1970年代無料だった老人医療が ついに年金生活者でさえ2割負担に

1970年代、約10年ほど70歳以上の高齢者医療は無料でした。
それはそれで病院がサロン化し、健保の負担も増えました。今のようにネット転売ビジネスがあれば無償で老人が得た薬がネットで出回りそうです。
健康保険組合も協会も国も財政が厳しくなり、高齢化の未来が見え始めた2008年に、ネーミングも不評ながら後期高齢者医療制度が始まります。医療の適正化、負担の公平を目的に75歳以上が切り離された感じになりました。企業なのの健康保険の扶養だった人は唐突に保険料の負担も増えたました。この時1割をキープするために何とか新制度の保険料えお介護保険料とともに年金から天引きして徴収し、財政を立て直しました。
この時の導入背景からは1割に抑えるからというのを、年収200万の年金生活者からも2割負担にするのは詐欺まがいです。
国民年金の満額が78万円2階の厚生年金部分で比例報酬がそこそこあれば捕捉され対象になります。
通院を繰りかえす病気や、入院ともなれば負担は大きいでしょう。
それだけ高齢者の構成比も絶対人数も増えて、医療財政が厳しいということです。

イベントや活動、移動の基準や根拠のない自粛

毎年キレイに大きなゴールドのクリスマスツリーやリース等装飾でにぎやかな我がマンションのクリスマス設置が中止でした。
近隣のマンションは今年もやっているところもあります。自治会任せ!何やら政府の自治体任せと似てきて、これといった基準もなくそれぞれのところで専門でもない印象で決めているようです。
GOTOキャンペーンがここへ来てえらく責められます。
プロ野球も相撲もサッカーも観客を少し減らしただけでやり切り、ラグビーや箱根駅伝は止める話も出ていません。
映画館は空前の動員記録を更新するヒットを出しましたが、未だに年末にかけライブや歌番組は無観客もあります。海外からの入国は一部は緩和されています。
これらも動員されたものは、今日の感染増の少し前に一気に人が動いた要素と言えます。
これらからのこともきょく検証して初めて、「旅行がだめ、ライブがダメ、映画は〇時間以内ならクラスターなし、スポーツは、宴会はと時間を区切りましょう。
外国からの流入が多いなら、やはり待機日数は必要とか、。
本当はわかってるはずの情報があまり伝わっていないことが嘆かわしいです。

二十四節気 立冬

晩秋とも言われる季節ですが、11月7日が立冬、冬の気配もしてくると言われる時期です。
北海道や北東北は平地でも雪も見られるようになりました。
立冬には、厳しい冬に見舞われるための、心身、家や田畑、果樹等への備えをする季節とも言われています。

西洋占星術12星座では、蠍座のど真ん中のところに太陽が通ります。

真摯に目標に向かって充実をはかる時期です。今年はあと少しの踏ん張り。春までが年度ととらえるなら冬は最後の季節、寒く厳しい時期ですが、それまでの経験や頑張りが活きてる時です。

野球が日本を元気にした

確かにオリンピックの種目も増え、サッカーや他のスポーツに分散したとはいえ、野球の人気は根強いです。
コロナの影響で短く強行なスケジュールで、MLBはWシリーズの王者も決まり、NPBも両リーグの王者が決まりました。ドラフト会議も終了、なんだか甲子園がないので埋もれたり、成長できなかった選手がいるのではと少し心配です。
11月ともなると秋も深まり、野球からウインタースポーツへ切り替わる寂しい空白の季節です。
戦後75年、戦後間もないころから敗戦からの復興の象徴のように、野球は盛り上がっていきました。高校野球、六大学野球、プロの前身職業野球、草野球、それぞれが日本の平和を謳歌し、スポーツの素晴らしさを実感させてくれたのです。
東日本大震災、コロナ感染症拡大、そのたびに休止もありましたが、一見復興とは関係のないスポーツうや音楽が元通りにあなることが、みんなの心を支えるのが分かりました。当たり前の日常が何にも替え難いのです。

世界中の言葉が美しい

世界にいったいどのくらいの言語や方言があるのでしょう。

私の住む関西でも、京都、大阪、神戸や府県ごとは微妙に違い。同じ府県でも旧国によっても少し響きが違う。
これが他の地方へ行くと全体にかなり音まで違う。九州や東北などの人の方言も特徴的ですが、やはり女の子など甘えるときは方言が可愛いです。海外旅行はあまりしてないのですが、外国の映画の俳優さん、子役なども言葉は違えど可愛いです。

首都圏や都市部への集中が進み、SNSやメディアの普及で方言が減っていくのはなんだか寂しいものがあります。人間の最も優しく、可愛い響きは標準語というよりもネィティブな方言のような叫びにあるような気がします。

20歳国民年金納付か学生特例猶予か

これは親御さんからの相談がおおいです。子供が二十歳になって、国民年金の納付書や免除申請用紙が来たが、どうしようかというご相談です。

本来、二十歳なので大人になった本人が考えないといけないのですが、何せ経済的にも自立していない上、保険や年金、老後などイメージできる年ではありません。

ワタシも、会社に入っても退職金や厚生年金の意味など、何もわからないに等しく働いてました。ただ、親御さんが立て替えるなら年金の意味、将来までの働き方、生き方とともに、お話はしてみるといいでしょう。ただ、支払うだけ、手続きすらだけでは、子供は何も知りません。社会保険のことを少しでも理解することは、良い勉強です。

良かれと思って、払っていた、免除の手続きをしたことで、何も知らないまま中年になり、親も死んでいくことは、年金不安以上に、不安なことです。年金は払ったほうが老後の安心のためにはなります。学費などで、今は払えなくとも、猶予手続きをして10年以内なら、お支払はできます。

支払う年金保険料は確定申告で控除もされます。

40年後の日本は想像し難いですが、年金制度は崩壊はしません。年金を払って老後に払わなかった人と同じにはなりません。払った人は、プラスアルファの金額を税金から受け取れます。払わなかった人も、税金は払っていたので受けとるものがなきと損をします。

人生応援:辛いときも

失敗したと思う時、辛い時期、苦しい時必ずあります。でもいつか振り返れます。それは次のステップへの糧になった。あんな時代もあったと思い返せる時は確実に来ます。

未来を想像しながら、今日を生きよう!【7】

想像しやすい未来というのは、ロボット化した社会だったり、リニアや宇宙旅行、がんの特効薬が市民に身近なものになるイメージかもしれません。
これが実際に少子高齢化の日本だと、こういう夢に描きやすいポジティブなものが、雇用の喪失、都市部と地方の格差、貧富格差、財政破綻の問題になります。医療は発達して寿命は延びてもそれは、高齢者が住みにくいお金もないでは悲劇にしかつながりません。
具体的には、献血や輸血が可能な世代の割合が減っていきます。どこかのポイントで血液製剤なども高騰します。今は日本が金満で世界に先んじてコロナのウィルスも買い付けられます。20年30年経つと、働き手も減りGDPもどんどん真ん中から下位の国になったら、そうもいかなくなります。
グローバルが何もかも良いとは言いませんが、今の世界の大学ランクの上位にまるで食い込めない日本の学術や研究ではとうてい技術立国は崩壊しています。
世界のトップ近くをぐんぐん加速して走っていた時代と、中下位で目標も無く引きずられる苦しい走りでは、高度成長期やバブル期に育った日本人に想像できない難しい問題が山積します。

生きることも老いることも病気になることも、死ぬことと同じ四苦の一つとも言われます。それでも医学の進歩で寿命が延びることが悲劇なら、研究自体に大義がなくなります。
苦痛を緩和することに専念した方が良いではないですか。高齢化とは年寄が死なないことでその比率があがることです。
少子化とイコールではありません。
少子化は子供の数が減ることです。人口全体も減る問題です。少子のままですと次の子供を作る世代の人数も減るとうことです。少子化対策は子供を沢山つくることを奨励することです。
高齢化社会は、勤労者人口の割合が減るという問題につながります。2050年ころには日本全体で半部くらいが老人ホーム、高齢者住宅等の世帯になっています。
年金や健康保険などは崩壊しかねないです。何とか高齢者も簡単な介護などで働けるような雇用を作るしかないでしょう。夢に描かれた未来とは遠いですが、現実はAIやロボットを活かし、人間が楽に仕事するイメージの雇用が必要でしょう。
今の雇用は、ハードな肉体や、専門的なマネジメントやスキルが必要ですが、もう少し人間がそこにいて確認と信頼を与えるだけの仕事にできないかでしょう。
人生が豊かで面白いから、次の世代に伝えたくなるから子供やその先の世界が広がるのです。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ14】

カネボウ化粧品と歩んだ人生14  白斑自主回収【前半】

タイトルだけで言いますと日本最大の企業だったカネボウは倒産していますが、私の人生の中でのカネボウ化粧品との勤めは続きました。2007年から2011年あたりはシナジーを模索し、両者の企業風土の違いを詰めるのに動きだしました。物流を統合したり、販促の連携はするもののなかなか一体にはなれず。やはり化粧品はカネボウの安堵感も社員に流れました。
2011年の東日本大震災も大変な被害でしたが202年の業績は順調でした。ところがこの翌年2013年7月不穏すぎるムードが漂いました。7月1日の人事異動も凍結して事態に当たれとの指示でした。明日大きなニュースがあると聞かされ、大きな回収があるという話でした。
当時のカウンセリングスキンケアの肝心要の、美白化粧品ブランシールスぺリアを中心に美白シリーズ52の化粧品に含まれる医薬部外品の主剤(美白有効成分)ロドデノールにより、斑に白くなる症例が判明したのです。
私は当時、本店に呼びつけられた大阪の幹部に『大変なことになった。これは存亡にかかわる一大事』とこっそり告げられました。私はカウンセリング比率の低い企業担当でした。全社あげての対応に駆り出されます。
休日も返上の社員も増えました。
それは実質カネボウの名前の販売会社が消えるという流れを加速させました。
押し寄せる返品の電話。涙する販売のスタッフ。押し寄せる返品や販促撤去。
(15:白斑自主回収後半に続きます)

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】6

カネボウとともに歩んだ人生6

化粧品の営業でしたが、総合繊維メーカーとしていろんなモノを扱いました。
それは前にも述べた繊維をはじめ食品、ファッション、薬品、ハウジング、電子部品などは上位シェアに程遠く、ニッチ商品はあってもなかなか売上高や収益を大きく改善できなかったからです。
百貨店やスーパー等ショップで扱いのも厳しいなか、カネボウ化粧品の専門店に白羽の屋が立ちます。
第一弾が私の入社2年目1983年、ジャンティショーツという女性向けのパンティでした。 単価はしれていましたがまあまあ売れてヒット商品と喧伝されました。
その後、売りにくいパジャマやらブラウス、パンスト等が続々発売されました。化粧品より卸値は低いが返品不可でした。パンストは今も続く大ヒット商品となりました。
健康食品系も沢山でました。ビタミンEやC、減肥茶やロイヤルゼリー、アミノ酸、怪しげな健康食品も化粧品店に取扱いを懇願しました。
三菱電機との絡みでランジェリードライヤーという下着乾燥機を売ったこともあります。
薬品はさすがに卸すことはできませんでした。
カタゲンというB型肝炎のクスリに三共製薬と共同で力を入れていましたが副作用が問題で1985年販売中止となり、新薬部門は大きく後退し、漢方薬中心の部門になりました。
新薬部門は業績悪化で後に外資系の切り売りされ、漢方だけ残りました。長年の研究開発から認可までコストと時間のかかる新薬にこれ以上力を入れるお金は無かったのでしょう。