外にも効果は歩きがします。ただコロナに関して言えば、空気を舞ってくるのですから防げるものではないです。
 罹るときはかかるものとして、受け入れるしかありません。

元気復活、15,000歩

毎日15,000歩実践していたものの、肺の疾患を抱えて、その後コロナにも罹患したため、外にも出れなくなったので歩くことは少なく、ほとんど1万歩にも届かない2か月でした。

 歩く距離以前に、腹筋やダンベル、腕立て伏せや体操すらやる気力も沸かない時期が長かったので、フルメニューまで戻れるのはもっとかかるかなと思いました。

 しかし昨日、涼しくもなり、朝からダンベルなどのルーティンをこなし、入院中で三回忌も行けず、コロナ禍でお盆にも行けなった墓参りに行きました。復帰後は初の公共交通機関の地下鉄でエスカレータを使わず階段で頑張りました。その帰りにもう一回りウォーキングをして少し足は疲れましたが、肺も心臓も大丈夫で15,000歩楽にクリアしました。
 この年で、自然良能の力があることに我ながら感動しました。

病気や介護にお金はかかる

 ファイナンシャルプランナーが家計の点検をする際、項目として毎月定額で出ていく、携帯電話料金や生命保険や医療保険の見直しを良く提案します。
 私も現役のサラリーマンで住宅ローンまで組んでいた時はかなりの保険をかけていましたが、もう少しの障害保険とガン保険っだけにシュリンクしていました。
 毎月出ていくものを抑え、めったにがん以外の病気で長期に入院することはないと思っていたら肺の膿瘍、肺炎で20日間入院してしまいました。高額医療の限度額があるので、保険料分払ってた分に比べると払い過ぎでもないですが。限度額に含まれない食事代1食460円は結構計算に入ると痛く感じます。これももちろん普段の食費が当事者分はゼロですから丸々損ではないのですが、病院の食事ですから何だか損した気持ちも重なります。

 個室を選ぶ人も最近増えたようで、差額ベッド代も入院が長くなると、長期旅行なみにかかります。トイレが共用で他人のいびきやら雑音が気になって養生できない人は結構いるようです。庶民には個室は高値の華、病院は苦行です、

 差額ベッド代も食事代も医療費控除の対象にはなります。しかし税額控除なので税率の分しか返りません。

 私のように有給休暇を使いきり有給の病気休暇がない企業などでは、給与ゼロになるので、健康保険から傷病手当金がでます。日額報酬の3分の2です。大企業や公務員の正職員には病気有給休暇なるものがあり、制度としては優れています。高額療養に上乗せのような補助の出る健康保険組合もあり、1カ月の自己負担を2万円程度までに抑えてくれます。やはり大企業は恵まれています。自己負担が限られるとはいえそこまでの負担プラス食費などが想定外支出となります。

もう少し療養や介護にかかる費用を大きく見ると、老後の資金設計の中で占める割合は高くなります。年金生活で今の暮らしの3分の2か2分の1程度にシュリンクすれば良いという計算が大きく崩れる場合があるのです。まして年金だけでは毎月持ち出しになるような試算が出ていた人はあっという間に貯金などが底をつきます。

 今から老後を考える人は、普段の節約ももちろんですが、資産の運用や、できるだけ老後も働くなどして余裕を増やしておくことにこしたことはありません。