日本人の意地!イギリスから脱却して近代化 鉄道150年です5

 日本の鉄道が150年前、陸蒸気と呼ばれる蒸気機関車で初めて新橋~横浜間を走ったのは良く知られています。その最初の蒸気機関車1号機はイギリスから輸入されたもので、大宮の鉄道博物館で見ることができます。
 今年が150年目ということで、多くの特別番組などでテレビでも紹介されました。このカラーを見て、後の国産のD51などに比べ、いかにもイギリス的な赤だと感じた方も多いようです。

 幕末の薩長と幕府の時代から明治維新後も、西洋の列強はアジア諸国での利権、支配を我さきにと図っていました。

 とくにイギリスは日本に軍隊をはじめ政治や産業、文化などあらゆる部門で影響を与え、支配を試みようとしていました。
 当時の日本の政治、経済、学問などの先駆が偉いと思うのは、この先進国の完全支配を嫌がり、なんとか日本人だけで考えて独立を保ったことです。島国で遠隔の不便も利点となり、鉄道もイギリスの技術を学ぶと、十数年後には日本蒸気機関車を作り、鉄道も敷設し、トンネルや橋梁も作ることができるようになりました。

 鉄道ファンには、日本の鉄道のレール幅がイギリスの当時の指導により狭軌1067mmで始まったことは著名です。それこそイギリスの横柄な差別意識、植民地嗜好の生んだ残念な運命で、この1点を持って私はイギリスという国が、好きではありません。軌間は国際的には新幹線や幾つかの私鉄で使用されている1435mm軌間が標準的で、最初に標準で始めまらなかった日本の鉄道は高速化や、新幹線と在来線の乗り換えなどで不便や遅れをとり、今も苦しむことになります。

 当時のイギリスにとって、日本は辺境の島国でどうせ大した発展もしないと考え、山あいや森林やジャングルを走る小さな鉄道クラスで十分と考えたのです。それでも輸入コストやライセンスなどは明治政府にとって法外な負担です。またトンネルの技術などは、元々金銀の鉱山の採掘技術のある日本は優れたものを持ち、すぐにイギリスの技術は吸収して追いつきました。残念ながら、すでに多くのJR路線で狭軌のままレールがひかれているのは、イギリスのせいです。

 それでも早い段階で無煙化、ディーゼルや電車の開発にも努め、世界でも有数の高速鉄道を走らせる鉄道王国となり、高度経済成長を迎えたのは明治以降の、政治や鉄道に関わる人の意地や頑張りが大きいのです。

 EVにシフトする自動車や通信、ITなど、今また世界は日本を支配しようとしていますが、これからの日本人も明治先駆の鉄道関係者の奮闘を顧みていただき、意地を見せて欲しいです。

50年以上前のマンガでも武器商人は死神と揶揄されていた

ハレンチ学園 永井豪

 ロシアとウクライナの戦争は当初の西側の一部の予想ではとうにロシア側がギブアップしてプーチンは失脚するとの見立てでした。そのような情報が何度となく流れては揺り戻して膠着は続いています。ロシアの緊急招集の兵のモラルが下がり、武器も古く十分ではないという情報も流れていますが、どうだかわかりません。アメリカの宿敵ともいえるイランがロシア側につき、兵器やエネルギーの提供をするということで、停戦、終局への道は遠のいているとさえ感じます。

 ほくそ笑んでいるのは、まさに死の商人、武器商人、軍事メーカーであり、彼らはすでに大儲けをした上、政治力を持って停戦を阻止しているという話は、状況から見て間違いないでしょう。その間にも両国で、市民も兵士の命もどんどん犠牲になっています。

 今でこそSFやバイオレンスの印象の強い永井豪さんは、初期の頃、エッチなギャグまんがで一世を風靡しました。その代表作ハレンチ学園もですが、毎週愉快なキャラがいろいろ面白くエッチな笑いをとっていたのですが、第一部の終了近くには、いきなりレギュラーキャラも惨殺される、凄惨な暴力の描かれた戦争編に入ります。

 自由という名のハレンチ学園側と、それを毛嫌いする教育センター、戦争までそするほどとはマンガの世界ですが、どちらも正義は自分側にあると思っての、唐突な戦争編への突入の話でした。
 米ソの冷戦並みに、ハレンチ学園と教育センターは戦争をするほどに恨みあっていたという設定からです。そんな中にも「ドクロのマークでおなじみの死神重工です」と現れる死の商人が登場する場面があり、双方に強力な武器を提供して、戦争を激化しようとしているような場面がありました。

 戦争で金儲けをし、戦争を煽っているような存在は、薄汚い唾棄すべき下劣な人間に描かれ、子供心に軽蔑したものです。
 しかし、世界の軍需産業はどうでしょう。
 軍事産業の幹部は、NATO加盟国、とくに装備の弱い国に、武器の提供を望むなら、さらなる永続的な装備を期待する旨を表明しています。彼らにとって、戦争は終わって欲しくないメシの種であり暴利をむさぼる商業的土台です。そして多くの政権に影響を持ち続けることで、世界を脅かせながら自らは巨大化していくのです。

 プーチンのロシアは西側の報道では、軍規は乱れ、兵器も装備も古くひどい性能だと、その蛮行とともに悪い印象を抱かされます。

 しかし、戦争が始まれば、どちらも正しいと主張し、それはどちらも醜いものであり、それを増長させる存在はもっと薄汚いものです。正義の聖戦に見えても、その装備は人殺しのために作られたドクロのマークの死神、死の商人が介在しているのです。

国民年金納付65歳までにするのか!*

 

民年金の納付期間“45年間”に延長か との報道

日本の年金制度は、すべての国民が共通して支払う「国民年金」、会社員や公務員などが納める「厚生年金」の他、会社独自の年金制度の「企業年金」や年金払いの「退職給付」などがあります。 今回、注目すべきは「国民年金」です。今年度、国民年金の受給額は月額約6万5000円です。今の制度で20歳から59歳の40年間納付した時の金額となります。 政府はこの納付期間をさらに伸ばして、“64歳(65歳到達時)までの45年間”にするかどうか、検討に入りました。
 とういニュースが入ってきました。

 納付期間が5年延びたらどうなるのでしょうか。国民年金の保険料は、今年度の場合は、月に1万6590円、年間にすると約20万円です。これが5年増えることになり、単純計算で、60歳から64歳の5年間に、約100万円支払う額が増えるということになります。 この影響を受けるのは、国民年金加入している自営業の人、そして、60歳までに退職した元会社員の人たちです。会社勤めの人は、70歳到達まで厚生年金に入るようになっており、定年延長で60過ぎで働いている人も影響はありません。

 何のための5年延長なのかを改めてみると、その狙いは、ニュースの解説などによると、「将来、1人1人がもらえる年金額が、あまりにも下がりすぎないようにするため」だということだそうです。
 年金の財源は、少子高齢化が進み現役世代が減れば、当然、少なくなっていきます。そして、高齢者がもらう、すなわち“出ていく分”、年金の受給の方が大きくなっていきます。これが、究極的には収支のバランス自体が崩れ、年金制度自体が続けられない深刻な状態になってしまう恐れが出てきます。 とのことです。
 

 しかし、国民年金が厚生年金に比べ、収支が難しく、かつ国民年金の給付だけでは老後の生活が難しい水準であることは今には始まったことではありません。
 失業や災害など、貧窮の世帯の納付は免除され、その期間も半額は給付に充てるなど元々国庫として補助しているのですから、健全な財政にするにはよほど自営業者に払ってもらわないと難しい構造でした。
 確かに厚生年金の人が70歳まで無条件加入で、国民年金が60歳までということには矛盾もあります。
 しかし、これから2年くらいで国会に上げ、厚生年金との財源一体化などの措置とともに検討するにせよ、もう少しシンプルに考えないと煩雑な計算のみが残り、本当国民のためになるかは疑問です。
 ベーシックインカムを言うと経過措置が難しいとか言われますが、思い切って、税を上げ社会保険料も租税にしてしまえばいいのではとも思います。今の給与明細見ても、税のほかに、社会保険料の項目が多すぎるのです。タックス一本にすれば徴収の手間だけでも随分楽になり、経費の職員や、組織、結局は税、保険料などが軽減できます。
 国の部会だと、行政組織を小さくする議論は出てこないのか!と嘆きます。

円安で儲けている企業も国も分配を

 岸田総理の言っていたことは、気持ちの表明だけで具体策はないものは多いです。所得倍増と言いながら、円安が続き原材料を輸入していいる企業や、為替で損をするところは大きなダメージです。エネルギーや食料品も相場や輸入の影響で値上げされ、社会保険料も上がり家計が苦しいという人も多いでしょう。「分配」がテーマならもっと、うまく強く政策を打ち出して欲しいです。
 分配の一つはやはり、円安で儲かっている企業が従業員や株主にもっと還元することです。賃金や賞与でもいいですし、株主には株価は上げているでしょうから、特別に配当や優待品を増やすなど、『分配』を約束することです。

 政府は実はアメリカの債権を大量に買わされています。ということは円が下がると資産はすごく増えています。財政が厳しいばかりと刷り込まれていますが、日本の行財政はものすごく潤っているところがあるはずです。


 セクト的予算主義がはびこり勝ちですが、狭い企業、業界、組織の中で勝った負けたと言って自分のたまたまの取り分だけに固執して、日本が負けてしまう日本の消費が干上がっては意味がないのです。ここは分配の考えと意図をよくトップが説明し、半ば強権で全体を考えないといけないところです。

 富める者がますます富むのは仕方ないじゃないかという考えも分かります、共産主義的考えのようなことではありません。日本の全体のリスクヘッジを考えれば、円安に強い企業、部門、たまたま外国資産を持っていた人が生き残るだけでは、俯瞰して見ると危険なのです。円安でも、採算のとれるようその仕事や人は生き延びるように差配しないといけないということです。これが決められるのは、政治と財務官僚です。政治を動かすのは国民です。

マスコミの怠慢と偽装

 私が東北のある地方に転勤して住んでいた頃、職場のすぐ近くに地方新聞の社屋がありました。私の職場はお客さんを集めてセミナーをすることなども多く、雪が降ると玄関や駐車場の雪かきに終われました。その風景を新聞社がよく取材に来て、写真をとったりインタビューをしたりして一度は1面に載ったりしました。しかし、何度も取材してくるのを見るとただ近いからだけの記者やカメラマンの怠慢だというのが、ミエミエで、笑える感じでした。

 そんな怠慢は笑いごとですが、意図的な選択、ヤラセ演出は悪質です。
 一度、同期と研修で東京に行った帰り丸の内を歩いていると、久米宏時代のテレ朝のニュースステーションの取材を受けましたが、二人で歩いているのにあたかも一人ずつで撮り直し田上、同僚は何度も同じことを繰り返してしゃべらされました。私も横で演出に加わって、「もっと政策に義憤を覚えるサラリーマンっぽく」とか言ってました。私は、関西弁で理屈っぽく、たぶん放送局の意図と真逆で答えたので没にされ、同期のコメントが全国に流れました。こういうやらせ、選択、切り取りはどこでも行われるのでしょう。

 地元の京都のオフィスにいた時も、NHKの地方局の間近のオフィス街でしたので、取材は多かったです。
 地方局なので、当り障りのない案件の取材が多いのですが、選挙などになると意図の入った取材が多いように思いました。
 そもそも放送局の独断で市民のインタビューを報道の後に流すのは、禁じ手にすべきだと思います。
 マイナンバーカードが、一部医療機関で健康保険証で使えるサービスが開始されたというニュースなどでも、「〇月〇日サービスが始まりました」という報道で、当時は機械を導入している医療機関が5%にも満たない割合なので、そこを報道すべきなのに、おそらくはヤラセの役者さんか、それに近い言い含められた素人さんが、「保険証を忘れたけどマイナンバーカードを持ってて助かりました。便利です」とかもうありえないおべんちゃら賛辞を、恥ずかしげもなく放送してました。これはもう政府総務省忖度の広告に成り下がっています。病院に行くのに、保険証持たずそんな都合の良い日にマイナンバーカードだけ持ってくるわけありません。しかも保険証に比べ、顔認証と暗証番号も必要で「便利」ですらないでしょう。もう約束事の100%ヤラセインタビューです。
 市民のインタビューは、放送局の企図でしかありません。
 ワクチン接種のニュースにしても、ワクチンを打つ打たないか、個人が自分の体質、病歴などメリットデメリットを良く勘案して自ら判断することであって、その参考になるデータを公平公正に提供することが報道だけが求められるはずです。
 この欺瞞報道は、コロナの感染者死亡者などの数値的な報道や医療機関の逼迫などの報道の後、その対策としてのワクチンのニュースでもそうです。
 「ワクチンの〇回目が、対象を〇〇にして、どこどこでスタート」「新型対応がスタート、」とかいうのは事実の報道としてそこまででいいのです。その後に、まだ確実な治験やデータ検証がなされていないはずなのに、専門家と称する輩が、「効果が高く、安全で安心ですから対象者は打つべき」「感染予防効果も高く、重症化も防ぐ」とか根拠が薄く、結論のでていないことを、両論表記が原則なのに一方的に垂れ流します。その後に、さらに洗脳を深めるように、一般の方のヤラセインタビューが必ず入ります。これも両論の人を取り上げることもなく「次のワクチンを待っていた、これで安心だ」「副反応もさほどではなく、すぐ職場にもどれそうだ」などという、テレビ情報を盲信する方に選択の余地を与えません。
 この結果、ワクチンの薬害、後遺症が出れば誰の責任かです。厚労省の意図を垂れ流し拡販したマスコミの責任は重いです。現在、確認されているだけで、ワクチン接種後の死者が2000人ほどいます。因果関係を認めたのは1人だけですが、直接ワクチンが死因とは特定されていなくとも、逆に2000人に入っていないその後の死者や、重篤なワクチン後遺症がなっている人はもっといるわけです。

 私が医療機関にもかかりいろいろ関係の従事者からも聞いて思うのは、ワクチンが必要なのは「高齢者と基礎疾患のある方」という表現です。高齢者の設定すら、都合よく65歳、だったり70歳あるいは、60歳、75歳だったりになりますが、「基礎疾患のある」は以前にも書きましたが、もっと曖昧で、無意味な場合も多く危険でさえあります。

 オミクロンに変異してから、コロナ単独で肺炎になり重症化してICUに入ったり死亡に至るケースは無くなっています。オミクロンに変異する過程で、感染力は拡大する性質を持つが、その浸食は気管支にとどまり肺に至らないからです。
 コロナで危険といわれる、呼吸器疾患や腎臓疾患を持つ人でさえ、ワクチンの副反応、後遺症の可能性を考えると、メリットがデメリットを上回るとは言えないのです。実際わたしは肺の基礎疾患がありましたが、オミクロンにかかっても肺炎がぶり返すことなく、気管支で終息しました。長男は慢性の腎臓疾患を抱えていますが、やはりコロナは軽症で終わり、医者からは免疫抑制剤などの関係で、コロナに罹るのは良くはないが「そもそもワクチンは打つべきではない」と言われています。

 友人たちも、60歳前後で、糖尿病や高血圧、肥満などを抱えていますが。それを言い出すとこの年代メタボも対象ならほとんどが基礎疾患ありになります。ワクチンのメリットがあるのかは、個人で考えるべきですが、血糖値が高い、血圧が高い、ウエストが太いからといってコロナが危険でワクチンを早く打たねば、という根拠にはならないのではと思います。その明確な根拠となるデータは示して欲しいところです。

 報道に恣意的な装飾、リードする思惑はいらないのです。

戦争に賛成も反対も所詮はエゴ

 ロシアの情勢がどこまで、私たちに正確に伝わっているかは定かではありません。今見える構図はプーチン大統領が、国家総動員令を発し、予備役の元軍人なども徴兵するということで、ロシアから出国する者や、ワザと骨折するノウハウが出て反逆罪が強化され、国が混乱してプーチンの支持が下がっているいるという事象です。
 西側のマスコミとしては、ロシアの非道さ、市民の人心との乖離、プーチン体制の危うさを訴える機会と喧伝するかのようです。
 間違いではありませんし、ロシア側を庇うことではないのですが、戦争とは良かれ悪かれそんなものです。
 何もプーチンのロシアにだけ、そういうことが起こっている、起こるわけではありません。いざ、自分や家族、愛する人が戦地に赴き、生命の危機となる。銃口や刃物を突き付けられば、誰でも国家への忠誠より自分が大事です。

 日本が敗戦したアジア太平洋戦争でも軍部におどらされ喜々と戦争を賛美した層と、密に戦争には反対していた人はいました。そして、明確に分かれるものではなく、自分がいざ招集され厳しい戦地で理不尽な扱いを受けたり、空襲や被爆の被害を直接見れば心変わりする人も当然いたでしょう。
 戦争なんて、当事者となる指導者も悪いですが、それをああだこうだ言う兵士も、予備役の市民、傍観者の市民の多くは身勝手なものです。国家が安泰に保たれているなら、戦争をしようが核を持とうがどっちでもいいはずです。私もそうです。エゴです。日本も歴史上、外国と何度か戦争を行い、内戦も幾多もありました。そしてほとんどが、市民は勝てば官軍、結果的に勝てば良い、自分や周りが傷つかないことが第一でした。世界の平和やまして相手国の人間などどうでもいいのです。エゴとエゴのぶつかり合いですから、戦争は白熱し、指導者は勝つためには市民を犠牲にしてでも勝たないといけないのです。
 

 市民側は負ける戦争はして欲しくない、これもエゴです。

戦争を放棄して、軍隊を持たないと言えば戦争を逃れられるかというと、これも疑問符はつきます。他人や他国人を信じ、無防備で戸締りもない、警察もいない社会が成り立つかというとそうではないからです。
 しかし、武器を持っていれば安心か、警察や軍がいれば大丈夫かというと、世界的にはそうではありません。抑止力というものはある一定効果はあっても、限られてしまいます。また軍隊を持ち、核を持つ上で、敵国とエゴがぶつかり合いと、好戦的になりやすくなるというジレンマが生まれます。
 まかり間違っても戦争は勝てそうだからするものではないのです。100%無傷で勝てる戦争はないのです。人の領土や命を取り合うのですから、相手も必死です。戦争が始まる大義名分など、ほとんど嘘っぱちで始まり、それに市民が騙され煽られ、自国が正しいと信じて犠牲を厭わないムードにハメられます。

 戦争はあくまで、不幸を招くので最大限の外交、和平努力が必要だということです。

結局オリンピックはやらない方が良かったのか

 明日の国葬問題で未だに反対とかもあるが、少し以前からマスコミが騒いでいる事案に今さらという感じだがオリンピックの不正な金銭疑惑があります。
 おそらく、日数や参加者規模、新たな施設の建設からロイヤリティなど、国葬よりも桁がいくつも違う金額が流れ、復興とか地元経済などには回ることなく、大企業や高等市民のみ潤った感じです。
 コロナ禍での開催が危ぶまれ、やってみれば日本がメダルを多く取り、感動したとか勇気や元気をもらったという声も多かった感じでした。しかし、東京都民はじめ多くの庶民の血税で借金を返し続けるようなものでしょう。
 もちろん、税金やらお金の流れは複雑ですが、国葬を血税で反対するなら、オリンピックを我慢して他所でやってもらえば、かなり福祉やインフラ、教育、経済に一部でも回せたはずです。
 復興五輪と言いながら、いまだに復興していない東北の街も数多くあり、国民も東日本大震災の増税分を払い続け、この先コロナのワクチン代や検査、隔離、診療など多くの関連国庫負担も増税にのしかかるでしょう。

 招致の時から裏金が使われているという話でした。正義、まっとうな世の中を貫くなら、政治家や組織委、関わった官僚、企業家、すべて連帯責任で厳罰にするという司法判断があってもいいぐらいです。
 そんなことをすればオリンピックは日本から遠い存在になり、日本の活気や元気がなくなるという意見もあるでしょう。しかし、日本のアマスポーツの金銭や政治にからんだ闇は底知れず深いです。多くの政治家が各スポーツの理事、役員となり、表向きの政治家としては受けられない献金や接待を受けている現実があります。
 比較的マイナーなスポーツも機会があれば、どんどん政治と電波にカネが使われメジャーになっていく。その過程で純粋だったアスリートもカネや遊びにまみれていく図があります。

 スポーツで身体を鍛えることや、厳しい修練をつむことは悪いことではないし、先輩後輩の礼儀や挨拶も体育会系の方がしっかりしているとも言われます。また国際社会における日本のプレゼンスを示し、秩序のある清潔な国で、素晴らしい伝統や文化も紹介できたでしょう。

 私も会社などで知る体育会系でそこそこ頑張ってきた人も表面悪い人はそういないです。しかし、経営陣となると、かつて六大学の慶応の野球部から閥ができ、そのイエスマン体質が粉飾での事実上倒産や不祥事に繋がりました。

 単純にいい悪いではない問題ですが、日本の財政を考えた場合、二年越しの体育大会は結論として要らなかった。こんな愚行を反省も総括もせず、繰りかえしていると本当に日本国は倒産します。

コロナ騒ぎがいよいよ消えるか

 WHOのテドロス・アダノム事務局長がコロナのパンデミックは終わりが見えたと発言しました。その後、別の事務方は否定気味なことも言いましたが、世界的な流行や死者などはもはやパンデミックとは言えない状況でしょう。武漢ウイルスが不気味に急拡大した頃に比べ、もはや身の回りの誰かは感染し無事に回復して免疫を得ており、生命の危険な感染を直接ウイルスが広めるわけではなくなっています。

 世界的にもニュース映像を見て、マスクをしている街中の光景は皆無となり、日本だけが取り残されている感じです。
 来月から、ようやく水際対策が大きく緩和され、入国制限の上限が撤廃され、個人旅行も許されるようになります。国内旅行の推進策も打ち出されます。

 最初の厳しい対応が国内の内閣支持率につながったために、国際状況や実態とそぐわない厳しい水際対策を続け、運輸・観光業や留学などの機会損失で、国際的信用や国益を失って支持より非難が多くなってきて後手に回っての緩和ともいえます。
 まだまだ、一部の「コロナ怖い」の洗脳が解けず、マスクオフを咎めたり、子供を含めワクチンを強制したがるワクチン信者も存在しますが。そろそろよく理解して、日常社会を取り戻し経済を回さないとますます日本は取り残されます。円安で利益を蒙る企業よりも、苦しむところや人々の方が増えてきています。

 ワクチンは副反応やワクチンそのもの後遺症の可能性をはらんでおり、製薬メーカーとの契約で推奨は続くでしょうが、そのメリットデメリットの均衡がデメリットになる方、リスクを考えた方がいい方も増えています。

 まあワクチンは説明するととても長くなりますが、反論もあるでしょうが、インフルエンザのケースで考えるとパンデミックの状況でないなら、もはやそのメリットデメリットの議論は別として、打つ打たないは自由なのです。

 マスクも同様です。つけるつけない、つけていないは他人に強制するものではないのです。皮膚の過敏などの疾患で元々マスクがしづらい人も多くいますし、マスクをつけることがマナーとか感染予防になるという認識はもう捨てるべき時です。
 多くの人が、直近で感染して回復しているため他人に感染されるウイルスを放出していなくなります。集団免疫状態にほぼ近い、大流行の末期です。
 そして、元々マスクの効果が多いに疑問ということです。部屋でも乗り物などでも、空気から感染するわけですから、換気が効果が高いのであって、息を止め続けるわけではないため、出す人は息からウイルスを止められません。不敷布マスクが一定のフィルター効果があるといっても空気そのものがウイルスに満ちていれば、完全には止められないので換気に比べると、息苦しい割には効果が低く、食事をするときには外すというなら、前後でマスクをつけるというのは滑稽な気休めに過ぎないことです。これを真面目な奇矯と思わず、平然と圧力をかけ強制し続ける。多くの市民目線が「日本の不気味」になっていることに早く気付かないといけないです。

ヰタ・セクスアリス4 特撮ヒロインやアイドルに憧れた少年時代

 まあだらだらと4日も続きましたが、今日は昨日のたわわ以上に炎上しそうな最近の画像でサムネ攻めます。
 性とか恋愛とかはやはりね、人それぞれ秘めたもの、歪んだような個人差があります。
 教科書やバイブルもちゃんとしたアンチョコもないのが、性の難しいところ。それを時代が妙にギスギスしたものに押し込めて。変におかしいものになっています。
 なかなか、恋愛って好きな人には伝わらず、うまくいかないものです。
アイドルや、特撮ヒロインにその欲望の代替をお願いして、自慰行為にふけったりという恥ずかしさ、後ろめたさみたいなものがありました。当時は今のようなネットでの同胞のつながりもなく、みんな同じような輩やもっと徹底したつわものもいて、世の中同じようなもんじゃんと思えたのは随分年取ってからです。
 コイバナに関しては以前もこのカテゴリで書いていますので、比較的いいとこまでつき合えたけど、結婚に足らなかった話は多少美化しながらありました。
 しかし、その以外の期間は、まあホンマに厭らしく言えば、恋愛したいけど相手いない寂しい期間の長きにわたる暗黒時代です。そのうっぷんを仕事にぶつけるわけでもなく、大金を出してプロと遊ぶでもなしでしたから、犯罪に行かずによかったとも思います。まあ、ミステリとkいろいろの読書、鉄道趣味、旅行趣味などが意外と発散していたのでしょうか。
 
 ただ個人的には、飽きっぽいところがありますので、いくつか失敗ばかり経験して焦りもありましたが、三十代半ばでようやく結婚出来たタイミングはまあ別に良かったかなと思っています。友達の中には独身をとおした人もいれば、すごく、すんなり初恋のような高校時代のつき合いから、判で押したような美男美女が恋愛成就して結婚して子供もでき長~く同じ屋根に暮らしているひともおられます。結婚生活の心得みたいなのがしっかりしているのでしょうか、適度に不倫とか遊びも恋があったのかはわかりません。倫理に反しな息抜きがあるとは思います。

 政治とか、大学、会社の中とかいろんなルールを厳しくするのか、自由、自治、自主がいいのかは、難しい議論です。議論するK都ができるのが、自由の証なのでしょうが。国だとか組織の名誉とか威厳とかのために、厳しくしたところで抜け穴はできるでしょうし、本当に抜け穴も何の隙も無いルールなら行きが詰まりそうで、私ならそんな学校、会社、国にはいたくありません。そして今さら厳しいルールを設けても、組織の過去の緩みや罪(があったとして)消えるわけでもないでしょう。世の中の裏側上の方に、いっぱい枕営業みたいな闇もあって、それでお互いも訴訟もなく連帯責任もなく成り立っているのに、キレイごとだけがまかり通るのは何だかと思います。

ヰタ・セクスアリス3「月曜日のたわわ問題」 表現を不自由にする

「月曜日のたわわ」という「月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品」が日経新聞に全面広告を出して、炎上してしまうというのが、少し前にありました。
 以下、たとえばジェンダー問題に詳しい識者などが、問題点を3つほどの主張をされています。内容をまとめると下記のようなものです。

 「見たくない表現」(たぶん痴漢を恐れて憂鬱な女子高生、OLなどにか)に日経新聞の朝刊で出合ってしまった読者が、購読の解約を表明する動きも出ているとのことです。「広告によって与えられた媒体のイメージはすぐには払拭できません。どのような広告を載せるかは、メディアにとってのリスクにもつながります」「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取する」という「ステレオタイプ」(世間的固定概念)を肯定し、新聞社が「社会的なお墨付きを与えた」

「広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です」

「メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプを撤廃するための世界的な取り組み」を国際機関とともに展開してきた日経新聞が、自ら「ジェンダーのステレオタイプを強化する」という矛盾に陥ってしまったことだ。

日経新聞はUN Women 日本事務所と連携し、ジェンダー平等に貢献する広告を表彰する「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」を主催するなど、広告のジェンダー平等化を推進する立場に立ってきた。同賞では、「3つのP」という審査項目を掲げている。

Presence 多様な人々が含まれているか

Perspective 男性と女性の視点を平等に取り上げているか

Personality 人格や主体性がある存在として描かれているか

この基準に照らすと、今回の全面広告は、『未成年の女性の肉体に欲望を抱く男性の視点』のみに偏っており、見られ、触られる側に立つ女子高生の『人格や主体性』は考慮されていません」と指摘

これまで大手メディアとしてジェンダーのステレオタイプを克服するために取り組んできたことは、全て偽善だったのでしょうか」「今年の新入社員が最初に迎える月曜日」に、「豊満な体型」の女子高生を通勤中に眺めて「元気になってもらう」。こうしたステレオタイプを強化する全面広告が注目を浴びる一方で、女子高生らは痴漢の増える不安な時期を迎えている。一般社団法人痴漢抑止活動センター(大阪市)は「4月は、電車通学に慣れていない新入生を狙う痴漢が増えます」とTwitter上で警告
 などというまあ随分強引な結論づけをして厳しい対応や忖度して自粛を迫るようなこと言う人達の非難が集中したわけです。

 マンガそのものは書くのは自由なのでしょうが、日経新聞の一面広告がダメということなのでしょうか。
 最近は、水着とか露出はなくとも、〇〇を連想させると言われている姿勢やポーズとかで噛みつく人もいます。実際たわわとされる胸が正面から書いているわけでもなく、単にキャラクターが月曜日に憂鬱なサラリーマンを愛らしく微笑んで激励している以上に見ることはないと思うのですが、どう感じとるかは自由なので否定はしきれません。しかし、新聞を広げなくとも多くのエッチな水着写真はもちろん、ヌード写真やAV動画、昔のポルノ映画だってそれこそ「痴漢電車どうのこうの」なんてのもスマホやタブレットで見て女高生に欲情を抱いている人も大勢いるかもしれません。
 日経新聞というところがいくらこういう取り組みをしていようが、権威か厳粛なところなのか、別にこの程度のことが問題になるのは正直、どうでもいいというのか、騒ぐ気持ちがわかりません。
 憂鬱な月曜日の朝、踏切の人身事故いわゆる飛び込み自殺も多い中、このマンガに癒されていた方もおられるのですが、確かにこういう容姿、スタイルを見るのが不快と言われれば何とも難しいところです。裸、水着とかレオタードでもダメ、やがてイスラム教のラマダン時期みたいに禁欲になっていく方向がジェンダーなのでしょうか。

 まだつづくかな