想像力と鈍感力

熟年夫婦であったり、職場のちょっとした人間関係だったり、うまくいかないコミニケーションに悩む方は多いようです。
下手をすると、鬱や引きこもりになってしまいます。そんな時はストレスの溜まらない鈍感な方が良いと故渡辺淳一さん(作家「失楽園」など)は言っておられました。ただ、あまり鈍感だと立ち直りは早く落ち込まないけど失敗を繰り返してますます。
人間関係をうまくするには「想像力」が必要です。「想像」というとイメージする力で、クリエィティブ「創造」と音が一緒なので大層な能力に感じられます。しかしここで大切な「想像」は本当にちょっとした先読みやリスク管理。
「ここで、声をかけておいたら相手は感謝するだろう。無言で去ったらおこるだろう。明日まで報告を先延ばしたら怒られるかもしれない」「今は体調OR気分が悪そうだから、変な依頼(質問)をするとますます不快だろう」
こういった相手に対する想像ができるかどうかです。
好きな人がどう思いどう反応するかは興味が湧くはずです。あるいは探偵や刑事が想像力で推理するのはカッコイイと思います。それと同じ想像力を平凡な日常で発揮するのです。
案外感じていても、「いまさら言えない」「ルーティンで決まっている」「ミッションや決まり事、慣習を優先」になってしまいがちではないでしょうか。
想像をしてることと、正しいイメージを掴み活動することが必要です。
ベストを尽くしてああだこうだ言われるのであれば、その時は鈍感になれるのがベターです。上の立場になればなったで、悪口言われる人は言われます。SNSなんて典型で有名になればなったで、悪口を言ったり炎上を狙ったりの輩はしょっちゅう現れます。
うまく想像力と鈍感力をバランス良く持ち、対応するのが良いのでしょう。かく言う私鈍感で大いに誤解され嫌われています。

2020年さらなる旅を

21世紀に入って、遠い先と思っていたオリンピックもいよいよ迫る。大阪万博、リニアモーターカー開業とあっという間に21世紀も半ばになるのか。
いろんな未来が実現していきます。
トラベルはトラブルと同源の言葉。地図やガイドがあってもそのとおりいかないのもまた楽しいものです。人生の旅も同じ。ガイドやマニュアルはあってもその通りの人生は一つとしてないはずでしょう。
今年はどこへ旅に行こうか。どんな仕事に打ちこもうでもいいです。
目標を決めて、まっすぐ進むから、他人の心をひきつけ、援助や共感をもらえるのです。宇宙のすべての森羅万象が、貴方の味方をしてくれます。
めげずに目標を定め、進みましょう!

イクメン:男性も育児休暇

働き方改革が叫ばれているとはいえ、まだまだ男性の育休には日本の社会全体が疑問符で現実にはそう多い比率で取られているわけではない。
スタンドプレイかもしれないし、政治家としては親子ともどもいろいろ問題もある某環境大臣が育児休暇を取られました。
問題はやはり、そのことが大きなニュースになるほど育児休暇のとりにくい日本だということです。
まだまだ奥様連のなかにも、わざわざ休みで一時期だけ、横に入られても迷惑。長い子育てにかかる苦労の本質をもっと分かって欲しいとかの声もありました。
ただ本当に子育てに猫の手も借りたい状況の人は助かるでしょう。
昔の大きな家庭にはおばあちゃんも、女兄弟やらお手伝いさんもいたりして、男は外で稼ぐのが当たり前で、子育てに何日も戻って来られてもそんなにすることもなかったのです。これは昨日のブログの高齢者同居や介護も同じ、核家族化の問題です。
今は共働きが多く、大きな問題が保育園不足。
もともおばあちゃんは別居。
もっと言えば介護休暇も育児休暇も、それ以前も非正規雇用の問題も横たわります。ブラックな企業はまだまだありますし、実際に産休にしても、他の仕事仲間でカバーしてうまく復帰させるのは神技的配慮がいります。
確かに高度成長期のモーレツな働きぶりに比べ、休みも増え、有給も取りやすい大企業は増えました。それでもまだまだ日本の現場は積極的に改革していかないといけないのです。
個人的には、だらだら出勤してる時期より、まとまって休みを取る前の方が積極的にアポをとったり、締切を前倒したり、上司や他部署への依頼に必死になり、仕事の段取りがクリアになったりするものです。
職場そこにいないと、残業とかに付き合わないと不安という世代が長く続きました。ドライすぎるのもいざというとき困りますが、こと休暇や時間に関してはまずはっきり一線を設けましょう。ただし、そこに至るまでの仕事の習得、段取り、勉強、コミニュケーションは身につけておきましょう。

施設の沙汰も金次第?にならぬよう

高齢者、別居が当たり前の時代

高齢化社会を迎え、サービスつき高齢者向け住宅が、各所に増えつつあります。かつて老人ホームは「姥捨て山」のイメージがあり、子供が話を切り出すのも躊躇われ、親戚や世間からは何て冷たい子供と揶揄されました。
昭和の終わり、平成以降は核家族化が進み、親の介護を自宅では看ない家が増えました。孫とおばあちゃんも毎日顔を合わせる家は減り、家族全体で老人のケアをする家もあまり聞きません。
自分が老いた立場になった時、どうなるのか誰にどう頼むのかを見ることはいい経験なのでしょうが。
その高齢者住宅、場所やら広さなどにもよりますが、設備はシンプルでも結構な月額です。厚生年金の平均クラスだけではちょっと厳しい、少し資産のある方でないと難しいかもしれません。年金生活だと今から少し生活、消費をダウンサイジングして、安い食事だけで買い物などの楽しみも制限していかないと、貯まりもしないし生活にも耐えれません。
かといって人間、ワンルームでも寝るには広いぐらい充分です。
シンプルに生きられるように、老いた時の心構えをいくつか考えておきましょう。
介護やサービス付きなど、金額的に無理、孤独に貧しく老いるだけと嘆く人も多いかもしれません。
そんな人もダウンサイジングの効果は変わりありません。

大事な3つの活動

そして大事なのは
①健康寿命を伸ばす
年を取ってから、歩けない、動けない、食事も制限されるなどでは少々お金があろうと、不自由です。
こつこつ運動する、ひたすら歩く、ジムに行かなくとも部屋の中でできるエクササイズも沢山あります。
②他人との関係をよりよくする
家族、親族、友人、地域、いろんな人とコミニケーションをとることです。
サラリーマンや自営で現役バリバリ時代にないがしろにしていたら、結局しっぺ返しを食います。今から想像力を働かせ、引退して体力も衰えたらどうなるか、今の自分はどう思われているのかを考えておかないと、いざ配偶者に去られたりしても困った事態になります。
③本当に必要なものに消費。感謝と利益を生む趣味的活動
健康にも悪く、金銭的にも浪費といえる習慣は何とか早く止めることです。煙草や居酒屋通い、ギャンブル等はその典型です。健康を害し、医療費もかさみドクターストップでは最悪です。「オレは死んでも煙草は止めない」という人もいますが、受動喫煙は別にしても、やはり人間死ぬ間際には多くの人の助けを貰います。やはり喫煙は早い段階でストップしたいものです。
ボランティアや簡単なアルバイトで、あまりお金にならずとも、感謝され自分も頭と身体を使う方が元気になれます。週1~2回でも何か働け小遣い程度貰えるのが理想的です。お金が潤沢にあり施設で身体を動かさないよりもいいかもしれません。
愛される可愛い、おじいちゃん、おばあちゃんを今から目指しましょう。

頑張れ受験生!でも大学入試が全てではない

1月の雪の多い頃の風物詩。センター試験。英語の民間試験問題で紛糾もしたが、今年はまあ例年通り。それまで暖冬だったが、関東甲信越は雪予報も出ています。
人の全てが決まるわけでゃありませんが、大きな岐路にはなる大学受験です。大学に行かない人も、専門学校、資格試験、入社試験等を経て大人になり、社会に出ます。
ベストを尽くす。後悔なく挑んでください。
確かに大学の試験、勉強って本当に社会で必要って思うことはあります。
しかしこれはルール、レギュレーションです。必要かどうかではないのです。
「なぜラグビーは前にボールを投げたらいけない」「サッカーは手を使えない」のと同じ、ムダともいえる難問を超えることで、選ばれるのが受検です。
とくに大学ともなると、現場的な仕事に向かうなら学費4年分はムダです。
スキルや学問を自主的に学ぶ姿勢を身につけるスタンスが必要です。
資格でも取り、専門学校に行った方がすぐ仕事を覚えられ、役立ちます。 就活に追われる3年4年の大学の学費など本当にムダなのかぼったくりのようです。
ただ、受験勉強でも資格試験でもそれで終わりではありません。
どんな職業、社会のプロでも、余程の伝統芸でないかぎり、科学技術の進歩、国際化、経済社会の変化などの影響は受けます。一度勉強して大学入って就活し、卒業して有名なところに就職したら終わりではありません。
とくに今の時代、出世する、独立して儲けるには生涯勉強、努力は必要です。
お金があっても学びは生涯にわたって大事です。むしろ、学校を卒業してからの勉強の方が大事なことが多いのです。
東大や有名大学出て官僚になるとか大企業に入る、そこで終わっているのではないのです。入れなかった人はいじけてもいけません。入るためにスゴイ努力もされ、さらに次の努力が仕事につけ、また努力して地位が上がり、収入が上っていくのです。負けて落ちる人もいます。驕ってしくじっている人もいます。
大学出ずに社会の富を集めた人もレアではありますがいます。
そんな人社会に入ってから無茶苦茶勉強、努力されています。
誰しも、どこかで必死に頑張る時は必要です。若い間にそれが見つけられるのが受験勉強かもしれません。

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どんど焼き、左義長、火祭り

神戸の絆の灯を見ながら思います。
小正月1月15日前後に、正月の門松、注連飾り、書初めなどを焼く行事です。名前も規模ややり方も全国でマチマチです。
左義長、どんと、どんど、とんど、さいと、、これほどさまざまな名前で呼ばれる行事も珍しいです。概ね、小正月ですが節分近くに火祭りとして行われる場合もあります。
今年は暖冬とはいえ、外で立っている時は寒いものです。焚火やどんとがあると温まります。また火の粉が空に舞い上がる様は勇壮であり、ストーブなどが無い時代は一大行事だったと思われます。
星空も綺麗な季節。空に上がる火の粉は、書初めにしろお守りやお札にしろ、天に返すという意味あいです。
昔は15日まで松の内と言われました。正月気分も落ち着き1年が動きだしています。
どこかで火の祭りや焚火を見つけたら、少しほっこりとして、今年の無事を厳かに祈りましょう。

阪神淡路大震災から25年に思う

1995年1月17日未明、私は京都府北部丹波地方福知山市のワンルームマンションのハイルーフベットで大きな揺れを感じました。営業で兵庫県の丹波篠山地区などを担当していました。生まれて初めて尋常ではない地震の経験でした。
いくつかの取引先が被災し、神戸地区の救援にも駆けつけました。
関西が、とくに阪神間が大変なことになっていました。
あれから25年。独身だった私はこの年結婚しました。私の年の近い後輩などもこの年、一気に結婚した人が多いようです。
普段一人で何でもできると思っていても、こんな悲劇を見るとやはり不安になりパートナーを求めるものなのでしょうか。
それとやはり、亡くなった者と生き残った自分との差は何だったのか。生き残った幸運を感じ生きるとは天命や使命とはと考えてしまいます。
まだまだイケイケの時代の会社で、その日も受注コンペというパワハラまがいの営業を鼓舞する企画の日でした。なかなか今ほど、ガバナンスが効かない頭の固いおっさん管理職が本社の手前なかなか中止が決められず、何があってもと上に厳命されていた。「取引先に注文の電話を入れろ」みたいな頓珍漢なことを言うてましたのを覚えています。もはや敗戦が伝わらず撤退できなかった南方の旧日本軍みたいで、こんなおっさんが会社潰すのかと思ってたら本当に潰れました。
地震も怖いですが、融通の利かない人間が組織の上に何人もいると同じくらい怖いということです。
この阪神大震災という、直下型の大規模な地震が神戸のような大都市でも起こることで、様々な今につながる警鐘、防災システム、建築基準、保険などが生まれたり進化したりしました。
水道の蛇口、上方向と下方向で水が出ますが、阪神大震災以降標準が上に持って行くのになりました。上からの瓦礫で出っ放しを防ぐためです。
神戸市や兵庫県はまだまだ大きな復興資金の借金を抱えています。日本はこのころからバブル崩壊です。本当なら神戸の負債などとうの昔に返してるはずが、その上に東日本震災です。
日本の終わりの始まりだったと言われないように、東京五輪から令和の頑張りに期待しましょう。

一銭軽しというべきに非ず:石田梅岩の教え

江戸時代の思想家、石田梅岩。丹波国、京都亀岡の出身なので、JR山陰線亀岡駅前に碑があります。サッカー場ができ、大河ドラマで明智光秀も注目される亀岡ですが、彼の思想もまた今実業家を始め、企業の社会的責任やガバナンスが求められる時代に再評価されたいます。
近江商人に三方よしの思想と並び、「日本のCSRの原点」との評価もあります。
「二重の利を取り、甘き毒を喰らひ、自死するやうなこと多かるべし」「実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」簡単ですが本当の商人、企業やビジネスマンの在り方を説いています。犯罪すれすれの金儲けや、豪遊三昧の企業家ばかりが、立身出世者のような評価を受けてはいけないのです。
「一銭を軽しと云うに非ず」まさに小さなお金、小さな儲けに感謝し、それを積み上げる誠実で質素な姿勢が大切だと説いています。
ワンダラーアウト!にもつながるような教えです。過去ログを下にはっております。

にわかだけでなさそうな勢いのラグビー、どうするサッカー他五輪スポーツ

ついこないだまで戦火にまみれていたシリアに負ける五輪の日本代表!
サッカーは確かにどの国でも国の期待がかかる。復興などの象徴になるスポーツで、シリアの人も東京に行きたいのでしょう。かたや日本は高給とりだが、五輪は海外組がどうせ占めるので、つなぎのような代理のような、ハンパなモチベーションで参加していました。
シリアにはおそらく、ラグビーや野球、バレーや卓球もなくまして体操もフィギュアもボルダリングもないでしょうが、必死に国の復興や存在感をアピールしてます。
そういう面では東京オリンピック聖火最終ランナーは、2011年3月11日生まれの子供ランナーでないといけないと思います。
今五輪を誘致した面々はどんどん復興五輪だったことを忘れているようです。昔のメダリストやアスリートではありません。福島の復興を訴える約束です。


ラグビーのトップリーグはW杯後開幕ブレイクしています。
女子サッカーブーム等は一過性だった。Jリーグはそれなりに動員は増え安定してる。しかしサッカーは代表がU23でさえ(五輪サッカーは23歳以下主体)、ほとんど海外組になった。
チームプレーなので、予選免除、本大会に出られないメンバーが延々と出場するのには意味もないし、モチベーションは下がります。
プレミア12から五輪の野球は、まだまし。日本のリーグがメジャーに次ぐレベルなのと、連携がサッカーやラグビーほど必要ではない。五輪はわずか6チームで、メジャーリーガーはでないので日本にチャンスも多いです。
サッカーは海外組を寄せ集めて、練習期間なく本大会に臨む方式を、脱却しないと日本人では勝てない球技。
国内組だけでチームの骨格を作り、エース級だけ補強する中田英寿時代ぐらいまでのがベストな気もします。
ワールドカップ予選で負けた1994年アメリカ大会、ドーハの悲劇の後、開幕したJリーグの時の方が、今回のラグビーW杯後のトップリーグ開幕に似ていました。サッカーの国内が、技術は今ほどでなくとも輝いていました。ラグビーも浮き沈みがあってかつて人気のあった早明戦が、今年大学決勝で戻ってきました。ラグビーをやる国、野球をやる国は少ないですが、駅伝も含め、たとえ世界中で行われていなくとも日本人が楽しめればいいという気はします。
にわかファンが定着して、底辺が広がることを望みます。またオリンピックを機会に新たなスポーツの人気が広がればと思います。その意味では全ての人が観戦には行けませんので、マスコミの公正でフェアな、うまい報道を期待します。

たまにはいい珈琲豆でブレイク

個人の嗜好なのでそれぞれあると思いますが、私は珈琲好きです。1日2~3杯飲みます。朝食と昼食後、休憩時など、家の買い置きはスーパーの挽き売り、コンビニや1杯ドリップなど安上がりなものです。それでも煙草代より高くついているかもしれません。
先日義父から100g3,000円くらいのやや高級な豆(スーパーで私は買っているモノの20倍くらいの値段)を貰いました。
これでもカップオブエクセレンスというコンテストの5位なのかと驚きました。まだ上はあるのでしょうか。
香りやコク、酸味と苦み、うまさが桁違いではありました。少し安い豆に混ぜるだけでも一流カフェの味わいでした。
珈琲ルンバに出てくるような、踊りだすような興奮や薬効がある意味をひさびさに思い出しました。

今は高級なこだわりのものと、コンビニやインスタント、激安系にいろいろなものがそれぞれ分野は違っても売られています。
昔からワイン等もそうでした。ブランド牛からいきなりとか牛丼屋の牛肉などもそうです。
珈琲も戦後のインスタントの時代から、最近のコンビニ珈琲のヒットで、大衆的な珈琲は安くなり、そこで代替されて高級品が売れなくなるのではなく裾野が広がって拘りのモノを選ぶ人も増えているようです。
毎日贅沢して舌が肥えて贅沢になるほど私もお金はありません。たまに頑張った後のブレイクに、自分へのご褒美というのは人生にメリハリをつけます。