4月25日【霜止出笛】鐡道はそれでも定時運行する

JR福知山脱線事故から15年

【霜止出苗】(しもやみてなえいずる)七十二候が移りまさにです。霜が降りなくなり、苗が伸びだす時期に入ります。
今日、4月25日は15年前の2005年JR福知山線尼崎での事故がありました。近年の鉄道事故の中でも特に悲惨なもので、被害も大きく、運行者の責任も大きいものでした。
残念ながらコロナの影響で慰霊や語り継ぐイベントが縮小されています。
比較的のどかな地方交通せんだった福知山線が、人口も増え通勤路線として阪急と競合しだし過密ダイヤになったことも原因と言われています。
今年は土曜日で、感染予防で不要不急の移動が抑えられ、当時で考えられないほど乗客の少ない電車が事故現場の前を通っていくのでしょう。それはそれで慰霊なのかわかりませんが、過密ダイヤの必要もないほどの利用で制限速度を守りカーブもゆっくり走っていくことを想像すると、少しだけ癒されるような気がします。
亡くなられた方ご遺族に改めて追悼の意を示し、傷害の残った方、心的後遺症の方のご苦労を思い事故の教訓を長く伝えていきたいです。
阪神間の移動が早くから制限され、今大阪も神戸も閑散としたこの時は、気忙しく『密』の中を移動してきた人々の心を、亡くなった方の魂とともに少し癒やすためにあるのかなとも思います。

鐡道事情の激変

高速鉄道の新幹線の高頻度定時運行は世界的にも有名です。その他の在来線や私鉄でも日本の鐡道早さと正確さに秀で、都市部では満員で多くの乗客を乗せても次々とほぼ大きな遅延なく運行していました。
確かに首都圏や大都市のラッシュアワーは異常な、今でいう『密』でした。
ローカル線しか知らない地方都市から東京に転勤等すると、カルチャーショックに驚き戸惑います。
そんな鉄道、新幹線、あるいは観光地のバスもガラガラの日々が突然来ました。
先日から急用で動いた友人が東海道新幹線のぞみに、指定席でわずか1~2名だったという情報に接しました。
私の地元京都でも、インバウンド需要で満員が続き肝いりで新型車両を増結しようとした特急はるかは減便でも空気を運ぶような感じ。満員でなかなか来ない乗れないだった観光地を結ぶ京都市バスも誰も乗らないので定時運行のためバス停で時間調整するていたらく。
これはこれで街が落ち着いているという見方もありますが、雇用や経営、消費経済としては大きな打撃です。

鐡道の定時運行の意義と宿命

私の鉄道旅のきっかけともなったレイルウェイライター、紀行作家編集者の宮脇俊三さんに『時刻表昭和史』という著書があります。その他の作品にも時々散見されたと思いますが1945年(昭和20年)8月15日の山形県米沢線今泉駅での鉄道の情景が描かれています。
玉音放送が正午に流れた真夏の日。蝉しぐれ。
人々が力を失い茫然とする中の情景。
しかしそれでもなお、鐡道は動いていた。
多くの人が虚脱し、絶望したはずの中、米沢発今泉13時57分坂町行きの列車は、人々を運んでいたということです。
もちろん戦後混乱期、国鉄からみで多くの事件も起こっていますし、JRになっても福知山線の前には信楽高原鐡道の事故など多くの事故はありました。しかし新幹線の死亡事故がないことをはじめ日本の鉄道の事故の少なさと正確な運行は、技術とともに日本人の生真面目な民族性の誇りでもあります。
自動車の発達はあっても公共交通機関の移動が可能なことは、訃報や病気等の急用への対応をはじめ、通勤通学通院の日常の足を支えて社会に安心と安全を与えています。
この緊急事態に臨時列車の減便、これから採算の難しい路線も出てくる可能性はあります。それでも日本は敗戦というどん底からも復興しました。東日本大震災からも常磐線、三陸鉄道も復旧しました。
日本人はやはり優秀です。
しばしこの間は人の少ない列車が走りすぎていくことを、いろんな想いをこめて見つめていたいと思います。

野中広務 差別と闘った狙撃手:政治家

もう平成、一昔前になってしまうだろうか。自民党の政治家に野中広務という大変強い政治家がいました。オウム真理教事件の時自治大臣国家公安委員長も務め、影の総理等とも言われました。
地方の町長から遅咲きで国政へ出て、田中派の系譜竹下派、経世会に入り、幹事長まで上り詰めます。小泉純一郎や小沢一郎と渡り合いました。
出身は私の祖母の実家と同じ京都府の丹波地方、園部町(現南丹市)です。
角栄、小泉や小沢らに比べても知る人ぞ知るの少し地味な存在ですが、写真のものを含め野中さんを書いた本は自著も含め、文庫新書にもなり多く出版されています。
総理に推す声も出た時期もありましたが、彼は被差別部落出身で麻生太郎などは露骨に反対していました。あまりナンバー1になりよりは実務を影で仕切るタイプでした。京都府議時代も同和行政の改革に尽力されました。彼にしかできない勇気ある改革をいくつもされています。
下野した自民党を再び政権の座に返り咲かせ、加藤の乱を鎮め、自自公連立の構造を作りました。
狙撃手と言われるように、ひとたび狙いを定めた相手の事は徹底的に調べ上げて追いつめて攻略しました。
戦争で死ねなかった運命を政治に捧げたような人です。イージス艦の購入、自衛隊配備にも基本的に反対されていました。
ハンセン病患者和解、公務員の改革を進め、差別される側には優しく、役人の放漫や不当に利益する者は許さない。優しさと強さを持っていました。
平成30年1月死去。
今のコロナの問題もですが、もう少し彼にこの時代まで本当の政治や行政の改革を任せられたらと思いました。国会議員の質も度量も劣化し過ぎた現代にこそいて欲しい実務のリーダーです。

アイヌ:日本に蔓延る無智、誤解からくる差別

今期の直木賞受賞『熱源』(川越宗一)は樺太アイヌが描かれ明治日本が戦前まで文明という名の暴力で近代国家に肩を並べる時代を描いています。
ポーランドやロシアも含め激動の近代史と、あまり語られない樺太アイヌの世界が、少しでも多く方に伝わればと思います。
一方閣僚の中にも『日本は単一民族』と平気で発言する、無智でお馬鹿な方もおられます。政治家はナショナリズムに意図的に働きかけているにしても、いわゆる国家主義、愛国主義の方々、ネトウヨという人らがあまりに単純で歴史知らず、誤解しぱなっしの勉強不足があります。これが政治的行動になるのがある意味怖いです。
民族という面ではアイヌもですし、そもそも国家は帰化人などいつからの外来人を日本人とするのかにもよります。
古来土着の民は文明のある強い民族に支配され、土地っを奪われてどんどん追いやられていきました。
中国の一党独裁や朝鮮半島の迷走はあるにせよ。近代、戦前は朝鮮、台湾、樺太(南半分)は日本の領土であり、朝鮮人は大日本に住む日本の仲間でした。
大日本国にはさまざまな人種がいたのに、講和条約で領土が狭まるとさも大和民族の割合の多い地域だけになっただけです。それでもアイヌも在日朝鮮人もたくさんいます。
中国を嫌う人も、遣隋使、遣唐使や元寇、秀吉の大陸攻撃、日清戦争、満州事変、日中戦争は歴史として覚えています。日本と中国は学び合い、時に争う、東アジアのライバル国でした。
差別や争いの結果はいいことであったためしはありません。

日本の戦争の歴史

右翼も左翼もすべての人がもっと歴史を勉強すべき

1月8日まさにイランがアメリカに報復攻撃をして、場合によっては大規模な戦争へとつながりかねない情勢です。安部首相は中東歴訪を取りやめましたが、日本のシーレーン、邦人や日本企業の船舶を守るため、今のところ自衛隊の派遣は中止になっていません。
万一戦闘に自衛隊員が巻き込まれ死傷が出ると、太平洋戦争以来の惨劇となります。
そんなことのないように祈るのみです。戦争をただ禁忌する平和ボケ左翼とネトウヨはすぐ批判するでしょうが、かけがえのない自衛隊員の命ですから、一つの発言は軽くありません。
教科書の歴史も国の思惑で書き換えられる時代。歴史は勝者や強者が都合よく書き換えるのも当たり前とも言われます。
昭和40年~50年代に子供から学生になった私はもちろん戦争の体験はありません。ただ子供の頃の、戦争体験者の話、映画やドラマ、マンガや舞台等玉石混交でも表現の制限が少ない時代のため、間違いなくいくつかの真実は間違いなくつたわっていました。現代は画像処理はうまくても綺麗ごとで終わっていたり、伝えたい思想や主張が強くてリアリティや自然さがなくなっている気がします。
私もこのブログで戦争にとにかく反対するとか、どの国が好きだ嫌いだとか、右や左の主張をするつもりはありません。
日本は朝鮮半島に文化を伝えられ、また伝え交流をしつつ、長い歴史では決して仲の良い時代は長くありません。むしろ秀吉の時代をその背後にある中国と対峙するため常に日韓の関係は不幸な歴史が続きました。その溝の深さ、怨みの深さは、中東と並び絶対にスッキリは行かないのです。
日中戦争、太平洋戦争、振り返れば悪い偶然も必然も積み重なって、満州の悲劇、広島長崎沖縄や国内空襲の悲劇。
誰かが戦犯と認定されていますが、決して個人が引っ張った訳ではありません。
あえて言えば国民全体のムード、雰囲気、もちろん軍部、憲兵等が嚇し、マスコミも扇情しました。
事実も現実もだんだん伝わらず、見えなくなります。
南京大虐殺の人数など、もう右と左に大ブレで、ゼロから数十万人まで分かれます。
ただ日本が今の中国北部に満州国を作り、関東軍を駐留させ、さらに北京、上海、南京と日本軍は次々と攻め入りました。それにもお互いの正義、言い分はあるのでしょうが、戦争を戦ったことに間違いはありません。真珠湾奇襲に始まりアメリカに原爆を落とされソ連にも侵攻され国体の危機まで追いつめられ降伏する太平洋戦争の日本。その導火線というか連続する戦争が日中の戦争です。
このあたりの詳細になるともう、今の若者はほとんど理解していない人が多いです。
歴史書にも右左あります。事実かどうかは鵜呑みにせずとも、どう考えてもここは数値や細かい時系列は別としてもあったことには間違いはないとか、推理したり、他の歴史と比べたりしながら勉強してみると興味深いです。
歴史、現実に生きる人はそんなに極端ではなく中庸な思想の人が多いはずです。過去に学び、かつ未来を見据えて勉強してみましょう。

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職業を選ぶ-仕事をするということ【水星:働く】

どこで働いたらいいのか。何に向いているのか? 



の職業に向いているのか?どんな会社を選べばいいのか?いつまで働けばいいのか?仕事や会社が好きになれないけど、どうすればいい?
多くの人が生きていくために仕事に就かないといけない。働くことの悩みは、占星術にもFPにも相談は多いです。

生まれた時に仕事は決まっているのか?

誕生日占い等やっていると当然この疑問が湧きます。私は答はノーだと思います。たとえば今だと将棋の藤井聡太さんや囲碁の仲邑薫さんとか、若くして天才的な才能の方もおられます。しかし、彼らも環境や自助努力、偶然等いろんな要素が絡み合ってのプロセスであり、天性の職業がどうかの結果はわからないのです。
多くの偉人や天才も何かの偶然で、別の人生、他の職業に就いた可能性もあり、そこで才能を発揮したケース失敗した場合も考えられます。
水星が知性や職業を司り、太陽との位置や星座との絡みで、才能や適性とも言われます。しかし、全ての人がマッチした適職についていくことは社会においてあり得ないのです。
ユング心理学的なアンケートをとって自分がどういう気質で、どんな職業に向いているかも判断はできますが、それだけで社会の必要枠や競争で勝ち取れる枠の職業につけるとは限りません。プロ野球選手、作家や歌手に向いてるとか評論家に向いてるとか、俺は起業課だとか、判断しても職業として食べていけるかは別です。
多くの人は下積みのような社会人になり、【仕事】に入っていきます。
仕事に入った時も、占星術的には誕生日と並ぶ運命の時間です。
そこに何らかの宿命の偶然があり、天命があるのです。

仕事は苦行か、やりがいか?


起きている時間の多くを【仕事】が占めています。だから、仕事を好きになり喜んでやらないといけない。私のいた会社の部署のトップもそんな持論で、訓話されていました。
私も何冊か著書を読み尊敬する、京セラ創業者の稲盛和夫さんもそんな感じの考えです。
会社が、社員を報酬だけでなく、仕事が楽しく会社が好きになってもらわないと企業自体も繁栄がない。このことに間違いはないでしょう。
企業のリーダーとして稲盛さんの情熱とロジックは申し分ありません。
しかし、私もサラリーマンになってしばらくは全く芽のでない営業に苦しみ、会社なんて全然好きになれない時代を過ごしました。
たとえばイヤな上司や同僚、苦手な取引先、不得手な作業、納得いかない方針。今逃れたいのはそこだってレベルでは稲盛さんの崇高さだけでは、仕事は好きになれないとも思います。
じゃあ仕事はやっぱり苦行なんだ。できるだけ逃げて自分の時間にはいればいいのか。

やりがいは幻想と捨てて、それでも楽しむ

当然、すべての職業を経験していませんので、範疇は限られますが、私にとっては時間の経過を待つだけのような仕事は結構苦痛でした。
仕事はある程度、夢中になっているうちに時間が経過する類のがあっています。
これは個人の感想です。
職業に貴賤はないのです。真夏や真冬の外での警備誘導や、原発はもちろんですが高所や山中に電線や鉄塔を作るような仕事って本当に大変だと思います。農業や漁業も含めて、これで世の中が成り立っています。AIやロボットにこれらすべてが代替できるものでもありません。
稲盛さんとは少し相反して推理作家(セミリタイア)の森博嗣さんによるふわっとしたエッセイ関係の著書群。とくに「やりがいのあう仕事という幻想」は少し気楽に仕事を自分の中に納得させることができます。
仕事=やりがいも否定しますが、仕事=苦行と言っているわけでもない。
肩の凝る考えではないのです。会社に入ると同期が先に出世したり、後輩やライバルのが評価されて、いじける場面ってあるんです。森さんの論調だと本当にそれをさらっと「給料の高い人はそれだけ大変な仕事してそれに見合うもの貰う、偉くもなんともない」
世の中全体で見たら、そこそこの会社に勤められて、その瞬間その場面だけしか見られないで、いじけたり嘆いたり、傲慢になったりエラそうになったりする人間のいかに多いことか。
【仕事に貴賤はない、やりがいを持つかは自由、幻想に気づいてもいじけない】

ライフシフト

人生100年と言われていますが、3世代にわけてかなり具体的指南されています。ロンドンの著者ですが日本人、日本の企業や社会システムにもあてはまります。日本の方が、医療も進み寿命も延び社会全体の高齢化の進捗は早そうで危機感もつのります。

平成になる前は日本の定年は55歳だったそうです。その頃も年金などの制度は追いついていなかったのか。何か社会や企業の対応の遅れが目立つほど、変化のスピードが早い。定年を65歳、70歳とかしているうちにまた社会も変わるかもしれません。定年制などなくし単一労働単一賃金、契約制を進めるなど、日本の雇用は抜本的に変えないとまるで追いつけないでしょうね。

AIやロボットができない仕事は当然残りますが、今の【働く】とのイメージはだいぶ違うのでしょう。グローバルに働くとか、ネットワークの構築とか、具体的なようで理想的すぎるような曖昧な例を出しています。働き方の未来は明るくもあり暗くもあり、とりようで多面的です。寿命が延びることは、健康面をまず留意すればポジティブにとらえるべきと痛感しました。限りなくチャレンジの可能性が広がるからです。