多様な食文化の現代日本

 時々、ランチやディナーを私もインスタグラムに上げてます。

 世の中にはとんでもなく贅沢なレベチの食事をSNSに上げてる人もいて、私など比べられると恐縮し、後悔するときもあります。

 しかし、まあ考えて見れば物価高で、サラリーマンの昼や、ちょっとした家族向けの外食もどんどん値上がりしてる昨今です。そんなに映える写真をアップできる人は贅沢で、一握りの富裕層です。

 もちろん、外食に、関わる方も、存亡がかかっていて、値段をどうしようか悩んでるところです。

 それでも日本人は食事のバラエティという面では、贅沢です。

 友達との会話でも、すぐフレンチやイタリアン、中華や、焼肉と美味しい店からリーズナブルやムードにあわせて、いろいろ知ってる人が多いです。

 普段、スーパーやらで買い込んで作る料理も、そこそこやる人はもちろん、惣菜やレトルトを使う人でも、やはり洋食、和食、中華とさまざまにレパートリーはあるでしょう。

 海外旅行すると、各国のグルメは味わえますし、探せば現地で和食もあります。しかし、これほど各国の料理を、自国内でいろいろ節操なく連日食べているのも日本人ぐらいでしょう。

 そして、特に日本では、食べやすく、整ったカタチ、清潔な個別包装が好まれます。

 果実も、甘い糖度で剥きやすく、種もないものばかりになりつつあります。

 柿の皮を剥き、渋を取って、種も取るなどもはや誰もしないのです。

 ブドウも種はおろか、皮ごと食べるシャインマスカットなどが一気に主流です。

 カップ麺、レトルトなども沢山の種類で溢れています。生活保護者でも、4食入りの袋入りラーメンにモヤシぐらい入れて食べた方がガス代入れても安いのに、割高なカップ麺を購入して文句を言う始末です。

 終戦で焼け野原になり、食べ物もなく、残飯さえ漁っていた日本人の復興にも関心しますが、美食、飽食、偏食にも呆れるのです。添加物まみれといわれながら、戦後生まれ世代の寿命も、どんどん長くなり、長寿国になっています。

 身体に悪いとか言われる、グルテンとか、トランス脂肪酸、カンスイなんかは、寿命には影響しないけれど、人間から問題意識や向上心を奪い、快楽嗜好で、従順なナマケモノにしているのかとさえ思います。

 

戦後80年の66年

 先日「青春の門」が今だに続いているという投稿が結構な反響を呼んでおりました。

 大河小説で最終巻が今のところ9巻目で10巻目で完結と予告されていますが、作者の高齢を考えるとどうなるかわかりません。長いシリーズものは、パターン化されたものが多いですが、この小説は伊吹信介を主人公としてはいますが、巻ごとに状況は大きく変わります。

 1巻2巻の映像化のイメージが強いと思いますが、筑豊編と自立編でも、舞台が大きく変わったように、その後も北海道から、やがては旧ソ連へと舞台は転々とします。

 第8巻を最近読みましたが、第二次大戦末期のソ連参戦の暗部、ソ連核実験のためシベリアに強制移住されたウクライナ人の話なども描かれます。

 今の国際情勢につながる戦後すぐの時代を20代の青年が奔放に歩みます。

 自由に海外旅行に行ける今では考えられない世界での冒険もあります。

 戦後80年といいますが、私の生きた66年は、物心つけば大変平和で恵まれた時代に入り、若者は安定を求め、好奇心も冒険心を失っている人が増えました。大人たちも、臆病に冒険しない人生を子供に求めたのかもしれません。

 私も、生命をかけるような冒険も、恋愛も友情も、テレビや本の中でしか経験はなく、直接は体験しないで年齢を重ねてしまいました。

 世界を見渡すと、本当に恵まれて生きてきたとは改めて思います。

 それでも、風雲編の主人公、作者の生きた時代を慮ると、自分も何か死ぬまでにもっと、できることはないかと、模索したくなります。

 

とんでもない大河小説がまだ続いていた件

 一昔前は「青春の門」と言えば知らない人はいないぐらいの勢いでした。五木寛之、近年はシニア向けのエッセイでも知られます。

 最近の若い方は元々小説をあまり読まれていないでしょう。私の高校生ぐらいの頃はカッコよく人気のある有名な作家でした。戦前生まれ93歳の年齢から、おそらく一番読まれたは私より、もう一回りぐらい上の世代だったでしょうか。

 同年同日生まれの石原慎太郎、野坂昭如、遠藤周作、北杜夫らが当時の人気作家でした。

 他界された方が多い中、何と五木寛之は今だに未完の大作「青春の門」を第9部まで書き、まだ完結目指し書き続けておられます。

 主人公は戦中生まれで、第9部でもまだ1961年を20代後半で青春真っ盛りとして描かれています。60年ぐらいに渡って一人の青春時代だけを描いた稀な大河小説です。

 日本の場合、アニメや漫画で原作者が死んでも年数も重ねていく作品はあります。人気が出ると全く年をとらないで、エピソード、事件が起こっても同じ年代で繰り返し、いつの間にか世の中は携帯電話が出てスマホに変わっても主人公は年取らないシリーズが多いです。

「青春の門」は、最初の筑豊編と自立編が、かつてドラマや映画にもなり、覚えている方も多いでしょう。作者は平成に入って長く休篳もされていて、第7部あたりからはよほどのファンでないと続いていたことさえ知らないでしょう。

 ストーリーをレビューするのはまたの機会にしますが、なかなか戦後すぐのこの頃の若者を詳しく描いた小説は少ないので、時代の情景だけでも面白いです。

 早稲田大学時代の自立編では、演劇青年緒方、娼婦カオルが出てきて、劇団をやっていた私も共感もありました。

 しかし、学生運動もですが、売血や赤線が出てくるリアルに出てくるのにはやはり驚きます。たった、15年か20年ぐらいの間に随分日本は小綺麗になったとは思います。

 みんなが、まともに大学を出てサラリーマンになるか、家業を継ぐ時代に、こういう奔放に放浪する若者像はどう響くのでしょうか。また、最近のドラマだとどうしてもタブーが映像化されないのです。制約も多いのと、そもそも若い制作者らが時代考証を軽んじて知らないので、実感が歪曲して伝わってしまいます。自販機やスマホ、ウォシュレットがないだけが時代ではなく、淘汰されたもの、不便や不適切なものがあり過ぎる時代なのです。

 戦後を紐解くには、生き証人の文筆しかないのです。

考えさせられる外国人移民問題

 昭和40年代に始まったウルトラシリーズ、本格的な空想特撮とはいえ、初期の段階では宇宙科学も現代ほど広く知られていない時代で、脚本や設定にもツッコミどころ、不可解なものもあります。

 宇宙はおろか、外国にもそうそう行ってない人が想像で脚本を書いていたのですから、むしろ大したものです。

 沖縄の脚本家の方も、地球侵略を、沖縄の問題から投影したような作品もありました。

 日本人にとって侵略者もウルトラマンも、異国から来た外国人の概念から始まっていたのは間違いありません。

 宇宙人というのも、まだ火星からタコのような怪人かと言われていた時代で、程なく火星には知的生物がいないというのがやっとわかってきました。

 ウルトラマンの第2話に登場する侵略者バルタン星人は、シリーズの怪獣の中で知名度はトップクラスです。ウルトラマンと初めて戦った宇宙人であり、初めての本格的な侵略者です。

 生命という概念を理解できない人間との会話の中身からも、分身や巨大化などの能力も、地球人とは全く違う存在です。よくわからない制作陣が手探りの思案の末の「宇宙人らしさ」が満載です。

 主人公ハヤタはウルトラマンとは別人格ですが、母星を失って彷徨っていたバルタン星人の難民を、「地球の風俗、習慣を守り法律を守るなら、それも不可能なことでもない」と最初肯定的でした。

 しかし、旅行中に母星が核実験で住めなくなったにしては、ミクロ化して20億というのは多すぎます。

 まさにオーバーツーリズム?地球に勝手に永住を決めて、侵略をすることにしたと宣言され、交渉は決裂、戦闘が始まります。

 難民というだけなら、人数の多寡に関わらず助けるのが本来は正義です。

 人道的に助けても風俗、習慣が違うクルド人が一部の町に沢山集まり、騒音などて住民が困っています。

 外国人と一括りにはできない問題も多いです。逆に風俗、習慣を守り、もちろん法律を守り、働いて税金を収めている人が差別に合う場合もあります。

 母国の政治信条などから、やがて侵略に向かうのではと思われる国もありますが、一人ひとりの人間から判断するのは非常に難しいです。

 地球人を助けるウルトラマンもハヤタと一体化した宇宙人ですし、次のウルトラセブンは、地球人に化けている完全な宇宙人です。

 バルタン星人の移住許可の判断もですが、そもそも宇宙人の善悪や居住許可は誰が判断できるものでしょうか。

 ウルトラマンは、20億ものバルタン星人が乗った円盤をスペシウム光線で攻撃し撃墜しました。大虐殺ともいえます。

 地底人や植物の怪人、海底人も、先住民族の可能性があるのに全滅させられています。

 難民や外国人居住問題を問いかけている作品もありますが、子供向き作品とはいえ、大人が悩み、考え抜いた部分も垣間見られて、考察するのもまた面白いです。

 

クレームをつけたい時もある

 自分が公務員側ので立場でクレーム的な要望を受ける時があります。

 説明を求めていても、違う対応を受けると相手によってはキレる場合があります。しかし、私も逆の立場で役所の窓口や電話の対応、あるいは民間でもカスタマーサービスなどに感情的になったこともあります。

 役人や、民間企業の人間でも、どうしても前例に縛られ規則を説明するだけのタイプがいます。そんな人に私はがっかりしますし、立場はわかるけれどやはりわかる故に不満が爆発する時があります。

 民間企業で得意先や愛用者、部下に説明する場合でもそうです。

 今は、いろんな情報がネットで手に入り、書式もダウンロードでき、規則なども詳しく知っている人もいれば、全く知らずに訊いてくる人もいます。

 私などは、対面や電話で離すより、ネットで調べ、電子申請等解決できるものはやってしまいます。 

 人に頼む際や尋ねる時は、それなり難易度の高い時になります。これが対応者のレベルによってやっかいなことになります。

 上司、補職者等はそのためにいるのですが、その人たちでさえ、難しいことに対応できないレベルで杓子定規なことを言い出されると、激怒することになってしまいます。

 私の会社時代にも、そんな残念な上司はいました。規則をただ説明するなら自分で見られるので必要ない。

 特別な相談をし、特例を許可して欲しいために進言しているのです。

 原則の説明をされても時間のムダです。

 厳しい言い方をすれば要らない存在に税金とか企業の関係売上からの給料は要らないのです。

 若い頃苦労したインセンティブとして、年功序列の管理職で逃げ切るような人は、それも権利だと言う向きもいますが、採用すらされなかった人から見ればやはり不公平です。同程度の能力の人が、正職員というだけならまだしも、長くいただけで管理職の高給というのは、非正規から見れば理不尽な差別とさえ感じられます。

 同一労働同一賃金はもちろんですが、基本的な能力の確認を昇給の前に行わないと、呆れるような不条理がはびこっています。それは、本来ムダである以上に、もちろん職場の勢いを削ぐのです。

 基本的な事というのは、電子ででき、AIの対応で十分な時代です。

 まず仕組みとして、それが社会に浸透しないといけません。時間があるから、この御老人には丁寧に対応し、助けてやって仕上げたら、その方は次もそうやらないと、毎回リクエストされ、しないことがクレームになります。

 対応する人は、幅広いレベル対処を学ばねばならず、効率は悪くなるのです。

 インターフェースの使い勝手、ヘルプ機能の充実が大前提です。

 多くの役所や企業でも、一度システムを導入すると、お金もかけてるのでそれが万全と思い込みますが、使いづらい面はどんどん改良しないといけないのです。

 風通しの悪い組織はここができないので、いつまでも入力のコツ、トラブル対応などを、人的な力に頼る以前と変わらぬ状態が続きます。

 デジタル化と叫ばれながらも、なかなか本当の意味で組織や仕事の見直しができていないところは、結局中途半端に効率が悪いままなのです。

長い文章ブログはマイナーな存在に

 プログ全盛は一昔前になり、今や、SNS、ネットの主流は動画の時代になりました。

 情報の提供の場や、購買のビジネスチャンス、広告収入を得るのも、動画サイト。しかも短いリール動画主体となっています。

 老舗のブログサイトも閉鎖され、ブロガーという人もあまり聞かず、ユーチューバーやティックトッカーが台頭しています。

 そんな時代に、毎日、こんな長ったらしい文章を書いており、またよく読んでいただいています。感謝の限りです。

 ニッチでも存在感を持っていられるようにはなりみした。文化やビジネスでマイノリティの存在が探しやすい時代ではあると思います。

 昔なら、趣味は閉鎖的でした。動物、例えばイヌやネコ、昆虫のたった一つの種のファンが集まるとか、鉄道でも廃線や昔の車両のファンなんて、昔なら自分以外に他に誰がいるねんみたいな気持ちだったと思います。

 そういう意味では、多様な個性が生かされる時代、マイノリティが何やか叩かれることはありますが、憲法で保証された良い面も多いです。

 とは言え長い文章というだけで一つのハードルにはなります。音声や映像にも、そのうちいつかチャレンジしようなかなとも思います。長文、駄文もまた好きなんですが。

女子プロ野球の残念すぎる解散 ルッキズム、セクハラに負ける

 女子プロ野球って、ご存知でしょうか?

 昭和時代の故水島新司さんの漫画「野球狂の詩」の後半には女性初のプロ野球選手が登場します。野球協約など、さまざまな障害を乗り越えて水原勇気という少女が、ドリームボールという魔球も体得して、当時の日本のプロ野球で活躍する話です。

 大変美形の女性に描かれ、映画化もされ、これまたアイドル的人気のあった美人女優木之内みどりさんが水原勇気役を演じています。

 スポーツが多様化し、著名な女性アスリートも平成から令和にかけて随分増えました。なでしこジャパンがブレイクしたサッカーもそれなりに国内プロリーグも維持しています。

 野球は国民的スポーツではあり、昭和時代はマンガの中だった女性プロ野球選手もさぞ多く活躍と思われそうですが、そうではありません。

 何と日本の女子プロ野球は、2009年に誕生しましたが、選手の離脱やチームの再編を繰り返し、2021年に選手がゼロになり、事実上活動停止になっています。

 野球を少女時代から好きで続けてる人は、大学やアマチュアのクラブ、企業に移っています。

 問題は、なぜそんな大量離脱が起こったのか。

 こんな時代に情けないことに、リーグは一つの会社で運営されていてそのワンマン経営も問題でした。競技とは違うチアダンスなどのサービスを強要され、ルックスの良い選手が重用されるなど、セクハラや不適切な女性に対する扱いが重なるなどして、健気で優秀な選手たちは全て脱退し、機能停止したのです。

 21世紀、コンプライアンスが守られるべき時代に、こんな低レベルのモラルの低いプロスポーツ界があるとは、情けなくなります。

 コンプライアンスだとか、女性の人権と言われながらも、いまだにこんなものです。例の芸能界の大物とテレビ局の女子アナにしろ、男性の嗜好が優先された世界です。

 スポーツも芸能界も報道も、政界も、いろんな業界にまだまだ、ルッキズムやセクハラは存在します。

 盗撮はダメと言いながらも、女子は媚を売る露出の多いスタイルでのプレーが当たり前のスポーツも多いです。

 フィギュアや体操など芸術的な採点が絡むスポーツはもちろん、ビーチバレーはそれが売りですし、陸上なども近年露出が多いユニフォームが目立ちます。

 結局は、スポンサーや主催者の金儲けと、女性の人権がグレーの天秤にかけられるスポーツ団体は多いのです。

 化粧っ気がなさすぎるのも確かに可愛くないと思える時はありますが、そんな考えすらコンプライアンス違反なのかと思います。

 一つには、元々体力が必要な競技を極めていくと、朴訥で面白くもなんともなくなる面があること、

 楽しくやるのであれば、とくに野球はポジションによって、工夫はできます。野球狂の詩ではないが、女性も一緒でいいのではないか、

 そんな子供たちが公園で戯れるようなスポーツがあってもいいのにと思います。

 

 

少子化 昔は独身若手が多かった

 少子高齢化が進み人口減少が顕著です。自分たちが子育てしていた時代とは、もう1世代も2世代も隔たりができ、子育ての環境も時代が違うとは感じます。

 結婚に関しても、40年前の私たちの世代だと、学生時代からの交際からすぐ結婚するか、職場での出会いが多く、コンパなどでの出会いが少数でこれらが恋愛結婚で、あとは見合い結婚という分類でした。

 時代が進むと、見合いはカッコいいマッチングアプリとも言いますが、やはりリアルな恋愛は学生時代のキャンパスか職場が多いようでした。

 しかし、ここへ来てこの十年ぐらいの、いろいろな職場を見渡すと、ああこれじゃ結婚への出会いは無理だなと思うぐらい、独身の若い人が少ないのです。

 学生時代に、結婚を決めきれない事情もあるのでしょうが、いざ、社会人になると、その職場には、対象となる若い異性がほとんどいないのです。大きな本社などの職場全体を見渡すと、かろうじてゼロではないですが、毎日会うチームとか、実務をする課や係とかのセクションになると、若手はいても30前後子育て中がいるぐらいです。

 私たちの、入社した頃は20代の若手男子がゴロゴロいて、一般職の女性事務員がたくさんいて、女性の多い職場とまとまって合コンなどもありました。

 女性の働き方も今とは全く違い、何割かの女性は結婚相手を見つけるための腰掛けで就職していましたから、当時の職場結婚はある意味集団見合い的なものだったのです。

 平成から令和にかけて、男女の平等、雇用機会均等、女性の管理職割合の数値目標推進などが進みます。

 それらは、正規雇用の減少、就職氷河期を経て、今の経済的にも結婚できない、子供もできない社会を作ってしまいました。

 日本にとって、また多くの女性にとってさえ、この社会がいいものなのか、もう少し俯瞰して検証してやり方を考えてはどうかと思うのです。

1970年代後半音楽界にも衝撃をもたらしたCM戦争

 1970年代とか、80年代とは単純に分けられず、70年代は前半と後半でも大きく社会は進化、変節したのではと思います。

 それまでは高度経済成長期で個性的な娯楽は少なく、遮二無二働いた後は、同じ歌謡を口ずさみ、同じテレビドラマや映画を楽しみ、スポーツのヒーローを応援したのです。国民的と言われた歌手やスポーツ選手の知名度は抜きん出ていました。

 音楽も、浪曲から歌謡曲、演歌やムード歌謡が中心で、フォークソングや台頭しても、ビートルズやロカビリーだと言っても、やはり主流は歌謡曲でした。

 フォークやロック歌手がビジュアルがテレビに向かない、表現しきれないなどの理由で旧来の歌番組には出ない、出さない時代でした。

 そんな中、今のJ-POPの下地は、オイルショック後の1970年代の後半にようやく出来始めました。

 その大きな動きは、大手の2つの化粧品会社と広告代理店が仕掛けも多大な影響力でした。私がまだ高校生の頃、テレビからも資生堂とカネボウの競い合うCM、斬新な音楽、美しいモデルと情景、謎めいたキャッチコピーが印象的に流れました。

 1977年、前年資生堂の「ゆれるまなざし」小椋佳楽曲、モデル真行寺君枝の秋のキャンペーンヒットを受けて、夏は「サクセス、サクセス」ダウンタウンヴギウギパンド楽曲、モデルティナラッツ、追随するカネボウが「舞踏会のワインカラー」新井満の楽曲というキャンペーンで対抗したのが、10年のCM戦争の始まりと言われます。

 翌年から、世間の誰もが知るような大ヒットを競い合う形になり、1978夏は資生堂、矢沢永吉の「時間よ止まれ」とカネボウ、サーカス「Mr.サマータイム」という、後世にも歌われ続ける名曲が出ました。キャロルの矢沢永吉も当時から知る人は知っていましたが、テレビでガンガン放送される影響は凄まじいものでした。それでも、レコードの売上、キャンペーンとしてはカネボウ、サーカスの方が当時は少し上でした。

 そして、翌年からも春、夏、秋と①キャッチコピー②無名だが魅力的なモデル③実力派のニューミュージック歌手の曲という3つの要素を踏まえ、手を変え品を変え競い合う構図の戦争が続きました。

 資生堂はハーフや外国人モデル起用が多かったですが、カネボウは日本人の若手が多く、夏目雅子さんはじめ有名俳優への登竜門となったのも、そのテレビへの露出からの知名度を考えれば分かります。それ以上に、普段テレビには出ない歌手の楽曲が聴かれ、メガヒット、ビッグネームにつながったのは戦略ズバリと当たったものの、当時としては画期的なことでした。その後売れに売れた何組かのアーティストの中にも、きっかけとなったCMソングが、最高のセールス記録というケースも多いのです。キャッチコピーから楽曲を作る難易度の高いものなのに、むしろその制約もメガヒットの要因になったのです。

 無名モデルやアーティストの発掘と売り込みの舞台だった化粧品CM戦争でしたが、1984年カネボウがバイオ口紅で既に超売れっ子だった松田聖子をモデルとして使い、楽曲も彼女の歌う「ロックンルージュ」ピュアピュアリップで話題をさらうと情勢は変わります。

 これは今までの3点ルールからの逸脱、禁じ手とも言えましたが、大ヒットではありました。

 その後も、両社はアイドルや既に売れた歌手をモデルに使い、アイドルグループの楽曲を使い出しました。ジャニーズの台頭とともに、女性用化粧品CMに木村拓哉を使うテスティモの落ちない口紅を大ヒットさせました。

 しかし、この頃はもう化粧品CMだけがスポットを占め、テレビを席巻している時代ではなくなったのです。自らの業界パワーを失いアイドルの人気に頼り出していたのです。

 もう、無名モデルをスターダムにのしあげ、大ヒット曲を作る勢いはなくなりました。1990年代バブルが弾けると、多極化、個性化の時代に入り、大手ーカーのキャッチコピーとメガ宣伝で誰もが飛びつく時代も終わったのです。

 業界としては、バブルだったのでしょうが、広告宣伝費は高くつき、広告代理店ののせられていた面もあったのでしょう。資生堂もカネボウも決算を見ると販管費が高く、利益を出すのが難しい構造になっていました。本体赤字を化粧品でまかないたいカネボウはかなり苦しかって後の債務超過に、繋がります。

 世間の誰もが注目したキラキラした1970年代後半から1980年代.そんな時代があったから今のJ-POPがあるのかもしれません。入社した当時から、キラキラは外から見ただけで内情はかなり厳しいものでしたが、それはそれで楽しんでました。

 

京都市幻の地下鉄延伸、球場、市役所移転?

 京都市のLRT構想を先日書きましたが、地下鉄の延伸計画もほぼ頓挫し幻となったものがあります。

 洛西ニュータウンまでの東西線延伸が、入居者が50年待っても幻なのは割と取り上げられ有名かもしれません。

 もう一つ、烏丸線の延伸計画もあり、これは比較的距離も短く5キロ程度で、20年ほど前に計画され、ちょっと前まで東西線延伸よりはリアルに期待されたのですが、やはり幻となりました。

 現在の終点竹田から、油小路を洛南進都経由横大路で京阪につながるものです。京阪側も本線に新駅を設け直通させる案でした。

 元々鉄道は空白ですが、高速道路のインターなは近く、交通至便となれば副都心の機能は満たされ需要はあると計画されました。

 企業の高層ビルを誘致、市役所機能も移転させ、横大路には京都サンガFCのホーム、サッカー専用スタジアムを作り、老朽化した西京極球場(わかさスタジアム)の野球場もこちらに新設するという、壮大な構想でした。

 しかし、財政難で、サッカースタジアムは亀岡に譲り、市役所も昔のままの現在の場所を建物改修、増築することになったのは、周知のとおりです。西京極も現施設を改修することが発表されました。 

 副都心らしいと言えるのは、バルスプラザと、京セラ、任天堂本社ぐらいで、あとはドラッグストアやファミレスなどの郊外型の店舗や飲食店が点在するどこにでもある地方国道で、とても副都心とは言えない光景です。

 京都サンガFCは2部をさまよっていましたが、この頃はJ1上位で観客も2万人以上詰めかけています。このあたりは、京都市にとっては悲観的な読みが結果として外れてしまって残念です。

 建築基準の見直しで、さらに高層ビルが建てやすくはなりましたが、一体鉄道も空白のエリアでどれだけの誘致が今後可能なのでしょうか。

 竹田からの延伸は、地下線しか無理なようで、財産的にはもはや完全に棚上げで、洛西ニュータウンへの東西線と同じく、幻となりそうです。

 私はサッカーファンで亀岡のサンガスタジアムは駅近でキレイで見やすく良いスタジアムですが、京都市民としてはやはり京都市内にできて欲しかったです。

 地下鉄の建築読み違いも、仕方ない面もありますが、都市計画の杜撰さ、甘さ、先見性の無さです。

 かつて京都市は明治初期の東京遷都で、衰退を怖れ新しいものに取り組み日本初を企図し続けました。

 しかし、戦後80年を経てその意欲や革新性を喪っていました。

 個人的に思うのは、市役所の職員、市議会議員さん、その他関係の方も真面目で良く仕事をされますが、こと斬新な改革、先進的な思考は弱い気がします。それは、市民の要望を短期的にはよく聞き入れての結果で、縁を大切にする感じで、印象の悪い言葉では、「コネ」や「しがらみ」にこだわる部分でしょうか。決して利権とか汚職はないのですが、善人が生真面目にやってしまう仕事であやまった方向に進む残念な結果のような失敗です。

 構想をブチ上げて、やっぱりできませんお金はこんだけ使って、中途半端にやりかけが残る。推進力が足らないのかと、それを止める勢力が邪魔なのか、国でも事業が進まないのは同じですね。

 結果、頭の良い真面目な人が、いっぱい集まって考えて、なんじゃこりゃというハンパなものしかできないのです。

 邪魔をしているのも、一人一人のわがまま、利権かもしれません。